音楽メディア・フリーマガジン

ゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンド

銀塩写真のように音に封じ込められた佐野史郎の感性が目の前で動き出す

200_ゼラチンタイムスリップやFUJI ROCK FESTIVALにも出演したSanchでの活動を経て、佐野史郎が結成したゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンド。子供のころに芽生えた初期衝動を1度も捨てずにずっと持ち続け、俳優業はもちろんのこと、写真、朗読、ナレーション、読書、ゴジラ、小泉八雲…多岐にわたる彼の好奇心がぎゅっと凝縮されたきらびやかで味わい深い楽曲たち。まるで銀塩写真のように音に封じ込められた佐野史郎の感性が、聴き手の目の前で時空を超えて動き出す。

 

 

 

「“演じる”ということが、音楽をプレイすることとまったく一緒なんです。作業として。逆にいうと、音楽の作業が限りなく映画やドラマの現場とやっていることが一緒。本当に同じですね」

●そもそも佐野さんはゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンドの前にSanchというバンドをやっていらっしゃったんですよね?

佐野:そうです。メンバーは同じなんですけど。

●僕は俳優としての佐野さんしか知らなかったんですけど、ずっとバンド活動もやっておられたんですね。もともと音楽好きなんですか?

佐野:はい。よくいる子供ですよ。ビートルズの来日が66年で小学校5年生だったかな。その前後ですよね、意識的に自分から音楽を聴き始めたのは。歌謡曲も普通に聴いてたけどそこまでのめり込んだわけでもなくて。ビートルズ経由でGSに興味を持って…ザ・スパイダースが初めて生で観たロックバンドで。ただ、僕の世代は社会現象としてビートルズやGSみたいなことが続いていたので、そこでガーン! と浴びた感じです。マイク真木さんの「バラが咲いた」が大ヒットして、荒木一郎さんがエレキギターを掲げて自作自演で歌っているのがかっこいいなと思って。

●はい。

佐野:中学になったらオールナイトニッポンが始まって、ザ・フォーク・クルセダーズとか、ザ・タイガースもサイケデリックなことをしていて…もう毎日が大変(笑)。

●ハハハ(笑)。

佐野:グワーッと浴びてた感じですね。それで中学を卒業するときにレコード屋に行ったらギターも置いていて、“弾けたらいいな”という感じでギターを始めて…現在に至ります(笑)。

●その「中学卒業してギターを始めて…現在に至る」という発言が実は端的にミュージシャンとしての佐野さんを表しているような気がするんですが、今回取材させていただくにあたって色々と調べてみたら、佐野さんは音楽だけじゃなくて、読書もそうだし写真もそうだし、いろんなものに好奇心がめちゃくちゃある方なんですね。

佐野:そうです。そこをあまり分けて考えていなくて。僕の感覚としては、全部繋がっているんですよ。読書は仕事の資料として読むことが多いですけど、しりとりみたいに派生していくんですよね。内田樹を読んでいたら加藤典洋が出てくるし、レヴィ=ストロースが出てくるし、ベルクソンが出てくるし、中沢新一を読んでもベルクソンが出てきたり。そういう人類学者たちがみんな繋がっていて、読書傾向としてみなさん一貫しているなと。今度はゴジラの番組をやるからということでゴジラの主題歌を作った伊福部さんのことを調べていたら、そっちでも神話と歴史地理学などが色々と繋がって。

●ということは、ご自身の感覚として多方面が多岐に渡っているわけではなく、自分が興味のあるものを辿っていっただけと。

佐野:そう。だから本当にネットと同じですよね。

●Wikipediaで色々とリンクを辿っていくという。

佐野:あ、そうそう。インターネットはなかったけど、ずっとネットサーフィンしていたんじゃないかな。

●今の活動のスタンスは、子供の頃に浴びるように刺激を受けたものに対する好奇心の延長線上ということでしょうか?

