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~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.16

バンダレコード 福島西道路店 / 店長 飛田旅人

東京出身、東北2年生。震災を通し、人間的に成長をできた自分。
お世話なった方々や福島、地元シーンに、微力ながら貢献、恩返しをしたい!!
店舗スタッフが自分に「いつもの地震と様子が違うから」と、お客様を含め、避難の誘導を始めた直後のことだった。

はじめまして。福島県で一番、大きな声を出してるCDショップ店員です!!
自分の今の思いはありきたり? そう思っていただいて構いません。

震災後の“苦しみ”、“絆”? どっかで聞いた話?
いいんです。だってそれが僕を成長させてくれたのは本当のことなので!!

でもいつも五月蝿いと思っていらっしゃるお客様、スミマセン…。

Message

あの日、とても現実とは思えない光景に只ただ震えていた。直後の雪は、今でも憶えている。

震災の直後、自分はスタッフの安否確認をすることに。使命感というより、何かをしてないと不安と恐怖に押し殺されそうだった。コンビニの公衆電話を利用してスタッフと連絡を取った。その横では人々が早くも列を作り食料、水を買い求めていた。それが一層の恐怖を煽った。このまま日本がなくなってしまう気がした。その後、ライフラインが全て停止した自宅を抜け、彼女の実家に避難させていただき、報道を見て初めて悲惨な状況を知り、愕然とした。

そんな中、次の日から復旧にむけて動き始め、3/18には福島店の営業を再開。イオン福島店も動き始めた。不安は残る中、スタッフが一丸となり前を向くことができた。困難に立ち向かう際の強烈なリーダーシップは、自分の記憶に強く刻まれた。その後、仙台泉大沢店の復旧、再オープンをすることができ、東北店舗の全てが出揃った。この時の復旧過程において前を向いて実行できたことは、人として“行動力”を成長させる大きなきっかけになった。東北に新規出店も果たした。盛岡店だ。タイトなスケジュールで1からの店舗作り、ハードな業務の中でも関係各所に協力を賜りながら、全員一丸で取り組むことができた。ただただ嬉しかったし、楽しかった。昆野店長という新しい仲間もでき、今こうしてこの誌面に掲載してもらえている。

“絆”。ただの言葉ですが、自分にとっては“宝物”です。人に助けられ、協力し合い、感謝して生きる。この困難が自分を成長させてくれたのは事実です。ただ目の前のことを行っていただけですが、必ずこの経験、成長が取り巻く環境に役に立つはずだと思います。

今回の震災で多くの方々が大切な何かを失った。今もここ福島においては、原発問題が様々な苦しみを与え続けている。自分は福島県で一番大きな声でお客様に挨拶している自負がある。東北2年生…日は浅いが福島でお世話になり、成長させてもらい、大切なものもできた。街のいちCDショップ店員に過ぎない自分は、直接的には苦しんでいる方の力になれませんが、仕事を通して少しでも前を向くきっかけや、楽しみを作っていただけたら嬉しいです。
9月で東北3年生。今後は大きな声で外にも発信していきます。微力ながら、“地元・東北、福島”を精一杯盛り上げていきたいです。今後のバンダレコード、飛田にご期待ください。


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ムスリムホット Vo.バム

http://k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/musurimuhot69/

現状報告というよりは実体験を語るような感じになってしまった。伝えることはこれほどまで難しいのだ。地元のメディアでは、まだ震災の報道はあるが、チャンネルを変えたら別世界が広がっている。

再生ボタンを押した。流れたのはザ・ハイロウズの「青春」だった。おれは“ここだ!”とジャンプをかます。精一杯、何回も跳んでみた。これが、おれの出した答えかもしれない。この時、おれはまた音楽をやりたいと心から願って、できる日までこうしてジャンプをすればいいと思っていた。このジャンプが、少しずつおれの日常を変えていって、こうして仙台から全国へ足を伸ばせている。あのジャンプは決して無駄なことではなかったんだ。

Message

あの暗闇は忘れもしない。3月11日の夜は、いっこうに地は揺れたまま、まるで、空襲を受けたような感覚だった。ちょうど先日、祖父母から仙台空襲の話を聞いたばかりだった。渡された冊子の文中にある“悲鳴と怒号の嵐”とはまさにこのことだ。全ての信号機も落ち、さ迷い歩く人々、おれもその一人だった。

