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~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.20

The Jikens

地震なんかにThe Jikensは負けず、生かされている喜びを音楽に変えて、これからも現状維持で楽しくやっていきたい

あの日以来、日本の深刻な問題は山積みです。あの日のThe Jikensのことや、東北のこれからのことを4人がそれぞれ執筆しましたのでお読みいただければ幸いです。The Jikensのせわしない毎日のビートはこれからも続いていきます。一緒に東北を盛上げましょう! よろしくお願いします。

■ヒロエ(Rythm G./Vo.)
この冬も仙台の街は光のページェントで彩られる。眩い光のトンネルに、人々は立ち止まり思いを馳せる。そして願う。今年のテーマは“Be Smile! 〜上を向いて歩こう〜”だという。そんな東北の“今”を象徴する活動がある。“東北ライブハウス大作戦”だ。甚大な被害を受けた沿岸部で、大船渡(岩手県)・宮古(岩手県)・石巻(宮城県)を拠点とした3つのライブハウスが立ち上がったのだ。HPやTwitterもあるのでチェックしてみてほしい。音楽の無力さを感じた人がいたのも確かだが、音楽の力で自らを奮い立たせ勇気づけていこうとする姿があることも事実だ。答えはこれから少しずつだ。上を向いて歩こうよ!

■コーチャン(Lead G./Vo.)
The Jikens自主制作音源を多賀城のスタジオアゲインにて録りためていたが、あの地震によりスタジオの地下は水没。スタジオの持ち主M氏の録音機材やbad catのアンプも海の藻屑になっちまった。その後、M氏が残りの機材を我々のプライベートスタジオに持ち寄り、出前スタジオシステムで『道をつくろう』というアルバムを完成させた。“地震なんかに負けたくねー、くそが!”の想いでThe Jikensは少しずつ立ち直り、現状を維持。自分は雄勝のばーちゃんちが流されたし、この地震でみんな数え切れない大事なものを失ったけど、震災以降に得た素晴らしいこともひとつひとつ忘れないよう記憶(記録)し、残していきたい。

■タツヤ(Ba./Vo.)
大学で建築を学んでいたからか、誰に頼まれたわけでもないのに、津波にのまれた町の再建について考えてしまう。あの時の様子や現状は他の人に任せて、このことについて、僕は書きたいと思う。地方の小都市の再建に必要なもの。“働く場所”、“親から引き継いだ土地”、“人と人とのつながり”だ。この3つが欠ければ、確実に人口は流失し町は活気を失う。生まれた土地に働く場所があるだけで、そこにとどまる理由ができる。さらに家族や仲間との繋がりがそこにあれば、とどまる理由は一層説得力を増すだろう。役所は都市の再建を進めるにあたり、この3つを絶やさぬことをまず念頭に置くべきである。

■ハッスー(Dr./Vo.) 現状は震災の影響がほとんど無く活動できているが当時は「音楽なんてやってる場合じゃねー!」って状況だった。無論、出演予定してた公演をキャンセルせざるを得なかった。個人的には春開催から延期して行われた、最初で最後であろう夏に開催された“アラバキロックフェス'11”への出演は今までにない忘れられない経験となりました。音楽は無力なものでしょう。しかし、人の心を動かす小さなきっかけにもなり得るんじゃないかと感じます。

The Jikens 一同

 

 

 

 

渋谷 GUILTY 店長 本田 匠

http://www.guilty.ne.jp/

執筆者プロフィール
齢十八の頃に初めてGUILTYのステージに立つ。その後、大学に留年するなど、さほど波瀾万丈ではない紆余曲折を経て、ハードロックバンドのギタリストとしてGUILTYにレギュラー出演を続ける。6年前、転職を機にブッキングとして勤務を開始。現在、新米店長として奮闘中。

 

現状
「泣きっ面に蜂」。東日本大震災はライブハウス業界にとって、そんなイメージでしょうか。以前からバンドマンと話していると良く「ライブハウスって大変でしょう?」と訊かれる事が多くありました。そもそも音楽業界が芯を失ってしまっている昨今。“GUILTYがもっと良くなるためには? 何が足りないのか? これからどうしたら良いのか?”。正直、3.11が無ければ、もっと早く色々なアイディアを形にできただろうし、今年のGUILTY20周年に向けての準備をもっと余裕を持って進める事ができたと思います。でも3.11が起こらないと気付けなかった事もたくさんあります。「いつ起こってもおかしくない」と言われていた大地震は、やっぱり本当に起こるもので、原発は大事故が起こるもの。そして「音楽が力として機能するまでには時間がかかる」という現実。それは悔しさとして残っています。
1年半以上が経過して、あの時、信じられない程暗くて静かだった渋谷の街も“賑やかさ”という平穏を取り戻しています。時間が経つにつれ、「風化させてはいけない」という声を耳にするようになりましたが、ちゃんと日常を取り戻していくことも、また大事なことです。地に足をつけて一日一日を大切に、良い音楽を発信する場所として、皆さんに愛されるライブハウスで在り続けていきたいです。

メッセージ
お陰様でGUILTYは今年3月でOPEN20周年を迎えました。ここまで続ける事ができたのも、足を運んでくれる皆さん、ステージに立ち続けてくれる皆さんがいるからこそです。本当にありがとうございます。時代の変革を柔軟に取り入れながら、貫くところは貫き、頑張っていきますので、どうぞよろしくお願い致します!

 

 

 

新宿 URGA 店長 沫山 数汎

http://www.urga.net

執筆者プロフィール
ノイズ演奏屋。新宿ゴールデン街で口説き落とされ、7年ぶりに業界に戻ってきて早や5年。極端で異端気味の音楽を好むが、好きなバンドを並べてみると結局自分でも嗜好がよく分からない。実は店長になったのはつい最近(それまで何と店長職がなかった(笑))。
現状
震災後、かなりの日数が経ったにもかかわらず、その傷跡は癒えきっていません。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
余震が続き、電気の供給もどうなるか分からない中での営業再開には不安もありましたが、常連のお客様やミュージシャンに背中を押された感もあります。フラッと様子を見に来てくれたり、それまでだったら気にも留めない何気ない言葉や行動が、非常にありがたく感じられたことは今でも忘れません。ライブハウスは、勿論音楽やお酒を楽しむ場所ですが、人と人との繋がりも育てていく場所であることをリアルに感じましたね。
新宿URGAは、歌舞伎町の外れにあります。最近は韓流ショップも増えてきまして、界隈はいっそう賑やかに、無国籍風になってきました。そうした中で常に個性的な音楽を発信していくことが、ウルガの目的であり、目標でもあります。「ここに来ればさ、取り敢えず何か面白いことがあるだろ?」と。

メッセージ
URGAは、音楽だけに限らずあらゆる表現に対して扉を開いていたいと考えています。実際、芝居や舞踏の公演を組むことも多々あります。何事も、まず企画側との話し合いながら決める方針です。ふとした思いつきから突拍子もない企画が生まれることも多々ありますので、お気軽にご相談ください。また、学生サークル企画(新歓や追いコンなど)には学割を適用しています。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.19

JAZZRIZE DESIGN 代表 梅田浩司

物資を送ってくれたこの沢山の人達の"想い"も、
沿岸の人たちに届けなければいけない

3.11以降様々な状況が一変した。メディアはあまり報道はしないが復興までの道のりはまだまだ遠い。あの時の想いを忘れずに生きたい。

あれから1年と7ヶ月。私の住んでいる奥州市という街は、岩手の沿岸部から車で1時間くらいの内陸部にあります。いつものように仕事場で作業をしていた午後2時46分。普段の揺れとの違いを感じ、すぐさま両親の安否確認と我が子らが通う幼稚園に、グニャグニャに揺れる道路の上を走りながら向かった。幼稚園はパニック状態。あの思い出したくもない数分間。“今日でこの世界が終わるんだ”とさえ感じました。それから2日間は電気が無い生活。スーパーやガソリンスタンドはパニック状態。静寂が生んだ夜の星空が美しすぎたこと、今でも鮮明に脳裏に焼き付いてます。ラジオやTwitterからの情報は「東北沿岸部が壊滅的」など、ガラスの破片が心に突き刺さるようなことばかり。もともと仕事で沿岸の陸前高田や大船渡の人達が開催していた、“KESEN ROCK FES”(http://www.kesenrockfes.com/)に携わっていたので、真っ先にその人たちの顔が頭をよぎりました。すぐに何かしなくてはと思い、ブログやTwitterで物資のお願いをしたところ、全国から驚く程の数の物資が届きました。その中には沢山の応援メッセージもあり、そんな人達の温かい気持ちに、涙を流しながら仕分けをしたのを思い出します。物資だけではなく送ってくれたこの沢山の人達の“想い”も、沿岸の人たちに届けなければいけないと強く感じました。
ある程度物資が集まった時点で、地元の仲間達と共に沿岸部に向かうことに。沿岸部に近付くにつれ、凝視できない光景に打ちのめされる。人々の幸せを一瞬にして奪い取る自然を、ただただ恨みました。なんとか“KESEN ROCK FES”の実行委員でもある、TILITILIの菅野さんと連絡を取り合うことができ、物資を渡して様々な状況などを聞いたが、返す言葉が見当たらず、ただひたすら自分達ができることをしていこうと心に決めました。
その後も全国の皆さんの御協力を得ながら支援物資を届ける活動を続けていたのですが、途中から“物の支援よりも心の支援だな”と感じ、活動の仕方を見直すことにしました。現在も僅かですが活動中です。東京の有志達も定期的に開催してるDJイベントで集めたお金を送ってくれています。まだまだ続く復興への長い道のり。もちろん原発も反対です。子どもたちに不安な未来を残したくありません。最後に一言。今年の“KESEN ROCK FES”は特別でした。きっとあの会場に居た全ての人達の想いは一緒だったのではないでしょうか。音楽がもたらすパワーと可能性、そして人との出会いに感謝です。

●JAZZRIZE
http://www.jazzrize.com/

●JAZZRIZE STORE
http://www.jazzrize.net

●BLOG - ANALOG -
http://analog.jazzrize.net/

JAZZRIZE - ジャズライズ
- Web Design & Advertising and MUSIC -
代表 : 梅田 浩司
AIM : jazzrize
Twitter:jazzrize

表参道GROUND ブッキング 植田 誠

http://www.omotesando-ground.jp/

執筆者プロフィール
担当になって2年目です。以前は川崎のCLUB CITTA'にいました。音楽とお酒で生きています。座右の銘は“PEACE”。

現状
東日本大震災におきまして被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
震災当日は帰宅困難者のためにホールを開放し、約100名を迎え入れました。その後はチャリティー公演なども継続的に行われ、募金箱の設置なども行いました。当会場はワタナベエンターテインメントが運営する会場なのですが、弊社としては、震災直後から"WAEプロジェクト"と題し、チャリティープロジェクトを立ち上げ、今もなお、所属タレントが現地に赴き活動を行なっています。
この震災は世界に大きなインパクトを与え、色々な混乱や、システムを大きく変える出来事となりましたが、本来、助け合いで成り立っている世の中に改めて、人と人とのつながりの大切さを再確認させるキッカケになったと思います。
1年が経過し、色々な意味で落ち着きが見られる中、チャリティー活動を継続していくことはもちろん、震災によってなくなってしまった笑顔を、少しでも取り戻していく助力となる、コンテンツ・エンターテインメントを創っていくことも重要だと思います。

メッセージ
表参道GROUNDはお笑いから音楽まで、来た人が笑顔になれる幅広いエンターテインメントを提供しています。ぜひ、一度足をお運びください!