佐野:まさにそうですね。学校の勉強はできなかったけど、小〜中〜高校生のときに興味を持って影響を受けたものばかりが仕事になってますね。特に今年なんかは。ゴジラの番組があるとなったら呼ばれるし、もちろん朗読の仕事もやるし、伊福部昭の番組ではレポーターやって。ゴジラとか怪談とか江戸川乱歩とかつげ義春とか、僕が映画の仕事を始めたときからずーっとその題材は途切れたことがないし。だから小学校のときからずーっと同じことをやってます(笑)。あのときに浴びたものを1回もやめていないんです。

●あ、卒業がないんですね。

佐野:3〜4歳くらいの頃から、好きになったものから離れるということを1回もせずにこの55年くらいきちゃった。それでアナログ・ネットサーフィンをしていると積み重なってきますよね。その積み重なったものがまた別の形になってネットサーフィンを始めるから、螺旋状に何度も何度も同じことをやるし。同じ作品を観なおしたり読みなおしたり聴きなおしたりすると、そのときによって全然印象が違うから、いつも「おおっ! そういうことか!」っていう発見がありますね。

●音楽というのはひとつの表現だと思うんですが、俳優業とはまた違う感覚なんですか?

佐野:特に今回のアルバムを見ていると、今お話ししたようなことが全部詰まっているので、自分の中で音楽はいちばん凝縮したものかもしれないです。でも凝縮したものを「わかってくれ」と言うものではないんです。歌詞の背景とかは、自分の映画や芝居や読書体験や、後は実際に足を運んで感じたこととか、他の仕事で得た感覚を自分の中で編集して再構築して、煮詰めたもの。だからいちばん凝縮されているかもしれない。

●ご自分が今までの人生で浴びてきたものを感覚的に音楽にしている?

佐野:感覚…うーん、やっぱり“編集”してるんじゃないですかね。映画とか写真とかと同じような感覚というか、そこはやっぱり本業が俳優の性というか。あとはディレクターや監督としてのノウハウとか。フィルムはまわっていないけど、音で…。

●ああ〜、なるほど。

佐野:でもそこで映像的なものを観せたいかというと、そういうことではなくて。

●ということは、楽曲を作る場合は自分以外の主人公をたてることもあるんですか?

佐野:そうですね。というか、ほとんど他人じゃないですか(笑)。

●あ、ほとんどですか。

佐野:まあ僕が歌っているから全部自分と言えば自分ですけど、少なくとも本人ではないですね。演じているので。

●ああ〜、演じている感覚。

佐野:自分が体験したことはもちろん音楽にはなっていますけど、作品になったときは僕以外の誰かですね。

●例えば今作の中でいうとM-3「燃えるより錆びつきたい」という曲は佐野さんご自身の哲学というかパーソナリティだと受け取ったんです。

佐野:もちろん自分のことですね。この曲は加藤和彦さんが亡くなったときのものすごくセンチな気持ちを書いたんですけど。

●一方でM-2「キングコング」とかM-7「旅芸人の記録」はさっきおっしゃっていた俳優としての性みたいなものが見て取れる。

佐野:ああ〜。それは今回意識的にやりました。それまでは歌とか言葉が割と自分に張り付いていたというか。俳優の仕事をするときはなるべく距離を置いて“張り付かないように”と思って徹底してやろうとしているのに…まあできてないけど…でも音楽になるとどうしても自分の心情に寄り過ぎちゃって。そこはやっぱりプロフェッショナルの表現者としてはちょっと甘いなといつも思うんです。

●なるほど。作品作りに於いて。

佐野:そうそう。ヴォーカリストとしてっていうか、曲を完成させる人間としてはもっともっと厳しくならなきゃダメだなという風にはずっと思っていたんです。ライブでガーン! と気持ちが乗っちゃう分には全然いいんですよ。やっぱり自分の体験を歌にしていることが多いので、心情に引っ張られていくことが多いんですよ。例えフィクションにしても、音楽はやっぱり好きだから、俳優として演じているときよりものめり込んじゃうんですよね。もっといじわるに言えば、酔っちゃう。

●ハハハ(笑)。

佐野:自分のこととなると張り付いちゃうんですよね。そういうコンプレックスはずっとあったんですけど、今回の作業としては意識的に突き放すことが大きかったんじゃないかな。今まで以上に。結果、良くも悪くも俳優としての資質みたいなものが色濃く出ちゃったけどね。

●それはすごく感じました。

佐野:でもそれが普通っていうか、「ロックミュージシャンはこうあるべきだ」とか「やっぱり俳優さんの歌だ」とか思われるかもしれないけど…別にどうでもいいよね(笑)。

●アハハハ(笑)。でも曲によってテンションが全然違っていて、それが素晴らしいと思いました。どういう感じで曲を作っているんですか?