震災の前日、発売間近に迫ったニューシングルの最後の仕上げ作業に取り掛かっていた。Ba.渡邊了英と朝まで「アンダーグラウンドザワールド」の声録りを、車の中で行っていた。天地がひっくり返るほどの叫び声をおれは出していたような気がする。

そして、地震が起こる。ヒステリックになりそうだった母親を抱え、外に出てみる。全ての建物が大きく揺れ、隕石でも衝突したのかと思った。水道管は破裂し、水が噴き出していた。いち早く小学生の弟たちを迎えにいき、小学校に避難した。

悪夢だった。深沼海岸に200人の死体があがったなど、嘘みたいだった。避難所は不安で充満し、おれは耐えきれず外に出た。今までみたことがないくらい星がたくさん散らばっていた。一瞬、これはきっと星になっちまった人達なんだろなと考えてしまったくらい。

どうしようもなく充電がぎりぎりのiPodを手にとり、再生ボタンを押した。流れたのはザ・ハイロウズの「青春」だった。真夜中一人でおれは“ここだ!”とジャンプをかます。何回も跳んでみた。精一杯のジャンプをかました。
地震がおさまることはなかった。なんだかんだ5日ほどは地元の小学校に避難していた。

次の日だったろうか、俺の家は山のほうにあって、局地的な大雪が降った。何度も転びながら、マウンテンバイクで米(確か10㎏以上はあった)を実家に運んだ。いつもなら絶対に話さないであろう地元の方々と話して、情報は共有するようにしていた。そうじゃなきゃ、やっていけなかったんだ。

3日後くらいには、従兄弟(彼も仙台空港近くに会社があり、津波から死に物狂いでギリギリ逃げてきた)と仙台駅を見に行った。建物のガラスは落ち、あらゆる街のシンボルが無惨に倒れていた。帰り際、コンビニでアイスを買った、「中身はぐちゃぐちゃですがよろしいですか?」こんな状況でそんな言葉をくれる店員には参った。もし、おれだったら…そんな気配りはできなかったと思う。

地元だけに、海岸の被災地に行くのが億劫になる。1ヶ月を過ぎたころ、ようやく閖上には行ってみたが、東京からきたおじさんが写真を撮りながら笑っていた。「すげえなあ」とか言って、おれは茶化されたような気がして、憤りを感じてその場をすぐに去った。そんなもんなんだろう。

おれはこの実情を言葉にしろと言われたら、一生かかるかもしれない。はっきり言って、わかるわけねえんだ。おれのボキャブラリー的にも限界はある。震災の話も煙たがれることもある。せめて、何かを伝えるとしたらCDの曲だろう。これは、紛れもなく震災後に作られた曲だったのもあるからね。

諸田 祐希 / KLUB COUNTER ACTION 宮古 web担当

執筆者プロフィール

KLUB COUNTER ACTION 宮古 土下座担当

http://counter-action-miyako.com

現状

ライブPAチームSPC peek performanceが中心となり地元の仲間と協力し、被災地の復興に向け東北沿岸地域3カ所(宮古、大船渡、石巻)にライブハウスを設立するプロジェクト【東北ライブハウス大作戦】の旗の下、震災後精力的に復興支援活動していただいたSLANGのKO氏が経営するKLUB COUNTER ACTIONの暖簾分けとしてKLUB COUNTER ACTION 宮古が建設されることとなりました。

全国の皆さんの支援のおかげで宮古市の復興も進み、今では少しずつ街に活気が戻ってきています。
現在建設中のKLUB COUNTER ACTION 宮古は、震災によって被害を受けた場所に新築のライブハウスを建設しています。着工までには、震災によって緩んでしまった地盤を固めるための杭打ちや、もともとあった住宅の基礎を壊す所からのスタートで思う様に進まず、歯がゆい思いをしたこともありましたが、現在では8月14日にプレオープンも決定し、オープンに向け、スタッフ一丸となって頑張っています。

Message

全国の皆さん、ライブハウス関係者の皆さんのご支援、ご協力のおかげで、震災からわずか一年半あまりでライブハウスを作ることができました。皆さんからいただいた元気を三倍にして返せるように、楽しんでいただけるライブやイベントを企画していきたいと思っておりますので、是非宮古に遊びに来ていたければ嬉しいです。これからもKLUB COUNTER ACTION 宮古を宜しくお願いします!

