音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.10

音速ライン Vo./G. / 藤井 敬之

【音速ライン】 http://onso9line.com/
【ONandON Project】 http://www.on-and-on.info/

辛いことでも、全てを受け止めた上で前を向いていくしかない。

僕は生まれ故郷の福島が好きで、地元にいないと作曲できないくらい福島が好きで、デビューしてから6年経ちますがいまだに福島に住み続けながら音楽活動をしています。「福島には本当の空がある、何よりも空気が美味しい所!」とずっとみんなに自慢してきました。

そんな中、3/11の大震災が起きました。福島はそれに加えて原発の事故も重なってしまい、現在でもみんなが本当に大変な想いを抱えています。震災から10ヶ月が経ち、今では建物や道路などもだいぶん修復され、目に見える部分での復興はもちろん進んでいます。その一方で目に見えない原発という問題はまだまだ改善されていないのです。
放射能は目に見えない。その得体の知れなさ故の恐怖感は既に想像を越えています。子どものために避難した人も沢山いますが、避難した先で「自分だけ逃げてきてしまった」と自分を責める人、地元に住み続けると決めた人でさえ子どもに対して何らかの罪悪感を感じているのが現状です。“逃げないのではなく逃げられない状況でしかなかった”“逃げたのではなく逃げざるを得ない状況でしかなかった”、この違いをわかってほしい。みんなが抱えている想いは本当に様々です。
色んな現状を踏まえて、それでも僕らは前を向いて行くしかありません。大事なのは現状をしっかりと受け止めた上での前向きさであり、ごまかしごまかしで進んでも未来はないと思います(収束宣言とかホントありえないし)。本当の意味での復興までは気の遠くなるような時間がかかる思いますが、“諦めない事”これしかないのでしょう。
僕は復興までの長い道のりをみんなで切り抜けていくために“ONandON”というプロジェクトを立ち上げています。マイペースな僕ですが、思いつく限りの色々な方法で復興を支援していたいと思っています。興味がある方はHPを覗いてみてください。
最近色々な方に「藤井君自体が被災者なのに、どうして支援プロジェクトなんて立ち上げたの?」と聞かれる事があります。自分なりに考えてみたんですが、僕は震災当日ツアーで名古屋におり、直接的には強い地震も体験していませんし、1ヶ月後に来た強い余震の時もたまたま仕事で東京にいて体験することがありませんでした。自分が大好きな福島がこんなにも大変な思いをしていた時に、その場所に一緒にいれなかった。そんな罪悪感が僕を動かしてるのかもしれません。
だからこそ、1日でも早く恐怖心も罪悪感もない元通りの世界が戻ってくる事を祈って、みんなで前を向いて行きたいです。

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東北を拠点として活動するイベンター / いずみてぃ

音楽で少しでも元気が出たり、笑顔が増えたらいいなと思い、震災以降、皆さんの協力により東北で企画を開催する事が出来ました。

福島県南相馬市。東日本大震災以来、この土地のニュースを耳にした人も多いことでしょう。私はそこで25年前に生まれ、育ちました。実家から太平洋の海岸まで自転車で10分ほど。海がそばにあることが、街外れに住む私の唯一の自慢でした。それがこんな無残な場所に変わるとは…。

私が企画イベントを始めたきっかけは、大好きなバンドさんと一緒に、自分にしか出せないカラーのライブイベントを作り上げたいという思いからです。“出演者の方もお客さんも、音楽を通してつながっていけたら”ということを毎回、念頭に置きながら取り組んでいます。私生活の仕事では、地域の医療に携わりたいという思いから市内の病院に勤務していました。
忘れもしない2011/3/11。その日もいつもと変わらず、患者さんのリハビリ治療中でした。午後2時45分をまわったところで地鳴りが聞こえ、床が突き上がるような揺れを感じ、慌てて患者さんが転ばないようにしっかり抱きかかえました。一瞬にして、辺りは砂煙が舞い視界が遮られました。周りの物品が倒れ、落ちていく大きな物音を聞き、人生の終わりを覚悟しました。患者さんだけでも助けたいという気持ちから、揺れが治まった頃に安全なところへ誘導し、難を逃れることができました。間髪入れず、続々と津波被害により運び込まれた泥まみれ、びしょ濡れになりもがき苦しんでいる人の救助に携わり、ようやく落ち着いたのが時計の針が夜の11時を指そうとした頃でした。
翌日、市からの広報により避難を迫られ、原発事故による被曝への恐怖心から私たち家族は郡山市まで避難しました。あてもない土地に来たものの、どこも宿泊可能な場所がないため、すがる思いで知り合いに連絡したところ、郡山のライブハウスPEAK ACTIONの渡邊店長が泊めてくださりました。この時、音楽に携わりこのような繋がりがあった事に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。現在も自宅周囲は、原発事故による警戒区域内に指定されているため近づけず、避難している身です。市の人口は半分に減り復興しているとは言い難い状況ですが、人々が前を向き、街が元に戻りつつある途中です。定期的に今でも多くの支援物資が届いており、皆様のお心遣いに日々活力を頂いています。
この震災の影響により、予定していた企画が開催出来なかったり、身動きが取れなかったりと、歯がゆい時期もありました。ですが音楽で少しでも元気がでたり、笑顔が増えたらいいなという気持ちで5月以降6本の企画を開催することができ、チケットの売上げの一部を復興義援金として寄付させて頂きました。このような企画を実現できたのも、ライブハウス関係者様、出演者様、サポートしてくださる皆様あってこそだと思っています。本当にありがとうございました。今後も自分らしさを出した企画が組めるよう励んでいこうと思います。

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川崎Serbian Night / 店長 よしおかあすか

http://www.serbian-night.tv

執筆者プロフィール

生まれも育ちも東京ですが、セルビアン7周年! ということで川崎に骨を埋める覚悟ができました。

現状

まずは、震災で被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。また、一日も早く復興できますよう心からお祈りいたしますとともに、私達も微力ながらご協力できることはさせていただきたいと思っております。当店は3階に店舗、4階に事務所がありますが、幸いにして酒瓶が倒れて割れる程度の被害ですみました。公演に関しましては4月いっぱいくらいまでは中止、延期が相次ぎ、そして計画停電の実施。実施時間の合間を縫いつつ公演を行ったり、振替えにて対応させていただきました。現在ではほぼ通常の営業ができております。新しい年を迎えましたが、いまだ被災地では寒さなどの厳しい状況の中で頑張っておられる方が大勢いらっしゃいます。皆様に少しでもパワーを届けられるよう、安心して楽しんでいただけるよう、常に笑顔でいきたいと思います。

メッセージ

川崎は品川、横浜どちらからも1駅(東海道線)という好アクセスの場所です。駅前には“ラゾーナ”や“ラ チッタデッラ”などショッピング、アミューズメントが充実しており、「音楽のまち」だけあって、ストリートライブも盛んです。そんな「音楽のまち、かわさき」に是非、遊びにいらしてください。

つくばPARKDINER / 店長 岡野博樹

http://www.parkdiner.jp

執筆者プロフィール

ただ音楽とバンドを愛してたらいつの間にかライブハウスの店長になってました。日々音楽とバンド活動の素晴らしさを伝承していくのみです! 恐縮!

現状

一言で言えば、震災後から夏まで世間の風潮や生活環境の煽りをモロに受けました。当日は私がたまたま予定より早めの出勤をしており、ひとりハコの中にいました。ステージより巨大なスピーカー2台が落下してきて、なんとか受け止めることができました。営業は3/19から再スタートさせましたが、当日不在でしたら営業もしばらくできなかったかも知れません。つくばという街は茨城の中でもなかなかメディアやマスコミに取り上げられることはありませんでしたが、被災地であることには間違いありません。生活を脅かされた方が知ってる方でもたくさんいらっしゃいます。その中でも主に地元のバンドで成り立っているPARKDINERはたくさんのバンドさんの協力で守られているということを今回感じることが出来ました。今後も地元バンドを手を取り合ってライブハウスを守っていきたいと思っています。

メッセージ

今年4月でPARKDINERは移転リニューアル9周年を迎えます。元は別の地でバーとしてスタートしたこの店も19周年。まだまだ地方の小さいシーンですが、地元バンドと盛り上げていく努力をしますので、全国のバンドさん、関係者様、是非一度つくばへお越しください。いい夜、いい酒を呑みましょう。

柏616 / 店長 山内まさし

http://www.kashiwa-616.com/

執筆者プロフィール

子供みたいな大人、いや、大人みたいな子供。

現状

震災で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。3/11は地元の10代のバンドのレコ発企画でした。幸い怪我人は出ず、機材類も無事でした。柏市は茨城県に近く、茨城県の県南からのバンドマン、お客さんも多いため、いつも遊びに来てくれるバンドマンや常連さんの安否確認が第一優先でした。何もできないもどかしさもありましたが、駅前で募金活動をしている小学生などを見て何かできないかとバンドマンみんなと話し合いを重ね、チャリティのフリーマーケットライブやオムニバスCDの販売などを行いました。まだまだ問題は山積みですが、この苦難をみんなで力を合わせて乗り越えようという団結の絆が深まった1年でした。

メッセージ

柏はホットスポットと呼ばれています。いろんな学者がいろんなことを言うので何を信じたらいいかわかりません。思うことはひとつ。柏を音楽のホットスポットと呼ばせてやります!

shibuya eggman / 店長 鞘師 至 (サヤシ イタル)

http://eggman.jp/

執筆者プロフィール

shibuya eggman 店長、兼円盤プレス事業部 部長。

現状

震災後1年経過、eggman周辺の渋谷神南の街もなんとなく、元通りの活気を取り戻しました。ただやはり時が経ち、東北のインフラも徐々に回復するに伴って、家族のヘルプの為仲間が従事するコミュニティーの為に被災地に行き、直接現状を痛感する経験をした人たちが東京にも増えてきているのも現状です。そういった人達の「継続的な支援」への意識の高まりから、今も各々で出来る支援を続けている周囲のお店やeggmanに出演するアーティスト、関係者各位の企業などが増えているのを感じます。我がライブハウスも然り、その意識を以ってイベント収益からの募金など、楽しく明るい場所を作りながらも、東北の悲しみも少し和らげることができるよう、営業に務めています。

メッセージ

語ること易し、動くこと難しです。が、後者が世界を動かします。「行動を規制すること」よりも、「アクションを起こしてメリットを生む」ことに目を向けて、音楽を楽しみましょう。

新宿MARZ / マネージャー/ブッキング 小柳 和久

http://www.marz.jp

執筆者プロフィール

『音楽という名のもとに』。

現状

東日本大震災におきまして被害に遭われた皆様、そして今現在も避難所にて生活している方々に心よりお見舞い申し上げます。あの日、本当の意味で『幸せ、夢、希望、平和、安全』という言葉を失いかけた。数あるメディアが、何度も何度も、現実を叩きつけた。エンターテイメントを職業として生きている人達は、沢山悩み苦しみました。自然災害、2次災害、余震に電力の自粛。“音楽とは何だろう?!”。僕は何度も何度も悩みました。『音楽は、音を楽しむもの、幸せ、夢、希望、平和を伝える最善の手段』だと…。震災当日は様々な方がMARZの安否を確認をしに来てくれ、本当に沢山の方々に支えられていると感じた僕は、STAFFと協議し3/18から“MARZ BAR"を開催しました。当日は、『待ってました!! 音楽に飢えてたんだ!!』という位音楽好きのたくさんの笑顔に逢えました。音楽の力を信じてみなさんが、また笑顔に、幸せになるように新宿歌舞伎町のど真ん中からSTAFF一同お祈り申し上げます。

メッセージ

2011年12月に10周年の節目を迎え、新しい形の近未来型ライブハウスとしてジャンルを特に限定せず幅広いアーティストにご利用して頂ております。東京に来た際は、是非お立寄り下さい。お待ちしております。

池袋LiveGarage Adm / 店長 豊島渉

http://www.adm-rock.com

執筆者プロフィール

勤続8年。Admの傍らバンド活動。よく「バンドとAdmとどっちが大事なの!?」と訊かれ「バカだなぁ。Admが大事に決まってるだろ」と優しく抱きしめている。

現状

震災後2~3ヶ月はバタバタしましたが、出演バンド、お客様、スタッフの力強い助けもあり、その後は落ち着きました。その節は本当にありがとうございました! 現在池袋の街は怖いくらい人が多く、いつも通りの日常を取り戻しています。メイドカフェ、アニメグッズ販売店、腐女子と呼ばれる方々等、ここ1年でより増えたような気がしますが、震災の影響かどうかは定かではありません。一時は池袋にたくさんいらっしゃった外国人の方々がちょっと減ったように思いましたが、最近はまた少しずつ増えてきて徐々に活性化しているように思います! そういうわけで、池袋は“特に現在まで引きずるような影響はないんじゃないかな?”というのが正直な所です。はい! 頑張ります!

メッセージ

バンドはやる奴とやらない奴の差がよりくっきり現れるようになりました。でもそれは震災があろうがなかろうが、実のところ弱肉強食の世界である事は変わらないと思います。ある意味ふるいにかけられたのかもしれません。精鋭揃いの池袋Admにぜひご来店ください。あと出演バンド大募集ですー。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.9

under the yaku cedar G./Vo. 石巻ロックフェス実行委員会代表 / 鈴木 大輔

【under the yaku cedar】 http://www.undertheyakucedar.com/
【石巻ロックフェスHP】 http://www.ishinomaki-fes.net/

復興とはなんなのか? その問いを繰り返し、考え抜いた結果、僕らは「新たなものを築く事」に辿り着きました。

2011/10/9に行われた、石巻ロックフェス。こんなにも多くの人に支えられ、多くの人によって作られたロックフェスはかつてあっただろうか。「海を向いて歩こう」をスローガンに掲げ、過去を乗り越え自然と対峙し未来を見つめ、生きている事の喜びを多くの人と共有する事を目指した当日は全国から約2000人が集い、鎮魂を祈り、人と人、そして自然が寄り添うことに希望を見出した。

宮城県石巻市。思い出すのはあの海だ。何かあったら、何もなくとも、よく防波堤に座って、耳にぶつかる風と砕ける波の音を、いつまでも飽きることなく聴いていた。帰り際は、風の感触が身体にまだ残っていて、どこか心地良かった。
そんな海が、僕から多くのものを奪っていった。両親は海沿いから数百メートルの所に住んでいて、もちろん家は流されたし、両親は津波に飲まれながらも奇跡的に生還した。僕が意を決して、実家を訪れた時には、寿司屋だった我が家のカウンターだけが、職人だった親父のプライドだけを誇示するように、残されていた。
人は記憶や記録によって、ようやく過去の自分を認識出来るという。たった小さなガラクタのような玩具や、柱の傷、たった一枚の古びた写真でも、僕が過去に、そこに居たという事を証明してくれる。そういったものを波は残してはくれなかった。その喪失感を抱えながら生きていく事も可能だったと思う。でも、僕は紛れも無く僕が生まれ育った街と、あの海に対峙する事を選んだ。失くなったのなら創るだけだ、と自分に言い聞かせた。だが、自分に何が出来るんだろう、という問答を繰り返した結果、やはり僕には音楽しかなかった。
そんな時、「石巻でライブがみたい」という叫びのような呟きを見たのをきっかけに、石巻でロックフェスを計画した。震災後、まだ2ヶ月のあの時期に何を馬鹿な事を言ってるんだろう、と散々言われた。でも、僕は思った。言葉で言い表せぬ悲しみは、言葉では言い表せぬものでしか癒せないと。それは音楽だった。石巻に、悲しみを抱えた人々に絶対音楽が必要だと信じていた。衝動的な発起から、約5ヶ月。2011/10/9に、石巻ロックフェスは開催された。それは多くの人の並々ならぬご尽力により、実現出来た。来てくれた人達の、自然な笑顔を見れた時、“やって良かったな”と心から思えた。海と山と風と太陽と月に見守られたロックフェス、そして産業に埋もれていないピュアネスの塊のような音楽。それだけで、人は自然に笑う事が出来る。僕はそこに、希望を感じた。地震と津波は多くを奪ったけれど、唯一残ったの微かな希望。一人一人が立ち上がり、自然と調和を計りながら自ら未来を切り開いていく事。
過剰な消費社会に魂を病んだ僕らに、大切なものを教えてくれたのは奇しくも、あの海だった。今、僕らが進むべき未来はきっと自然の中にある。20世紀の生き方と決別し、チェンジが必要なのは明確だ。
石巻の海は、ずっと変わらず美しかった。

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ミュージシャン / KAORU

【office mothol】 http://officemothol.masa-mune.jp/

音楽に「力」があるわけじゃなく、奏でる側と聴く側の気持ちが重なった瞬間、初めて「力」を産むのではないだろうか?