大塚Welcome back 店長 たかはし あきお

http://www.welcomeback.jp/

執筆者プロフィール
ピアノはからっきしですが、リスナーとしては年季が入っています。自慢はビートルズの日本公演を見たこと。ボブ・マーリーも見ました! 店名はジョン・セバスチャンの曲からいただきました。

現状
大震災当日のことは今でも忘れられません。Welcome backは地下だったせいか、物理的な被害がなかったことはせめてもの幸いでしたが、当日のライブはもちろん中止。その後10日間前後は臨時休業を余儀なくされました。メンバーが自衛隊員のバンド、実家が仙台のバンドなどキャンセルが相次ぎ、営業的な損害にも大きなものがありました。
自粛ムードを見直そうという気運も自然発生的に高まったとはいえ、その後の停滞気分はぬぐいきれないまま現在に至っているというのが正直な感想です。
店を代表して6月には気仙沼へボランティアに行ってきました。こんなことを言うのもなんですが、一番頭を抱えたのがその後続出したチャリティーに絡めたライブのお申込みでした。1人1人の方の“出来ることを何かしたい”という想いは確かに大変尊いものです。店としてそのすべてを受け止めることが出来なかったことは、今でも申し訳ないと思っています。

メッセージ
色々なライブハウスがあります。システム(ノルマ)もまちまちです。ノルマはいくらか? 持ち時間は何分か? スタンディングか着席か? この辺の確認は必須です。余計なお世話でしょうが自分たちのサウンドや音楽性や、コンセプトに合ったライブハウスを選んでください。

 

 

 

神楽坂EXPLOSION 店長 小嶋 貴

http://www.kagurazaka-explosion.com/

執筆者プロフィール
22歳でエクスプロージョンに入社。出たり入ったりしながら今に至る。

現状
まずは、昨年の東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
店舗そのものに大きな被害はありませんでしたが、3月11日から1週間ほど全公演がキャンセルになりました。今までにない状況だったため、こういう時にこうすべきだというガイドラインもない混乱した状態で、いくら店舗やイベンター側がライブをやりたくても、お客さんのことを考えると中止せざるを得ない状況でした。現在は震災の影響はほとんどありません。見えないところで影響が出ているのかもしれませんが。
今回、JUNGLE☆LIFEさんから原稿の執筆依頼があったことで、震災時の“普通のことを普通にできない”というやり場の無いストレスを思い出しました。それは忘れちゃいけないストレスだったと思います。被災された方達から見れば、些細なストレスなんでしょうけど。初心に帰るいい機会となりました。色々なことに耐えながら、それぞれができることをやってきた結果、今があると思いますので。

メッセージ
公演を再開する際には迷いもありましたが、通常通り公演をできる現在を幸せに思います。音楽は所詮娯楽であって、なくても困らないものです。とくに大きな災害があった時には最初に切り捨てられてしまうものです。でも我々はこんな時代だからこそ、娯楽を、ここでしか見られないものを提供していきたいと考えています。

 

 

 

東高円寺二万電圧 店長兼ブッキング 石田貴洋 望月拓

http://www.den-atsu.com

執筆者プロフィール
2009年、旧20000V閉鎖から1年後の2010年10月より、旧20000Vに関わった2人によるダブル店長で二万電圧としてスタート。

現状
個人的に震災以降変わったことといえば、仕事や音楽への自分の気持ちです。なぜ自分はこれをやるのか。あの直後、ライブハウス業界も錯綜し混乱したのを思い出します。開催不可能となったイベントのキャンセル料、電気の使用について等。いろんなことろで不謹慎という言葉も耳にしました。あの時、情報というモノの信憑性の無さを実感し、何が正しくて何が間違っているのかは自分で判断するしかないという状況に度々直面しました。それは自分の生き方を提示するということ。売れているモノも売れているように見せられているだけかもしれないし、正しいモノも別の角度から見れば悪かもしれない。そんな中で音楽をやる理由はシンプルで、自分の音楽をただやりたいから。しかし、これをこの先何十年も続けられるようにするには、行動しなければならないことがあります。

メッセージ
二万電圧は色んな意味でパワフルなミュージシャン、お客さんを歓迎いたします。性別、ジャンル、テクニック不問。またやる気に満ちた持ち込みイベントも大歓迎。面白いアイディアがあればご相談下さい。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.18

VELOCITY 坂本(Ba./Vo.)

北から南、西から東へと、見渡せどやはりここは僕が生まれ育った町。形は変われど僕は一生この場所を愛し続けます。

元気を与えに行った地元で、逆に希望と勇気をもらいました。今僕らにできることは、大好きな音楽を精一杯楽しむこと。それが僕らにできるせめてもの恩返しだと信じています。

 

 

東日本大震災におきまして、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
僕の実家は福島県いわき市、海岸線に位置する江名という、福島原発から南へ35キロの小さな港町です。現在、津波の被害で取り壊された近隣の跡地は草木に覆われ、閑散とし、やはり訪れるたびに津波という自然の猛威に驚かされると同時に、身の引き締まる想いを抱きます。
北から南、西から東へと、見渡せどやはりここは僕が生まれ育った町。形は変われど僕は一生この場所を愛し続けます。
BAND活動停止中に復興祭と題された隣町四倉町のお祭りに半ば強引にアコースティック弾き語りとして参加させてもらったことがあります。何かに突き動かされるままに、自分が持っているありったけの想いを歌に乗せました。勇気を運びに来たはずが、逆に与えられ、まだ瓦礫の残るその町で人々はとても力強く生きていました。帰り際に、「今日は楽しかったなあ、また来てなあ」と立ち去る近所のおばあちゃんの後ろ姿はどこか寂しげで、とても感慨深い気持ちにさせられました。
3月11日、もしかするとそれは、もう二度と思い出したくない過去なのかもしれません。
今、いわきは着々と復興を遂げています。海岸線の植え込みに咲くきれいな花、新しく建設中の建物、商店街での小さな会話の中にも、浮かぶは希望の二文字です。たくさんのチャリティーイベント、いわきに元気を送ってくれたBANDの皆様、今物凄く活発的、精力的にイベントを発信する我がホーム“いわきソニック”!! 本当に本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。地元のいわきに限らず、震災で弱った町全てが、ゆっくり、少しづつ、力強く、着実に復興していくことを心から願います。
最後になりますが、僕達は“福島”を決してあきらめません。

VELOCITY website / http://www.velocity-rock.com

 

 

 

Date fm パーソナリティ 庄子久子

泣きたくても泣けない人を泣かせてくれるのも、
笑っていいのかと迷う人を笑顔にさせてくれるのも音楽なのだ。

 

甚大な被害の前で無力感に苛まれながらマイクに向かっていた震災の後。リクエストが届きはじめる。ある人は、まだ見つからない家族が大好きな曲を。復旧作業に向かう背中に送る歌を。想いをのせてラジオから再び音楽が流れ始めたあの日。時を同じくして、駐車場、体育館、広場、そしてライブハウスから音楽が聴こえてきた。

 

 

 

 

震災から一年半が経ちました。悲しみが癒えるにはあまりにも短く、悲しみの中で生きるにはあまりに長い時間です。同時に、人の必死で長い一年半は、地球にとってどれだけ短いのだろうと沿岸部に足を運ぶたび思います。
あの日以来、私自身も味わったことのない時間の流れを感じてきました。震災後の混乱の中、つとめて冷静にマイクに向かいながらも甚大な被害の前では無力感でいっぱいでした。
しかし、震災から20日ほど経った日、番組に見慣れたラジオネームでリクエストが届き、私はある決意をしました。そのメールは、「時間だけが私の気持を癒すものかもしれないけれど、私が前向きになれるまで、“前向きにがんばろう”と言い続けてほしい」という内容でした。その方はお母さんを亡くされ、大変苦しい思いをされていました。
思い返せば、震災後から指針をくれたのはすべて番組を聞いてくれるひとの声でした。かける音楽も最初はインストナンバー、次に静かな洋楽をかけていて、いつからかリクエストが届きはじめます。それはいまだ行方不明の家族が好きな曲だったり、会えていない恋人へ届ける歌だったり、復旧作業に向かう背中へのエールであり、鎮魂の祈りでもありました。何度も聴いてきた曲の歌詞が、震災以前と同じに聴こえることはありませんでした。
たくさんのアーティストが東北を応援してくれています。どのような形であれ、曲は音楽家にとって命です。その命を通して応援してくれることに感謝と尊敬を。大きな発信力をもったミュージシャンが長いスパンでの応援を宣言してくれていることは私たちにとって、大きな励ましになります。
震災後、ライブハウスで、泣きたくても泣けない人を泣かせてくれるのも音楽ならば、笑っていいのかと迷う人を笑顔にさせてくれるのも音楽なんだと心から思うシーンが何度もありました。
以前「あなたにとって音楽は?」という質問に、「空気や食べ物と違って、なくても生きていけるけれど、ないと、生活に色気も味気もなくなると思います」と答えたことがあります。でも、食べ物やきれいな空気のありがたさが身にしみてわかったからこそ、番組に届いたリクエストのひとつひとつを噛み締めてこう言えます。「あなたにとって音楽は?」「人生になくてはならないもの。」
音楽と人をつないで、人と人をつないで、人と街をつないでいく仕事がしたいと日々マイクに向かっています。

http://www.datefm.co.jp

 

 

 

 

 

渋谷SONGLINES ブッキング担当 長田江梨子

http://song-bird.net/songlines/

執筆者プロフィール
19歳の頃よりアルバイトでライブハウスに勤める。その後、舞台担当として表参道FAB(現勤務先 ソングバード)入社。‘08年 SONGLINESオープン時よりブッキングを担当。

現状
震災後は、公演の中止を決断せざるをえない状況でした。節電の問題もある中、ライブを開催していいものか…。被災地では明日をどう乗り越えるかという状況の中、本当に音楽は必要なのか…。とても悩みました。しかし、予定通り開催した公演にいらっしゃったお客様より、「開催してくれてありがとう。久々に笑うことが出来ました」という言葉をいただいたのです。その一言で、音楽の力、そして復興に向けて、今、私に出来ることがはっきりと見えたような気がしました。
その後、チャリティイベントも開催させていただきました。「こんな時だから歌を届けたい」、「少しでも力になれれば」と多くのアーティストに賛同いただき微力ながら義援金として被災地の方へ届けさせていただきました。
震災から1年半が経ち、全てが同じではありませんが、以前と変わらない日常が戻ってきております。もちろん、あくまでお店のある東京・渋谷での話であり、被災地の方では復興に向けてまだまだ長い月日も必要で、問題も山積みだと思います。1日も早い復興を心よりお祈りするとともに、私が今この場で出来ること、音楽の意味を感じながら復興支援を行なっていきたいと思っております。

メッセージ
SONGLINESは皆様のおかげを持ちまして、10月で4周年を迎えることが出来ました。ライブハウスとしてはまだまだ新参者ですが、アーティストとともに成長しつつ、居心地の良い空間を提供出来るお店として頑張っていきたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。

 

 

 

 

新潟GOLDEN PIGS 店長 石塚 翔

http://www.goldenpigs.com

執筆者プロフィール
GOLDEN PIGS立ち上げより3年目。地元が大好き。人間が大好き。酒が大好き。よって、打ち上げでバンドと飲むのが何よりの生きがい。自身も「言葉 翔」として弾語りをしています。尊敬しているのは友川カズキさん。

現状
街自体は大きな影響がないので皆平和に暮らしていますが、やはり各個人で震災を風化させないようにとイベントをしてるアーティストは沢山います。
本当の情報がわかりづらい世の中、真実を求めて発信してるアーティストが増えました。
僕もイベントで8月15日に終戦記念日の企画をしました。やはりきっかけになったのは3.11の震災でした。
平和に暮らしてはいますが、意識は変わってきているんだと思いました。

メッセージ
地元にライブハウスがあることは当たり前ではないと思います。有名ではなくてもかっこいい音楽を奏でているアーティストはいっぱいいます。ライブハウスにはそこでしか起きない奇跡が詰まっています。地元のライブハウスを大切にしてほしいと思います。

 

 

 

 

LIVE HOUSE SHIZUOKA Sunash 店長 朝比奈ふさ子

http://sunash.info

執筆者プロフィール
入社14年目です。音響以外はなんでもやります。

現状
東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
3月11日当日はリハーサル前で、バンドが会場入りした位の時に地震が発生しました。建物や機材の破損も特になく、その日は通常通りの営業をしましたが、地震発生直後から大津波警報が出たため、東名高速、国道1号線が全て通行止めになってしまい、翌日からの営業をどうするべきか、散々悩みました。
その後はイベントのキャンセルが相次ぎ、原発問題が発生し、様々な情報が入ってくる中、“ライブハウスはどうあるべきか”、“何をやっていくべきなのか”、スタッフの中で何度も話し合いの場を設けてきました。募金箱の設置、地元バンドのチャリティイベントなどを行い、自分達が出来る所から始めようと思いやってきました。1年半経った今も変わらず続けています。
震災で人との繋がりの大切さを実感しました。音楽の情報を発信する場所として真剣にやっているアーティスト、バンドの応援、協力をし、来てくださるお客様に居心地のいい楽しい空間を作っていけるよう日々精進しております。

メッセージ
皆様のおかげで、今年で14周年を迎えることができました!
来年の15周年に向けてさらに頑張ります!! 常時出演者募集中です!

 

 

 

 

LIVE HOUSE 仙台FLYING SON 店長 佐々木章宏

http://www.flyingson.com/

プロフィール
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊し二任期満了退職。その後、上京し新宿ロフトで2年アルバイト。仙台に戻り、現職。

現状
あれから、1年6ヶ月が経ちました…。
FLYING SONは仙台駅から徒歩5分の位置にあります。周りの大きなビルの外壁工事がやっと落ち着き、歩いている人の話し声が聞こえるようになりました。仙台駅周辺に限っては、元の姿に戻ったかのように思います。
震災直後、イベント中止の確認の為、繋がらない電話をかけまくりました。やっと繋がるとみんな同じ意見でした。「どう考えても無理っすよね」と。
ライフラインが戻ってきても、自粛ムードが襲いかかってきました。こっちを指さし、「ライブハウスやってんのかよ、自粛しろよ」と呟いて、隣の居酒屋に入って行った男たちを俺は忘れません。
そしてすぐに状況が変わりました。「音楽が必要だ」と復興イベントが行われ、県外からもたくさんのアーティストに来て頂きました。少し戸惑いを感じつつも、すばらしいイベントに関われて大変うれしく思いました。
これからとしましては、常に危機感を持ち、安心してライブを楽しめる空間づくりを心がけたいと思っています。

メッセージ
震災からすぐの4月、私が大好きなミュージシャンがFLYING SONに来てくれました。MCは一言、「やるしかねえんだよ」と。その言葉に歓声が上がった。私は、津波で死んでしまった音楽が大好きな友達の分まで「音楽を楽しんでやるしかねえんだよ」って。そんな気持ちでライブハウスをやり続けます。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.17

仙台 Milkyway PAオペレーター 三浦

誰かの思い出や当時の生活の有様が感じられるものをたくさん拾い撤去しました。“日々、生かされているんだ”ということを実感しました。

町はだんだんときれいになっています。しかし町の復興にはまだまだ時間がかかります。震災によって失ったものはたくさんありますが、震災をきっかけに得たものもたくさんあります。音楽ができることは何か。ライブハウスに関わるものとして、音楽が持っている力をそのまま伝えられるような技術者になりたいと思っています。

