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~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.11

ANCHOR / 三浦 健太郎(G./Vo.)

http://www.anchor-rock.com/

あの日からもうすぐ1年。
今僕らが出来ること、僕らがやるべきこと。

あの日僕らはミニアルバムのツアー中で北海道にいました。苫小牧港から大洗へ向かう筈だったフェリーに乗る為、車を走らせていた最中でした。フェリーターミナルのテレビがあるロビーで観た、ニュースで流れる壮絶な映像。よくよく観るとその場所が自身の故郷石巻だった時の衝撃は今もよく覚えています。

家族全員の安否が知れるまでは5日を要し、ようやく東京に帰ってきてからも普段の日常からは想像もできなかった日々が続きました。家族や役所勤めの友人とまともに連絡が取れるようになり、今欲している物をまとめてバンドHPにて支援物資の募集をしたところ、有り難いことに全国の方々から沢山の物資が届きました。東北自動車道の再開通とともに地元に…というか家族や友達のもとへ車を走らせました。あの当時、あてもなく物資を配るのはメンバーとの話し合いで自重しました。“とにかく家族と友達が欲しているものを集めて持って行こう、まず近くの人達の手助けをしよう”と。そこで初めて目にする見慣れた地元の光景は想像以上のものでした。当時ニュースでよく取り上げられていた、石巻市大川小学校に子ども2人が通っていた同級生と、その子ども達の訃報。親戚の訃報。変わり果てた町並み。目にするもの、耳にするもの全て現実とは思えない惨状でした。
少しずつ普段の日常が戻り始めた東京での生活の中、3/11の直前当時の仙台MACANAでツアーをサポートして頂いたBa.ヤマケンさんと「僕達に何が出来るのか?」という話になり、「石巻でライブがしたい。純粋に楽しんでもらえるような日を作りたいです」と僕は話しました。そして各方面の方々が力を貸してくださり、7/9に僕の実家からすぐの場所にある同級生が営む居酒屋の駐車場で“LANDMARK FESTIVAL ISHINOMAKI2011”という小さな(僕らにとっては大きな)野外フェスティバルを開催しました。「地元は良いところだから来てみてよ」という単純なコンセプトを立て、地元の商工会、地元住民や友人に協力を求めて、東京から全ての音響機材と協力してくれた人材(新宿Nine Spices、新宿ANTIKNOCK、南柏ドランカーズスタジアムからのPA陣)と共に、売れてない(笑)僕らのようなバンドの声に磯部さん(HUSKING BEE/磯部正文BAND)始め、様々な人間や周りの最高なバンド達、ボランティアの学生さん達が協賛してくれました(僕らはHUSKING BEEに憧れてANCHORというバンド名を名乗ってます)。震災で傷つき「被災地」と呼ばれるようになってしまった僕の地元で、お年寄り含む地元の方々が沢山集まり、震災うんぬんという言葉は無しの素敵な1日を過ごすことができました。この“LANDMARK FESTIVAL ISHINOMAKI”は、今年も開催したいと思っております。僕が生まれた街はとても素敵な場所なので皆様是非一度来てみてください。

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SNAIL RAMP / TAKEMURA(Vo./Ba.)

Twitterアカウント TAKEMURAAKIRA
http://sbrecs.com/snail/

そして俺達は被曝してしまった。

東日本大震災発生後、SNAIL RAMPは物資支援・チャリティライブ等いくつかの形で支援を行いました。その様子はSNAIL RAMPのHP内ブログ(2011年3月~4月分)を参照頂くとして、本原稿では個人的な所感を主としております。