激しく長く続く揺れの中、人々は自然の驚異に対し悲しい程に「無力」としか言いようが無かった。ライフラインが寸断されたであろう事は容易に想像がついた。既に携帯は繋がらず、頻繁に発生する余震の中、車中のラジオからは大津波と、それにより壊滅状態になった街の情報が繰り返される。誰もが希望の光を見失いかけていた。

電気、ガス、水道、電話、食料、燃料。昨日まではお金を払えば当たり前に手に入った物が手に入らないという事実が、自分達の住む街でリアルに起こり始めた。それどころか街のほとんどが喪失した場所さえある。自分が住んでいる街では無いにしろ、そこには自分の知っている風景があった。被害状況は場所により人により全く違う、失った物も違えば欲している物も違う。しかし、音楽の力で「勇気を」「癒しを」。震災発生から、そんな言葉があちこちから聞こえてくる様になるまで、さほど時間はかからなかった。
果たして音楽に「力」なんてあるのか? 僕はそんな疑問を抱いていた。「ミュージシャンだからミュージシャンに出来る事を」という言葉を簡単に口にする人間が居たけれど、それはたまたま音楽がやれる程度の被害しか無かった人間が、音楽をやる事を正当化する為に言っているエゴにしか僕には思えなかった。「ミュージシャンだから出来る事」では無く「ミュージシャンだけど出来る事」もあるはずで、実際に瓦礫の撤去や食料の運搬をしているミュージシャンも沢山いた。音楽を辞めようとは考えなかったが、この時期に音楽活動を再開する事には迷いがあった。
しかし、そんな僕が震災発生から一月足らずで震災復興ライブを企画する事になる。賛否両論が巻き起こる事も批判の目が向けられる事も予想は出来た。けれど全国的に「自粛」の波が広がる中、ここで誰かが音頭を取らなければ、被災地である仙台の音楽シーンが元の健全な状態に戻るまでに必要以上の時間を要する様な気がしてならなかった。震災発生から2週間が過ぎ、ようやく連絡がついたライブハウスのスタッフはこう話していた。「仙台から何か動きを起こさなければ、東北に限らず全国のシーンが沈んでしまう」と…。その言葉が僕の気持ちを動かしたのは事実だった。しかし出演者を探す中で、震災前まで普通に音楽の話が出来た仲間が家や職、大切な人を失っているという現実に直面したりと、ライブが近づくに連れて“自分達が企画した、このライブに何の意味があるのだろうか?”と、疑問ばかりが大きくなっていった。
そもそも、音楽に限らず芸術という分野は、人々が衣食住、家族、仕事という当たり前に存在する物が当たり前にある時に出来る、心の「ゆとり」みたいな所に訴えかける物では無いかと僕は考える。その当たり前の事が当たり前で無くなった今、やはり音楽なんて無力なんじゃ無いだろうか? その想いを拭えないまま、僕はライブ当日を迎えた。
企画を進める中、折れそうになる気持ちを支えたのは、共にこの日のステージに立つと決めた仲間達だった。そして、この企画に賛同し、ノーギャラで出演を引き受けてくれたHOUND・DOGの八島純一氏の存在。ライブを終えて確信した事が1つあった、やはり音楽は「無力」である。しかし、それを奏でる者と聴く者の「想い」が重なる時、音楽は無限の「力」にもなるという事。この日八島氏を交えて演奏したHOUND・DOGの「フォルテシモ」でステージも客席も一つになった、あの瞬間を僕は忘れない。そして、もう1つ忘れてはいけない事がある。未だに音楽が「力」にならない状況の人々が大勢いるという事。音楽の「力」はけして押し売りする物では無いのだから。

六本木morph-tokyo / 店長 yummy

http://www.morph-tokyo.com/

執筆者プロフィール
音楽と古着をこよなく愛してます。古着を愛しすぎてたまに変な帽子とかかぶってます。

現状

当店は地下1階にある為、揺れは感じたものの幸いそんなに被害はありませんでした。ですが、同ビルにある8階の事務所は大きく揺れてぐちゃぐちゃになりました。イベントやブッキングのキャンセルが増えていく中で、営業再開のタイミングは正直かなり悩みました。しかし4日後の15日、キャンセルが相次ぐ中でLIVEを決めたアーティスト2組と、集まった30人のお客様の表情や気持ちのこもったLIVEを見て、音楽の秘めるパワーをとても感じました。震災から約1週間後、『長靴を届けますProject』という任意団体を立ち上げ、TVの入らないような被災地の個人宅等を回り、その都度必要なものを届けるという活動を今も行っており、たくさんのお客様やアーティストさんにご協力をいただいております。

メッセージ

morph-tokyoはおかげさまで10年目に突入しました。これからもやんちゃで楽しい大人たちが集まる場所で居たいです。ファンキーなアーティスト大募集!!

渋谷TAKE OFF 7 / 店長 川俣 大祐

http://kox-radio.jp/to7-top.html

執筆者プロフィール

『人事を尽くして天命を俟つ』。真の登竜門となるよう日々精進して参ります。宜しくお願い致します。

現状

東日本大震災におきまして被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。移転して1年4ヶ月、新しいビルの地下1Fという環境が幸いし大きな被害は全くありませんでした。テレビで津波の映像を見た時は衝撃でした。自然災害、二次災害の恐ろしさを改めて痛感し、無力さと、命の尊さを考えさせられました。余震が続く中、今後の公演やお客様への対応などを協議し、可能な限り営業を進める方針を決定致しました。「こういう時こそ音楽だ!」という思いを糧に節電を心掛けながら可能な限りライブは開催しました。今回の震災で何気ない日常がどれだけ幸せなのかを思い直し、ライブハウスの存在意義が改めて人と人との繋がりなんだと考えさせられました。「楽しい音楽を心に」皆で一つの空間を作り上げるように全力で今後とも取り組んで行きます。

メッセージ

渋谷に1980年10月オープンしてから32周年を迎える事が出来ました。全てのご出演して頂きましたアーティスト様と、ご来場して頂きましたお客様に感謝致します。2009/11/1、CLUB QUATTRO隣のビルに移転しました。心機一転、全ての音楽と演芸を毎日発信しております。

高田馬場CLUB PHASE / ブッキングマネージャー 吉野将兵

http://www.club-phase.com/

執筆者プロフィール

生まれ育ちは大阪ですねん。ぼちぼちギタリストもしております。

現状

当初は精神的にお客様や出演アーティストの方、またPHASEスタッフもダメージがありました。もちろん、PHASEだけでなく他のライブハウスも同じ だと思います。今では東北からのツアーバンドもあり、活気も少しずつではありますが戻りつつあり、CLUB PHASEは震災時を忘れる事無く肝に銘じ、対応策を迅速にできるように心掛けて日々精進しております。今もなお電力問題や原発問題が続いてる中、キャン セルや自粛も相次ぎました。ですがご協力とご理解のもと沢山の方々に支えられ、現状、PHASEらしさを取り戻しています!! 今後もさらに笑顔絶えない空間創りを徹していきます。

メッセージ

PHASEを知ってる方も知らない方も気軽に寄れるアットホームなライブハウス創りを目指しております。また、出演アーティストに持ち込み企画、ツアーバンドも随時募集しております。オールジャンルで何でも来い!! のライブハウスです。お気軽にお問合せください。

LIVE labo YOYOGI / 店長 / ブッキングマネージャー ハロー松田

http://www.yoyogi-labo.com 

執筆者プロフィール

三代目店長兼ブッキングマネージャー。太っているように見えます。

現状

震災で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。まだまだ大変だとは思いますが、お互い頑張っていきましょう。laboは震災を受けて音楽を発信していく事の喜びを再確認し、ライブハウスとしての社会的責任などを考え直すきっかけになりました。来場いただくお客さまと出演バンドに対する、安全管理などもう一度スタッフ間で確認しました。また、laboでは定期的にDJ寺岡×labo主催でチャリティーイベントを行い義援金を集めるイベントを続けています。継続的に続けていかなければ意味がないと思うので、今後もしっかりと続けていきます。ちなみに、次回は3/28です。そして、ライブハウスとして、お客様に安心して楽しんでいただける環境作りを今後も徹底していきたいと考えています。

メッセージ

楽しい事、面白い事、バカな事、まじめに真剣に取り組んで、新しい事をやっていきましょう! よっほほ~い!

福島Live Space C-moon / ブッキングマネージャー Heidi

http://c-moon.net

執筆者プロフィール

オーストラリアへの渡航経験など自由奔放な生活期間をえて、オープン当初のC-moonスタッフになる。未だに一部が原発事故により避難指示が出ている町から通勤しています。

現状

3/11の地震発生直後、外には不安そうな顔をしている人や泣いている人たちで溢れ、信号は止まり交通マヒを起こしていました。ライブハウスの中はサイドのモニターが倒れていたり、酒瓶が落ちて割れている程度で機材は無事でした。その後はお客様に安否確認の連絡をとり、お互いに励ましあい、そして電気・ガス・ガソリンなど通常の生活に戻るまで1カ月はかかりました。地元を元気づける為、震災以降の初ライブは自粛せずに、同月27日お世話になっている地元バンドを誘いライブをしました。福島はまだまだ問題を抱えておりますが、地元の皆さんに時には支えられながら、そして支えていけるよう頑張っていきます!!

メッセージ

C-moonはオープン以来さまざまなジャンルのアーティストさんに演奏して頂いております。ライブハウスは新しい人に出合いハッピーになれるところ!! 今まで福島にいらしたことのないアーティストさんにもどんどん来て演奏してもらいたいです!!

Hachioji RIPS / ブッキングスタッフ 松山 周一

http://rips.rinky.info

執筆者プロフィール

26歳、八王子生まれ八王子育ち。RIPSのブッキングスタッフです。

現状

hachiojiRIPSは、震災前と変わらない状況で営業いたしております。震災当日は大学サークルの引退ライブでした。リハーサル中に大きい揺れを感じ、すぐさま避難をしました。そこから4月いっぱいは計画停電の影響もあって思うように営業が出来ず、そして何より“こんな状況の中で営業していいのか”という気持ちもありました。ですが、周りのバンドマンやお客さんがRIPSの営業を心待ちにしてくれていたため、営業を再開しました。現在は募金やチャリティーライブも行い少しでも力になれるように努めております。

メッセージ

学生の街八王子にあるライブハウスRIPSです。都内には無い独特の雰囲気を持った街です。
今までも沢山のバンドさんに足を運んでもらいました。これからも沢山のバンドさんに来て頂けるような環境をご用意いたしますので、まだ来られた事の無い方もお待ちしております。

執筆

者プロフィール
三代目店長兼ブッキングマネージャー。太っているように見えます。

現状
震災で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。まだまだ大変だとは思いますが、お互い頑張っていきましょう。laboは震災を受けて音楽を発信して いく事の喜びを再確認し、ライブハウスとしての社会的責任などを考え直すきっかけになりました。来場いただくお客さまと出演バンドに対する、安全管理など もう一度スタッフ間で確認しました。また、laboでは定期的にDJ寺岡×labo主催でチャリティーイベントを行い義援金を集めるイベントを続けていま す。継続的に続けていかなければ意味がないと思うので、今後もしっかりと続けていきます。ちなみに、次回は3/28です。そして、ライブハウスとして、お 客様に安心して楽しんでいただける環境作りを今後も徹底していきたいと考えています。

メッセージ
楽しい事、面白い事、バカな事、まじめに真剣に取り組んで、新しい事をやっていきましょう! よっほほ~い!

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.8

TILITILI G./Vo. 菅野安宣

http://www.sunsetfreaks.com/sunsetfreaks/TOP.html

生きるために必要だったのは食料と灯りだった。7ヶ月経った今、音楽は心の支えとして大きな生きる力になっている。

沢山の不幸を目の当たりにし、死を感じて、沢山の支えに感謝をし、生きる希望を感じた。まだまだ不安や絶望に苦しみながら毎日を送っている被災者は沢山います。仲間達に救われ、少し早く立ち上がれた僕らが、今度は力になる時が来た。

「春が来たら、鹿を捕まえに行こう。肉無いぞ」陸前高田市で被災した僕と仲間の被災後の会話でした。眼下に見る町は藻屑と消え、昨日までいた町の人達は明らかに減っていました。はたして何人生き残ったんだろう。ラジオから流れる情報は、「陸前高田市の情報が入ってきません…」という言葉だけ。それを聞いてる僕らは、味わったことの無いほどの孤独を感じました。小高い場所にある小店から残り少ないお菓子を買い隠し、腹が減ったと嘆く我が子に、車で隠して食べさせた。「いったいいつまで続くんだ…」「こうやって終わっていくのか」。いっそ、縄文時代に戻ればいい。争いも無く、いろんな嫌なことから逃れ、食って寝る。そんな時代に戻ってもいいかな。なんて思ったりもしました。避難所で1週間、時間の無い生活をしたあと、かろうじて残っていた実家に移動し、生きる為の被災生活が始まりました。
2ヶ月の停電と3ヶ月の断水。あの時間は、今思えばとても素直で人間らしい生活だったかもしれません。「ありがとう」という気持ちを言葉にして素直に言える。当たり前の様なことが貴重なことに思える。困っている人を助けようと思う。人の為に生きようと思う。被災は経験する必要はないけど、経験を糧にする力は、誰でも秘めてると信じたい。信じても立ち上がれない時は、寄り添って支えてあげればいい。遠くに助けたい人がいたら、嘘の無い素直な言葉で共に泣き、共に笑えばいい。血が繋がって無くても、人の気持ちを支えられるのはやはり人だなって。被災から7ヶ月経った今、強く思います。
多くの人に支えられ、多くの音楽関係者に支えられました。でも別れると寂しくなった。ギターを弾いてみたい気持ちになるまでは長い時間が必要でした。僕は何を歌いたいのか。悲しみたいのか。励ましたいのか。いろんな葛藤をしながら、携帯に静かにしたためたりしました。そんなことをしながら、ゆっくりとまたギターに近づいていった記憶があります。そこに行き着くまでには、沢山の仲間達の支えてくれた想いであり言葉という力があったからこそたどり着けた。そう思うと、自分達がやってきた音楽がすごく誇らしくなって、大好きになりました。なにも御返しできないけど、僕らが元気でやり続けることが、今みんなに御返しできる唯一の方法だと思いました。無理して悲しまなくていい。無理して明るくしなくてもいい。素直な気持ちを大好きな癖のある曲に乗せて。「いってきます!」「ただいま!」「今日失敗しちゃった!」「でもいい日だったよ」。そんな日常を曲にしたい。肩肘張らないで、走らずゆっくり行けばいい。いつか心から幸せだなって思える日がきっと来る。星になった友達のぶんも、思いっきりラフに生きてやる。僕ららしい音楽を、死ぬまで続けます。

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仙台MACANA ブッキングマネージャー 佐藤 岳史

http://www.macana.net/

人の優しさに触れ、心のあるライブハウスにしたいとさらに思い、こんな時代だからこそもっと人間くさく生きようと強く誓いました。

東日本大震災から7ヶ月、震災の影響により、入居していたビルの解体決定。一時は存続すら危ぶまれた中、皆さんの熱い気持ちを受け新生MACANAが10月8日リニューアルオープン!