 

宮城県南三陸町出身の三浦です。震災時は東京で働いていました。家族、友人の安否の確認がとれないまま、その日は職場でずっとニュースを見ていました。三陸沿岸に津波が押し寄せる映像や、海岸で火が燃え上がる映像を見ながら、地元の状況を伝えるニュースを求めていました。数日が経ち、地元の映像が流れ始めました。テレビの中に写る地元の町並は、見慣れていたものとは全く違うものになっていました。家族の安否が分かるようになり、避難所に設置された衛星電話で家族と直接連絡もとれるようになりました。「じいちゃんとばあちゃんの家は流された。親戚一同がうちに泊まっている。なんとか生きている」親戚の家は皆流され、僕の実家だけが残り、そこに15人ほどで何日か暮らしていたようでした。
4月に地元に戻る機会がありました。まだ電気も復旧していなく、夜9時には就寝。実家では流されて来たガスボンベを拾って使いお湯を沸かし、自衛隊からの救援物資を暖めたり調理したりしていました。当時駅の近くに置いていた実家の車は津波に流されひっくり返っていました。母校は避難所になり、ガレキの山になった町の中には自衛隊の人たち。何ができるはずも無くただ全国からの支援に支えられ、生かされていました。
7月から8月の約2ヶ月間、復興支援団体に所属し、地元のガレキ撤去作業をしていました。炎天下や雨が降る中、目の前に広がるガレキをただひたすら仲間達と拾い集めました。家を失ったもの、職を失ったもの、様々な状況の人たちと一緒に作業していました。“このガレキがいつ全て無くなり、ここにまた人が住み、町ができるのだろう?”と思うこともありましたが、ゆっくりときれいになっていく町を見て“ここからまた始まるんだ”と、これからの町の未来に思いを馳せるときもありました。そこでの仲間達との新しい出会いもあり、失うものが多くあった震災をきっかけに得たものがあったこともまた事実でした。その後ライブハウス仙台 Mlkywayの立ち上げに携わり、今はPAとして働いています。
音楽は衣食住に直接関係がありません。しかし震災で活力を失いつつあった人たちを外に出させ、一緒に歌わせ、笑顔にさせていたのも音楽であることを実感しています。そういった音楽の力を信じ、そこに携わるものとして自分の役割、できることを示していきたいと思っています。

 

 

 

 

株式会社ジーアイピー 松下 達郎

被災地でのライブは本当に求められているのだろうか?
“エンターテイメント”の力を再確認した大震災。

大震災で多くの変化と前進を求められた被災地で“エンターテイメント”を発信する。“一人で多くの人に勇気を届けられたら”そんな想いから被災地へ出発。

 

1台のトラックに機材を積み、石巻、陸前高田、郡山、北茨城の4都市を回ってライブをするという企画があった。本番の2ヶ月ほど前に現場調査をかねて下見に行って唖然としたことを覚えている。家屋が建ち並んでいた海岸近くの都市が全てなくなっていた。数年振りに訪れた土地だが建物があったことは、はっきりと覚えている。津波が奪い去ったのだ。無惨に積み重なった車、地盤のアスファルトがむき出しになった家屋、葉や枝がとれて裸になった木々。もう言葉も出なかった。とにかく「被災地に勇気を!!」なんて言葉が出るような光景ではなかった。こんな状況になった土地でライブをやっても人は来ないだろうし、来られる状況ではないだろう。そう思わずにはいられなかった。そんな光景を目の当たりにした日、現地コーディネーターの方に言われた言葉がある。「こんな街になっちゃったけど、みんなここで暮らし続けたいからがんばってるんだよ。みんなを元気してくれるイベントのためならがんばるよ!」と。がんばらなくてはいけないのはこちら側なのに現地の方に励まされ、勇気をもらい、企画を実行できた。ステージだって大きくはない。楽器も多くない。音響も照明も普通のコンサートに比べれば本当に小規模。それでも“一人でも多くの人に勇気を届けたい”というその気持ちがアーティスト、スタッフ一同ひとつになって行ったコンサートには、凄まじいパワーを感じた。そしてコンサートに来場したお客さんの笑顔を見てそのコンサートに関われたことを改めて幸せに思った。アーティスト、スタッフ、関係者は声を揃えて言う。「勇気を届けに行ったはずなのに、逆に勇気をもらった」と。当初はライブをしても誰も来ない、こんな時期に不謹慎だろうと思い、本当にライブを行ってもいいのかと苦悩したが、結果、各会場2000〜8000人が集まり、多くの笑顔が見れたのだ。
音楽だけで人を笑顔に変えることができる、これこそが“エンターテイメント”ではないだろうか? 決して自分1人でできるものではない。多くの人の力がひとつになって初めて実現するのだ。この先何年かかるかはわからないが、必ず復興することを信じて、これからも被災地でエンターテイメントを発信し続けること。それは音楽業界にいる限り自分の義務となっている。

 

 

 

 

SHIBUYA DESEO 店長 鷲山真司

http://www.deseo.co.jp/

執筆者プロフィール
バンドマン、バックダンサーを経て、CD製作におけるプロデューサー、ディレクター、音楽講師等様々な顔を持つ。 最近はベーシストとしてステージに立つ事も増えている。あとたまに閣下。

 

現状
いまだに思い出しますね。事務所が4Fなんです。すごい揺れ。身の危険を感じました。急いで外へ。1Fでは若手バンドの解散ワンマンライブのリハーサル中でした。同じビルに練習スタジオがありますので、そこにいた人たちもみんなビルの外へ避難。夜は帰れない人、ワンマンライブを見に渋谷に来ていた人、バンドマンを受け入れる避難所として開放しました。  いままでで東京が東京らしくなくなった1日だったんだと思います。でも次の日の朝はもう動いていたんですよね。電車もデパートの食品売場も。そして仕事に行ける人はいつも通り仕事へ行く。それが復旧の第一歩だったんだなって。まずは踏み出さなきゃ始まらないんです。忘れられないこと、忘れちゃいけないことはたくさんあるとは思いますが、前進あるのみじゃないですかね。  個人的には仲の良い仙台のライブハウスさんとのやり取りを出来るだけ早くしたいなって思ってました。ようやくこの8月に直接行くことができ、快く迎えていただきました。  “何が出来るか?”ではなく“何をするか?”ということをまじまじと実感しました。

メッセージ
ジャンル問わず、とにかく音楽で何かを伝えたい人、音楽を通して楽しいことをしたい人、連絡下さい!  ぜひぜひ渋谷DESEOで盛り上がって下さい。最先端の音楽、お待ちしております!

 

 

 

 

山梨Hangar Hall 丹沢 昌貴(たんざわ まさき)

http://hangarhall.com/

執筆者プロフィール
・企画マネジメント兼PA 大型光学映像や地デジ放送局設備のエンジニアを経て、6年前にPA業界に復帰。都内ライブハウスのPAや映像、電気設備設計も手掛けています。山梨の音楽シーン発展に尽力してまいります!

現状
震災から1年半が過ぎ、以前と変わらない営業が戻っていますが、今でも不定期ながらチャリティーイベントが開催されています。
約4年前の開業時から、チャリティーやボランティアに様々な形で取り組んできた当店としては、震災以降の節電が叫ばれる中、大量の電力を必要する音楽イベントの行なうというのは心苦しいものがありました。当然、営業自粛ということは真っ先に頭をよぎりました。しかし“動ける人達が動いていかなければ!”という想いとの葛藤もありました。
そんな中、当ホールを愛用していただいている出演者の方々からの「俺達にできることをやっていこうよ」という言葉に、心を動かされたのを鮮明に覚えています。開催時間を短縮し、空調を使わないことにもご理解いただき、開催する1つ1つのイベントで募金などしっかりした形で復興への協力しようと団結しました。
導入機材も、LED照明など省エネ機器を積極的に選定し、確実な設置するなど、これまで以上に安全やエコに配慮するようになったことも震災からの教訓です。今後も継続した取り組みをしていこうと考えています。

メッセージ
ツアバンやブッキングも随時受け付けております。“ひと味違ったイベントホール”での演奏をぜひ楽しんでください。
山梨の音楽シーンはまだまだ発展途上ですが、この1年、距離を越えて繋ながる『音楽の力』を改めて実感しました。この経験を地元シーンの活性にも生かしていこうと思います。

 

 

 

新宿Motion 店長・ブッキングマネージャー 鶉野拓人

http://motion-web.jp/

執筆者プロフィール
新宿Motionの店長、about tess / world's end girlfriend / カオティック・スピードキングのギター、Virgin Babylon Recordsの運営、としてあらゆる角度から音楽に関わる。

現状
2011年3月11日から全てが変わった世界で生きている実感があります。東京都内に住んでいると、震災当日から今日までの毎日、日々表面上は震災以前にゆっくりゆっくり戻ってきてはいるのですが、あくまでもそれは形だけでしかなく、音楽、バンドさん、ライブハウスにまつわる様々な、夢や希望だけではどうしようもないリアルが浮き彫りになってきました。
今は近い未来に向けて毎日を一生懸命生きることしか出来ないのですが、新宿Motionはバンドさん、イベンターさん、そしてお客さん達に助けられて盛り上げてもらっている事を痛いほど感じています。

メッセージ
やりたいことや、希望をMotionという場所を通じて共有しながら広げていきたいです。いつでも何でも相談して下さい。精一杯頑張ります。

 

 

 

 

HOLIDAY SHINJUKU ブッキング担当 高野美紀

http://www.clubholiday.jp/

執筆者プロフィール
入社2年目。地元茨城とサッカーが大好きです。HOLIDAY SHINJUKU オフィシャルブログ担当。http://ameblo.jp/holiday-shinjuku

現状
東日本大震災におきまして被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
震災後、新宿歌舞伎町は、街のネオンサインが消え、日本一の歓楽街と思えない程ひっそりとしていたことが思い出されます。当店に震災による被害はありませんでしたが、イベントの延期・キャンセルが相次いだ為、3月一杯は総てのイベントを中止し、4月から営業を再開しました。
震災からもうすぐ1年半。歌舞伎町の街もHOLIDAYも震災前と変わらぬ日常を取り戻しておりますが、スタッフ一同の防災意識と音楽に掛ける情熱は間違い無く震災前の数倍にも膨れ上がっています。
ライブハウスは、日々、出演されるアーティスト、来場されるお客様との出会いが有り、絆が結ばれる場所だと思います。音楽を通してのこの出会いを大切に、絆を大きく太くしていくことで、少しでも復興の手助けとなれるよう、これからも頑張っていきます。

メッセージ
ヴィジュアル系のハコとしてのイメージが強いHOLIDAYですが、ヴィジュアル系は勿論、ジャンルを問わず、多くの出演者を募集しております。実はオールジャンルOKのライブハウスなんです。
大阪店・名古屋店も宜しくお願いします。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.16

バンダレコード 福島西道路店 / 店長 飛田旅人

東京出身、東北2年生。震災を通し、人間的に成長をできた自分。
お世話なった方々や福島、地元シーンに、微力ながら貢献、恩返しをしたい!!
店舗スタッフが自分に「いつもの地震と様子が違うから」と、お客様を含め、避難の誘導を始めた直後のことだった。

はじめまして。福島県で一番、大きな声を出してるCDショップ店員です!!
自分の今の思いはありきたり? そう思っていただいて構いません。

震災後の“苦しみ”、“絆”? どっかで聞いた話?
いいんです。だってそれが僕を成長させてくれたのは本当のことなので!!

