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怒の百十五 「驚きは、霧の彼方に」

どちらかと言えば、カラオケに行く方です。友達とも行くし、食事会のあと多人数で行くこともあります。よく歌うのは、嵐の数曲と昔のヒット曲。意外と他人から評判のいいのが、演歌です。森進一や前川清の歌を少し粘着質に歌いあげるのですが、それが聴く人の心を捉えるみたい。
「歌い方が、甘いね」
「エロっぽい歌い方がしびれます」
とか、よく言われます。調子に乗って何曲も歌ったりします。だから、音痴ではないのだと思います。インスタントラーメンを食べても、高級な寿司屋に行っても、この味は値段の割には美味しいとか美味しくないとかの判断が出来ますので、味音痴でもないと思います。運動は苦手なので、運動音痴だとは思います。自信を持って言うことではないのですが、方向音痴に関してはチャンピオンクラスだと思います。
もう、凄いです。新しい場所に行く時は、ほぼ100%迷います。しかも、生半端な迷い方ではないのです。昔、二見書房という出版社に行こうと護国寺で降りました。普通なら、徒歩数分で行ける距離です。尚かつ、駅前通り沿いにあるビルです。迷うはずない。僕は、そう思いました。通りを歩きながら、右手のビルに目を光らせました。見落とさないように、慎重に進みました。結論から言うと、数分で行けるとこに一時間以上かかりました。数分歩いても見あたらない。じゃあ、あと数分進もう――その繰り返しで、30分くらい歩いたのでした。当然、元の駅前に戻るのに同じ時間かかるわけです。スタートした場所で、ふと横を見ると、そのビルに「23」と書かれた看板が出てました。さっきも見かけたビルでした。気にもとめず、先に進みました。でも、一度戻った時、よくよく考えてみました。「23」? これって、「にじゅうさん」って読むのではなく、「ふたみ」って読むのでは? 「ふたみ」……つまり「二見」! そう、最初にスタートした場所にあったのが、二見書房だったのでした。
高校の時、友達の親がやっている工場でアルバイトしたことがあります。わずか3日で辞めたバイトでした。何故、短期間で辞めたのか? その理由は、方向音痴につきました。その工場は、自宅から2キロくらいのとこにあり、僕は自転車で通うようにしました。ものの数分で着く距離です。工場の玄関横に自転車をとめ、1日目のバイトが終了しました。僕は自転車に乗り、自宅へ帰ろうとしたのです。最初は、鼻歌まじりでペダルを漕いでいたのですが、数分たっても見覚えのある景色にならないのです。あれ、道に迷ったかなと思っていると、目の前が霧につつまれはじめました。その霧を抜けると、いきなりお城の石垣が現れました。それは、和歌山城の石垣でした。僕は、自宅に帰ろうとして、実は逆方向に自転車を走らせていたのでした。和歌山城から、自宅までは、一時間以上かかりました。なんで、反対方向に来たんだろう? 僕は、首を傾げつつ、汗だくになって自宅へと辿りついたのでした。
次の日。僕は、工場の玄関横に自転車をとめながら、今日は絶対に間違わないぞとの決心をしました。昨日のような苦労は、二度としたくなかったのです。バイトが終わり、工場前の道を確認しました。朝、こっちの道から来たのだから、そこを戻って行けばいい。
僕は、来た時に目にした公園や団地を目印にしながら、自宅への道を急いだのでした。途中まで、いい感じで進んでいたのです。ある瞬間、ハッとしました。目の前に、霧が立ちこめていたのです。その霧を抜けると……! ああ、またしても、石垣が目に飛び込んで来たのです。それは、和歌山城の石垣でした。襲いかかる絶望感。深いため息をつきながら、僕は、重い足取りで、自転車を自宅に向けて走らせたのでした。
3日目。僕は、ある秘策を考えつきました。工場の玄関に着いた時、来た道の方に自転車のハンドルを向けておくというものでした。これなら、間違うはずないのです。僕は、安心してバイトに精を出しました。やがて、夕方になり、バイトが終わる。僕は、玄関に来ました。
自転車は、そのハンドルを自宅側に向け、主の到着を待っていました。僕は、やおら自転車に乗り、ハンドルの示す方へと、ペダルを踏みしめたのでした。今回は、鼻歌も出ず、ひたすら前を見続けました。もし、少しでもおかしいことがあれば、微調整出来るようにです。見慣れた道。あの橋も渡りました。あのスーパーもありました。そう、あの四つ筋を曲がると、自宅近くの歩道に出くわすはずでした。曲がりました。目の前に、霧がありました。霧の向こうに朧ながら天守閣の屋根が見えました。和歌山城! 帰るのに、一時間! 僕は、泣いているような、それでいて笑っているような、奇妙な表情でペダルを漕ぎながら、バイトを辞める決心をしていました。

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