目の前にあるものが当たり前ではないという現実、自然の脅威というものを多くの方が体感しました。そして、当たり前にそこにあった仙台MACANAも震災の影響により営業が出来なくなって約7ヶ月。2012年10月8日無事リニューアルオープンを迎えることが出来ました。ご協力いただいた皆さん本当にありがとうございます! 私たちスタッフもこの日をどれだけ待ちわびていたことか。初めてスピーカーから音が出た瞬間、本当に涙が出そうになりました。沢山の方との出会い、そして別れ、応援メッセージ、他会場を借りての復興イベント、深夜の徹夜作業等々、今までの7ヶ月本当に色々あったなぁと思い返しています。
私自身も町の6割が津波で浸水した宮城県東松島市出身で、多くの親族、友人を津波で亡くしました。親戚を火葬している時、自然の脅威に対する自分の無力さを痛感し本当に悔しくて、悔しくて「地震の馬鹿野郎」と涙しました。今思うとすごく不謹慎ですが、震災直後はサバイバルゲームみたいで楽しかった事を覚えています。というかそう思わないとやっていけなかったんでしょうね。生きていることに喜びをただただ感じました。結局は皆人間、今回の件で人の優しさに触れ、心のあるライブハウスにしたいとさらに思い、こんな時代だからこそもっと人間くさく生きようと強く誓いました。
そんな中、地元石巻市出身の同級生で現在東京で活動している「ANCHOR」と東京の「DRADNATS」とが中心となって、今年7月に無料野外フェス“LANDMARK FESTIVAL 石巻 2011”を開催しました。ゲストに「磯部正文(ex.HUSKING BEE)」などを迎え開かれたこのフェスは、何より「石巻に音楽のランドマークが出来たら、よりいろんな人たちに地元の良さを知ってもらえる機会が増えるんじゃないか」という思いから始まったこのお祭り。来年も開催しますので、ふるってご参加下さい! 場所はかなり田舎ですが、愛の詰まったイベントです(笑)。よろしく!!
そんなこんなで喜怒哀楽にとても敏感になってしまった私ですが、オープンしてからというものライブをやっているだけで涙が出そうになるという失態をおかしています。自分のせいなのか、はたまたアーティストのせいなのか(笑)。15年目の1年生ですが、これからも共に皆さんと新たな歴史を刻んでいければと思っていますのでよろしくお願いします。まずはパワーアップした新生MACANAに遊びに来て頂ければと思います!

新住所:〒980-0803 仙台市青葉区一番町2丁目5-1大一野村ビルB1F
TEL 022-262-4787
FAX 022-262-8738

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大塚Deepa / ブッキングマネージャー 山本章司 (SHOJI Y.)

執筆者プロフィール

たこ焼きで舌を火傷した事がない人は、たこ焼きを語らないで下さい。

現状

弊店は現在、震災以前と変わらず、しかし微力ではありますが、募金箱を店内に常設させて頂いた上で、元気! に営業させて頂いております。当日はリハーサル中での出来事でした。一体何が起こっているのか…交通機関の麻痺や、突然の出来事に困惑している方が弊店のまわりでも多く見受けられました。大塚という場所は外国人の方も多く住まれているのですが、それまで毎月開催していた外国人BARとの合同営業も、多くの方が母国へ帰られたりで開催ができない状況でした。しかし現在は徐々に戻られてきており、10月に再び開催させて頂けました。徐々に街も活気を戻してきておりますので、今まで以上に大塚という場所を盛り上げていく事ができる様、これからも邁進していきます!

メッセージ

2011年、皆さんはどの様な音楽ライフを過ごされましたか? 先月、遂に弊店も3周年を迎えさせて頂く事ができました! まだまだ未熟ではありますが、これからもスタッフ一丸となって大塚から様々な、そして多くの音楽を発信して参りますので、何卒宜しくお願い致します!

酒田MUSIC FACTORY / 店長 松浦 祐治

執筆者プロフィール

全ての雑務こなして頑張ってます!! (笑)。

現状

山形県日本海側は、揺れはしたものの建物も倒壊もなく、停電が1日続いたぐらいでさほど被害はありませんでした。震災後は不景気も重なりお店をたたむ所が多く、良い状態ではないと思います。ライブハウスもどちらかというと娯楽の部類に分けられると思いますが、震災後は娯楽にお金を使わなくなったうえに、不景気も重なりさらに余裕がなくなった。そんな感じを受けます。
震災後には1人1人の考えも変わったのではないでしょうか。バンド、アコースティック、DJ、MC、etc…ステージに上がるものは皆アーティスト。ステージに上がる事にどこかで慣れてしまっていた中で、ライブの1本1本が大切であり大事であると気付き、重く受け止めてステージに上がる人が増えたように思います。

メッセージ

アーティスト自身が持っている輝くもの、可能性に気付くといいですね。それがお客さんに求められるのであればなお良いですよね。被災地や東北にその素晴らしいエネルギーを出しにきてください。

吉祥寺CLUB SEATA / ブッキングマネージャー 廣石“マッチョ”智也

執筆者プロフィール

大阪出身32歳。系列店のブッキングを歴任しここに落ち着きました。ご一緒した際はユナイトしましょう!!

現状

3/11、当店は地下1階にあり、揺れは感じたもの瓶1本も倒れること無く機材も全て無事でした。計画停電などの心配の中、3/26より営業を再開しました。できる限りの節電をと思い、照明にLEDパーライトを導入し、エアコンも必要最小限で対応しました。再開当初はまだまだ世間は自粛ムードで、お客様に本当に楽しんでいただけるのか不安でした。しかし、結局今まで通り演者は良いプレイをし、会場はそれをサポートし、良い音、良い照明、良い接客でお客様を迎える、ということしかやれることは無く、それ以外に存在意義も無いと痛感しました。現在は特に影響もなく吉祥寺の街も元に戻ったように見えます。ですが万が一に備え、営業中はスタッフにLEDペンライトを所持させ、お客様を誘導できるよう指導しています。

メッセージ

吉祥寺は良い街です。吉祥寺を通るJR中央線は気分が悪くなった女性がいれば向かいの席の青年がそっとハンカチを差し出すようなハートフルな電車です。京王井の頭線もくしゃみをすると隣に座っていた外国の方がティッシュをくれました。皆様ぜひ吉祥寺にお越しください。

甲府CONVICTION / 店長 宮川

執筆者プロフィール

ロックバンドTHE OLIVEのボーカルとしても奮闘中。

現状

震災当日、震源地から遠く離れた山梨もいまだかつて無いほどの強い揺れが起こりました。娯楽施設であるライブハウスがこの未曽有の大事件の中、何をすべきなのかを地元のバンド、ライブハウス関係者共々話し合いを重ねた結果、3月の21日には地元新聞社、地元バンドの協力の下、“音の名の下に”という被災地復興支援イベントを行う事が出来ました。現在、すでにあの大事件の記憶が人々の中から薄れていってると思いますが、薄れるほどの被害にしかあっていない私共だからこそ、被災地に向けての復興支援は続けていきたいと思っています。

メッセージ

甲府CONVICTIONは今日も元気に営業できています。元気だからこそマイペースに被災地支援を続けていきたいと思います。被災地は今も被災地です。日本よ手を繋げ!!

柏Thumb Up / 店長 松嵜

執筆者プロフィール

もっともっと皆で力を合わせて、日本を元気にして行きましょう!

現状

うちの小屋は千葉県柏市にあるので、たまに放射線の質問が来る事がありますが、現状としては政府が安全と言う以上、信用してやっていくしかないと思っています。またうちの小屋は街なかにありますので、放射能の残留しやすい土がむき出しのところは少なく、ニュースに出るような事態はありません。ただやるべき事として、店の前をこまめに掃除するなどの対策をとっています。周辺地域も大差なく、道の掃除をする(歩道や、吹き溜まり)など、それぞれがやれるべき事をやっています。さらに全国的なニュースとなりましたが、市が進んで放射線の測定などをやっています。ある意味、放射線に神経をとがらせている街です。

メッセージ

うちに限らず、今回の震災でライブハウスにも多大な影響がありました。でも何を言ってみても、やれることはひとつだけです。熱いライブを作る事です。“音楽でみんなを元気に!”というよりも、ライブハウスが持っている本来の努力をするだけです。いいライブを作りたい!

吉祥寺ROCK JOINT GB / 店長 先本 光徳(sakimoto mitsunori)

執筆者プロフィール

『KEEP ON ROCKIN'!!』

現状

はじめに、この度震災によって被害に遭われた方々には改めてお見舞いを申し上げます。当店は震災日から約10日間程、苦渋の決断で中止または延期という形をとらせてもらいました。そんな中、若いバンドマンの中には『こういう時こそロックが必要なんだ!!』という声もありました。とても頼もしく、奮い立つ言葉でした!! それは単に格好をつけた言葉ではなく、非常にシンプルで、まっすぐな表現だと感じました。1人の人間として、またミュージシャンとしての意識と、責任感があったからなのだと思います。そんな思いを馳せ、3月末に営業再開のめどが立ち、完全生音&必要最低限の明かりでノーチャージ(ドリンク代も無し)で、募金のみというライブを実施。4/3には“JYOJI-ROCK GRANPRIX春大会”で出演予定だったバンド達で義援金ライブ。共に大盛況で、意味深いライブでした。それから、早くも半年が過ぎ今に至る訳ですが、これからも「人が音楽を創り音楽が人を動かす場所」にこだわって発信していきます!!

メッセージ

日本の、いや世界の熱きロッカー達、 待ってます!!

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.7

キリマルカラー / Key. Keiichi Hayasaka

何が正しいか何が正しくないかは後から好きなだけ悩めばいい。音楽する事の意味を探し続ける旅は、今も継続している。

まっ暗闇の中ワンセグに映し出された未曾有の光景。続々と被害を伝えるテロップ。連絡がつかない仲間達の安否を思えば、とてもじゃないけど「音楽で誰かを元気に」など言っている場合ではなかった。「みんなは無事なのか…」それしか頭になかった僕は、床に砕け散った鍵盤もそのままに、みんなの役に立ちそうな物を片っ端からリュックに放り込んだ。

震災から5日後。僕はメンバー達に物資を届けるため、ライフラインが寸断された仙台へ向かいました。車のガソリンが尽きたため、持てるだけの食料やカセットコンロ等を積んで、自宅から片道50キロの自転車の旅。そんな行動は、無力な自分の自己満足かも知れないけど…周りの大切な人たちの元気な姿、友人知己全ての安否、みんなの心、そして衣食住の充足…それをこの目で確認するまでは、自宅スタジオの復旧をする気にはなれなかった。ある意味それは自分自身に音楽を再開していいというGOサインを出すための旅でもありました。
あの震災から半年が経った今、仙台の街はまるで何事もなかったかのように平穏を取り戻しているように見えます。しかし時間の経過と共に、津波被害のあった沿岸地域との被害格差は大きくなっていくばかりです。友人が経営するスタジオも津波被害に合いました。潮臭い泥水が膝まで浸かりながらも、懐中電灯の明かりを頼りに重い機材をひとつひとつ引き揚げる…しかし機材は潮水のために錆び、全てを諦めて廃棄しなければならない状況でした。大切だった物を全て瓦礫の山に投げに行った友人の姿と、建物があった場所の瓦礫の山は、今でもこの網膜に焼きついて離れません。地震からひと月ふた月と時間を経てもなお、「自粛」「不謹慎」あるいは「自粛ムードこそを自粛しなければ」と言った世論に揺れ、まるで地雷を踏んでしまわないようにと、顔を見合せて沈黙していた日々が長く続いたように思います。誰しもがどこかで「笑顔」というものを必要としてる筈なのに…みんな辛かった。本当は元気な誰かが笑顔でいる必要があった。
僕の自転車による小さな自己満足の旅の行方。数時間かけてたどり着いた仙台で、僕は意外な光景を目にしました。仙台市中心部にある広場で、仙台バンド有志が集って、アコースティックイベントを開いていたのです。そこにはアコギを弾き語る友人の元気そうな姿や、炊き出しを配る仲間の姿がありました。それから仙台のライヴハウス関係者がお互いの無事を祝している光景…。
多分これから先そんな光景を目にする機会などないでしょう。今、何かを始めなくてはいけない。いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。僕はそこで多くの笑顔と再会し、心から音楽活動を再開する決意を固める事ができました。自粛の世論に揺れながら、「一刻も早く日常を取り戻そう」と動いてくれた人たちの勇気の先に、仙台の未来が一直線に繋がっているものと思います。
震災直後、臨時の避難所として寝食の場をバンドマンに提供してきたスタジオさんがありました。そこには半年経った今でも、全国から物資が届けられています。そしてその救援物資は、スタジオの利用者である仙台のバンドマンの手によって、沿岸の避難所の方々へと届けられています。人が辛い時に笑顔でいるという事は本当にエネルギーがいるし、時として誤解を生む可能性もあります。けれど誰か辛い時には、側で元気な誰かが笑いかける必要がある。音楽の力で明日に笑いかけるという事は、震災を経た今の僕にとって一番大切な事であり、そこから得た人と人の繋がりは、何ものにも代え難い宝物です。何が正しいか何が正しくないかは後から好きなだけ悩めばいい。音楽する事の意味を探し続ける旅は、今も継続している。

JANGA69 / Vo./G. 馬目 由樹

福島県いわき市でJANGA69と言うBANDのVo./G.をやってます。地元いわき市を襲った震災を経て、今自分は何を歌うべきなのかを考えました。

震災から7ヶ月、僕は色んな事を考えさせられた。その思いをすぐに歌にしました。10/5にアルバム『NEXT』が発売されました。そのアルバムの「My home town」と言う曲に思いと願いを綴りました。

3/11の金曜日。その日僕達は、ライブのため地元いわき市から隣の郡山市に移動していました。何気なく高速を走っていると、いきなり携帯から聴き慣れない音が鳴り、見れば“宮城県沖で強い揺れ”というメッセージが書かれていました。正直、その時は地震と言うものに恐怖感を感じられませんでした。しかし、外を見てみると標識や看板が勢いよく揺れていました。
すぐに車を停め外に出ましたが、道路はすでに地割れが始っていました。それでも何とか郡山のライブハウスに辿りついたものの、余震は止むこと無く続き、落ち着くことすらできない状態…皆は各自家族や友人に携帯で連絡を取ろうとしていたのですが、一向に繋がりません。唯一の情報源はラジオだけ。家族や友人の安否などは一切分からないまま、不安な時を過ごしました。
とりあえずいわきに戻ろうという話になり、3時間ほどかけて帰りました。自宅に着くと、レンガや外壁が崩れ落ち、家の中はぐちゃぐちゃでした。家に入って家族の安否を確認したのち、自分達の地元の海沿いが津波で大変な状況になっていることを知りました。
正直、友達の安否が不安で不安で眠れなかったです。数日後になんとか友達とは連絡が取れたのですが、原発問題で友達の地域が強制避難区域になってしまい、買ったばかりの家を置いて避難せざるを得ない状況になってしまいました。今でも友達は埼玉で避難生活を送っています。あの日以来、僕達の生活は変わってしまいました。震災から7ヶ月、今も帰りたくても帰れない人達がまだまだ大勢います。
僕の家の周りにも仮設住宅が建ち並んでいます。それを見るたびに、胸が締め付けられるような思いです。自分に何が出来るかは分かりませんが、僕は「My home town」という曲にメッセージを込めました。この曲は建ち並ぶ仮設住宅を見た友達の話を聞いて、僕自身が思ったことを綴った曲です。ネットが普及している今、誰でも簡単に発言が出来ます。復興の事で言い争いになって誰かを傷つけるより、一人でも多くの方と音楽を通して復興を願っていきたい。僕一人の力ではどうにもなりませんが、多くの方、そして音楽があれば必ず復興に繋がるはずです。そのためにも、この震災が風化されてしまわない事も願っています。帰るという事を諦めずに、いつか必ずあの場所に戻れると僕達は信じています。

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錦糸町 rebirth / 店長 志多"SHIDA-X"輝彦

執筆者プロフィール

気がつけば業界歴18年のイクメンパパ。新たな地「錦糸町」で新人として頑張ります!

