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~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.23

サテンドール2000 岡崎恭次郎

DSCN0169http://satindoll2000.com/

東日本大震災から早2年が経とうとしておりますが、福島、宮城、岩手三県の復興が進んでいるか? と言えば甚だ疑問が残ります。

そんな中で、「音楽関係者(中でも演奏者たち)の元気が目立ちました」。それを「空元気」と観るのも間違いではないでしょう。しかし、あの時点で「空(から)」でない「元気」なんて何処にあったか? 知っている人がいたら教えてください。

私は「音楽好きはバカだからめげないんだ!」と言って歩きましたが、あながち間違いだとは思っておりません。

音楽の緒元は「労働讃歌」「祝祭の唄」「叙事詩」等々だと思うのです。

労働の辛さを声を掛け合うことで和らげ、共に収穫の喜びを分かち合い、逝くものを悲しみ、八百万の神に感謝し…。

仙台からデビューした「ザ・ジケンズ」というバンドがいるそうです。

若い時から知っています。

あのバカさ加減は若いから? ロックンロールだから?

そのメンバーには遂先頃結婚し、子供が生まれた者もおります。

でも彼らはとんでもない経験をしました。
震災に揺れ、何処かで知り合いが命を落とし、住む家を失い、仕事を失い、失意のどん底にいる仲間をもっています。

音楽に本当に力があるとしたら?

それは演奏者の中にもあるが、それを受け止めるリスナーの中にあるのです。

リスナーのいない音楽なんて、無いにも等しいのです。

大晦日、紅白歌合戦の「よいとまけの唄」美輪明宏さんの歴史に残る名唱です。

そして、「阪神大震災」から18年を迎えます。

私たちは忘れてはいけないことの真っただ中にいます。

これからの若者が作り続けるであろう「音楽」。
その中に「普遍」を獲得できるミュージシャンが生まれることを願ってやみません。

私達老人はそんな若者達のサポートができれば満足です。

でも努力しない若者は遠慮なく「罵倒」させてもらいます。

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 Meteoric Swarm(メテオリック スウォーム) Vo./G.矢野雅哉

184_meteo_Ahttp://nanos.jp/meteori9swarm/page/4/

2011.3.11。地震。津波。原発事故。
コミュニティの分断。見えない恐怖。
福島県出身バンドマン。想い、歌い、繋ぐ。

福島県双葉郡浪江町。温暖な気候と、海・川・山に囲まれた自然豊かな町。あの日からみんな離れ離れになってしまった、時が止まってしまった故郷を想う。とにかく家族の無事を祈った。それしかできなかった。他には何もできなかった。

そのとき自分は、都内のビル11階の職場にいた。大きな揺れに襲われ、東北が震源と知り、家族のことが頭をよぎりながらも、必死にお客さんの対応にあたった。一段落した頃、テレビに写った映像に言葉を失った。家族に連絡するも繋がらない。とにかくネットとテレビで情報を集めた。その日は連絡が取れなかった。
実家の本震による被害はそれほど大きくなく、両親は一晩を過ごした。12日の原発事故による避難指示で、津島地区赤宇木の避難所へ。ご存知の方もいるかもしれないが、後に公表されたSPEEDIで、最も放射線量が高いとされた地域。知らされずに避難していた。13日深夜に初めて母からメールの返信。「大変なことになったね。心配かけてごめんね。今、避難所にいます」。状況はどんどん深刻化し、15日には二本松市に避難。埼玉への移動を決めていたが、別の避難所にいる親戚を探す必要があった。偶然会った父の会社の取引業者の方が一緒に避難所を回ってくれたり、関西の親戚がガソリンを届けてくれて、車と新幹線でそれぞれ埼玉へ。17日、東京駅まで母と祖父を迎えに行った。母は疲れた顔をしていて、祖父は馴染みの作業服を捨てて小綺麗な格好をしていた。
あの瞬間を一生忘れない。経験したことのない安堵と不安。覚悟を決めた。自分にできることをやろうと誓った。家族は、“人”の力に何度も救われたと話してくれた。自分もメンバーや友人、お世話になっている方の存在に救われている。
震災から半年後と1年半後の9月に一時帰宅をした。誰もいない町。変わり果てた我が家。伸びきった雑草。3.11の新聞。残された洗濯物。それでも浪江町の花“コスモス”は咲いていた。
今も家族は都内で避難生活を送っている。地元の人達は離れ離れ。見えない恐怖。風評被害。強制避難。自主避難。避難できない人。それぞれの想い、事情があることを知ってほしい。
震災から2年を前に、3/10@新宿ACBにて「DIVE福島」の協力によりイベントを開催する。福島出身アーティスト、名産品、トーク等、東京―福島〜全国へ、今できること。福島を知ってもらいたい。笑顔を届けたい。
皆さんの故郷はどんなところですか? 自分は簡単には帰れなくなってしまったけれど、故郷を想い、何ができるか考えるのはいいことだ。大切な場所に、大切な人達がいる。それは当たり前のことじゃないと気付かされた。音楽によって生まれる繋がりの力を信じて生きていく。諦めない。福島は負けない。

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