池尾 真 / CLUB GOODMAN店長

昨年8月店長就任、以前は音響主任として勤務。オープンから残っている唯一のスタッフでもあります。若輩者ではありますが、周りの人たちにちょこちょこ迷惑をかけながら頑張ってます!

http://clubgoodman.com/

現状

昨年の3月11日に被災された皆様、大切な方をなくされた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

あの日私は仕事が休みで、家で一人、ボーっとしていました。突然の揺れに驚き、状況を把握しようとあせり、外出していた家族と連絡をとろうと必死になっていたことを覚えています。

グッドマンではスタッフが対応に追われ何日かは帰らずに帰宅難民の方に休憩所としてお店をあけていました。夏には福島復興支援の為のイベント“プロジェクトFUKUSHIMA”がグッドマンでも開催され、非常に内容の濃いイベントになりスタッフともども色々なことを考ました。原発の問題で、この先の人生を考え引越をして解散してしまうバンドもいました。

今も問題は山積みで、糞みたいなやつらに下駄を預けるような世の中ではありますが、震災以降私の周りでも色々な方々が声を上げ、行動に移して頑張っています。私たちライブハウスが出来ることは限られているかもしれませんが、このままでいいと思わずに行動している方々の応援になるよう秋葉原の片隅ではありますが音を鳴らし続けて生きたいと思います。

Message

今年で16周年をおかげさまで迎えました。ありきたりではありますが、これもひとえに出演者、お客様のおかげです。地域がら(?)幅広いイベントを毎日送ってます、是非遊びに来てください!! 意外と知らない方も多いのですが、グッドマンは池部楽器のライブハウスです。楽器のご相談にものれますよ~!

 

山口高明 / 鹿鳴館 取締役支配人

1987年にアルバイトとして入社。
同年8月より正社員として入社。
音響、照明、ブッカー、掃除もこなすなんでも屋として勤続26年。

http://www.rockmaykan.com/

現状

震災当時を振り返りますと、まず、ライブハウスの役目を再検討した事を思い出します。

鹿鳴館も当日の公演は中止、3月下旬までの予定は例外なしに全て延期等の処置を取りました。

金銭的にシビアな面もありましたが、この時期だからこそ求められること、優先すべきことを検討し、月並みではありますが、まずはチャリティーイベントの開催を経て、お客様や周辺の店舗等の理解も得て、ようやく節電をしながらではありますが従来通りの営業を再開するのには数ヶ月掛かりました。

出演者の方々の中には現在も『復興支援』を“売名”や“ビジネス”にすることなく、熱く支援活動を続けている人達もおります。

ライブハウスという娯楽施設だからこそ、実現可能な支援がまだまだあると、微力ながら支援しております。

Message

鹿鳴館は御陰様で今年で32周年です。
これまで、“ジャパメタの聖地”、“ヴィジュアル系の登竜門”等と様々な表現で親しまれてきました。

今後は、ジャパメタやV系以外のジャンルのお力も借り、幅広い意味でダイヤモンドの原石が潜む箱として精進していきます。今年に入り、代名詞的存在であった場内の座席を取り外し、ムービングライトも導入する等、出演者やお客様に楽しんでいただける環境作りを目指しておりますので、今後とも宜しくお願い致します。

藤原 泰宏 / 浜松FORCE 店長

兵庫県出身、静岡県育ち。浜松の音楽シーンを見続けて15年目になります。この街が奏でる音楽が好きでしょうがないです。浜松、今キテますよ!

http://www.questmusic.co.jp/force

現状

震災直後に発足した地元アーティストによるチャリティイベント“H.B.C.-ハママツバンドチャリティ-”を最低3年間は毎月必ず続ける約束のもと入場料、出演料無料で毎月第一金曜日に提供しています。毎回欠かさず来てくれるお客さんも大勢います。

震災翌日3/12に仙台出身のアーティストが気が気ではない状況にも関わらず浜松公演が決まっていたためイベントに参加して下さいました。
その方は『SUPPORT THE UNDERGROUND』という支援団体の代表で現在も東北で活動しています。東北の方々を人対人で支援するこの団体の活動に役立てていただくため“H.B.C.”は協力することにしています。

地震に対する備えも含めてこれからもこのイベントが続いていけるようライブハウスとしてできることを協力していきます。

Message

最近、十代の音楽に対する感性から今までとは違う何かをいい意味で感じています。ただの原点回帰ではなく彼らにしかできない解釈で、我々に届けてくれます。何っぽいではなく独特なのです。これは新しい音楽が産まれ始めている素晴らしい瞬間です。数年後の音楽シーンがどう変化しているかワクワクしますね。

 

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