現状

rebirthは震災の前日、3/10から工事着工でした。当然工事はストップ、10日後から作業を再開したもの、その後も資材が入らずに中断が相次ぐ状態。当初の4月末の完成予定が、最終的にはオープン当日の6/1に本当にギリギリで完成しました。
また当時は前身である秋葉原PAGODAを運営しており、同時にそちらのキャンセルなどの対応にも追われていたため、先の見えない数日間は精神的にかなり参ってました。でも「生きてればなんとかなる!」と考え、チャリティオークションライブなどを開催し、その時に多く方から「自分が出来る事をやる!」という思いを強く感じ、そのエネルギーで私自身も立ち直り、rebirthを完成させる事が出来たと思います。

メッセージ

音楽には人を感動させたり、元気にしたりと目に見えない多くの力があります。そして、それをより強く、間近で感じられるのがライブハウスです。rebirthは本気で「音楽で日本をrebirth(生まれ変わる)出来る」と信じて新たなシンボル、スカイツリーと共に成長していきます。

郡山 PEAK ACTION / 店長 渡邊文昭

執筆者プロフィール

郡山生まれ郡山育ち。悪そうな奴はだいたい先輩。今日も笑顔ではりきってまいります!!

現状

まず、この度の震災で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。あの日、PEAK ACTIONの入っているタカマツビルは崩壊し、私たちは大切な場所を失ってしまいました。ビルの壁一面が落下してきたにも関わらず、被害者がいなかった事は唯一の救いです。ビルの解体が決定した時は涙が止まりませんでした。ですがスタッフや友人、仲間たち、今までPEAK ACTIONに来てくださった沢山の方から応援の声を頂き、再OPENを決意。そして9/11、以前より約束していた「ひとりぼっち秀吉BAND」のツアーファイナルワンマンでなんとか再OPENを果たすことが出来ました。深刻な問題を抱えている福島、郡山ですが、私はこれからもこの土地で、少しでも多くの方が笑顔になれるよう努めていきたいと思います。これからもよろしくお願い致します。

メッセージ

PEAK ACTIONは福島県郡山市の人情の街、中町、ドトールコーヒーさん地下にあります。郡山一小さく、出演者様とお客様の距離が一番近いライブハウスです。レコーディングもやっております。もし郡山にお越しの際には、是非お立ち寄りください!

浦和 ナルシス / ブッキング & A.R. 岩波 夕子

執筆者プロフィール

良くも悪くもマイペース人間。記憶力にはちょっと自信あります!

現状

最初はバイトから働き始めたナルシスも、今年で勤続14年となりました。それだけ長く勤めていますが、あんなに大きな地震を体験したのは初めてで、当日の事は今でも忘れられません。恐ろしい程の大きな揺れでは有りましたが周辺建物被害も無く、店内も何一つ倒れる物も有りませんでした。しかし計画停電が行われる地域という事もあり、キャンセルや日程調整・移動となり余震も続く中、一体いつから営業ができるのか毎日が不安でした。長く働いているからこそ色々な時代を見てきましたが、震災があったからだけではなく今現在、音楽業界全般的にとても厳しい気がしてなりません。ですが、やはり音楽というものは規模には関係なく、たくさんの人々を元気に笑顔にさせるものだと思っております。

メッセージ

浦和ナルシスは来年で30周年となります。その半分ほどをナルシスで過ごしている私にとっては、ここはもう1つの家のような存在です。今後も出演してくれるバンドさんやお客様にとっても、そのような場所になれたら大変嬉しいです。そして微力ながらも皆さんが元気になれるお手伝いが今後も出来ればと思っております。

新宿 HEAD POWER / 副店長 小峰"ふーみん"史也

執筆者プロフィール

へたれ副店長。毎日ヘドバンしたい今日この頃。

現状

大きな横揺れによって揺れる天吊りスピーカー、事務所のラック。幸い出演者も無事に避難し、姿見が倒れた程度の被害ですんだのですが、近隣ではビルの窓ガラスが割れ道路に破片が散っているのも見受けられました。避難所としての無料開放、情報収集と拡散をしながら朝を迎えました。近隣ライブハウスも夜通し無料開放を行っておりました。その後、アーティストが被災者を支援する為の道筋を考え、復興支援イベント“Playing is Praying”を開催しました。ドリンク・チケット売り上げを全て寄付し、出演者からも営業をする為の最低限の出演費しか頂いていません。5日間の開催で46万を超える義援金を作ることができました。このイベントは来年3月にも予定しています。

メッセージ

アーティストとお客様の立場とを考え抜き、アーティストが最高に映えるステージを作り上げる。そのことに誇りを持ち日々改善を重ねています。僕達が作り上げた『新宿HEAD POWER』というライブハウスを体感してくれ!

石巻 La Strada / オーナー 相澤政洋

執筆者プロフィール

La Stradaを始めて今秋で9年目を迎えます。ちんどん屋もやっています。

現状

3/11、地震と津波が発生し、北上川河口から約1kmの川岸にあったLa Stradaの1階部分に漁船が衝突していました。店舗は2階で機材が浸水を免れたため、船の撤去後の5月、設備が不十分な中で営業を再開しましたが、建物が解体されることになり、6月に市街地の別の地区に引っ越しました。地元のバンドマンや友人、ボランティア、多くのミュージシャンの協力のもと、7月から音作り、店作りを続けながら営業しています。
ライブハウスで演奏してきたバンドの大多数が活動休止中か活動が困難であり、また町の人々はライブハウスに足を運べない様々な理由を抱えています。

メッセージ

3/11以降、石巻とLa Stradaに寄せられた全国の皆様からの応援に支えられてきました。縁と出会いに恵まれたことに感謝し、そのひとつひとつをこれからも大切にしていきたいと思います。

八戸 ROXX / 代表 大隅由紀子

執筆者プロフィール

89年より何もわからないままROXXを始め、綱渡り状態で間もなく23年目を迎える自称永遠の乙女。

現状

東日本大震災の際では、直接的な被害だけでなく、二次災害のような事もたくさんございました。全ての皆様にお見舞い申し上げます。当店は機材が壊れたり、ライフラインの復旧に多少時間がかかったこともあり、3月はほとんど営業できませんでしたが、4月からは通常営業できるようになりました。壊滅状態だったフェリー埠頭も8月から再開しております。ただし、八戸~久慈間の電車はまだ線路が復旧してないため、今でも利用できない状態のままです。現在はみなさまから頂いたお気持ちのおかげで元気に営業させて頂いております。ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。

メッセージ

停電の続く真夜中、家族と身を寄せ合いラジオから流れてくる音楽に涙しました。思えば、音楽はいつも私の側にありました。地震の前も、地震直後も、今も、これからも。改めて音楽の力を痛感いたしました。音楽を作る皆さんを心から尊敬しております。音楽にしかできないことがあると信じています。これからも心震わせる瞬間のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.6

メゾ ソプラノ歌手 × ピアニスト / 後藤 優子 × 菅野 静香

東日本を襲った凄まじい大震災。犠牲となった方のご冥福を心からお祈りしますと共に、被災地の復旧復興が進み、皆が笑顔で健やかに安心して生活できる日がくることを切に祈る毎日です。生かされている命に感謝し、今私に何ができるのかを問い、見つけた光…。

3/11を境に、新しいCDアルバム制作を進めていく上で、本当に伝えたい自分の思い、音楽の形が変わっていった。希望の光を信じ、祈りを込めて再びレコーディングに臨み、まもなく完成へ!!

私が地震にあったのは仙台北部の友人宅。家は大きく揺れ、収納棚などの扉は全て開き、収納されていたものが雪崩の如く倒れ落ちてきて足の踏み場も無い状態の中、やっとの思いで玄関を出て、避難所へ向かいました。途中、目に入ってくる、損壊している建物や、地盤沈下によるひび割れ、陥没している道路が、地震の大きさをもの語っていました。深々と降り積もる雪の中、ラジオから聞こえてくる被害状況に驚き、不安を感じながら、夢であってほしと何度も思いました。
電話回線が混線していてなかなか連絡が取れませんでしたが、幸いにも一緒にいた友人が家族と連絡が取れ、状況が落ち着くまでそちらでお世話になりました。本当にありがたかったです。電気もガスも水も出ない状況の中ろうそくの火を頼りに、カセットコンロで調理し、お風呂に溜めてあった水を使いながらの生活。余震の度に皆で身を寄せあっていました。数日後、家族とも連絡が取れ、帰宅。再会できた時は本当に嬉しかったです。ライフラインが徐々に復旧し、CD制作でお世話になっているピアニストの菅野さんと連絡が取れました。地震の時、彼女は運転中で、倒れてくる木々に道を塞がれながら、通常20分の道を3時間かけ大変な思いをしながら帰宅したそうです。自宅が仙台北端のためライフライン復旧が遅く、給水車も来ず、川の水を生活用水にしていたことなど近況を話してくれました。無事で本当に良かったです…。
次の日、自転車で近くの閖上付近まで行ってみると、目を疑うような信じられない光景が…。海から大分離れた陸地にまで津波は押し寄せ、たくさんの家屋や漁船までもが流されていました。暫く呆然と立ち尽くしていましたが、〝今から何かしなければ!〟と思い、ボランティアセンターへ行きました。数日避難所へ届ける支援物資の仕分け作業に取り組みながら、今度は音楽の力で、自分の心の言葉、歌で応援メッセージを伝えたい! と強く思うようになりました。オリジナル曲『HIKARI~ひかり~』のCDを持ってラジオ局へ出向きました。ありがたいことに、私の曲を番組で流して下さり、チャリティコンサートの機会も頂きました。“どんな困難の中でも皆が未来への希望の光を見つけることができますように”、という祈りを込め『ひかり』をテーマに新しいCDアルバムを制作してきました。私も菅野さんも音楽の力を信じ、たくさんの方にこのメッセージが届くことを願っています。

notice it(ノーティスイット) / Ba./Vo. 政井大樹

福島県いわき市を中心に活動するバンド、notice itのBa./Vo.を担当している。自分も被災しているがこの震災を経て、自分には一体何ができるかを考えた。

ウニの貝焼きが名物の福島県いわき市平薄磯地区。大きな災害もなく、毎日がのんびり、穏やかに流れる町。そんな町が津波に襲われた。

3/11、東北地方を突如襲った大地震。その時私は祖父母と家にいた。大きな災害が無いこの薄磯地区の住民は津波など来るはずが無いと思っていたのだ。自分もその1人である。
しかし、消防車が来て、早く避難するように町民を促す。私も家族と避難をしようと、家を出ようとした時に祖母が家に戻ると言い出した。早く避難しようと言ったものの、祖母が心配なので私も一緒に家へ戻ったのだ。だが、これが間違いであった。
家へ戻り必要なものを取った私たちは高台へ避難を始めた。その時である、町民の「津波が来たぞ!!」の声と共に海岸から一気に黒い波が町を襲ってきたのだ。私は身の危険を感じたのは言うまでもない。
祖母を連れ、高台まで走る。しかしそれを嘲笑うかのように容赦なく襲ってくる津波。私たちが高台に近付いた時にはもう私の背中にまで津波は来ていた。急いで高台に向かい、坂を登ると、町を破壊してきた波が自分の目の前に来ていた。後ろからも波が来ていて、なすすべなく私たちは津波にのまれた。消えていきそうな意識の中、祖母を守ろうと必死に掴んでいたが、第二波によってそれも適わなかった。私は真っ黒な波の中で体中を傷つけられながらも奇跡的に丸太に掴まり高台まで自力で泳ぎ、病院に搬送され手当てを受け一命を取り留めたが、祖父母は津波から3日後に冷たくなった体で見つかった。
何もかもやる気を失い、毎日泣いていた私を救ってくれたのは、バンドのメンバーやclub SONIC iwakiのスタッフであった。私を勇気付けようと、馬鹿話などをしてくれて私の心を和ませてくれた。
震災から約一ヶ月後、私はライブハウスのステージに立ち、ライブをした。頭が真っ白になり、音に包み込まれている瞬間はそれまでの悲しい気持ちを優しく拭ってくれた。
このコラムを紹介してくださった平山two勉氏のnomadic recordsから、CDを出す事が決定し、今はそのレコーディングに取り掛かっている。あの震災から5ヶ月、天国で見守っている祖父母に成長した自分を見ていてもらうため、まだまだ休む暇などない。

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PARK SQUARE 店長 / 斎藤TOM朋宏

執筆者プロフィール

英国帰りの元自衛官、バンド歴23年の現役バンドマンです(笑)。

現状

3/11つしまみれワンマン。地震発生の瞬間、電気・ガス・水道が止まり、全ての人がパニックになりました。幸いにも近くには地域避難所の勾当台公園があり全員で非難しました。2、3日後には仙台中心部に電気が復旧し、パークスクエアも避難所にしました。建物が大丈夫でしたのでイチ早く復活しましたが、正直なところ3月はスタッフ皆で手分けをして食料を調達したり、水を運んだり…。予定されていたイベントは6月上旬までほぼ全て中止・延期でしたが、急きょ、駆けつけてくれた皆さんにピンチを救ってもらいました。4/1から通常営業でなんとかやっております!!

メッセージ

震災により、まだまだ動けない地元バンドが多々あります。ツアーバンドの皆さん、東北ツアー宜しくお願いします!!

SILVER ELEPHANT 店長 / シルエレゆき(吉田幸恵)

執筆者プロフィール

生まれも育ちも吉祥寺。実家は八百銀。吉祥寺音楽祭実行委員。地元ケーブルTV「吉番」で司会も務め地域の活動も盛ん。

現状

3/11。当店はリキュール瓶1本倒れることもなく、被害はゼロでした。地下は地震に強いと聞いたことがありますが、本当だな~と。営業再開後も出演者の方の中には、被災地ご出身で、ご親族、ご友人が行方不明な方や、関西からのツアーのバンドもいました。しかし、その方々からライブを中止したい。という声はございませんでした。「こういう時だからこそ音楽を。」と。支援物資を集めるイベント、チャリティーCD販売の企画、「8.15 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」企画、東北地方へのツアー。自分なりの形で、被災地を応援していくというミュージシャンの方が本当にたくさんいらっしゃいます。そういう方々と触れ合う事ができ、ライブハウスは素敵な場所だと以前に増して思うようになりました。

メッセージ

『ライブハウスが無くなってしまったら、もうあの人に会うことはないだろう…』。ライブハウスは、そこにいつもあって、人と人が出会い、再会する場所だと思っています。シルバーエレファントは33年ここにあります。あなたを待っています。

kichijoji Planet K 店長 / 福原和樹

執筆者プロフィール

淡路島生まれ35歳! まだまだやんちゃに頑張ってます!