3/11、あの日は多くの人生を変えてしまった日だった。次々に明らかになる被害の全容。本当に呆然として言葉が出なかった。現地の困窮ぶりが明らかになってからは「何かしなくちゃ!」と思ったが、地震直後に高速道路は封鎖。物資を運び込もうにも適切なルートが見付けられないまま、日は過ぎて行く。警察で高速の通行許可を取ろうにも「現地からの支援要請が正式な文書で無いと許可できない」とあしらわれ、「正式な文書とは?」との問いかけにも「とにかく正式な文書です」との冷たい返事。3月下旬からは東京でも避難受け入れが始まった為に、そこでのニーズがあるはずと思い行動するが、そこの都職員も「被災者のニーズを訊いた事は無いし、これからも訊く予定は無い」と極めて冷たい対応。愕然とした所へ「支援物資を積んだ公式救援車両が、放射線を畏れて福島へ行かずにUターン」のニュース。憤りを持って受け止めた人も多いニュースだったが、その運転手を責める事は出来ない。誰だって命は惜しいのだ。ただ「だったら俺が行く」と決めた。地震、津波、放射線と度重なる被害を受け苦しんでいる人達を思うと、ただただ胸が苦しかったんだ。そして南相馬市、相馬市への物資支援を決定。避難先である学校や災害対策本部に直接連絡を取った。協力を呼びかけたら東京どころか全国規模で物資が届き、たちまち山となった。それを2tトラックに積み込み、現地へと向う。福島市、相馬市、南相馬市と原発に近づくにつれ人は少なくなり、やがて誰もいなくなった。あの不気味さは忘れられない。誰もいない街。聴こえるのは“ヒュー”という風の音だけ。そして…、俺達は被曝してしまった。有り得ない程の異常な喉・口内の乾きと喉の痛み。その時はすぐ気付けなかったが低線量被曝による急性症状が出ていたのだ。現地で活動したのは、ほんの数時間。それでも確実に身体は放射線に蝕まれていた。それでも政府は「影響は無い」と。枝野氏が現地入りした時も迎える側は普通の服だったが、彼だけは宇宙服のような防護服・マスクを着けた完全防備。政府はそこがどれだけ危険な地域なのか分かっていたのだ。俺は左翼でもエコロジストでも無く、特定の信仰宗教も持たない位の人間だ。ただ、現地で思った。
「こんなんになるなら原発はいらない」。

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渋谷club乙-kinoto- / 店長 じゃいあん

http://kinoto.jp/

執筆者プロフィール
秋田市出身。英語通訳翻訳もやってます。ジャンル問わず熱い音をもっと沢山の人に聴いてもらいたいと思いつつ、渋谷で一番渋谷っぽくない人間臭いハコ目指して日々わいわいやってます。

現状

3/11当日、店内は無傷で被害はほぼ皆無でした。都内の電車網は全て停止してしまった為、路面階にあるDESEOと一緒に店内を開放し、帰れない方の為に鍋やお菓子、ドリンクを振舞ったりして出勤したスタッフ全員で朝まで一緒にいました。3、4日ほどはイベントがキャンセルになりましたが、基本自粛はせず電力不足の為に音量や照明など工夫をし、また翌週のチケット売上を全て寄付する形で再始動できました。それ以降、特に大きなキャンセルもなく通常営業を続けられています。

メッセージ

乙の元スタッフ、MEANINGのHAYATOが個人でTシャツを販売し、募金や物資を持って東北へ向かいました。物資の集積所として事務所を貸したのですが、毎日暖かい手紙と共に日本全国から物資が大量に届いて驚きました。現地を知りながら、冷静かつ熱い気持ちのこもった彼のブログを読むと、本当に考えさせられます。是非皆さんにも読んでもらえたら嬉しいです。http://www.meaning666.com/blog/
また、仙台出身のスタッフは地震当日から大変辛そうでした。この事が及ぼした影響は精神的にも非常に大きく、様々な現実が未だに濁った澱のように皆の心の底に淀んでいます。何が出来るのか考え、調べ、自分の意見をしっかり持ち、小さくても少しずつ行動を起こしていく事が大事だと思います。彼女は現在仙台MACANAさんで働いており、HAYATOと共に物資を配ったりと活動していて元気そうです。本当に良かった。地震直後の僕がそうであったように、ライブハウスで鳴っている音は皆の心を元気にする力を持っていると思います。いつまでも音楽が鳴り止まない場所であるために、皆でしっかりと一歩ずつ今年も頑張っていきます。

Live House & Live Bar 古河Spider / 店長 菅谷 純

http://www.live-spider.com/

執筆者プロフィール

古河Spider店長。スパイダーと共に7年目突入。皆さんよろしく!!!