でもいつも五月蝿いと思っていらっしゃるお客様、スミマセン…。

Message

あの日、とても現実とは思えない光景に只ただ震えていた。直後の雪は、今でも憶えている。

震災の直後、自分はスタッフの安否確認をすることに。使命感というより、何かをしてないと不安と恐怖に押し殺されそうだった。コンビニの公衆電話を利用してスタッフと連絡を取った。その横では人々が早くも列を作り食料、水を買い求めていた。それが一層の恐怖を煽った。このまま日本がなくなってしまう気がした。その後、ライフラインが全て停止した自宅を抜け、彼女の実家に避難させていただき、報道を見て初めて悲惨な状況を知り、愕然とした。

そんな中、次の日から復旧にむけて動き始め、3/18には福島店の営業を再開。イオン福島店も動き始めた。不安は残る中、スタッフが一丸となり前を向くことができた。困難に立ち向かう際の強烈なリーダーシップは、自分の記憶に強く刻まれた。その後、仙台泉大沢店の復旧、再オープンをすることができ、東北店舗の全てが出揃った。この時の復旧過程において前を向いて実行できたことは、人として“行動力”を成長させる大きなきっかけになった。東北に新規出店も果たした。盛岡店だ。タイトなスケジュールで1からの店舗作り、ハードな業務の中でも関係各所に協力を賜りながら、全員一丸で取り組むことができた。ただただ嬉しかったし、楽しかった。昆野店長という新しい仲間もでき、今こうしてこの誌面に掲載してもらえている。

“絆”。ただの言葉ですが、自分にとっては“宝物”です。人に助けられ、協力し合い、感謝して生きる。この困難が自分を成長させてくれたのは事実です。ただ目の前のことを行っていただけですが、必ずこの経験、成長が取り巻く環境に役に立つはずだと思います。

今回の震災で多くの方々が大切な何かを失った。今もここ福島においては、原発問題が様々な苦しみを与え続けている。自分は福島県で一番大きな声でお客様に挨拶している自負がある。東北2年生…日は浅いが福島でお世話になり、成長させてもらい、大切なものもできた。街のいちCDショップ店員に過ぎない自分は、直接的には苦しんでいる方の力になれませんが、仕事を通して少しでも前を向くきっかけや、楽しみを作っていただけたら嬉しいです。
9月で東北3年生。今後は大きな声で外にも発信していきます。微力ながら、“地元・東北、福島”を精一杯盛り上げていきたいです。今後のバンダレコード、飛田にご期待ください。


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ムスリムホット Vo.バム

http://k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/musurimuhot69/

現状報告というよりは実体験を語るような感じになってしまった。伝えることはこれほどまで難しいのだ。地元のメディアでは、まだ震災の報道はあるが、チャンネルを変えたら別世界が広がっている。

再生ボタンを押した。流れたのはザ・ハイロウズの「青春」だった。おれは“ここだ!”とジャンプをかます。精一杯、何回も跳んでみた。これが、おれの出した答えかもしれない。この時、おれはまた音楽をやりたいと心から願って、できる日までこうしてジャンプをすればいいと思っていた。このジャンプが、少しずつおれの日常を変えていって、こうして仙台から全国へ足を伸ばせている。あのジャンプは決して無駄なことではなかったんだ。

Message

あの暗闇は忘れもしない。3月11日の夜は、いっこうに地は揺れたまま、まるで、空襲を受けたような感覚だった。ちょうど先日、祖父母から仙台空襲の話を聞いたばかりだった。渡された冊子の文中にある“悲鳴と怒号の嵐”とはまさにこのことだ。全ての信号機も落ち、さ迷い歩く人々、おれもその一人だった。

震災の前日、発売間近に迫ったニューシングルの最後の仕上げ作業に取り掛かっていた。Ba.渡邊了英と朝まで「アンダーグラウンドザワールド」の声録りを、車の中で行っていた。天地がひっくり返るほどの叫び声をおれは出していたような気がする。

そして、地震が起こる。ヒステリックになりそうだった母親を抱え、外に出てみる。全ての建物が大きく揺れ、隕石でも衝突したのかと思った。水道管は破裂し、水が噴き出していた。いち早く小学生の弟たちを迎えにいき、小学校に避難した。

悪夢だった。深沼海岸に200人の死体があがったなど、嘘みたいだった。避難所は不安で充満し、おれは耐えきれず外に出た。今までみたことがないくらい星がたくさん散らばっていた。一瞬、これはきっと星になっちまった人達なんだろなと考えてしまったくらい。

どうしようもなく充電がぎりぎりのiPodを手にとり、再生ボタンを押した。流れたのはザ・ハイロウズの「青春」だった。真夜中一人でおれは“ここだ!”とジャンプをかます。何回も跳んでみた。精一杯のジャンプをかました。
地震がおさまることはなかった。なんだかんだ5日ほどは地元の小学校に避難していた。

次の日だったろうか、俺の家は山のほうにあって、局地的な大雪が降った。何度も転びながら、マウンテンバイクで米(確か10㎏以上はあった)を実家に運んだ。いつもなら絶対に話さないであろう地元の方々と話して、情報は共有するようにしていた。そうじゃなきゃ、やっていけなかったんだ。

3日後くらいには、従兄弟(彼も仙台空港近くに会社があり、津波から死に物狂いでギリギリ逃げてきた)と仙台駅を見に行った。建物のガラスは落ち、あらゆる街のシンボルが無惨に倒れていた。帰り際、コンビニでアイスを買った、「中身はぐちゃぐちゃですがよろしいですか?」こんな状況でそんな言葉をくれる店員には参った。もし、おれだったら…そんな気配りはできなかったと思う。

地元だけに、海岸の被災地に行くのが億劫になる。1ヶ月を過ぎたころ、ようやく閖上には行ってみたが、東京からきたおじさんが写真を撮りながら笑っていた。「すげえなあ」とか言って、おれは茶化されたような気がして、憤りを感じてその場をすぐに去った。そんなもんなんだろう。

おれはこの実情を言葉にしろと言われたら、一生かかるかもしれない。はっきり言って、わかるわけねえんだ。おれのボキャブラリー的にも限界はある。震災の話も煙たがれることもある。せめて、何かを伝えるとしたらCDの曲だろう。これは、紛れもなく震災後に作られた曲だったのもあるからね。

諸田 祐希 / KLUB COUNTER ACTION 宮古 web担当

執筆者プロフィール

KLUB COUNTER ACTION 宮古 土下座担当

http://counter-action-miyako.com

現状

ライブPAチームSPC peek performanceが中心となり地元の仲間と協力し、被災地の復興に向け東北沿岸地域3カ所(宮古、大船渡、石巻)にライブハウスを設立するプロジェクト【東北ライブハウス大作戦】の旗の下、震災後精力的に復興支援活動していただいたSLANGのKO氏が経営するKLUB COUNTER ACTIONの暖簾分けとしてKLUB COUNTER ACTION 宮古が建設されることとなりました。

全国の皆さんの支援のおかげで宮古市の復興も進み、今では少しずつ街に活気が戻ってきています。
現在建設中のKLUB COUNTER ACTION 宮古は、震災によって被害を受けた場所に新築のライブハウスを建設しています。着工までには、震災によって緩んでしまった地盤を固めるための杭打ちや、もともとあった住宅の基礎を壊す所からのスタートで思う様に進まず、歯がゆい思いをしたこともありましたが、現在では8月14日にプレオープンも決定し、オープンに向け、スタッフ一丸となって頑張っています。

Message

全国の皆さん、ライブハウス関係者の皆さんのご支援、ご協力のおかげで、震災からわずか一年半あまりでライブハウスを作ることができました。皆さんからいただいた元気を三倍にして返せるように、楽しんでいただけるライブやイベントを企画していきたいと思っておりますので、是非宮古に遊びに来ていたければ嬉しいです。これからもKLUB COUNTER ACTION 宮古を宜しくお願いします!

池尾 真 / CLUB GOODMAN店長

昨年8月店長就任、以前は音響主任として勤務。オープンから残っている唯一のスタッフでもあります。若輩者ではありますが、周りの人たちにちょこちょこ迷惑をかけながら頑張ってます!

http://clubgoodman.com/

現状

昨年の3月11日に被災された皆様、大切な方をなくされた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

あの日私は仕事が休みで、家で一人、ボーっとしていました。突然の揺れに驚き、状況を把握しようとあせり、外出していた家族と連絡をとろうと必死になっていたことを覚えています。

グッドマンではスタッフが対応に追われ何日かは帰らずに帰宅難民の方に休憩所としてお店をあけていました。夏には福島復興支援の為のイベント“プロジェクトFUKUSHIMA”がグッドマンでも開催され、非常に内容の濃いイベントになりスタッフともども色々なことを考ました。原発の問題で、この先の人生を考え引越をして解散してしまうバンドもいました。

今も問題は山積みで、糞みたいなやつらに下駄を預けるような世の中ではありますが、震災以降私の周りでも色々な方々が声を上げ、行動に移して頑張っています。私たちライブハウスが出来ることは限られているかもしれませんが、このままでいいと思わずに行動している方々の応援になるよう秋葉原の片隅ではありますが音を鳴らし続けて生きたいと思います。

Message

今年で16周年をおかげさまで迎えました。ありきたりではありますが、これもひとえに出演者、お客様のおかげです。地域がら(?)幅広いイベントを毎日送ってます、是非遊びに来てください!! 意外と知らない方も多いのですが、グッドマンは池部楽器のライブハウスです。楽器のご相談にものれますよ~!

 

山口高明 / 鹿鳴館 取締役支配人

1987年にアルバイトとして入社。
同年8月より正社員として入社。
音響、照明、ブッカー、掃除もこなすなんでも屋として勤続26年。

http://www.rockmaykan.com/

現状

震災当時を振り返りますと、まず、ライブハウスの役目を再検討した事を思い出します。

鹿鳴館も当日の公演は中止、3月下旬までの予定は例外なしに全て延期等の処置を取りました。

金銭的にシビアな面もありましたが、この時期だからこそ求められること、優先すべきことを検討し、月並みではありますが、まずはチャリティーイベントの開催を経て、お客様や周辺の店舗等の理解も得て、ようやく節電をしながらではありますが従来通りの営業を再開するのには数ヶ月掛かりました。

出演者の方々の中には現在も『復興支援』を“売名”や“ビジネス”にすることなく、熱く支援活動を続けている人達もおります。

ライブハウスという娯楽施設だからこそ、実現可能な支援がまだまだあると、微力ながら支援しております。

Message

鹿鳴館は御陰様で今年で32周年です。
これまで、“ジャパメタの聖地”、“ヴィジュアル系の登竜門”等と様々な表現で親しまれてきました。

今後は、ジャパメタやV系以外のジャンルのお力も借り、幅広い意味でダイヤモンドの原石が潜む箱として精進していきます。今年に入り、代名詞的存在であった場内の座席を取り外し、ムービングライトも導入する等、出演者やお客様に楽しんでいただける環境作りを目指しておりますので、今後とも宜しくお願い致します。

藤原 泰宏 / 浜松FORCE 店長

兵庫県出身、静岡県育ち。浜松の音楽シーンを見続けて15年目になります。この街が奏でる音楽が好きでしょうがないです。浜松、今キテますよ!

http://www.questmusic.co.jp/force

現状

震災直後に発足した地元アーティストによるチャリティイベント“H.B.C.-ハママツバンドチャリティ-”を最低3年間は毎月必ず続ける約束のもと入場料、出演料無料で毎月第一金曜日に提供しています。毎回欠かさず来てくれるお客さんも大勢います。

震災翌日3/12に仙台出身のアーティストが気が気ではない状況にも関わらず浜松公演が決まっていたためイベントに参加して下さいました。
その方は『SUPPORT THE UNDERGROUND』という支援団体の代表で現在も東北で活動しています。東北の方々を人対人で支援するこの団体の活動に役立てていただくため“H.B.C.”は協力することにしています。

地震に対する備えも含めてこれからもこのイベントが続いていけるようライブハウスとしてできることを協力していきます。

Message

最近、十代の音楽に対する感性から今までとは違う何かをいい意味で感じています。ただの原点回帰ではなく彼らにしかできない解釈で、我々に届けてくれます。何っぽいではなく独特なのです。これは新しい音楽が産まれ始めている素晴らしい瞬間です。数年後の音楽シーンがどう変化しているかワクワクしますね。

 

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.15

まつみたくや (ラジオパーソナリティ / テレビリポーター / アリーナDJ / イベントMC)

http://ameblo.jp/meatong/

音楽が消えた街並みに、人々が音を鳴らし始めた。音を楽しむことがいかに素晴らしいことかを改めて思い知らされた。

東日本大震災という未曾有の危機から、1年と3ヶ月余りが過ぎた。今、私が住んでいる盛岡市に限って言えば、ほぼ震災前と変わらない姿を取り戻している。 震災時、貴重な情報源として、重要な役割を果たしたと言われたラジオからは、お気楽な方言混じりの笑い話が聞こえてくる。そしてもちろん、いつも通りの音楽も。

ラジオパーソナリティという立場上、震災後の放送は言葉選びはもちろん、選曲にも細心の注意を払った。悲惨な状況を想像させるような歌詞の曲はもちろん、過渡に前向きな楽曲、ハードロックなどの曲の出番は極端に減った。しかし今は、音楽というものを、ある程度何のためらいもなく聴くことができる状況だ。音楽を純粋に楽しむことができる。改めて考えるとこんなに幸せなことはない。それと同時に、音楽のありがたみを忘れそうになることもある。
震災直後、ラジオから音楽が消えた。不謹慎だとかCDがなかったとかではない。ただただ音楽よりも伝える情報が多すぎたのだ。24時間不眠不休、ライフラインの情報や、避難者名簿を読み上げるパーソナリティの声が永遠と流れ続けていた。ライブハウスも休業が続いた。自分が担当するラジオ番組主催のライブ も中止を余儀なくされ、音楽を生で楽しむ機会は失われた。CDショップも長らく営業を再開できず、スタッフ総動員で店舗の復旧作業に追われた。ライフラインが止まり、家庭で音楽を楽しむための電気すら通っていなかった。普段当たり前にあった音楽が生活から消えた日々だった。
その反動という訳ではないが、今、岩手には様々な音楽があふれている。ライブハウスには被災地を元気にするために数々のミュージシャンが訪れ、地元のバ ンドも精力的に活動。自らも被災したミュージシャンが“被災地”ではなく“復興地”だというメッセージを伝えマイクを握る。そして“AIR JAM 2012”の東北開催、震災の影響により中止になった“KESEN ROCK FES”(http://www.kesenrockfes.com/)の再開。さらには震災を機に、もっと音楽を盛り上げようと“東北ライブハウス大作戦”(http://www.livehouse-daisakusen.com/)という名の下、新たなライブハウス建設の動きもある。
着々と音を楽しむ環境が戻ってきたのだ。
「音楽しかできない」という言葉が賛否両論を呼んだ。被災地のミュージシャンはこの言葉に疑問を抱いたことも多いかもしれない。しかし、状況を受け入 れ、取り戻す作業に追われ「音楽すらできなかった」ミュージシャンが今、元気に音を鳴らしている。声を枯らしている。そしてそれを私たちは聴くことができ る。震災の傷跡はまだ深い。しかしその傷を癒すための音楽が鳴り、人が動き出した。
ライブでも、CDでも、メディアでも、音を楽しむことができるのはとても幸せなこと。それを忘れずにいたい。