現状

震災から8日間はライブも勿論無く、チケットの払い戻しや、問い合わせの電話に追われていました。武蔵野市が計画停電の区域に入っていたため営業開始をするのに勇気がいりましたが、9日目からチャリティーライブとして無料ライブを開始しました。節電にも気を配り、LEDを導入し、最小限の電力で営業する事を心がけました。現在は、沢山のミュージシャンに支えられて元気に営業しております。新しいスタッフも仲間入りしまして、更にパワーアップ出来るように頑張りたいと思います。

メッセージ

ライブハウスだけではなく、まだまだいろいろ大変な時期ではありますが、良い音楽を発信する場所として、全力で頑張りたいと思います!

LIVE HOUSE 小田原姿麗人 店長 / 亀井 栄(ひさし)

執筆者プロフィール

2004年、小田原姿麗人にて店長就任。以後、小田原の音楽シーンを支え続ける、若き髭店長。ex.藍坊主。

現状

この度の震災にて、直接的な人的・物的被災はありませんでした。地震発生時には動線確保、続く余震の中での情報収集、今後の営業方針の話し合い。来場者・バンドマンの安全面を第一に考え、ほとんどのイベントは公演延期へ。しかし時が過ぎるにつれ、振替公演も開催され、通常営業が可能になって来ました。「出来る事をやる」それが今回の震災で出た一つの答えでした。義援金集めやチャリティーライブ、様々な試みに批判や賛同もありましたが、一番シンプルで本来あるべき姿であろうと。地元バンドを中心に、全国のバンドが小田原を、姿麗人を盛り上げてくれています。少しでも多くの皆さんが音楽を通して笑顔になれる様、頑張っていきます!

メッセージ

神奈川県は西湘地区、麗しの城下町小田原にある唯一のライブハウスです。「アットホーム」をモットーに、ビックリするくらい住宅地のど真ん中で営業しております。今年で20周年を迎えます! バンドマンもお客さんも、皆さん是非遊びに来てくださいね!

宇都宮 BIG APPLE オーナー / 小野 満 通称おのまん

執筆者プロフィール

現役のドラマーです。写真は大塚レッドゾーン パープルシャドウズ(今井 久)ライブから。

現状

ライブハウスは3Fの為、栃木県宇都宮市の中心地にしては揺れが大きく、楽屋の窓際に外して置いたムービングライトが1Fに落下!! 1Fにたまたま誰もいなかった為大事には至りませんでした。メインスピーカーなどは固定していた為、大きな被害は免れましたが、照明が3機落下、ドラムのシンバルが倒れ、一部バーカウンターの扉が開きグラス等が飛び散り、なんと言っても配線関係に支障をきたし現状復帰は大変でした。私も心労で体重が5Kgも落ちてしまいました。私自身もプロのドラマーなので、イベント中止、店のライブキャンセル等々…特に計画停電(私から言わせてもらうと無計画停電(苦笑)がなんと言っても大きな打撃でした。

メッセージ

当店は今年で23年、オープン当時高校生だった奴らも立派なお父さん、お母さん‼ 23年間今でも出てるバンドが沢山います。学生からシニア迄幅広いアーティストが元気を発信しています。東京からも、100Kmしか離れていないので、ツアーバンドも、気軽に寄って下さいネ‼

横浜B.B.STREET 店長 / 小斉元希

執筆者プロフィール

B.B.ストリートには10年くらい勤務してます。gnkosai としてアーティスト活動もしてます。

現状

横浜B.B.ストリートは駅ビルの12階にあるため、横浜とは言え、かなりの被害を受けました。当日、ケガ人もなく出演者もスタッフも皆、無事に避難できた事、ただひたすら感謝するだけです。その後は地元ミュージシャンの協力を中心に少しずつスケジュールも回復し、4月頭には店で集めた義援金をもとに、福島県南相馬市へ義援物資を届けに行きました。「ライブハウスとして出来ること」の前に「自分になにが出来るのか」それを考える事がなによりも大切だと感じています。個々としての自立。その上で「自分の属している」バンドやライブハウスとしてなにが出来るのか? を考えるべきだと思います。

メッセージ

横浜B.B.ストリートは9月、無事に14周年を迎え、これからも「反省しないバンドマン」を募集していきます。宜しくお願いいたします。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.5

オルフェウスレコーズシニアマネジャー / 王子 聰

東東京から、音楽文化の中心小岩を拠点にインディペンデントミュージックを提供する㈱オルフェウスレコーズは、リハーサルスタジオ、レコーディングスタジオ、ライブハウス、楽器・PAレンタルオペレーティングサービスと音楽に関わる全てのサービスがグループ内で完結できるとして知られておりますが、東日本大震災によって被ったグループでの損害は目を覆いたくなるような状況でした。唯一、震災当日にグループ内スタッフ、お客様に怪我等がなかった事が救いです。

2011年3月11日 14時46分、この瞬間に起きた忌まわしい出来事が、日本に残した傷は根深く、誰もが一生忘れる事のできない惨事となって記憶に刻まれました。震災直後から、音楽業界のみならず、多方面で議論になってきた「不謹慎」、「自粛」といったイベント等に対する捉え方、世論。「音楽」は特に娯楽志向が強いとされている為、グループ内でも随所にその影響を感じております。

グループ内のライブハウス「ライブシアターオルフェウス」では震災後、ライブイベントの中止が相次ぎ、現在は徐々に回復傾向にはありますが、世論の自粛ムード支配からチャリティー形式でのイベントが増えた為、収益には直接結びつかない事も多く困惑しました。楽器・PAレンタルオペレーティングサービスに関しても同様で、対外的な音楽系ライブイベントの中止が相次ぎ現場の数が激減してしまっている状況です。
グループ全体では現場のスタッフ数を最小限にし、営業時間の短縮を行い、節電営業をしながら乗り切っています。そんな中、未だに解決の糸口が見えない福島原発事故や計画停電等の電力問題等、音楽に携わる私達(株)オルフェウスレコーズが少しでも被災地の皆様に対してできる事はないのかと、協議を重ねてきました。音楽は自分自身のメッセージを直接伝える事ができ、それにより誰かの心を癒したり、温める事ができる手段の一つという事から「音楽と人をもっともっと近づけよう!」と前向きに張り切っております。
その事から今現在、東日本大震災から約半年、国内外を問わず多くの方々から支援の輪が広がりつつある中で、私達オルフェウスレコーズでは「東日本大震災・復興支援オムニバス」の企画、制作を行っている最中です。これは、グループ内レコーディングスタジオでアマチュアミュージシャン、インディペンデントアーティストの「復興応援ソング」の音源を無料でレコーディングし、それを配信し、それにより得た収益の50%を日本赤十字社を通じて、東日本大震災の復興支援義援金としてお送りさせて頂く、という内容になります。
私達オルフェウスレコーズにできること。それはアマチュアミュージシャンの方々からいただく温かい義援金はもちろんなのですが、やはり音楽に携わるものとして、「ミュージシャンの皆さんがミュージシャンとしてできること…」としてのお手伝いをさせて頂きたいと考えております。被災地の皆さんのみならず、日本国民の気持ちを癒し、愛と勇気を持って復興していくための力になれれば、と考えております。メジャーアーティストに負けない音楽魂を持っているアマチュアミュージシャンやインディペンデントアーティストの皆さんのエネルギーをひとつの形ににして東日本大震災の災害復興支援オムニバスとして発信していきたいと考えております。http://www.orpheusrecords.jp/

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Yenflation sole (エンフレイション ソロ) / Suzuki Motonori

あれから半年が経ち、あの日を機に俺のまわりでは音楽を辞めるってヤツが何人もいる。それくらい価値観が変わる日だった。多くの人は職を失い、モノを失い、人を失い、放射能におびえる。
音楽は「夢見がちなヤツの道楽」に変わった。

3月11日、少しずつ大きく揺れる地震に「これ以上大きくなったら世界が終わってしまう」と思ったのを憶えている。向かいにあった電信柱の下で談笑していた少女達がムチのようにしなる柱に怯え普段なら無礼とも感じる下品な笑い顔が叫び声と共に泣き出した頃には本当に「今までとは違う何か」が起きてしまった事を実感した。

実際に現場にいると携帯もTVも情報源が無く、震源地はどこなのか? こんな事になっているのがここだけであって欲しい。そんな事を考えていた。
しかし現実は厳しく、現在地茨城県から遠く離れた東北地方が震源地であった事を後から知り、この数倍もの恐怖をあじわった宮城、福島の人達に心が痛んだ。
でもその夜は全てが真っ暗で不謹慎ながらほんとに星が綺麗だったんだ。俺は何度も繰り返す余震の中ギターを弾いていた。バッテリーの切れかけた携帯電話に映しだされる小さなテレビの映像を見ると心が壊れてしまいそうだった。
あれから半年が経ち、あの日を機に俺のまわりでは音楽を辞めるってヤツが何人もいる。 それくらい価値観が変わる日だった。多くの人は職を失い、モノを失い、人を失い、放射能におびえる。音楽は「夢見がちなヤツの道楽」に変わった。
もちろんそれだけではないのかもしれないが「自分に本当に必要なもの」と「そうでないもの」が少し解ってしまうような日だったのかもしれない。未だ世界は薄暗く、それでも毎日、世界の誰かが歌っているのが本当に心強く同じミュージシャンとして誇らしく感じた。音楽はとまらないんだなって思ったら涙がでた。
俺はまだ歌いたい。音楽は光だ。この薄暗い世界を照らす光なんだ。本当は一歩先だってよく見えない。だから「俺はここにいるよ」って必死に光る。もし明日、世界が真っ暗になってもそのいくつもの小さな光は足元を照らしてくれる。
俺はひとりじゃないね。キミもひとりじゃない。声が出るなら歌うんだ。さあ、もう一度ギターを持てよ。そこに商業的な音楽の成功など必要あるかい?
東北関東大震災で被害にあわれた皆様、本当に心よりお見舞いを申し上げます。そして亡くなった方々にはお悔やみ申し上げます。ほんの少しでも明日に繋がるような希望や、これまでと同じ顔で笑える様にオレ達はこれからも支援を続けていきます。本当の復興に向けて共にがんばりましょう。

LIVE HOUSE Mag-Net 店長 / 高取宏樹

執筆者プロフィール

酒の量は減ってきました。あいかわらずS.P.NPOWERというバンドもやっております。

現状

この度の東日本大震災発生時、弘前市を含む津軽地域の直接の被害は少なく、停電が約一日続いた程度でありました。当店もそれなりに揺れはしたものの、建物被害もほとんど見当たらなかったです。たった一日の停電でしたが、沿岸部の惨状・原発事故の情報が与えた動揺を、十二分に加速させました。震災直後は、ツアーバンドや地元バンドのキャンセルも相次ぎましたが、なんとか乗り切り、今に至っております。
地元音楽関係者の間に、当初広がった心の動揺(ふさぎ込みや悲観論)も、ある程度の落ち着きを見せ、心の傷との戦いが続いております。他方、震災により浮き彫りになったそれ以前までから横たわる様々な課題とも、対峙せざるをえなくなり、音楽を奏でる意味・ライブハウスの存在意義、をより深く考えながら実践していくことが、求められております。

メッセージ

津軽の城下町・弘前は、本州の北辺に位置する、こじんまりとした街です。そんな小さな街にある、天井が高くて(映画館を改装しております)、ガラーンとドデカイ空間を有する、ちょっと怪しい雰囲気の店が当店です。多種多様な地元バンドが、日夜切磋琢磨しておりますので、どうぞ遊びに来てください。

LIVE HOUSE UNITY なでしこJAPAN / GK三河貴美子

執筆者プロフィール

独身2?才。「どすこい! テキーラ!」仮免許中!

現状

この度の東日本大震災発生時、弘前市を含む津軽地域の直接の被害は少なく、停電が約一日続いた程度でありました。当店もそれなりに揺れはしたものの、建物被害もほとんど見当たらなかったです。たった一日の停電でしたが、沿岸部の惨状・原発事故の情報が与えた動揺を、十二分に加速させました。震災直後は、ツアーバンドや地元バンドのキャンセルも相次ぎましたが、なんとか乗り切り、今に至っております。
地元音楽関係者の間に、当初広がった心の動揺(ふさぎ込みや悲観論)も、ある程度の落ち着きを見せ、心の傷との戦いが続いております。他方、震災により浮き彫りになったそれ以前までから横たわる様々な課題とも、対峙せざるをえなくなり、音楽を奏でる意味・ライブハウスの存在意義、をより深く考えながら実践していくことが、求められております。

メッセージ

津軽の城下町・弘前は、本州の北辺に位置する、こじんまりとした街です。そんな小さな街にある、天井が高くて(映画館を改装しております)、ガラーンとドデカイ空間を有する、ちょっと怪しい雰囲気の店が当店です。多種多様な地元バンドが、日夜切磋琢磨しておりますので、どうぞ遊びに来てください。

Thunder Snake ATSUGI 店長&ブッキングマネージャー / 長島 啓介

執筆者プロフィール

ペイース。店長の長島です。優しく暖かく、縦社会を継承したいと思ってます(笑)嘘です。下克上歓迎!! MINOR LEAGUEのギターもやっております。

現状

3/11はリハーサル中で、揺れが凄かったので一時中断しましたが、その後の余震もありその日は公演は中止にさせて頂きました。ライブハウス自体には特に被害はなく営業体制は整ってましたが、相次ぐキャンセル・計画停電などによりライブが出来ない状態でした。計画停電のない日はPAや照明を使わずフロアライブなど、電力を抑えるライブを行ったり電飾などを消しての営業でした。特にうちは計画停電に悩ませられました。一番心残りなのが3月なので卒業ライブイベントなどが中止になった事でした。自分自身も石巻の被災地に出向き現状を見てきましたが、元通りに戻るのはまだ時間が掛かると思います。しかし被災地域の人達はこちらが思っているより元気でたくましく、こちらが自粛ムードでは申し訳ない感じです。なのでサンダースネイクは今やれる事を徹底的にやろうとスタッフ一同心がけております。

メッセージ

いつも東名高速で厚木インターは知っているけど降りた事はないであろう『本厚木』ですが、今年は勇気を出して(笑)降りてみて下さい。案外、都内から近い本厚木。遠いイメージはありますが旅行気分でロマンスカーに乗って遊びに来て下さい!! 厚木はシロコロ、家系ラーメンだけじゃない!!

秋田 CLUB SWINDLE ブッキング / 白鳥 大介

執筆者プロフィール

PA、照明、他、マルチにこなします。秋田のロックバンド"黒"でも活動中。

現状

3/11の地震発生時は幸い目立った被害はありませんでした。しかしその後3月中のイベントは軒並み中止となり、4月以降も影響しました。ただ4月~5月頃までにかけて空いた日程は地元のバンドの力で埋めて頂きました。秋田は決してバンド人口が多いとは言えませんが、地震で秋田が元気を無くしているときに地元のバンドが元気をたくさん発信し、募金等も積極的に呼び掛けてくれました。あのとき力をくれた秋田のバンドには本当に感謝しております。復興には多大な時間がかかると思います。復興ムードも一時のブームで終わることがないよう、音楽を通じて引き続き呼び掛けていきたいです。

メッセージ

ライブを見たときの“かっこいいな”とか“楽しいな”とか、そういうシンプルな感動や興奮は間接的でも絶対に人のパワーになると信じています。そして復興を行うのも全て人の手です。元気がないときは是非ライブハウスに遊びにきてください!!

