音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.30

カラーボトル Dr.大川“Z”純司

CBokawahttp://colorbottle.com/

「物資を届けてくれるのも嬉しいけれど、
こうして歌を届けてくれるのは、もっと嬉しいんだよ」

 

2011年3月の大震災から2年半。

僕の生まれ育った山元町は、宮城県と福島県の県境にある海に面した町。
自分の実家は、その中でも最も海岸沿いの中浜という地区。

震災により家族との連絡が取れなくなった当時、神奈川の自宅にいた自分には、テレビとインターネットの情報だけが全てでした。
被害の大きな場所を中心に被災地の様子が繰り返し報道される中、全く触れられない山元町の様子。
発信する側の人間が弱音を吐いていてはダメだと、twitterで精一杯の前向きな言葉を書き込み、不安を感じている人達を励まそうとしてはいても、本当は自分自身とても不安で、どうしていいかわからなくて。
自分の非力さに絶望した人は僕だけではないでしょう。

高速道路の復旧とガソリンの確保という問題がクリアになった翌4月。
仲間から預かった物資と楽器を車に載せ、メンバー全員で向かった東北。
真っ先に向かってもらった山元町では、変わり果てた光景に言葉を失いました。
自分のよく知る場所で自分の家へ行くのに道に迷うことなんてあるのか。
やっとの思いで辿り着いた実家のあるべき場所は、海に沈み面影すらも残っていない状態。
悲しいという感情すらも出てこない、虚無感。
なんとか無事に避難 することが出来たという家族に、隣町の親戚の家にて再会できた事だけがその時の唯一の救いでした。

そこから福島県新地町、石巻市、気仙沼市と回り、各地の避難所では有り難いことにアンプラグドで演奏をさせて頂く機会も頂きました。

「物資を届けてくれるのも嬉しいけれど、こうして歌を届けてくれるのは、もっと嬉しいんだよ」
今でも忘れられないのが、最後に立ち寄った気仙沼市の避難所で一人のお婆さんが真剣な眼差しで僕に言ってくれたこの言葉。
その時に初めて思いました。
自分に出来る事。音楽の持つ力。
人の命を救う事は出来ないけれど、音楽で人の心を救う事はできるのかもしれない、と。

その後何度も被災地へ足を運び、人々の笑顔の為にカラーボトルの音楽 を届けてきました。
カラーボトルの「聴いてくれた人を元気にしたい」という想いはこの頃からです。

復興へ向けて今も多くの人が尽力しています。
地区によって復興の進み具合も違いますし簡単には言えませんが、それでも一歩一歩、訪れる度に、少しずつ前に進んでいるんだなと実感しています。
大震災から2年半が経過し、これを手にしているあなたの日常から薄れつつあるかもしれない今、復興に向けてまず大事なのは、それぞれが今をちゃんと知ろうとすること、一歩踏み出そうとすることではないでしょうか。

2011年6月福岡KBC TV「ドーモ」の収録で山元町に訪れる。

2011年6月福岡KBC TV「ドーモ」の収録で山元町に訪れる。

2011年秋、石巻のイオンモールにて、ライブを行う。

2011年秋、石巻のイオンモールにて、ライブを行う。

2013年の山元町

2013年の山元町(1)

2013年の山元町

2013年の山元町(2)

 

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