▲昨年9月に盛岡市で開催された“いしがき MUSIC FESTIVAL 2011”
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岩渕高紀 (奥州エフエム放送(株) , 奥州ロックフェスティバル実行委員)

http://www.oshurock.com/

誰かが行動するのを待つのではなく、自ら行動してみようと考えた。震災をきっかけにして始めた手作りのロックフェス。

沈みがちな街に、とりわけ若い世代に活力をもたらしたい。自分たちに何ができるかを考えた時にロックフェスを思いつきました。出演者も、町のみんなも、観ている人も、みんな笑顔になれるイベントができたらいいなと真剣に考えています。

岩手県奥州市のコミュニティFM局に勤める岩渕と申します。東日本大震災発生当時は、直後に生放送を控えていたところでした。フォンフォンと響く地震警 告音。刹那、地鳴りのような音の後に強い揺れが襲ってきました。電気は停まり発電機が起動、しばらくは緊急時の24時間体制で放送を続けました。強く恐ろ しい揺れの中、僕は比較的冷静に行動できていたと思います。強い地震を体験したのは2度目だったからです。
遡ること3年前、この地では“岩手・宮城内 陸地震”と名づけられた地震が起こりました。最大震度6強の強い地震で、被害は震源のあった山間部に集中しました。しかし比較的軽傷ですんだ市街地ではす ぐにいつも通りの生活が始まりました。それは悪いことではないけれど、震災への備えや関心が時間と共に風化していく…。僕は何か違和感を感じていました。
「このまま地震のことを忘れてしまうのか? 自分たちになにかできることはないのか?」
考えた結果、僕たちは有志を募り、チャリティイベント“奥州ロックフェスティバル”を企画しました。開催の度に、あの揺れをきっかけに始めたんだと、せ めて年1回思い出そうという思いで始めたイベントです。ちなみにここ奥州市にはライブハウスはありません。実行委員は7人、フェスどころかイベント運営も 未経験。場所もノウハウもないゼロからのスタートでした。全国のバンドさん達に企画書を送り、会場を考えたり予算を組んだり…。本当にできるのかへこたれ そうになることもありました。しかし、ちゃんと実現できたのです。第1回目は、“岩手・宮城内陸地震”のちょうど1年後に開催することができました。 300人ほどのお客さんに楽しんでいただくことができました。
世の中にロックフェスはたくさんあり、規模で言えば、僕達のフェスはちっぽけな存在かもしれません。しかし、小さな星の光が集まって天の川となるよう に、たくさんのイベントや作り手さんが増えていけば、大きなパワーを生み出せるのではないでしょうか。まだまだ未熟な僕たち“奥州ロックフェスティバル” 実行委員会ですが、この地にしっかりと足をつけ、小さいながらも力強くそこに“ある”存在になれたらと願っています。

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久保 文人  (赤坂GRAFFITI ブッキングマネージャー)

http://www.moz.co.jp/graffiti

執筆者プロフィール
福岡市出身。2005年より勤務。“手探り”、“地道”を厭わず、素敵な音楽空間を作れるように日々勉強。シンガーソングライター、またアコースティックユニット「MEGANE'S」として自身の音楽活動も展開中。

現状
現状においては、いわゆる震災の影響といったものはほぼ見られないと思います。ただ、やはりトラウマでしょうか、ちょっとした揺れでも急いで入り口のドアを開けにいくようになりましたね。地下の店はどうしても避難路確保が最優先事項になりますから。
震災当日は幸いにして機材や設備の破損はほとんど見られず、営業再開にはさほど時間はかかりませんでした。しかし他のライブハウスさん同様、3月中は キャンセルが相次いだりと厳しい状況は当然のようにありました。未曾有の天災によるものなので、“どこのあらゆる業種においてもみんな同じようにしんどい ところをがんばってるんだ”と思いながら毎日過ごしていたのは忘れられませんね。義援金も今も継続して募ってますが、僕らも驚く金額が集まってます。みな さんの想いを感じます。この場を借りて御礼申し上げます。
天災や社会状況といったものはいつどんなことがあるかはわかりません。楽器の音や歌声が響いている、僕らの中の日常をしっかり認識して、これからもしぶとく前に進んでいきたいと思います。

メッセージ
震災当日から数日のあの状況の中で、音楽そのものの存在意義を考えまくった人は少なくないと思います。もちろん僕もです。そんな禅問答のような状況を経 て尚、聴かせたい音楽や聴きたい音楽がたくさんあるのも事実。その想いを素直に形にしていけたらと思ってます。これからもよろしくお願いします。

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藤倉 周 (LIVE HALL aube shibuya 店長)

http://www.aube-shibuya.com

執筆者プロフィール
和光大学卒業後、ライブハウス入り。その後、今のライブハウスの立ち上げに関わり、店長となる。

現状
震災後、4日で営業を再開しました。色々な問題もありながら、ライブハウスとアーティストが一体となって節電や・募金も積極的に行ってきました。
今はかなり渋谷にお客さんは戻って来ましたが、最初の1ヶ月間は渋谷がゴーストタウンとなっていたことを、今でもよく思い出します。
二度と体験したくないことで、あってはならないこと。
これからもしっかりと音楽で支えていけるようにと思っております。

メッセージ
震災後、4日で営業を再開しました。色々な問題もありながら、ライブハウスとアーティストが一体となって節電や・募金も積極的に行ってきました。
今はかなり渋谷にお客さんは戻って来ましたが、最初の1ヶ月間は渋谷がゴーストタウンとなっていたことを、今でもよく思い出します。
二度と体験したくないことで、あってはならないこと。
これからもしっかりと音楽で支えていけるようにと思っております。

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祢津 洋輔 (越谷 EASYGOINGS 店長)

http://www.easygoings.net

執筆者プロフィール
2004年お店の立ち上げから関わり、初めはドリンクカウンターから、2005年ブッキングとして2007年店長として、どうしようもない事を叫び続けている。

現状
東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
震災直後から娯楽業と言われてしまう我々の必要性を本当に悩まされましたが、スタッフの皆で話し合い、ライブハウスとして何をするべきか、今の自分達は 何ができるのかを考え、地元のバンド達から周りのお店、お客さんみんなと協力し、チャリティーイベントを行うことにしました。皆で試行錯誤を重ね行った チャリティーイベントだからこそ、ライブハウスから出る音の意味、バンドが出す音の意味を考えさせられた時期でもありました。
その後時間が経ち、通常営業に戻ってからは、現地で被災者の為に活動しているアーティストから、テレビ等メディアでからの情報しか得られない我々に本当 の現状を伝えてくれました。音で繋がり集まることができるライブハウスとして、大小関わらず、きっかけと、刺激を与えられる場所として在り続けたいと思っ ております。

メッセージ
皆様のおかげで、今年の5月で8周年を迎えることができました。
日々精進をモットーに埼玉の越谷から、独特の空気を発信し続けていますので、気軽に遊びに来て、感じてください!!

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加藤雅泰 新潟CLUB RIVERST 店長/ブッキングマネージャー

http://clubriverst.org/

執筆者プロフィール
CLUB RIVERSTで店長(1年)とブッキングマネージャー(4年)をしています。33歳で独身でスキンヘッドで酔っ払っています。日々試行錯誤を繰り返し、面白いコトができればと思っています。お酒大好き。

現状
震災から1年以上が過ぎ、直接そして間接的に受けた方、その地域のバンドは次に進むために動いているのではないかと思います。当店では直後の影響は若干 ありました。その後は可能な限りそして継続的に被災地の方々への募金活動をメインとした活動を行いました。県内、県外に関わらず多くの音楽人が呼びかけに 応えてくれて、団結力を再確認し、風化させてはいけないと思いました。現在はやはり記憶は薄れてきてはいますが、要となるイベントでは寄付金集めのブース を出すなど、まだ継続して募金活動等は行っております。

メッセージ
お陰様で、今年の5月で無事4周年を迎えることが出来ました! まだまだ若いライブハウスですが、日々かっこいい音楽、美味い酒(ビール)、素敵な出会いがひしめき合い続け、何気ない1日が特別な1日になるようなライ ブハウスになるよう精進します! 最響の音と最狂の酒でお迎えいたします!

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~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.14

「ラジオバトン・プロジェクト」合言葉は、「We are シンセキ!」気持ちは、「今こそ命の恩返しを!」

ラジオDJ
山本シュウ

http://www.yamamotoshoo.com/

阪神淡路大震災を経験しているラジオDJの僕と仲間たちは、まるで条件反射のように動きだしました。テレビで伝えられる被災地の現状を見た瞬間に、「ラジオ、ライト、電池を集めて、1日でも早く持って行かなあかん!」それが“ラジオバトン・プロジェクト~あなたのラジオとココロを被災地に届けよう!~”のスタートでした。

「We are シンセキ!」が合言葉の、ラジオDJの山本シュウです! このプロジェクトは、全国の「We are シンセキ!」と呼ばせてもらっている仲間と、被災地で新たに繋がった「We are シンセキ!」の方々のご協力のもと、今も継続中です。僕たちのブログで、その記録は大体知ることができますので、よかったら覗いてみてくださいね。そもそもこのプロジェクトが震災後すぐにスタートできたのも、僕と仲間たちに阪神淡路大震災の経験があったことと、前からやっていた“RED RIBBON LIVE”や“LOVE in Action”という啓発プロジェクトなどで、日頃からプロジェクトリーダーとして全国を行脚し、ラジオ局で働くDJさんや、ラジオマン、そしてリスナーさんたちとの“絆”があったからこそ。ホンマに感謝です!
それに、僕自身が大阪の長屋育ちで、近所の大人たちのお節介で育てられてきたから、気が付けば、周りから「男の顔をした、ただのお節介なオバチャン」などと言われる超お節介人間になっていたということだけです。そのお節介をする理由も、「今こそ命の恩返しを!」ということでした。それは、“僕らの命は自分だけのものじゃない”ということです。自分の命は、お父ちゃん、お母ちゃんが生きてたから生まれた命。そのお父ちゃんとお母ちゃんの命も、お爺ちゃん、お婆ちゃんが生きてたから生まれた命。だから戦時中も、命がけで守られた命なんですよね。そう考えると、命のバトンをしてこられた先人たちは、自分たちの命やその次の命を守り抜くために、間違いなく、色んな人に支えられてきたわけですよね。
だから、今回の被災地である三陸沖で獲れた美味しいホヤや、サンマ、松島のカキなどの魚介類、福島のおいしいお米や、野菜、お酒などをいただき、東北の美しい風景や温泉、何よりそこにいる人の温かさに触れて、心を癒されたはずですよね? そういう顔も知らない、会ったこともない、名前も、住所も、電話番号も知らない人たちやけど、確実に僕たちの命を支えてくださっている人たちのことを、昔から“お陰様”って言うんよね。だから、条件反射的に“今こそ、先人たちの分も含めて今までの命のご恩返しをしないと!”と自然と思えたわけです。そういう意味で、このお節介は、長く長くカタチを変えて続いていくものだと思っています。
「We are シンセキ!」

左から、被災地に届けるラジオ、積み込んだラジオ・ライト・電池、避難所のみなさんと、NGOと打ち合わせ
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TAKE UP SEED代表 たっけ

http://takeupseed.com/

続けること。次の世代のために、今自分たちが伝えていかなければいけないことはたくさんあるんだって、改めて気づいたんです。

その時はまだ津波のニュースを知る由もなく、メチャクチャになった事務所の中の倒壊した家具に埋もれた真っ暗な部屋で一晩を過ごしました。状況を知ったのは翌日のこと。当たり前だったことが、何ひとつ当たり前ではなくなったあの時期があったからこそ、自分のやるべきことが明確になったのかもしれません。

ちょうど時期は卒業シーズン。地元仙台で若手バンドシーンを底上げしていくイベントを企画制作している自分にとっては、3月には15本のイベントが控えており、約100組の出演バンドがいる中での震災。バンドとの連絡手段もなく、安否の確認もとれない悶々とした日々が続いていました。電気が復旧し、各出演者と連絡がとれたのはその1週間後。もちろんイベントは全て中止となり、その年の卒業ライブや、毎年制作していたオムニバスCDのレコ発も、開催の目処がたたないまま4月を迎え、新しい生活の場へ散り散りになってしまいました。
ニュースで繰り返し流れる沿岸部の津波の映像に比べれば、仙台中心部の被害は微々たるものかもしれません。幸い、自分の関わっている音楽仲間も無事で、携帯のツールで情報を交換し合い、水道・ガス・食料など協力し合いながら、ライブが再開できる日を待っていました。しかしその一方、住む場所も家族をも失ってしまった方々が大勢いる状況で、音楽の担う役割についても悩んだ時期でした。
そういった悩みを振り払うことができたのは、仙台CLUB JUNK BOXが営業再開できると決まってから1週間後の4月24日。直前まで会場が使用できるかわからず、ギリギリまでできるかどうかわからない中、開催することができたイベントの存在です。各地から様々なバンドを呼んでいて、開催可能の連絡をできたのがたった1週間前。それにも関わらず、全11バンドが即決で「行くよ」の返事。そしてまだ震災から1ヶ月半のあの日、交通機関が復旧していない中でフロアを埋め尽くすほどのお客さんが足を運んでくれた、あの日の光景が、「大丈夫、それでいいんだよ」って背中を押してくれたんだと思っています。
音楽をやりたくてもできない人が大勢いる中、幸運にも自分はやることができる。世の中では自粛が叫ばれているけど、やっぱり音楽が好きで、ライブハウスという空間が好きで、その瞬間にしか出会えない感動があるから、そういう場を望んでいる人だって大勢いるはず。結局のところ、自分が信じたことを精一杯続けていく事で、きっと何年か後に、“ああ、やってよかったな”と思える日が来るんだろうなって、そう思いました。
今はすっかり慌ただしい日常に戻り、この春オープンした新しいライブハウス 仙台Milkywayのブッキングマネージャーにも就任しました。当たり前だったことが当たり前ではなかったあの時の気持ちを、これから音楽を始める若い世代にも引き継いでいって、大切な仙台の音楽シーンがこれからもずっと続いていくよう、支えていきたいと思います。