秋田 LIVESPOT2000 オーナー店長 / 岩谷 さえこ

執筆者プロフィール

秋田生まれの秋田育ち。生粋のあきたこまち(ドや)。うふっと笑うと全てうまく行ってた頃がなつかしいお年頃。

現状

現状は震災前とほぼ変わりません。最初から自粛はしませんでしたが、2回の停電には参りました。 今、普通に営業出来てることに感謝してます。
地震後の津波、福一の事故と大きな打撃を受けている日本ですが、当初は『自分のできることをやろう』という想いだけでした。その気持ちを共有出来る秋田のバンドマン達とスタート出来たことを誇りに思ってます。世界の終わりのような映像が日々アップされる中で、今、ここはライブが出来るではないか。自分がもし被災した立場だったら、東北全域がヘコンでたらもっと悲しいだろう。元気な場所があったらそれは希望につながるだろう。と思ったわけです。そのまま突き進みました。

メッセージ

ライブハウスは♪音&音♪というインディーズ専門のレコード店がスタートになり、今に至っております。いろんな方々にお世話になり、ご迷惑もおかけしました。今は箱だけの営業をさせて頂いております。 ぜひ、遊びに来て下さい。

本八幡THE 3rd STAGE まさかの副店長 / 岡島壮士

執筆者プロフィール

2008年からこの世界に。右も左も分からず副店長になりました。

現状

3/11当日は高校生の卒業イベントでした。続行するか否か話し合い決行に踏み切りました。ライブ当日に向け練習を重ねてきた子達にライブをやらせてあげたかった。ただそれだけでした。キャンセルはもちろん、計画停電、店舗ビルの水道管に亀裂が入りステージ上の水漏れ…。2月~3月に改装工事をし3/8にライブハウスと併設のスタジオがOPENにもかかわらず、相次ぐ二次災害。出演者、イベンター側と話し合い何をすればいいのか考えていました。こんな時に…と多くの批判や賛同がありました。それでもバンドマンは最高のライブをする。ライブハウスは最高の1日を提供する。やれることはひとつなんですよね!

メッセージ

現在はすっかり通常通りの営業に戻っています! 個人的なことですが陸前高田に実家があり、今回の震災で跡形も無く流されました。実際現地にも行きました。何も無い。だけど元気なんですよ! こんな時だからこそ! 元気な地域がやらないといかんです!!

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.4

モノクロミライ / G.&Vo.滝川ヒロユキ

僕が今全力で愛すべきもの。当たり前の日常、小さな幸せ、大切な人、この手から生まれる音楽、そのひとつひとつが掛け替えのないものだと実感できた。

僕の生まれ育った場所は、宮城県石巻市。両親が暮らす街です。大学進学を機に茨城へ移り住んだ僕は、自身も被災し、不安な日々を過ごしました。

震災当日。僕は職場である茨城県内のショッピングモールで被災しました。停電、断水、そして次々に携帯電話から流れてくる被害の情報に、次第に自分の置 かれている状況を実感していきました。僕は小さな画面の中で、どんどん赤に染まっていく東北地方の被害を呆然と見つめるしかありませんでした。それ以降、 次々とバンドのメンバーや友人、お世話になっている方々がたくさん心配の電話やメールをくれました。とても嬉しかった。
故郷・石巻の被害の大きさを知ったのは、もっと後になってからの事でした。石巻は海に面した街で原発も近くにある。両親への連絡がつかないまま、自らも 身動きが取れない状況。唯一の希望と言えば、両親は教師だから震災の時は学校にいたはず! きっと学校に避難しているはず! これぐらいでした。不安で、不安で、押し潰されそうな夜が続きました。そして、ライフラインがすべて止まったまま迎えた3日目の朝。やっと兄弟から両親の 無事を聞くことが出来たのです。「生きていてくれてありがとう。生きていてくれて嬉しい」と心から思いました。その後、自宅に電力が復旧。変わり果てた故 郷の姿を初めてブラウン管越しに見た僕は、言葉を失いました。ようやく繋がった電話の向こうからは両親の力無い声が聞こえ、僕が家族5人で暮らした家が津 波で流されてしまった事、親戚の命が津波で沢山奪われてしまった事、それは聞いていられないぐらい痛々しいもので、僕は何と声をかけていいか分からず、す ぐにでも助けに行きたい気持ちと、それが出来ないもどかしさに胸が苦しかった。
僕は今回の震災で、「幸せの価値観」が大きく変わりました。僕の今までの幸せは、蛇口をひねれば水が出て、スイッチ一つで部屋中を明るく照らせる、そん な「当たり前」があった上での幸せだったと。職場の営業が休止となっている間、友人たちの差し入れや僕を支えてくれているみなさんの励ましの言葉がこれほ どまでに有難く感じたことはありませんでした。
震災から早4ヶ月、僕の住んでいる街は元気を取り戻して来ています。とは言え、あの「3月11日」も誰にとっても「当たり前に」過ぎるはずの日だったわけで。明日が来るか分からない今だからこそ、僕は自分の大切な人を、自分達の音楽を、全力で愛そうと思います。

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元アーティストマネージャー・A&R / 現スマートフォンアプリ企画開発 / 山本麻由

3月11日、twitterやfacebookから流れ出る「助けて」という文字を目にした時から私は動かずにはいられなかった。東京においても買い占めが起き、停電になるのではと混乱する日が続いた。正直、その状況から目を背けたかったということも動くきっかけになったと思う。

私は以前までプロダクションやレコード会社に勤めておりましたが、現在は定時に上がるOLに転身。しかし、震災後、支援活動をしていく中で以前担当していたアーティストや音楽関係者の方々と再会することに。

今回の震災で最初に連絡を取ったのは、こちらの特集vol.2でも寄稿されているNomadicRecordsの平山“two”勉氏。福島県在住のtwoさんはご家族と共に避難を余儀なくされているにも関わらず「自分の町の人たちを救うんだ」と動かれていたのです。それを聞いてじっとしているわけもなく、私もtwoさんのサポートをする形で行動を開始しました。救援物資が足りないということから、下北沢GARAGEさんにもご協力頂き、物資を集めることに。twitterなどのSNSを通じて呼びかけたところ、その情報を沢山のアーティスト達がキャッチしてくれて、さらに自分達のファンの方に向けて発信してくれたのです。GARAGEの楽屋が埋め尽くされるくらいの量の物資が集まり、3週間に渡って福島県の避難所となっている施設へと送りました。
それでもまだやれることがあるのではないか? と自問自答した結果、現地支援ボランティアに向かうことを決意。とはいえ、宿泊場所も確保できないどころかライフラインも復旧していないという状況も伝わっていたので、被災地の方に負担をかけないように個人で動くのではなく団体の一員として申し込むことに。GW1週間を使って、気仙沼と陸前高田にて瓦礫撤去や浸水した小学校・個人宅の片付けなどを行いました。その後も、1ヶ月に2度のペースで仕事が休みの週末を利用し、様々なNPO団体が運営しているボランティアバスに乗って気仙沼大島やいわきにて活動しています。被災地といっても地域によって状況は様々で景色も匂いも人々の心情も違いますが、一つ共通しているのは、助けを必要としていることです。ボランティアができることなんてしれていると思うかもしれません。確かに、重機があれば一発で片付くのにと感じる時もあります。だけど、その重機がないのです。ましてやそれを待っていたら何年かかるかわかりません。ならばできることからやっていくしかない、そんな熱い思いが被災地にいる方々から伝わってくるのです。
一度、被災地へ足を運んで欲しいと思います。必死に前を向き歩き出している被災者の方々からの力強いメッセージを受け取って欲しいと思います。私達はこの現実を受け止め、何十年、何百年と先の未来に伝える役割を担っています。
最後に一言。音楽は無力じゃない。一緒に活動した被災地の学生さんの携帯からは電池が切れるまで音楽が流れ続けていました。作品を待っています、ライブを待っています。私はそのようなメッセージとして受け取りました。被災地に音楽を届けられたらと思います。音楽関係者の皆様、よろしくお願いします。

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宇都宮HELLO DOLLY / ブッキング梅沢真実

執筆者プロフィール

高校卒業後、よく通ってたHELLO DOLLYにて勤務開始。

現状

地震発生時、LIVEはもちろんなくなり、キャンセルや延期が相次ぎました。
ライブハウス自体には特にヒビとかも無く、宇都宮の街自体もいつも通りでした。(福島県側、茨城県側は多少被害があったみたいですが…)
いろんな人のいろんな意見がありましたが、私達に出来ることをいろいろ考え、無料LIVEを開催したり、極力電気を使わないようにと工夫をしたりして翌週にはLIVEを少しずつ再開していきました。5月には、震災前のようにお客さんも、バンドたちも戻ってきましたが、節電の影響でいろいろ変わってきてるのも現状です。けど、足を運んでくれるツアーバンドや地元で頑張っているバンドマン、そして、それを楽しみに見に来るお客さんのために今、やるべきことを精一杯やって宇都宮を盛り上げていきたいと思います。

メッセージ

音楽の力ってほんとにすごいなと思いました。今、出来る事を皆さん精一杯やってください。
HELLODOLLYは9月で無事、12周年! いろいろな人たちに支えられここまできました。ありがとうございます。是非、遊びに来てください! いつも絶えない元気と笑顔でお迎えします!

盛岡CLUB CHANGE / ポディション・ FW背番号11 キングカズ / 中村 信也(なかむら のぶや)

執筆者プロフィール

ノブです。日本の皆さん宜しくお願いします。

現状

最初に、震災後の厳しい時期、真っ先に盛岡や沿岸地域に駆けつけてくれたアーティストが居たことを一生忘れません。
現在、盛岡だけを考えると震災後から約4か月経ち、仕事の面などようやく元に戻りつつありますが、震災後からの厳しい状況からまだまだ脱している訳ではなく、経済面などのマイナス面を取り戻すべく日々生きている状況です。
又、沿岸地域の復興への道のりはまだまだ長く、5年~10年と、かかります。
長い目で息切れせず、自分に出来ることを続けていこうと思っています。
ライブハウスとして、人として、明るく! 己がやれることしっかりやる。
それしかねーべや! なあ~兄弟。

メッセージ

子供の頃、アフリカの飢餓の現状がコマーシャルで伝えられていましたが今は皆無です。本当は何も変わっていない、ただテレビで流さないだけ。現場はすぐ傍にあり、俺が、あなたが、行動すれば見えるものを見ようとしないだけ。行動おこせ!! 野性を取り戻せ! (壬生狼)

CLUB 251 / 店長 河崎雅光

執筆者プロフィール

好きな言葉は『ニンニクいれますか?』251店長、wash? ベース担当。

現状

3/16からちょっとずつライブを再開することにした。251は『音POWER』音楽の力で日本に元気を!! を合い言葉に出来ることを少しづつやることにした。とにかく幸いにも元気がある僕らがやらなければならないのは音楽を奏でること、そして仕事をすること。経済を動かしてお金を生まないと何も出来ない。義援金すら渡せない。と思った。251の現状はおかげさまで平常に営業しています。下北にも日常が戻って来ています。だけど、ふと疑問を感じます。まだ終わってないと思う。まだまだ原発問題や復興政策の遅れなどで辛い状況の方は沢山います。子供達は大丈夫なのか? 問題は山積みだと思います。音楽よりも大事なものもあるはずです。一日もはやく復興が進み10年後20年後も安心して日常を過ごせるような日本になって欲しい。これから何をすべきか?が大事なんではないでしょうか。

メッセージ

とにかく今年は動きましょう! (笑)。それぞれの感覚でそれぞれに動いて結果よりも行動があるのみ。なんかそんな気がします。

新横浜ベルズ / ブッキングマネージャー / 小山宏一

執筆者プロフィール

気がつけば、この道26年目(ベルズは14年)になります。「長ければ良いというものではない」と、半分は理解しています。

現状

3月11日は交通機関がストップしたために、予定の公演をキャンセルしましたが、翌日より営業させていただきました。具体的な被害がなかった事、新横浜に関しては安全と思われる交通機関が確保できた事が判断の基準でした。但し、各出演者には、「物理的にも精神的にも無理をしない事」「ファンの方々にも、同じく無理をして来店しないよう呼びかける事」「節電モードを徹底する事(リハ無し等)」を了解していただいた上で、チャージの一部を自動的に義援金に充てさせていただきながらの営業でした。結果、動員は通常の半分以下でしたが、ほぼ予定通りのスケジュールで進行できました。7月現在は、例年通りの営業に戻っています。

メッセージ

個人的に、両親が原発避難地域に在住していた事で、被災地にも何度か足を運びました。無事でいた街のライブハウスに出来る事は「いつも通りのライブをやって、お客さんに元気な気持ちでいてもらう」「出来るだけの義援金を送る」、以上2点だと思っています。

LIVE HOUSE ANGA / 中台奈央美(ブッキングマネージャー)

執筆者プロフィール

ANGAと共に歩み早14年。日に日に酒も喧嘩も強くなり男と化す33才眉無し熟女未婚。

現状

お店自体は震災による被害はなかったですが、その後の相次ぐキャンセルで3月中はほぼ営業出来ず、先の見えない不安でいっぱいでした。もちろん開店して14年、初の事なので厳しいですが、もっと大変な地域の方もいらっしゃるので、これしきで悲鳴を上げてらんないです。あんがよ~。ただただふんばって楽しい空間を創るのみです。4月からはキャンセルも落ち着き、今は通常通りの営業をしています。出演者、お客さんに感謝です。この震災をきっかけに今迄当たり前の様に過ごしてきた毎日が当たり前じゃない事に改めて気づかされました。毎日を大事に、大切に生きています。これからもみなさんの楽しみの場所、空間になるように努めていきたいと思います。

メッセージ

明るく元気に楽しく、たくましく!! ANGAはいつでも憩いの場となるように元気満タンで一生懸命営業していきます。ぜひ心の栄養を蓄えに遊びにきてください。負けませぬ。

下北沢GARAGE / 出口和宏 / ディレクター

執筆者プロフィール

1996年入社。企画/制作・ライブハウス/レーベル運営。

現状

東北地方太平洋沖地震当日から2週間程度の公演は延期及び中止。営業再開に関してはお客様の安全確保を第一に、都度最新の情報をもとに当日判断。再開後、営業中の余震による演奏中止は幾度かありましたが、公演を楽しみにご来店いただいているお客様方や表現と真剣に向き合っているアーティストの方々のおかげで5月頃にはライブハウスとしておちつきをとり戻した様子です。被災地へボランティアとして訪れたアーティストも多数います。そして、今回の地震でわれわれの考えるライブハウスの価値が新たに更新された気がします。

メッセージ

東北関東大震災により被災されたみなさま、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。みなさまのご健康と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。そして、ぼくらの届ける音楽や気持ちが皆さんの素敵な明日に繋がっていけるようにがんばります。

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.3

STUDIO CHAPTER H[aus] / WHIRLPOOL RECORDS代表 樫村 治延

津波被害を知ったスタジオの常連バンドの方や、ボランティア、自衛隊の方々の手を借りて復旧作業を進め、8日目にはレコーディング業務を再開させることが出来ました。

茨城県日立市の海沿いの町に、レコーディングスタジオ チャプターハウスを構えて13年になります。あの日、かつて経験したことのない、立っていられない程の激しい縦揺れと、長く続いた横揺れにより、スタジオ 内のアンプ、モニタースピーカー、ミキサー、レコーディング機器など大きな機材がいとも簡単に床に叩き落とされました。

