音楽メディア・フリーマガジン

怒の百十七 「久しぶりに、京橋を歩いてみた」

おかげさまで、去年の暮れに出版した書き下ろし小説『ウルトラマンの墓参り』が好評である。特にこの作品のクライマックスを気に入ってくれた方が多く、「凄かった」「面白かった」「感動した」という感想が多数寄せられ、作者冥利につきている。で、そのクライマックスの舞台になっているのが、大阪の京橋なのである。もちろん、それは計算ずく。もともと京橋は、僕にとって馴染みの場所だったからリアル感を持ちながら執筆できたわけだ。学生時代から転々と引っ越しを繰り返した僕は、京橋にほど近い蒲生四丁目に落ち着いた。26歳くらいだったと思う。
その頃の僕は、仕事らしい仕事をしたことがなく、昼間から京橋に出かけてはパチンコ屋に入り浸る自堕落な生活をしていた。勝っても負けても、帰り道に商店街の飲み屋に寄り、ビールをやりながらの夕食が常だった。京橋のよさは、そんな落ちこぼれを優しく包んでくれるところである。学生ややくざや仕事にあぶれた労務者が昼日中からうろついていても後ろ指を刺されない町。懐かしさと癒しが混然一体となった「場所」だったのだ。
『ウルトラマンの墓参り』という作品は、基本的に僕の青春時代がお話しの骨子になっている。主人公の夏木祐太朗が、和歌山市から大阪に出て来るのが、20歳の時。僕と一緒である。バイトを断られるのも、怪しい玩具を子供に売りつけるのも、僕が現実に体験したことである。祐太朗と同じく、美章園という天王寺から一駅のところで下宿をしていたし、そこでいろんな人との出会いがあった。現実の僕は、その後、千里山、下新庄、長居、京都、香里園と居所を変え、蒲生で落ち着く。そして京橋でのパチンコの日々が始まったわけだが、その時の経験が『ウル墓』の後半部分に活かされているのである。
ついこの前、ふと思いついて京橋をフラリと歩いてみた。蒲生から桜小橋へ。左に折れて、線路の手前まで歩きそこを右に。左手の神殿の廃墟みたいなオブジェがある辺りが、祐太朗と浅黄智也が深夜の特訓をしたとこである。もうひとつ手前の道を入ると、『世界の怪物怪獣大全集』を見つけた古本屋の「山内書店」があるし、祐太朗と地元のチンピラが決闘した空き地もある。JRの京橋駅に向かって歩くと、パチンコ屋が何軒かあり、このどこかで祐太朗が店員のアルバイトをすることになったのだ。ちなみに、僕が当時通っていた店は無くなっていた。その頃の主流は、デジタルではなく、アナログの一発台というものだった。しかるべき穴に、玉が入ると、しかるべき役モノが開き出玉が止まらなくなるというやつ。僕は、これにはまってしまったのだ。
「カツ一」の屋号の居酒屋を探したが、それも見当たらなかった。看板に大きく「カツ」と謳っているのに、トンカツも串カツもカツ丼も置いてない店で、そこの主人と言い合いしたのを今でも覚えている。

「トンカツ、ください」
「ないよ」
「じゃあ、串カツ」
「それもないよ」
「カツだったらなんでもいいから」
「うち、カツないから」
「え?カツ一でしょ?」
「カツ一やけど」
「だから、なんでカツ……」
「わしの名前、勝一やねん。何か?」

その当時は、むかっ腹たてて店を出た記憶があるが、今思うといい思い出である。店が開いていたら久しぶりに寄りたいと思っていたが、あの看板はどこにも無かった。残念無念である。よく立ち読みした「大阪書店」も無くなっているし、その近所にあった千のメニューがある喫茶店と呼ばれた「純喫茶 泉」も消えていた。
僕は、京阪モールからコムズガーデンへと足を進めた。20年くらい前に再開発されたとこだが、今はあまり人通りもなくなっている。そこを素通りして、TSUTAYAが入っているビルへ。ついこの前までこのビルには、京橋花月があったのだが、吉本興業の都合か最近撤退したばかりである。僕が学生の頃、あれだけ栄えていた京橋が、どこかしら寂しい「場所」になっている。久しぶりに京橋近辺を歩いてみて、少しショックだった。
『ウルトラマンの墓参り』を読んでくれた人が、興味を持ってこの京橋を訪れてくれたらと、心から思う。そして、それがかつての京橋の賑わいを取り戻す一助になれば、舞台を京橋にした意味も出てくるのかもしれない。『加山雄三ベストヒット』と『ミレニアム』をレンタルしながら、ふとそんなことを考えた僕だった。

  • new_umbro
  • banner-umbloi•ÒW—pj