現状

東日本大震災が発生した3/11は、当店はアコースティックイベントを予定しておりましたが、主催者と地震の影響を考慮し、中止致しました。震災による影響は、エントランスの天井に穴が空いた程度で、他に目立った支障はなくスタッフも皆無事でした。その後の営業スケジュールは、キャンセルもあって予定の公演を3/22まで自粛致しました。地震発生後初めて開催したイベントは、地元の高校生達による卒業イベントでした。今までと変わらない高校生達の笑顔や、楽しんでいる姿、頑張っている姿などを見て、私達スタッフも元気を貰いました。
スタッフみんなで話し合った結果、ライブハウスとして出来る限りの事をしようと決め、義援金の寄付活動や、出演者やお客様からの協力で集めさせて頂いた支援物資を古河市へ寄付致しました。間もなく地震発生から1年が経ちますが、これからも古河Spiderは変わらず音楽シーンの活性化をお手伝いすると共に、音楽を通して被災地へ元気を届けたいと考えてます!

メッセージ

おかげさまで、スパイダーは今年で7周年を迎えました。古河は、意外と遠いイメージもありますが、東京から約1時間。初めての方でも楽しめるアットホームな空間作りを日々努力しています。是非お気軽にお客さんもバンドさんも遊びに来てください。

八王子Match Vox / ブッキングマネージャー 奥 泰正

http://matchvox.rinky.info/

執筆者プロフィール

八王子Match Voxのブッキングマネージャー。THE WELL WELLSってバンドもやっています。

現状

まず、この度の東日本大震災により被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。八王子の現状は、1年経った現在は震災前とあまり変わらず営業させて頂いております。当日、震災自体でハコの内部への直接的な被害はなく、最後までライブは行ったようです。自分自身はレコーディング中だったためパソコンを死守し、外に出てみると電柱がぐらぐら揺れていた事と、散髪している人がそのまま出てきた姿が印象的でした。3月は学生の卒業ライブシーズンという事で、「どうしてもやりたい!」という企画者様にはイベントを行って頂きましたが、当日集まってみたら部員さんの母親から抗議の電話があり、結局ライブが中止にという事態もありました。
電気を使うライブという行為だけでなく、音楽自体に対するバッシングもありましたが、「やれる場所があるんだから、救われる人が一人でもいるなら何かやろう」と思い、キャンセルになった日にはアンプラグドライブを行い、音楽の力を再確認しました。そのイベントは現在も義援金を集めながら続けています。そしてこれからも続けていく予定です。

メッセージ

2011年はみんながたくさんの事を考えた1年だったと思います。その中でまだ音楽が必要だと思っている皆さん。自分の音楽が誰かに必要だと思う皆さん。僕らにはあなた方が必要です。是非八王子三崎町、ヨーロービルの地下、マッチボックスへ遊びに来て下さい。

浅草KURAWOOD / 店長 金成香代子

http://kurawood.jp/

執筆者プロフィール

浅草KURAWOODの店長。2005年に入社(当時は受付)。

現状

震災発生から早1年が経とうとしています。都内ライブハウスである当店の現状としては「いつも通り」に戻っています。
震災による物理的なダメージはなく、計画停電の影響もありませんでしたが、震災発生直後は出演キャンセルが続き、お店を開ける事をためらった時期がありました。しかし“まずは人が集まって元気になれる場所、そして考えを発信できる場所、交流できる場所にしよう。出来る事から始めよう”と考えての営業でした。店の近隣では東京スカイツリーが地震直後に完成したというのも、やるだけの事をやらなければ、という気持ちにさせてくれました。
何かを真剣に考え、発信しようとするアーティストを応援していき、そしてそれを見るお客様にもいい時間を過ごしてもらいたい。それがいいエネルギーとなって循環していくようにするのが、ライブハウスの役割ではないかと考えて日々営業をしています。

メッセージ

こんな時こそ、こんな時だから、人が繋がる為の音楽や文化が生まれて、困難を乗り越えていけるものではないかと考えています。ライブハウスはそんな文化が生まれるところだと思いますので、是非足を運んでほしいです。ライブハウスから日本を元気にしていきましょう!

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