やがて町中に鳴り響く防災無線や、警察消防が走り回る姿に尋常ではない危機感を感じました。大津波警報発令です。地元の港には4メートル級の津波が押し 寄せ、海岸線から1キロ離れたこの町にも、川をさかのぼり津波が押し寄せて、大人の腰くらいの高さまで浸水しました。スタジオは2Fなので、浸水被害はな かったのが本当に不幸中の幸いでした。
一晩経って避難先から戻り、目の前に広がる光景に言葉もありませんでした。まずは全ライフラインが復旧するまでの約一週間、ヘドロや流れついたゴミの始 末、浸水した建物1F部分の掃除、壊れた家財道具の運び出し、2Fスタジオの片づけに明け暮れました。津波被害を知ったスタジオの常連バンドの方や、ボラ ンティア、自衛隊の方々の手を借りて復旧作業を進め、8日目にはレコーディング業務を再開させることが出来ました。交通網もまだ遮断されており、風評被 害、物資の不足などもあって、キャンセルが多発することは覚悟の上での営業再開。震災後初めてのレコーディング作業は、奇しくも仙台のバンドさんでした。 お互いの無事を心から喜びあい、再び音楽に関われる喜びをわかちあいました。徐々に、作業進行中だったレーベルや、リリース間近のバンドさんからレコー ディング依頼が入り始め、震災から3カ月ようやく以前のスケジュールにもどりつつあります。
スタジオの入っている建物自体の被害は軽微でしたが、機材の修理や買い替え、浸水でやられてしまった空調の全入れ替え、休業による売り上げの損失などに よる「金銭的な被害」を回復させるには、もう少し時間がかかりそうです。誰も経験したことのなかったこの大きな出来事を、時に振りかえりつつ「あの日の気 持ちを忘れることなく」前に進んで行きたいと思っています。
当スタジオは都内を始め県外からのお客様がほとんどです。電話が通じるようになると、たくさんのお見舞いのお電話や「またレコーディングに行きます」とうれしいお言葉を頂戴しました。
なにより、震災当日にスタジオスタッフやお客様に怪我がなかったことを、心から感謝しています。

元・コーチガリー、元・漁師、現・整体師見習い兼格闘技指導者 岡市 尚士

「岩手県下閉伊郡山田町船越」。三陸海岸沿いの小さな漁村。昔から漁業が盛んでそれ以外は特に何も思い付かない、私にとっては日本一平和な村。そんな村が突然襲われました。

「俺の人生これから先どうなる? 何だ、この人生…。」思い起こせば2年前の2009年3月。下北沢ガレージ「コーチガリーワンマンライブ」。かつて私はバンドマンでした。都内のライブハ ウスを中心に活動。リリースを重ね全国ツアーを周る。打ち上げ終わりの下北沢を始発までうろつく。という典型的なバンドマン兼フリーター。

しかしそんな先の見えない生活が何となく嫌になり上記のワンマンライブにて10年にも及ぶバンドマン生活に終止符を打ち、地元にUターンし漁師として再出 発。消防団にも入団。そんな私の人生、簡単にひっくり返されてしまいました。2011年3月11日。大津波襲来。周囲の異常な慌て様に危機感を感じ私は車 を飛ばしました。駆け上がった坂の上で一旦振り返った。目に飛び込んで来た光景。迫り来る「真黒で巨大な津波」。猛烈な勢いで坂を上昇し、たちまち村は破 壊され巨大な渦に飲み込まれてしまいました。この世は終わった…。正直覚悟を決めました。しかしどうせ死ぬなら闘って死にたい。消防団としての活動を真っ 当すべく川状態の道路へ。腰まで水に漬りながら進みました。電柱に捕まり動けない老人や流れたバスに挟まった人が居る。私にとって戦争の始まり。自身が安 否を心配されていた事など被災直後は考える余裕が全く無く、目の前の惨状に向き合うだけ。山火事、遺体収容。中でも遺体収容はあまりにも悲惨で精神的にも 酷だった。近所の方々の変わり果てた姿。滅入りそうになりながらも1日1日を何とか拾い続け…1ヶ月近く経った頃でしょうか、当たり前の事に気付くので す。「死んだら全てお終い」犠牲者の方々は何を思って生き、そして何を思って死んでいったのか。みんな志半ばだったでしょう。自分の好きなように生きよう が、欲望や野望が多かろうが、生きていられれば何したっていいよ。他人に迷惑かけなければ全肯定するから。収容100体以上にも及んだ仏様から受け取った メッセージ。私はそう解釈し、家も職も失ってしまいましたが新しい道を歩き始める決心がつき先日二度目の上京を果たしました。そして最後に! もう一つ気付いた事。「人は故人になった途端優しくされる」よく考えればおかしい話だと思いませんか? 死んでから気付いても遅いんですよ? 人をもっと敬いましょう。しかし実際の話、被災地でさえも些細な争いは後を絶ちません。もっと大きな心を持って周りへの接し方を考え直しませんか? 被災した私が思うに、それこそが「今、自分に出来る事」なんだと思います。

LIVE HOUSE MACANA / ブッキングマネージャー 佐藤

現状

現在MACANAは地震の影響によりビルの取り壊しが決まった為、移転準備中です。愛着のある場所を離れなければならないという現実はとても辛いですが、まずはスタッフが皆無事でよかったなと。今年中には絶対にオープンさせますので、期待して待っていてください! 仙台市中心部は日常を取り戻している空気はありますが、沿岸部などはまだまだ手付かずのところや、電気、ガス、水道が通っていないところもあります。自分たちの出来ることを無理せず、まずは周りの大切な人に手を差し伸べてあげてください。東北に音楽と笑顔の輪を広めていきましょう!

メッセージ

皆様ご心配をお掛けしております。『オープンできる日を待ってます』『出来るようになったら絶対行くから!』なんていう全国の方々からの愛のあるメッセージ。本当に心の支えになっています。営業再開したら絶対遊びに来て下さい! がんばろう東北!

club SONIC mito / 店長 遠藤

現状

地震から3ヶ月以上が経ち、街並みは少しずつ活気を取り戻してきました。しかし、茨城県沿岸でも津波・放射能の被害もあり漁業関係者にも大打撃、農業関係者も出荷停止命令等で生活危機に陥ってる方が多数です。実際に家を失い、音楽を辞めざるを得ないバンドマンも居ました。3月中はライフラインもなかなか復旧せず、食物やガソリンを求め長蛇の列…全国的に被災地認知度が低い茨城(特に北部)への支援は後回しでした。SONICは幸いにも物質的な損害はほぼ無く、3月末に営業も再開してます。この場所でまた皆に会える事、前を見続ける地元バンドマン達の演奏をまた聴ける幸せを噛みしめてます。

メッセージ

とある沿岸部。周辺は重機による瓦礫撤去作業の中、今にも崩壊しそうな家に張り紙が…そこには、「私達の家です。勝手に取壊さないで!」と。愛する者・物を失った悲しみは、絶対に拭えません。犠牲になった方達へご冥福をお祈りすると共に、生き延びれた事に感謝し、震災が教えてくれた「本当の幸せ」を後世に伝えていきましょう!

西川口 LIVE HOUSE Hearts / LH事業部長 渡辺秀一

現状

当店は埼玉南部に位置し、地域的には幸い大きな被害はありませんでしたが震災以降~4月中旬の決まっていた公演について中止・延期となった公演がほとんどでした。実際、計画停電の影響もありライブハウスとしての営業は困難な状況。町の雰囲気も不安で包まれる中、足を運んでくれたのが地元の出演者や普段よく来て頂いているお客様でした。こんな時だからこそ人に会いたくなるとのことで、みんなで無事を確認しあい、状況を語り合いました。その後、空いた土日を使い余震や停電のリスクのある中、ライブハウスに対する世論も気になりましたが急遽企画しライブを行った次第です。徐々に通常に戻る方向に向かって元気に営業しております。

メッセージ

被害を受けられました皆様に、心よりお見舞い申し上げます。震災を機に物の見方や考え方が少しでも変わった方が多いのではないでしょうか。その気持ちを音楽というテーマで人が集まるライブハウスとういう場所でリアルな思いをぶつけに来てください!!

仙台HooK / 店長 村上 誠

現状

とにかく色々なことが起きた3月。徐々に日常を取り戻してきた数週間後、仙台も被災地だからこそ、被災地が起き上がって元気を出さないとみんな共倒れになるのではないか? という思いが強くなり、4月から営業を再開しました。幸い当店の入っている建物は無事で、ホールの機材も倒れることもなく、電気や水道の復旧も翌日でした。不自由なく再開できること、日常の当たり前のことに今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。5月に入ってからはイベントの本数も増えましたが、あの日起きた出来事、まだ日常を取り戻すには時間の掛かる方が大勢いらっしゃること、感謝の気持ちを忘れずに営業していきたいと思います!

メッセージ

音楽にはパワーがあります! 音楽を通して人が集まり、笑顔になったり、感動したり。着ることや食べることや住むことはできませんが、気持ちが前向きになれるもののひとつだと思います。そんな音楽から輪を広げていきましょう!

稲毛K'S DREAM 店長・オーナー / tanakurt(田中幸一)

現状

震災直後半月程は、建物に直接被害は一切有りませんでしたが、計画停電、イベントのキャンセル等、通常の営業は出来なく毎晩鳴り響いていた音楽は鳴らず、気持ちも落ち込んでいましたが、バンド、お客さん、スタッフの暖かい気持ちを沢山頂いて、現在日常に近い状態で日々営業出来ている次第です。僕らは稲毛というこの地で、いつでもどんな時でも笑顔で皆さんを迎えます。心配無用です! 今夜も明日も明後日も最高の夜を作っていきますので、宜しくお願い致します。

メッセージ

音楽が好きだったりライブが好きだったり仲間と集まるのが好きだったりとライブハウスにどんな想いを持っているかは人それぞれだと思います。好きでも出来ない、来れないって方も大勢いると思います。全国各地にライブハウス有ると思います。自分で必要と感じてくれるのであれば、ご来場ください! 全力でお迎え致します!!

柏PALOOZA / palooza staff 小龍

現状

震災後は、ほとんどの公演が中止及び、延期となり、正直大変でした。しかしながら、振替を快く承諾してくれた出演者及び、主催者の方には、心から感謝するとともに、こうして、また通常営業に戻れたこと、正直ホッとしております。paloozaも、5本のチャリティーイベントを通じて、約92万の義援金を送金することが出来、復興へ向けて、社会貢献できるよう、これからも頑張りたいと思います。

メッセージ

がんばろう! 日本!

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.2

NomadicRecords 代表取締役 / 平山“two”勉

まず自分の足で立ち上がり、今やるべき事に全力で集中しなければ明日はない。そしてどんなに途方も無い道でも、一歩ずつ踏み出していくのです。

いまや全世界注目の福島原発の足下に、音楽レーベルがあったことをご存知だろうか?東京で約10年活動してきたノーマディックレコードは、2009年に代表/平山の地元である富岡町に移転。その場所第一、第二原発の真ん中。東北から情報発信し始め、山形のインストバンドdinnerのリリースに向けて活動していた矢先の3.11であった。ドキュメント形式で綴ります。

3.11その時、自分は床屋にいました。突然きた尋常じゃない地震で急遽自宅に戻ると、町も家もかなりの被害。自分の部屋もぐしゃぐしゃで、放り出されたパソコンやら機材が心配だったが、片付ける間もなく次から次へと来る余震。もうそこは後回しにして、停電による暗闇と余震止まぬ中、ラジオだけを頼りに情報収集。聞く限りは漠然と東北が大変なことになってるらしい…。翌12日、町に原発事故による避難勧告が。自分はすぐには動かず、何十キロという避難渋滞に飽きて帰ってきた両親とその日はとどまる事に。だが夜のうちに避難範囲が3から5、10、そして20kmと拡大し、これはもうあかん! と翌日に避難することを決意。明けて13日、出発前に津波の爪痕を確かめる為、ビデオカメラ片手に、富岡駅へ。すると商店街はガレキの山。対照的に駅から海にかけては流されてなにもない…。いったいどんだけの人が死んだのか!? 複雑な思いのまま昼頃に出発し、いわき市の親戚宅へ。そこで初めて各地の津波と原発の映像を見て愕然! 自分達はまだましな方なのか? いわき市も海沿いはやはり甚大な津波の被害があったが、避難先付近は比較的平静。ただ水が止まってたので2週間は風呂に入れず、水汲み、食料、ガソリン、風評など諸問題は山積み。当初は市内も原発の影響で屋内退避勧告が出されてた為、店舗は全休、人も車も少ない、ここもある意味ゴーストタウン状態だった。そんな中、何かをしなければいけない衝動にかられ、休業中だったいわきソニックに場所を借り、ネットや友人達の連絡網で、情報の収集と発信を始めた。主に富岡町の消息不明者の捜索と、東京のライブハウスやネットでの救援物資募集などが日課となり、制作中のCDジャケットなども入稿。その後いわき市は海岸付近と避難所を除けば徐々に平常通りに。そして4/22。警戒区域指定により、20km圏内は封鎖され立ち入り禁止に。それが半年なのか1年なのか、10年20年なのか。全ては原発次第。自分は失われた通常の生活や亡くなった沢山の人々を思う度に、いまだに感情の堤防が決壊しそうになる事がある。その度、奥歯を食いしばり、こみ上げてくるものを何度も飲み込んだ。しかし、何に期待するではなく、まず自分の足で立ち上がり、今やるべき事に全力で集中しなければ明日はない。そしてどんなに途方も無い道でも、一歩ずつ踏み出していくのです。

仙台ライブホールRensa / ゼネラルマネージャー 菊池 涼

現状

4月の中旬以降、ようやく仙台の中心部も以前のような賑わいを取り戻してきました。3/11の地震発生以来ライブハウスやクラブが営業をできていない状況でしたが、現在はほとんどの店舗が営業を再開しております。しかし、中心部のアーケード街にも立ち入り禁止の赤い紙が張られているビルも多く、実際に移転を余儀なくされたライブハウスがあるのも実態です。幸いにもライブホールRensaは地震による影響で当初の予定より3週間の遅れが出たものの、4/29に無事オープンを迎える事ができました。オープンして感じた事は非常に多くの方が音楽に、LIVEに飢えているということです。避難所からLIVEへ来ている方も少なくはなく、改めて音楽やLIVEが人に与えるパワーを実感しています。このような状況の中新たに誕生したライブホールRensa、復興への希望と情熱を持って前進していきます!

メッセージ

皆様からのたくさんの励ましや応援の声にとても感謝しております! さまざまな情報が錯綜していますが、今後も音楽に関わる僕らにできることを精一杯やっていきますので、これまで同様、東北に、仙台に足を運んで頂ければと思います。

ライブハウスルート14 / オーナー 杉野暁子

現状

地震の影響で相次ぐキャンセル、公演の延期により、3月11日以降の予定は真っ白となりました。もちろん、キャンセル料など入ってくるはずもない上、仕入れ先のドリンク類の購入も制限され、不便且つ、厳しい状況が継続しています。そんな中、ルート14では、店を始めた当初に戻る営業へと移行しています。三ちゃん経営、夫、娘、私で営業する事もしばしばあります。以前からアットホームなライブハウスと言われているルート14ですが、よりこの雰囲気が増しております。また、チャリーティーライブの開催や、募金活動はもちろん、微力ながら、私達に出来る事を、ルート14に出演してくれるバンドマンの力を借りながら行っている日々です。ルート14は古いながらも、特に大きな被害もなく、地震に持ち堪える事ができました。これからをどう乗り切るのか、思案のしどころではありますが、日々前進しています。

 

メッセージ

生演奏(ライブ)を提供する事で、あなたが一瞬でも全てを忘れる事ができるのなら、私達は、これからも頑張って行きたいと思います。大量の電気を使用する事が幸せの瞬間を導いているのなら、決して非難をされる事ではないと信じています。被災をされた皆様の事を思えば、私達の苦労など、些細な事なのでしょう。ですから、皆様に負けない様、舞台芸術を極めたい! それだけです。

LIVE HOUSE enn / 店長 沼田慎介

現状

5月中旬現在、仙台ではコンサートホールの休館や大規模な補修、ライブハウスでは、老舗のマカナさんの入居しているビルの取り壊しなど、様々な被害が出ております。今年の6月で10周年を迎えるLIVE HOUSE ennも、未だビルの安全性の確認が取れていない為再開の目処が立っていない状態ですが、4月2日以降の開催可能な公演は昨年6月オープンしましたLIVE HOUSE enn 2nd、LIVE HOUSE enn 3rdの2店舗にて開催させて頂いております。enn 2nd 、enn 3rdは4月末以降、通常のペースで公演開催しており、今後も新たな公演、国内外の著名アーティストの出演なども決まってきております。

メッセージ

東日本大震災に際し、被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。ライブハウスはライブしたい時にライブする。見に行きたい時に見に行く。元々そういう場所だと思います。今後も皆さんご自身のペースでご出演・ご来店下さいますよう宜しくお願い致します。

水戸LIGHT HOUSE / 稲葉“178”茂

現状

「現在」だけで言えば、御心配頂きました多くの皆様のお蔭で全く問題無しです。心から感謝致します。有難うございました。茨城周辺も今はもう基本的に元気な様子にしか感じません。本当に良かったです。人間って強いです。とは言え、仕事が無くなってしまったり、農業・漁業で風評被害に遭われている方々も茨城には多く居るのも事実です。大変な事です。にも関わらず、元気な人に限って「元気下さい!」とか言っているのを聞くと残念です。それは頼り過ぎです。止めましょう。未だ「ヤバイ」とか言っている人も、気持ちは解りますが、東北の津波の被害を受けた地域に行けば口は塞がります。是非ボランティアへと思います。今回の出来事で人間同士の絆は更に深まったと思います。更に素敵な日本へ。今後も元気な人達で色々と大変な想いをされている方々を長く支援し続けたいと思います。

メッセージ

「普通」に「熱いこと」やり続けましょう。皆さん、茨城県に是非遊びに来て下さい!