新宿 ANTIKNOCK ブッキングマネージャー 印藤 勢

http://www.antiknock.net

執筆者プロフィール

(33歳・独身・A型)ANTIKNOCKでブッキングマネージャーを10年以上させていただいております。独身です。バンドへの客観的なアドバイス、全国ツアーの紹介や、音源リリースに伴ったレーベル業等、全般にお任せ下さい! 他店で「君達は何をしたいかイマイチわからない…」と言われた経験のある、そんなバンドさんが大好きです(笑)。あと、独身です。

現状
震災直後から僕らが考えているのは常に「こんな時こそANTIKNOCKがいかにANTIKNOCKらしくいられるか」シンプルに言い切ってしまえばこの言葉に尽きます。
キレイゴトに聞こえてしまうかも知れませんが、息を切らし満身創痍で乗り越えた山々や深い谷も、振り返ってみれば、意外と清々しいものです。
とにかく感謝したいのはお客さんとバンドさんが僕らを必要としてくれたことであり、この仕事の本質はやはり「信頼」だと痛感させられました。
スタンスは変わらず、歩みは止めず、皆さんにより喜んで頂く為に精一杯、頑張り続けたいと思います。

メッセージ
いつも本当にありがとうございます。まだ当店を未体験の方は是非、一度ANTIKNOCKを訪れてみて下さい! 星の数ほどある娯楽の中でANTIKNOCKを選んでいただくからには、全力でお出迎えさせていただけたらと思っております。出演希望のバンドさんやイベンターさんともじっくり肩を組んで伝説の夜を共に築き上げられたら最高です。

立川BABEL ブッキングマネージャー パイン

http://www.babel-rocktower.net

執筆者プロフィール
プロフィール:立川BABELのブッキングを統括する頭脳中枢(独身)。POP×HARD PUNKバンド「WeeWee's」のボーカリスト(独身)。立川をカリフォルニアにする計画を実行中!(独身)。

現状

東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
震災直後は10日間ほどライブやイベントのキャンセルが相次いだため、地元のバンドを集めたチャリティーイベントを開催し、義援金を被災地に送ることができました。
結果的に計画停電の影響は無かったものの、今度は営業再開のタイミングが難しく、メールや電話で「節電は?」、「営業中に停電になったら?」、「ライブは娯楽だろ!」という声もありました。しかし、「バンドもお客さんもライブを楽しみにしていた筈だ」と、STAFFで話し合い、考え、決断し、営業再開に至りました。解散や活動を停止するバンドも多く、半年くらいは全体的に腰が重かったように思います。現在は、少しずつ落ち着きを取り戻し、被災地域のバンドもツアー等で遊びに来てくれています。
ライブハウスで働く側としては、被災地の仲間達がいつでも遊びに来れる様に、被災地の仲間達がいつでもライブが出来る様に、STAFF一同、多くの人達の力を借りてバンドマンの居場所を守っていこうと思います。

メッセージ

おかげさまで立川BABELは8/31で4周年を迎えます。ジャンルに捕われなく「楽しい空間」をと思っています。音楽で一緒に遊びましょう。

渋谷 La.mama 店長 河野太輔

http://lamama.net

執筆者プロフィール
2005年までバンド活動後、La.mamaに入社。
現在に至る。

現状

弊社も通常営業に戻り、渋谷も日常を取り戻しております。
弊社では震災時からずっと受付に募金箱を設置していたり、東北の日本酒をメニューとして取り入れ、売上を震災の寄付に当てたりという活動を行っております。
復興に向け、各地さまざまな取り組みを行っておりますが、原発の問題等いろいろと考えなければならないことも多く見受けられます。
今弊社の中で"脱原発"という意思を元に、イベントを企画しております。社会に対して、La.mamaとしての一つの意思表示をしたいと考えております。

メッセージ

自分のできることを一つ一つ行動に移してほしいなと思っております。社会の現状に目を向け、自分なりの意思表示をしっかりできれば、今よりもいい世の中になっていくのではないかと思います。

月見ル君想フ 店長 寺尾ブッタ

http://www.moonromantic.com/

執筆者プロフィール
月見ル君想フ店長 某中華DUBバンド幇長。

現状

東日本大震災で被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
昨年の震災当時、お店はリハーサルの準備中でした。地下ということもあり、幸いお店の被害はほとんどなく、ネットで情報を収集するうちに被害の甚大さを認識した次第です。
その後、数日のイベントが延期となってしまいましたが、多くは昨年度の内に再び開催することができました。震災の影響で、アメリカから来る予定だったドラマーのJojo Mayerのツアーも中止になってしまったのですが、今年の6/25に再びツアーで月見ル君想フに来ることになりました。これはやはり当時を思い出しますし、発表時には、昨年来場予定だったお客様から熱い喜びのメッセージをいただけて、私たちスタッフにとっても非常に嬉しい出来事です。
これからもスタッフ一同、心躍る場所を提供していけたらと思います。

メッセージ

月見ル君想フではイベント、出演希望、随時受付しております。会場を生かした演出、パフォーマンスを最高の音環境でサポートいたします。あっと驚くような創造力をお待ちしております。
外苑前から5分、表参道から10分、月があります。

 

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.13

PLASTIC GIRL IN CLOSET / 高橋祐二(Vo./G.)

http://www.plasticgirlincloset.com/

自分に出来ることをひとつずつ。
内陸からみた沿岸とこれから。

岩手県の内陸にある町に住む僕は震災以降、自分の生活を立て直していく中で、出来ることと出来ないことの狭間で揺れていました。現在、内陸は活気に溢れ、平穏な暮らしが戻ってきました。まずは一歩。これからです。

僕が住む岩手県矢幅町は内陸にあり、津波等の直接的な被害はありませんでした。沿岸の壮絶な被害を思うと、僕の体験したことは小さなことだと思います。被災地から近い場所・内陸の現状を記します。
3月11日、僕は家で録音作業をしていました。ズー…っと聴いたことの無い不気味な地響き。地震速報と同時に体感したことのない揺れ。そして停電。以降、毎日大きな余震が続きました。夜は地震速報に起こされ、とても眠れませんでした。
震災から1週間経ったあたりには様々な問題が。ガソリンは手に入りにくい状態。節電や復旧作業で仕事は思うように出来ない。沿岸の親戚や知人のもとに駆けつけたくても行けない。徐々に沿岸へのボランティア活動が始まっても、自分達は自分の生活を元に戻すことで精一杯。直接的な被害が少ない地域だからこその憤りもあったと思います。
1ヶ月程経った頃から、沿岸だけでなく内陸でも様々なイベントが行われるようになりました。著名な音楽家の方がフリーライブを行ったり、地元のミュージシャンが集ってチャリティーイベントを催したり。
皆、自分が出来ることを出来る範囲でやろうとした結果が“音楽”だったのだろうと思います。僕らは地元のチャリティーイベントへの参加はありませんでしたが、音楽配信サイト“ototoy”の震災復興コンピレーション・アルバムに「Collage Flowers」という曲を提供しました。
前記の通り僕らは3月11日もアルバムの録音中でした。アルバムの制作を中断してチャリティーイベントに出演するという選択肢もありましたが、僕らは僕らの目の前にあるものをしっかりとやっていこう、自分の周りにいる人に迷惑をかけたうえでの支援ではなく、やれることを焦らずゆっくりやっていこう。
そういった想いから、“楽曲の提供”という形の支援に落ち着きました。沿岸から離れた内陸は直接的な津波の被災地ではないことから、自分の生活を立て直しながらどう支援していくか、難しい立ち位置でもあります。
今現在、僕が知る限り内陸の街は非常に活気付いていると思います。僕達内陸に住む人間にとっての沿岸への支援、第一歩はまず自分の生活を元に戻すこととするのなら、きっといい方向に進んでいるのだと思います。 ゆっくりと前に進む復興への歩み。ひとりひとりの行動や意思が、いつかきっと大きな流れになると思います。

マスダトモヒロ with THE BAND / マスダトモヒロ(Vo./G.)

マスダトモヒロ http://yaplog.jp/sendai-shika/
トモ・デンタルクリニック http://tomo-dc.net/

世界の終わりを感じたあの日、無力さを痛感した検死活動、歌っている場合じゃなかった。僕らの戦いはまだまだ続いている。

友達も、患者さんも、たくさんいなくなってしまった。たくさん置いてきてしまった。検死活動の中、泣き崩れる遺族を前に、僕は音楽の力を信じられなくなった。歌なんて歌えなかった。でも、歌う勇気を再度与えてくれたのも、音楽の輪だった。
あの日あの場所で君の前で歌えなかったから、君がいたことを証明し続けるために歌い続けるよ。

あの日、僕は午後の診療中でした。突然の衝撃とみるみるうちに崩れていく病院内に驚きながら、無意識のうちに外へ飛び出していました。「危ない」と叫ぶ父親が一瞬上に見えるほど地面が歪んでいました。街中はライフラインが落ちたため静かで冷たく感じ、その後たくさんの雪が降り、大きめの余震が続いていました。タンカーの燃えた黒煙が空を包み、その中を戦闘機が低空で飛んでいくのを見て「世界の終わり」を感じました。
ライフラインの復旧までの間、夜が攻めてくるのを味わいました。唯一の情報源のラジオでは、「津波が来てたくさんの死体が海岸に打ち上げられている」と言っているが、全く理解できませんでした。意外にもあらゆる手段で連絡をとり、心配してくれたのは多くのミュージシャン達でした。THE SLUT BANKSのTUSKさん、Electric Eel Shock前川さん、中村敦さん、パニスマの吉田さん、ライブハウスの方々。みんな「生きてるか!?」と連絡をしてきてくれて、暗闇の中で心が折れなかったのはまぎれもなく音楽の輪だと思っています。
復旧がなされていない状態でも、「歯医者としてできることをやろう」と父親と話し、歯ブラシなどの消毒を行うことに決めました。その後すぐに、歯科医師会の要請により遺体検死に行くことになりました。検死、遺体安置所には警察と自衛隊の無線が飛び交い、ご遺体が運ばれてくる安置所は瞬く間にいっぱいになりました。がれきにまみれたご遺体をきれいにするための水自体も、ライフラインの復旧がなされていないために無く、過酷な状況でした。傷だらけのご遺体の前でご家族の泣き叫ぶ声が心に突き刺さり、赤ちゃんや妊婦さんまでもが犠牲になり、亡くなった方の時が止まる瞬間を目の当たりにして、天災とはいえ、心が苦しくなる状況でした。
僕は自身の無力さを痛感し、歌うことの意味や信念を見失ってしまい、音楽活動を休止してしまいましたが、多くの仙台の仲間とバンドメンバーでもある仙台MACANAの店長のよーいちさんからの「またみんなで頑張ろう」という言葉で再起することができました。完全とは言えない崩れたスタジオでメンバーと音を鳴らした瞬間の衝動は今でも忘れません。
完全な復興はまだだと思います。街中と、海沿いで多くの物を失った方との空気感や温度感は大きく違い、未だ平穏は取り戻せていないような気がします。見てきた景色の多くを語ろうとは、今はまだ思えません。しかし今後、僕は亡くなった方や多くを失った方の為に、生きた証を、歌っていくつもりです。

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Live & Club Space 下北沢ReG / 店長 鈴木 しんや

http://www.reg-r2.com

執筆者プロフィール

バンドマン時代を経て2年前の下北沢ReGオープンから店長兼ブッキングマネージャーとして手探りで進んでまいりました。日々精進。

現状

昨年の震災によって被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。このコーナーには毎号目を通させていただき、各地のライブハウスがいろいろなことを乗り越えて前進しているのを感じさせてもらっています。下北沢ReGもほとんどの都内ライブハウス様と同じく、イベント開催が長期困難になるほどの被害は無く、いろいろなことを考え、判断、選択をして再開しました。他ライブハウス様が書かれていなかった変化としては震災の1ヶ月後くらいから「ライブハウスで働きたい」という面接希望者が急増しました。「こんな時だから、辛い仕事は辞めてラクに楽しく働きたい」という理由が大半でした。ラクして楽しめる仕事ではないと伝え、現実を見て乗り越えましょうと何人も話したのを覚えています。今後もあらゆる天災を含め、いろいろなことがあると思いますが、震災を一緒に乗り越えたスタッフたちとひとつひとつ越えていこうと思っています。

メッセージ

アットホームかつ「本気」の姿勢でオープンから2年。早くも多くのバンドが大きな結果を出し始めてきたことが嬉しくて、日々幸せです。この嬉しい気持ちを保つため、今後もバンドの努力に負けないようスタッフ一同「本気」を出し続けていこうと思います。

赤坂 CLUB TENJIKU / 店長 成瀬 伸哉

http://www.clubtenjiku.jp

執筆者プロフィール

2011年8月、店長就任。caramell、FHOOTERS、ReversalRingをはじめ、コーラスギターとしての活動もしています。特に、次世代を担う若手バンドに力を注いでいます。

現状

東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
震災より1年が過ぎ、当店は以前と変わらぬ活気を取り戻しています。震災当時、当店でも建物の強い揺れは感じましたが、設備等に問題もなく、被害はありませんでした。勿論、震災直後はキャンセルも多々ありましたが、夏休みを過ぎ、9月TENJIKU周年記念月間の時期には、“音楽でどうにかしたい!”という強い気持ちを持った、アーティスト、企画者からの声が上がり、チャリティーイベントをはじめ非常に盛り上がった印象があります。
国会やTBSなどがあり日本の発信源である赤坂という街で、ライブハウスの立場ではありますが、今後も活気ある音楽を作れるように日々精進してまいりますので、アーティスト様・企画者様はじめ関係者の皆様、是非とも宜しくお願い致します。

メッセージ

今年の9月で5周年を迎えるTENJIKUでは、ジャンル・技術・年齢にとらわれず、音楽に対して熱い気持ちを持った出演者を募集しています! アーティスト様・企画者様と共に楽しい空間創りを目指して参りますので、是非当店に遊びに来て下さい! お待ちしております! ツアーバンド様も大歓迎致します!