佐野:昔は詞を先に書くことが多かったんですよ。でも今は曲を先に作ることが多くて。というか、先にタイトルをまず決めちゃう。まだ一行もできていないんですけど、ちょうど今、次の曲で「おとぎの国のナショナリスト」っていう曲があるんですよ。まだないけど(笑)。

●アハハハハハハ(笑)。

佐野:今はないけど、いずれ世に出る曲。そういうことを…僕は右翼じゃないけど、国なんかなくなってみんなが平和に暮らせればその方がいいと思っていて。そんなことは現実的に考えたら絶対に無理なので国は大事にしなきゃダメだなと思うんですが、でも想いとしてはそうだから、フィクションというか神話としての曲みたいな。

●言ってみれば妄想というか。

佐野:それを曲で再現するというか。自分がそうありたいとか、そうなりたいとかじゃなくて、見てみたい。若いときは抑えきれない衝動みたいなものがあってそれを曲にしたこともあったけど、小さなライブハウスの世界ですけど、映画監督みたいな感覚というか、歌謡曲を作っているような感覚というか。“俺はこう思っているんだ!”ではなくて、“1本ライブを成立させるために何が必要か?”みたいな。台本を書くような作業ですね、それが好きだし、必要なんじゃないかな。自分の状態もわかるし、お客さんとも空気を共有できるし。それは音楽に限らず、ひとつの表現に対する僕の共通するアプローチっていうか。

●なるほど。MVになっているM-5「クスンと、カメラ」は今作の中では曲調も含めてすごく明るい曲で、雰囲気からは“童謡”に近いものを感じるんです。キャッチーでおもしろい曲ですよね。バンド名やアルバムタイトルにも通じる世界観があって。

佐野:僕は写真が好きだし、母方の実家は出雲大社で写真館もやっているし、ここ10年は写真にまつわる仕事も多いんです。実際に写真展もやったりしてるし。表現の眼差しとして、映画とかドラマよりもちょっと写真の方に寄ってるんですよね(笑)。それが基本というか、音楽や写真は僕の仕事にとっての指針になりますね。

●ほう。

佐野:もちろん写真のプロフェッショナルではないし、職業ギタリストではないですけど、実際に自分で写真を撮りギターを弾くからこそ、俳優の仕事に戻ったときにスタッフと交流ができるというか。それはライブでお客さんと共有したい感覚と一緒かもしれないですね。うっとおしい俳優だと思いますよ、現場のカメラマンに「絞りいくつなんですか?」とか訊くし。

●あ、そんなこと訊くんですか。うっとおしい俳優ですね(笑)。

佐野:気になるじゃないですか(笑)。音楽もね、レコーディングを重ねていると、まあ自分でもディレクションをやっているからわかるわけですよ。ドラマの世界でもProToolsを使っているから、ちょっとセリフのニュアンスを変えたい時は録音さんのところに行って「前のテイク使ってください」と頼んだりとか。

●え? そんなことも言うんですか?

佐野:ここだけの話ですよ(笑)。でもそれは“いい作品を作りたい”っていう想いからなんですよ。でもそれはあまりみんなやらないよね。やらないけど、でもそこまで交流できたら、よりよい作品作りに繋がるというか。それは完全に音楽のレコーディング作業と一緒ですよね。だから例えじゃなくて、物理的に“演じる”ということが、音楽をプレイすることとまったく一緒なんです。作業として。逆にいうと、音楽の作業が限りなく映画やドラマの現場とやっていることが一緒。本当に同じですね。

interview:Takeshi.Yamanaka

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