郡山CLUB#9 / 店長 2913

現状

当店は大きな被害もなく、次の日でも音を出せる状態でした。また当時はスケジュールが移動したり中止になったりしてましたが現在はほぼ平常に戻りつつあります。と言うより「こんな時だからライブしたい」とか「こういう時こそ福島に行きたい」ってツアーバンドも多く、嬉しい限りです。しかしながら未だに終息が見えない原発問題…そしてそれに伴う風評被害。福島県はまだまだ戦わなければならない問題を沢山抱えています。それでもみんな前を向いて頑張っています。特に地元のバンドマンは超元気! こういう苦境こそチャンス! とばかりにライブ活動。音源制作などと以前にもまして活発です。今や世界に知れる名前 FUKUSHIMA これを逆手にとってもっと有名にしてやるぜ。

メッセージ

ぜひ郡山に来て下さい。そして街を見てください。いつでも皆さんをお迎え出来ます。東北で一番元気なのは「郡山」です。我々はここで暮らしています。ここで生活しています。私たちの元気をおわけしますよ!

club SONIC iwaki / 店長 三ヶ田 圭三

現状

現在いわきは、少しずつですが活気を取り戻しつつあり、営業を再開する店も増えてきました。もちろん津波被害をうけた海岸沿いは瓦礫の山といった場所もまだまだあるのですが…。遠方から来ていただいた方は被害の少ない市街地とダメージの大きい海岸沿いとの温度差をかなり感じるようです。SONICのあるいわき市平は原発による立ち入り禁止区域の入り口、といった位置にあり、(45kmくらい)その影響で一時期かなり人が減りました。営業も可能なのか、それすらわからないといった状況だったのですが、地元の人間の頑張りと、駆けつけてくれた全国のミュージシャン、プロモーター、お客様の最高のお力添えで今日も元気に営業しております!

メッセージ

今いわきは来る事に決心がいる場所だと思います。なので、もう少し落ちついたら是非遊びに来てください! 抵抗無く来れるようになった時期には、震災前以上に素晴らしいライブハウスになっているように頑張りたい、本気でそう考えています。よろしく!

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.1

日本ライブハウス協会理事長 / 横浜セブンスアベニュー代表取締役 / 椙江 茂起

自粛など、早期の復興のためには無意味!! 今こそいつも通りライブをしてギンギンに楽しもう!! それが被災地を助けることになるのだ。
都心の店舗は自粛や停電の影響で観客が集まらないほか、イベントのスポンサー企業が中止を決め、大半が毎日営業できていない。そんなことでは駄目だ! ライブハウスは音楽の最前線。堂々と普通に営業して、普段通りに皆さんに楽しんでもらわないといけない。被災していない地域はそうやって被災地を助けていくものなのだ。
このような時期だからこそ、不安を吹き飛ばし、存分に表現しようではないか。

3月11日金曜日、私は横浜中華街裏通りでこの地震に遭った。初めは横揺れ徐々に縦揺れとなり立っていられないぐらいの揺れだった。セブンスに戻ったら始まったばかりのリハーサルは中断、関係者は皆外に。幸い10年前の耐震工事が功を奏し、セブンスアベニューとしてはまったく被害は無しだ。しかし交通機関がすべて止まり11日12日のライブはやむなく中止。さてどうしよう? 『こんな状況でライブをやりたくない』と言うバンドからのメールも入る中、13日の朝になって私自身で決めたのが、ライブをやってやりまくろう!! だ。
PAは今までと同じに電力を使ったが、節電には照明や、以前から購入しているLEDライトを店内に灯し廊下やトイレの電気は半分にするなどして配慮した。この日の出演は憂歌団の木村充揮、彼のような出演者でライブを再開できたのも運がよかった。客も予想以上に集まってくれ、誰もが来て良かったと言ってくれた。
すべての人が人生の中でおそらく二度と経験しないこの時こそ、画家は絵を描け、舞踊家は踊れ、詩人は詩を書け、歌手は歌え、、、だ! 今自粛してどうする!? 今だからこそ、この空気の中でこそ! だ。周りを見回して~情勢を見て~なぁんてライブハウスの取る判断ではない。13日から店内に設置した募金箱にはどんどん金が貯まっていく、箱が一杯になって、一週間後には最初の募金ができた。これもライブをやらなければできなかった事だ、建物さえ無事ならば、余震を恐れずガンガンライブをするべきだ。そしてみんなで元気になろう。
計画停電(無計画経済停電!?)の影響。これはライブハウスも例外ではない。リハーサルから本番への毎日の流れが作れない、いきなり当日の朝言われても対処ができない、地震そのものよりこの計画停電が我々ライブハウスを圧迫している。こんな事でもしないと原発の損失分をまかないきれないというのがこの社会の情けない現実だ。
すでに他の業界団体とも連絡を取り合っているライブハウス協会としては、この本誌が皆さんの手に渡ってる頃には国に『計画停電の即中止、もし行うなら本当に計画的に』の申し入れをしているはずだ。
地震は天災だが震災は人災だ! そこのところを本誌の読者やライブハウスに関係するすべての人もよく考えるべきだ。たとえば義援金の行く先、チャリティイベントなんかをやったその先の話だ。復興なんとか財団とか復興ビジネスなぁンてのも出来ちゃって、そもそもちゃんと被災者のためになってるのか。ならライブハウスはライブをやって売上げ上げて、その中から直接寄付をする、これは募金とは別にライブハウスも会社としてやらなければならない事だ。
やがて個人にも会社にも税金って言う名の津波がやってくる。ライブハウスのほとんどはたいした税金を払っていない中小企業だが この津波に持って行かれる前に募金とは別に売り上げも被災地の人の役に立てよう。
たった今セブンスアベニューの3月分の電気代が出ましたが3割以上減、でした。原発なんてもういらないぜ!

仙台CLUB JUNK BOX / 代表取締役  / 工藤 浩明

復興のために必要なものは様々あるだろうが、やはり先立つものは資金。
利益が失われている中で、被災地の企業はつらい経営を余儀なくされている。

震災から約1カ月が過ぎようとしている。私たち仙台Club JUNKBOXのみならず、仙台の各企業・店舗はなんとか日常に復帰できるよう日々走り回っている。被害の大小や状況・業種などの違いによって、復帰できるまでにはそれぞれ差が出るだろうが、事業の継続を望む企業にとってはまさに正念場はこれからだ。

復興のために必要なものは様々あるだろうが、やはり先立つものは資金だ。そして修復を含めた一定の設備投資、さらに仕入れと続く。既に1カ月以上の時間、すなわち利益が失われている中で、被災地の企業はつらい経営を余儀なくされている。
今、おそらく多くの被災地の企業が直面している問題の中に、「リスクマネージメント」と言われる日本国中の企業が日常的に使っている単語がある。企業の本社機能が、被災地に対しての「出荷」「サービスの提供」「人員の派遣」、そして平常時であればなんの問題もなく実施していた「信用取引」。これら全般に関して数多くの企業が“リスク”を感じ、必要以上の保証や担保を要求し、さらには取引を行わない方向での社内決済が“リスク回避”という漠然としたベクトルの中で行われていると見受けられる。もちろん、各社の窓口担当者たちは誠意と情熱を持ってことにあたっていると信じるが、大企業の決済というものは人格を持たないものが一般である。
企業内でどのような議論がなされ、どのような経路で決済されているのかはあくまで想像の域を出ないが、現在仙台市内で復興を目指してなんとか頑張ろうとしている人たち、とりわけエンタテイメント系の方々にとって、強い向かい風が吹いているのを具体的に目の当たりにすると、涙が出てきて仕様が無いのである。ナーバスな問題なので固有名詞などは避けるが、「被災地でライブハウスなんて、この先、客なんて本当に入るのか?」「被災地向けに商品を送って、途中で地震にやられたりしたらだれが損害を補てんするのだ?」「被災地の興行なんて本当に売上回収できるのか?」「被災地に向けて出張など社員に命じられない」などなど、これらは実際に私や、私の仲間たちが実際に耳にした言葉である。
全く一理も二理もあることではあるが、これでは音楽産業の復興までには長い時間がかかりそうだ。無論音楽産業を、基幹産業やライフライン関連産業と同等に論ずるつもりもないし、多くの企業がリスクを顧みずに被災地仕向けとして様々なものを提供していることも承知の上だが、「現金しか信用しない」という商売の基本中の基本が、こんなところで顔を出しているような気がしてならない。義援金と商取引は全く違うのだ。

福島Out Line / ブッキング担当 阿部

現状

福島県福島市は震災直後は停電、断水があったものの、1週間~10日間でほぼ全域復旧されました。ただ、原子力発電所事故の一件は近隣地域はもちろんのこと、福島市でも不安な声は多く、県外への避難を始めている方も多いです。また、農業・畜産農家を本業とされている方も多く、風評被害や放射能による終わりの見えない問題への不安は日々、より現実的なものとして広がってきています。地元バンドはオリジナルで活動するバンドも増えてきていたのですが、この震災でそれぞれ生活を立て直さなくてはならなくなり、今後の活動が一旦白紙になってしまいました。今年高校に入ったばかりの新一年生などはこのような困難に負けることなく、楽器を購入して練習を始めています。

メッセージ

地震、津波の被害に遭われ、いまなお避難生活をされている方も多くいます。同じ震災を受けた中で、被害の少ない地域が元気に街を活性化し、その輪を被害の大きな地域へもつなげていければと考えています。様々な情報が溢れていますが、どうか真実を見極めて、皆様のご判断で福島や各被災地域へのご協力いただければと思います。

長野CLUB JUNK BOX / 店長 陣谷

現状

長野県も北部の栄村など被害が大きかったのですが、幸いにも長野市街地は被害が少なく、4月以降のスケジュールは変更の予定も無く、通常通り営業しています。長野県内の他のライブハウスやホールでのコンサートなども主だった影響は出ていないようです。当店でも募金箱の設置やチャリティーイベントなどの開催などを行なっているのでご協力をお願いします。

メッセージ

こんな時だからこそ、音楽の力を信じ少しでも前へ、前へ!!

高崎club FLEEZ / 店長 本多 裕和

現状

現在は通常通りの営業となっていますが、震災があった日から3週間くらいはライフライン(特に計画停電)の不安定により公演が「延期・中止」「開場・開演時間の変更」になる時がありました。それに伴い当店では可能な限り「節電」を心がけた最小限の電力にて営業を行っています。そして世の中が少しずつ動きを見せているのと並行して、群馬のアーティスト達もストリートライブの決行やチャリティーCDの作成、完全アンプラグドなチャリティーイベント「ひとりの手(下写真2点)」の開催などの動きも見受けられます。

メッセージ

東日本大震災の被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。「自分達で出来ることを何かしたい」このキーワードを持つ限り「音楽」という物は前向きである、そしてその志を持つ人達が身近にたくさんいる事を改めて日々感じています。

DRUNKARD’S STADIUM / 店長 森田 大介

現状

陽気な日差しを受けて春の訪れを感じさせていた3月11日の午後、出演バンドの面々が到着しリハーサルが始まった。エンジニアがキックの音をキメ始めホールには3月11日その日だけの音が広がっていた。もともと地震が多い日本なので揺れ始めてもあまり気にならなかったが、3秒でいつもと違うことは現場にいた誰もが感じただろう。今年の流行語大賞候補になりそうだがあえて使わせてもらうと「未曾有」とは、こういうことかと、今になって思う。ドランカーズスタジアムが入っているビル自体は地震の直接的な被害は無く出演者及びスタッフは全員無事で何よりだったがUSTREAMから流れる悲惨な状況を目の前にして公演の中止を決断した。駅前は色々な店舗から退避した人たちでごった返し、ワールドカップ開催時の渋谷かと勘違いするほどだった。電車が止まり徒歩で帰る人たちが沢山いたのは皆さんもご存知だろう。だんだん正確な情報が入ってくるにつれて公演の延期/中止が決まっていった。地震の影響なく公演が開催できたのは2週間後の3月26日となる。計画停電のアナウンスが始まると自粛ムード一色に染まった関東でライブをやることについて色々な意見がよせられたが、なにが正しいのか今は誰もわからないと思う。でも音楽が東日本大震災で被災した沢山の人へ直接的ではなくても何かしら力になるのであれば、亡くなられたかたのご冥福を祈るとともに生きて音楽を感じられる日々に感謝して絶賛爆音営業中。

メッセージ

今年の夏は電力不足でエアコンがつけられるか分かりません! 汗だくライブが予想されますので会場へお越しの際はタオル必須にて宜しくお願いします! 現在オリジナルうちわを検討中。アーンドオリジナルタオルもね!

府中Flight BOOKING MANAGER / 倉本 まきや

現状

多方面で多くの方に心配を頂いておりますが、府中Flightは施設または設備等はまず問題ありません。スタッフもケガも無く、無事です。現在は節電にも心がけながら営業を再開しております。

メッセージ

こういう時期がきっかけで、ライブハウス、そして音楽というものが人に与える力というのを改めて考えました。立ち上がれるアーティスト達と震災で疲れた人の心の復興を目指して、変わらず邁進していきます。そしてその笑顔が復興の為のエネルギーとなるはず! 乗り切っていきましょう!

鶴見TOPS / 統括マネージャー 立山 裕介

現状

今現在、CLUB TOP’Sでは奇跡的に通常通り(もちろん節電)営業させて頂けています! しかし地震が有った当初、沢山のイベントが延期、中止が有りました。CLUB TOP’Sは計画停電の区域に入らず、営業は可能な状態でした。しかしバンドマン自らの自粛、周りの目を気にしての自粛、非難されてやむ終えず自粛、色々です。中でも一番悲しかったのが、【こんな時にライブハウスは営業するのか?】と言う言葉。【こんな時だからこそ!】と思うのは音楽関係者だけなのかも知れませんが、不謹慎と非難の声。もちろん被災された方々に比べたら軽い悩みかもしれません。でも【ライブハウス】と言う、夢の有る場所の存在価値を考えさせられました。

メッセージ

こんな時だからデカイ音に踊りましょう! こんな時だからこそ沢山のメッセージを届けましょう! こんな時だから音楽の力を信じましょう! 【なんで今】と言われる事も有るかもしれません! でも今も先も僕たちにはコレしか無いんです! 音楽の力を信じましょう!

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