新宿LOFT / 店長 大塚 智昭

http://www.loft-prj.co.jp/

執筆者プロフィール
18歳で新宿ロフトにアルバイトで入り今に至る。

現状

昨年の3月11日、震災直後当日新宿も揺れたとはいえ、とくに大きな被害がなく、14日から基本的にライブを再開しました。その後ライブのキャンセルも 若干あったとはいえ、急に空いたスケジュールでのチャリティーライブなどを企画して、多くのバンドに快く出演していただきました。
4月中旬には基本的に落ち着きましたが、数多くのバンド、企画者が今回のことを忘れないように、チャリティーイベントやメッセージイベントが多数自然に産まれ、音楽の力をとても感じました。
1年が過ぎ、ライブハウス界隈でも日常が戻ってきたものの、まだまだ復興には時間がかかる中、各々できることを新宿のライブハウスではやっていると思います。

メッセージ

こんなことがあって、やっと人々は一瞬でもひとつになることができたと思います。そして震災後に久しぶりに音楽が店内に流れたとき、あんなにグッときたことはなかったです。これからは、まだまだ復興中の方々へ音楽人としてできることを続けていこうと思っております。

四谷OUTBREAK! / 店長 秋元 清実

http://www.hor-outbreak.com

執筆者プロフィール

1979年にコロンビアよりSCANDALのドラマーでデビュー。翌1980年に2枚目を竹田和夫プロデュースで発表。同時期にスタジオミュージシャンとして数々のレコーディングや郷ひろみ等のツアーメンバーとして参加。

現状

3.11前とは違いますが、ほぼ平常に戻りつつあると言ってもいいでしょう。あれ以降、揺れを感じたらまず出口の確保(様子を見ながらですが)。それと、消火器を全て新品にしたこと等、防災感覚がだいぶ変わりました。演者さんには震災がきっかけで音楽を辞めてしまった人もいましたが、徐々にスタンスを変えて戻ってきています。当日のイベントは当然キャンセルで、佐藤(副店長)が「トイレあります」の看板を入り口に出したところ、帰宅難民の何人かが少しの間和んでから帰宅されたことや、後日のアフターライブで演者さん達と“この震災に音楽人としてどう向き合っていくか”をテーマとして明方まで大討論会になったことも思い出します。幸いにも当店は計画停電には入っていなかったので、キャンセルで空いてしまった日は全てチャリティーイベントとして立ち上げ、急遽みんなに呼びかけたところ沢山集まっていただき大成功! 以後、9月末日までの全日程をチャリティーとして、ドリンク1杯につき100円を義援金として被災地に届けさせていただきました。義援金活動は今でも募金箱で続けています。(ご協力いただいた皆さんにはこの場を借りて厚く御礼申し上げます)

メッセージ

今ほど元気を求められている時はないと思います。当店のスタッフもそれぞれに趣向をこらし、特色あるイベントを立ち上げています。そこには音楽を中心とした元気を感じてなりません。元気は必ず伝染していきます。音楽人としてともに元気を発信していきましょう。

 

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.12

EGNISH / 佐々木 一史 (Vo./Ba.)

http://egnish.com/

今の僕らに出来ること。
今の僕らにしか伝えられないもの。

苦しみや悲しみを伝えるのではなくて、
必ず、明日は訪れるということを伝えたいと思った。
その、明日へ馳せる希望を伝えようと誓った。

2011年3月11日、僕らEGNISHは福島県郡山市でライブだった。何も変わらない日常。当たり前の朝、見慣れた景色。よく晴れた日だった。
郡山へ向かう高速道路、携帯から聞いたことのない嫌な音。気がついたら景色は一変、道路がうねっていた。
とても長く感じた。ただただ、その場に車を停車させておくことで精一杯だった。状況が飲み込めないまま、とりあえずはライブハウスに向かうことに。
見慣れた街並はそこにはなかった。交通の麻痺、崩れた家。地震の恐怖が刻まれた。ライブハウスに着くと、すぐに郡山駅へ避難、繋がらない携帯電話にイライラしていた。ライブの中止を言い渡され、とんぼ返りで仙台へ。
いつになっても繋がらない携帯、家族や友達の安否、今僕らが置かれている状況、正しい情報がわからないまま、迂回、迂回の繰り返しで、仙台に着いたのは11時間後の朝だった。
おさまらない余震、海沿いに住む親戚や友達の安否、止まったライフライン。
今、今日を必死に生きてた。ラジオから流れる被害状況に絶望を感じながら、親戚や友達の安否を祈った。
当たり前が当たり前じゃなくなった。連日、被害状況ばかりが報道され、だんだん感覚が麻痺しそうになる自分がいた。
それでも、生かされた僕たちは、生き抜くために助け合い、尊重した。確かな絆を感じ、優しさや、思いやりに気づかせてくれた。
光輝く星達が、空を見上げることを教えてくれた。街のざわめきがまったくない朝に美しすぎる朝日をみた。
この風景を歌にしたいと思った。
苦しみや悲しみを伝えるのではなくて、必ず、明日は訪れるということを伝えたいと思った。その、明日へ馳せる希望を伝えたいと思った。
今はもう戻れない自分の住み慣れた街で、あの人が過ごした姿を僕は知らない。罵声を浴びたあの政治家の、家族にだけみせる、穏やかな笑顔を僕は知らない。
僕らに世界を変える力はない。それでも、一人一人の希望の形を信じて、伝えることはできるから。その、世界を変える一員になりたいと思うから。
今の僕らに出来ること。今の僕らにしか伝えられないもの。
この『The World』という1枚のアルバムが、みんなの明日への活力になればいいと思っています。
まだ終わっていない。
絶対に風化させてはいけない。
人は強い。
なくなったものは帰ってこなくても、新しく作り直せるのだから。

バンダレコード仙台泉大沢店 店長 / 山内仙志

http://www.vanda.co.jp/

CD不況といわれ、次々とCDショップが閉店に追い込まれるなかオープンした当店が震災の休業を経て、再オープンするまで。

イオン仙台泉ショッピングセンターの新店舗に店長として赴任して5ヶ月、ようやく仙台での生活に慣れてきた頃の震災でした。本シリーズに登場された心あるミュージシャンの方々のように直接的な復興支援をやったわけではなく、日々の余震にビクビクしながら店舗の再オープンにこぎつけた、市井のCDショップスタッフの報告です。

3/11のあの時間、今まで体験したことのないありえない揺れと、様々な物が壊れ、崩れ落ちていく中で、「もう終わりかも…」という思いが、日中の暗闇の中、頭をよぎったことをおぼえています。建物から避難した後も、電話も通じない、状況も把握できない中、自宅アパートにいるはずの妻のことが心配で生きた心地がしませんでした。幸いにも妻、そしてスタッフ全員の無事が分かりほっとする思い。しかし、イオンの建物自体は被害が大きく、当初は再オープンの目処も立たないほどでした。
その後は自宅待機となり、必要な物を手に入れるため長い行列に並び、それ以外は地震関連のテレビ報道を見て過ごす日々が続きました。遠い地球の裏側でなく、車を出せば一時間もかからずに行くことができる場所、そこで津波により多くの人命が失われたことに正直、現実感を感じることができませんでした。店舗にも立ち入れず、悶々とただ毎日を過ごし、焦りを感じる日々でした。
そんな状況の中、会社は前に進むために埼玉県所沢市に新店舗をオープンさせることになり、そのオープン準備に参加したことが、気持ちを前向きに変えるきっかけになったと思います。関わる人たちが一丸となりオープン日に向かって黙々と作業に励む姿を目の当りにし、自分も没頭するなかで、いずれ来る自身の店舗の再開作業を現実のものと感じることができるようになったと思います。
同じように大きな被害を受けた、隣県のイオン福島店の再開作業をはさんで、ようやく6月に入り、自身の店舗を再開させることができました。公私ともに多くの人の協力があってのことで、本当に感謝しています。おかげで今では何もなかったかのように、普通に営業できています。
被災地を勇気付ける歌が演奏され、CDになり、それを販売して、日々の糧を得ているような我々のような人間もいる一方で、まだまだ本当の復興には程遠い人達もいます。それを噛み締め、謙虚でありたいと思うと同時に、ミュージシャンが曲に込めた想いをリスナーへ伝える媒介者として一人でも多くのお客様に音楽の素晴らしさを伝えたい。仙台の地で末永く愛されるCDショップでありたい。日々頑張ります。

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両国SUNRIZE / 店長 池田 浩之

http://www.livehousesunrize.jp/

執筆者プロフィール

高知県出身。2009年12月入社。2012年4月店長になったばかりです。MUSHA×KUSHAというバンドで歌と四弦ギターやってます。

現状

3/11、両国SUNRIZEは昼間からの学生イベントで本番中に地震発生しました。一時避難して、その後イベントは続行したようです。当日、私自身はSUNRIZEが休みだったので他の両国SUNRIZEスタッフから聞きました。震災直後は交通機関の麻痺で出勤することもままならず、スタッフや出演者との連絡もできない状況で不安な毎日でした。店内の被害も計画停電もなく、1週間後の3/18から営業再開しましたが、東京の最東で千葉に近い場所に構えているということもあり、液状化などの被害にあった出演者もいたりとやむを得ない出演キャンセルなど相次ぎ、急遽、電力を抑えたチャリティーイベントやアコースティックライブを開催するなど自分達にできる範囲での営業に努めました。
今後も自分達にできることを背負って、出演者と来客者の皆さんと楽しい空間を作っていきたいです。

メッセージ

今年でようやく3歳になる両国SUNRIZEでは、ジャンルや技術などに捉われず、両国SUNRIZEと一緒に歩んで行ってくれる出演アーティストをお待ちしております。出演者やお客さんみんなが楽しめる空間作りを目指しておりますので、是非一度遊びに来てください。一見さん大歓迎でお待ちしております!!

BASEMENT BAR / 店長 下石主税(しもいしちから)

執筆者プロフィール

広島県出身。上京し大学を卒業後、CLUBメインだったBASEMENT BARをライブハウスに改装するという事で当時の店長と出会いアルバイトとして入店し約10年。

現状

BASEMENT BARでは地震の影響はほぼ無く、現在も元気のあるイベントが続いております。地震直後も、「バンドが音を出さなくて誰が元気になるの?」って言うバンドマンばかりでした。下北沢の周りのライブハウスも、直後から被災地への募金等ライブハウスができることは何かを自問自答し、出演者の協力のもと、様々な活動をしていた様に記憶しています。

メッセージ

BASEMENT BARには、全国各地、東北、北関東からのツアーバンドも多く来ています。是非足を運んで下さい!

渋谷屋根裏 / 店長 今野龍悦

http://shibuya-yaneura.com/

執筆者プロフィール

秋田県秋田市出身。31歳。

現状

東日本大震災を被災なさった皆様に心よりお見舞い申し上げます。
震災発生より丁度1年ですが、渋谷屋根裏は現在、震災前とほぼ変わらぬ元気を取り戻しております。震災時は企画ライブのリハーサルを行っておりましたが、強く揺れただけで、幸い建物・付帯設備に何の被害もありませんでした。そうは言いましても、他のライブハウスさん同様、震災当日及びその後数週間のイベントはキャンセルが相次ぎました。ですが、そのキャンセルとなった当該企画者さんがリベンジで再度企画をしたり、チャリティー企画を行ったりし、また渋谷屋根裏が企画した日も3月中は毎日一部を義援金としまして、渋谷屋根裏なりの震災への向き合い方ができたかと思っています。周辺地域ということで言いますと、センター街は震災後数日間はセンター街かと思えないほど人通りが無かったです。また、しばらくは節電励行の影響で元気が無かったです。ですが、程無く節電も緩和され、それと共にセンター街も以前の空気を取り戻していきました。空気が戻ると、渋谷屋根裏に訪れやすいムードも戻ったようです。

メッセージ

震災による被害は、筆紙に尽くし難いものです。被災者でない人間が当事者と同じ被害を受けたり、気持ちになることはできないです。それを音楽人が咀嚼するには、被災者に最大の配慮を怠らずに、生きることに音楽を何かしらプラスにすることかと思います。屋根裏もそれを少しでも担えたらと思います。

吉祥寺 WARP / 店長 小牟田 玲央奈

http://warp.rinky.info/

執筆者プロフィール

タバコとコーヒーと酒とかばと安藤裕子が大好きな人です。

現状

現在は震災直後に比べると比較的緩くなっているのが現実だと思います。チャリティーイベント等は定期的に行っていますが、その後起こった様々な問題(原発問題等)がバンド間で話は出たりしますが、地震や復興支援に関しては感覚がボヤけてしまっているのかもしれません。店としましては、NBC作戦に参加させてもらって、南相馬へ向かわせていただいたりしました。引き続き、古着のBAND T募金等で支援資金が貯まり次第、定期的に参加させてもらいたいと思っています。「現在」という話をさせてもらうとエネルギーの仕組みを考えていかなければと思っています。僕らライブハウスはやはり電気を使って営業をさせてもらっています。吉祥寺WARPがある武蔵野市はどこの電力会社を使って、どうやって公正でオープンな制度作りができるのか、コストの削減もできるんじゃないかとか考え始めています。言われるがままの電気料金を払って、さらに原発を稼働させないとならないわけじゃないことが解ってきましたしね。

メッセージ

東京から離れてしまった仲間達も多くいます。でも、彼らもその場所で同じ気持ちで音楽を奏でています。地震が起きた後、自分も正直人生の選択をしました。この場所で生きるべきか離れるべきか。でもこの場所にいなければならないと決意しました。やる限りは東京23区を少し離れた武蔵野の街でグッドバイブス、グッドミュージックを発信していきたいと思っています。東京の中でも土着的かつ温かい空気を持つ吉祥寺に、是非遊びに来てください。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.11

ANCHOR / 三浦 健太郎(G./Vo.)

http://www.anchor-rock.com/

あの日からもうすぐ1年。
今僕らが出来ること、僕らがやるべきこと。

あの日僕らはミニアルバムのツアー中で北海道にいました。苫小牧港から大洗へ向かう筈だったフェリーに乗る為、車を走らせていた最中でした。フェリーターミナルのテレビがあるロビーで観た、ニュースで流れる壮絶な映像。よくよく観るとその場所が自身の故郷石巻だった時の衝撃は今もよく覚えています。

家族全員の安否が知れるまでは5日を要し、ようやく東京に帰ってきてからも普段の日常からは想像もできなかった日々が続きました。家族や役所勤めの友人とまともに連絡が取れるようになり、今欲している物をまとめてバンドHPにて支援物資の募集をしたところ、有り難いことに全国の方々から沢山の物資が届きました。東北自動車道の再開通とともに地元に…というか家族や友達のもとへ車を走らせました。あの当時、あてもなく物資を配るのはメンバーとの話し合いで自重しました。“とにかく家族と友達が欲しているものを集めて持って行こう、まず近くの人達の手助けをしよう”と。そこで初めて目にする見慣れた地元の光景は想像以上のものでした。当時ニュースでよく取り上げられていた、石巻市大川小学校に子ども2人が通っていた同級生と、その子ども達の訃報。親戚の訃報。変わり果てた町並み。目にするもの、耳にするもの全て現実とは思えない惨状でした。
少しずつ普段の日常が戻り始めた東京での生活の中、3/11の直前当時の仙台MACANAでツアーをサポートして頂いたBa.ヤマケンさんと「僕達に何が出来るのか?」という話になり、「石巻でライブがしたい。純粋に楽しんでもらえるような日を作りたいです」と僕は話しました。そして各方面の方々が力を貸してくださり、7/9に僕の実家からすぐの場所にある同級生が営む居酒屋の駐車場で“LANDMARK FESTIVAL ISHINOMAKI2011”という小さな(僕らにとっては大きな)野外フェスティバルを開催しました。「地元は良いところだから来てみてよ」という単純なコンセプトを立て、地元の商工会、地元住民や友人に協力を求めて、東京から全ての音響機材と協力してくれた人材(新宿Nine Spices、新宿ANTIKNOCK、南柏ドランカーズスタジアムからのPA陣)と共に、売れてない(笑)僕らのようなバンドの声に磯部さん(HUSKING BEE/磯部正文BAND)始め、様々な人間や周りの最高なバンド達、ボランティアの学生さん達が協賛してくれました(僕らはHUSKING BEEに憧れてANCHORというバンド名を名乗ってます)。震災で傷つき「被災地」と呼ばれるようになってしまった僕の地元で、お年寄り含む地元の方々が沢山集まり、震災うんぬんという言葉は無しの素敵な1日を過ごすことができました。この“LANDMARK FESTIVAL ISHINOMAKI”は、今年も開催したいと思っております。僕が生まれた街はとても素敵な場所なので皆様是非一度来てみてください。

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SNAIL RAMP / TAKEMURA(Vo./Ba.)

Twitterアカウント TAKEMURAAKIRA
http://sbrecs.com/snail/

そして俺達は被曝してしまった。

東日本大震災発生後、SNAIL RAMPは物資支援・チャリティライブ等いくつかの形で支援を行いました。その様子はSNAIL RAMPのHP内ブログ(2011年3月~4月分)を参照頂くとして、本原稿では個人的な所感を主としております。

3/11、あの日は多くの人生を変えてしまった日だった。次々に明らかになる被害の全容。本当に呆然として言葉が出なかった。現地の困窮ぶりが明らかになってからは「何かしなくちゃ!」と思ったが、地震直後に高速道路は封鎖。物資を運び込もうにも適切なルートが見付けられないまま、日は過ぎて行く。警察で高速の通行許可を取ろうにも「現地からの支援要請が正式な文書で無いと許可できない」とあしらわれ、「正式な文書とは?」との問いかけにも「とにかく正式な文書です」との冷たい返事。3月下旬からは東京でも避難受け入れが始まった為に、そこでのニーズがあるはずと思い行動するが、そこの都職員も「被災者のニーズを訊いた事は無いし、これからも訊く予定は無い」と極めて冷たい対応。愕然とした所へ「支援物資を積んだ公式救援車両が、放射線を畏れて福島へ行かずにUターン」のニュース。憤りを持って受け止めた人も多いニュースだったが、その運転手を責める事は出来ない。誰だって命は惜しいのだ。ただ「だったら俺が行く」と決めた。地震、津波、放射線と度重なる被害を受け苦しんでいる人達を思うと、ただただ胸が苦しかったんだ。そして南相馬市、相馬市への物資支援を決定。避難先である学校や災害対策本部に直接連絡を取った。協力を呼びかけたら東京どころか全国規模で物資が届き、たちまち山となった。それを2tトラックに積み込み、現地へと向う。福島市、相馬市、南相馬市と原発に近づくにつれ人は少なくなり、やがて誰もいなくなった。あの不気味さは忘れられない。誰もいない街。聴こえるのは“ヒュー”という風の音だけ。そして…、俺達は被曝してしまった。有り得ない程の異常な喉・口内の乾きと喉の痛み。その時はすぐ気付けなかったが低線量被曝による急性症状が出ていたのだ。現地で活動したのは、ほんの数時間。それでも確実に身体は放射線に蝕まれていた。それでも政府は「影響は無い」と。枝野氏が現地入りした時も迎える側は普通の服だったが、彼だけは宇宙服のような防護服・マスクを着けた完全防備。政府はそこがどれだけ危険な地域なのか分かっていたのだ。俺は左翼でもエコロジストでも無く、特定の信仰宗教も持たない位の人間だ。ただ、現地で思った。
「こんなんになるなら原発はいらない」。

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渋谷club乙-kinoto- / 店長 じゃいあん

http://kinoto.jp/

執筆者プロフィール
秋田市出身。英語通訳翻訳もやってます。ジャンル問わず熱い音をもっと沢山の人に聴いてもらいたいと思いつつ、渋谷で一番渋谷っぽくない人間臭いハコ目指して日々わいわいやってます。

現状

3/11当日、店内は無傷で被害はほぼ皆無でした。都内の電車網は全て停止してしまった為、路面階にあるDESEOと一緒に店内を開放し、帰れない方の為に鍋やお菓子、ドリンクを振舞ったりして出勤したスタッフ全員で朝まで一緒にいました。3、4日ほどはイベントがキャンセルになりましたが、基本自粛はせず電力不足の為に音量や照明など工夫をし、また翌週のチケット売上を全て寄付する形で再始動できました。それ以降、特に大きなキャンセルもなく通常営業を続けられています。

メッセージ

乙の元スタッフ、MEANINGのHAYATOが個人でTシャツを販売し、募金や物資を持って東北へ向かいました。物資の集積所として事務所を貸したのですが、毎日暖かい手紙と共に日本全国から物資が大量に届いて驚きました。現地を知りながら、冷静かつ熱い気持ちのこもった彼のブログを読むと、本当に考えさせられます。是非皆さんにも読んでもらえたら嬉しいです。http://www.meaning666.com/blog/
また、仙台出身のスタッフは地震当日から大変辛そうでした。この事が及ぼした影響は精神的にも非常に大きく、様々な現実が未だに濁った澱のように皆の心の底に淀んでいます。何が出来るのか考え、調べ、自分の意見をしっかり持ち、小さくても少しずつ行動を起こしていく事が大事だと思います。彼女は現在仙台MACANAさんで働いており、HAYATOと共に物資を配ったりと活動していて元気そうです。本当に良かった。地震直後の僕がそうであったように、ライブハウスで鳴っている音は皆の心を元気にする力を持っていると思います。いつまでも音楽が鳴り止まない場所であるために、皆でしっかりと一歩ずつ今年も頑張っていきます。

Live House & Live Bar 古河Spider / 店長 菅谷 純

http://www.live-spider.com/

執筆者プロフィール

古河Spider店長。スパイダーと共に7年目突入。皆さんよろしく!!!

現状

東日本大震災が発生した3/11は、当店はアコースティックイベントを予定しておりましたが、主催者と地震の影響を考慮し、中止致しました。震災による影響は、エントランスの天井に穴が空いた程度で、他に目立った支障はなくスタッフも皆無事でした。その後の営業スケジュールは、キャンセルもあって予定の公演を3/22まで自粛致しました。地震発生後初めて開催したイベントは、地元の高校生達による卒業イベントでした。今までと変わらない高校生達の笑顔や、楽しんでいる姿、頑張っている姿などを見て、私達スタッフも元気を貰いました。
スタッフみんなで話し合った結果、ライブハウスとして出来る限りの事をしようと決め、義援金の寄付活動や、出演者やお客様からの協力で集めさせて頂いた支援物資を古河市へ寄付致しました。間もなく地震発生から1年が経ちますが、これからも古河Spiderは変わらず音楽シーンの活性化をお手伝いすると共に、音楽を通して被災地へ元気を届けたいと考えてます!

メッセージ

おかげさまで、スパイダーは今年で7周年を迎えました。古河は、意外と遠いイメージもありますが、東京から約1時間。初めての方でも楽しめるアットホームな空間作りを日々努力しています。是非お気軽にお客さんもバンドさんも遊びに来てください。

八王子Match Vox / ブッキングマネージャー 奥 泰正

http://matchvox.rinky.info/

執筆者プロフィール

八王子Match Voxのブッキングマネージャー。THE WELL WELLSってバンドもやっています。

現状

まず、この度の東日本大震災により被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。八王子の現状は、1年経った現在は震災前とあまり変わらず営業させて頂いております。当日、震災自体でハコの内部への直接的な被害はなく、最後までライブは行ったようです。自分自身はレコーディング中だったためパソコンを死守し、外に出てみると電柱がぐらぐら揺れていた事と、散髪している人がそのまま出てきた姿が印象的でした。3月は学生の卒業ライブシーズンという事で、「どうしてもやりたい!」という企画者様にはイベントを行って頂きましたが、当日集まってみたら部員さんの母親から抗議の電話があり、結局ライブが中止にという事態もありました。
電気を使うライブという行為だけでなく、音楽自体に対するバッシングもありましたが、「やれる場所があるんだから、救われる人が一人でもいるなら何かやろう」と思い、キャンセルになった日にはアンプラグドライブを行い、音楽の力を再確認しました。そのイベントは現在も義援金を集めながら続けています。そしてこれからも続けていく予定です。

メッセージ

2011年はみんながたくさんの事を考えた1年だったと思います。その中でまだ音楽が必要だと思っている皆さん。自分の音楽が誰かに必要だと思う皆さん。僕らにはあなた方が必要です。是非八王子三崎町、ヨーロービルの地下、マッチボックスへ遊びに来て下さい。

浅草KURAWOOD / 店長 金成香代子

http://kurawood.jp/

執筆者プロフィール

浅草KURAWOODの店長。2005年に入社(当時は受付)。

現状

震災発生から早1年が経とうとしています。都内ライブハウスである当店の現状としては「いつも通り」に戻っています。
震災による物理的なダメージはなく、計画停電の影響もありませんでしたが、震災発生直後は出演キャンセルが続き、お店を開ける事をためらった時期がありました。しかし“まずは人が集まって元気になれる場所、そして考えを発信できる場所、交流できる場所にしよう。出来る事から始めよう”と考えての営業でした。店の近隣では東京スカイツリーが地震直後に完成したというのも、やるだけの事をやらなければ、という気持ちにさせてくれました。
何かを真剣に考え、発信しようとするアーティストを応援していき、そしてそれを見るお客様にもいい時間を過ごしてもらいたい。それがいいエネルギーとなって循環していくようにするのが、ライブハウスの役割ではないかと考えて日々営業をしています。

メッセージ

こんな時こそ、こんな時だから、人が繋がる為の音楽や文化が生まれて、困難を乗り越えていけるものではないかと考えています。ライブハウスはそんな文化が生まれるところだと思いますので、是非足を運んでほしいです。ライブハウスから日本を元気にしていきましょう!

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