音楽メディア・フリーマガジン

Poet-type.M

門田匡陽、その男の溢れ出す創造性と止まることなき進化を感じた

2014/6/29@下北沢CLUB251
“ジェッジジョンソン×Poet-type.M”

SONY DSCほんの1週間ほど前に10年ぶりのBURGER NUDS復活ワンマンライブで熱狂と衝撃をもたらしたばかりの門田匡陽が、自らのソロプロジェクト“Poet-type.M”で下北沢CLUB251を舞台にジェッジジョンソンとの2マンライブを行った。この両者の対バンがどのように観客には受け入れられるのかという興味もありつつ、前述の復活ワンマン後初となるライブで彼がどんな“今”を見せてくれるのかということにも期待を抱いて会場に足を運んだ。開演前のフロアに漂う空気は穏やかで、それぞれのファンがどちらのライブも楽しみにしていることが感じられて心地良い。そんな良い意味でリラックスした空間で、Poet-type.Mのライブが始まっていく。

思えば1stフルアルバム『White White White』をリリースしたのは、もう去年の10月のことだ。そこには収録されていない新曲「もう、夢の無い夢の終わり(From Here to Eternity)」で当たり前のように始まったライブに、門田匡陽という人間が常に進化を止めないアーティストであることを改めて思い知らされる。リリースから既に半年以上の月日が経っている中で、何も変わらないはずなどないのだ。ソロ名義の『Nobody Knows My Name』に収録されていた「埋立地」も当然ながら、Poet-type.Mのバンドメンバーたちと共に今現在の形で表現されていく。ライブ後半に演奏された「Dear My Teacher」と同様に、過去の楽曲もPoet-type.Mとして違和感なく昇華されていた。

自分が今最も表現したい音はここにある。そう言わんばかりに前半でさらに新曲を立て続けに披露していく門田。ここ最近の作品で漂わせるニューウェーヴ的な無機質感に、ささくれだったダーティーなギターが印象的な「窮屈な退屈で卑屈な天使(Stiff,Tedium, Obsequious)」。そして「バネのイカれたベッドの上(I Don’t Wanna Grow Up)」と続く新曲の連発に、彼の内から溢れ出してきているクリエイティヴィティと現在のモードを感じ取ることができるだろう。どこかしらダークさやメランコリックさが通底していながらも、そこにネガティブな暗さは感じない。あくまでも雰囲気としてのそれらであって、一貫して伝わってくるのは新しいものを生み出していく喜びに支えられたポジティブさのほうだ。

「君と僕(flowers)」は『White White White』の中でも屈指の名曲だと個人的には思っているのだが、花の名前を読み上げていく様がキザではなく“カッコ良い”と思えてしまうアーティストは今の日本で他にはそうそういないだろう。その後にはまたしても新曲「ある日、街灯の下(Farewell,My Lovely)」を披露し、会場に駆けつけたファンを喜ばせてくれる。先ほど続けて披露した2曲とはまた違う、優しさとどこか寂しさを漂わせる楽曲もまた魅力的に響く。タイトル通り光の粒子が宙を舞い、聴く者をその中に包み込んでしまう「光の粒子 埃の中で(Departures)」で幕を閉じた全10曲。それは時間が経つのを忘れてしまうような、長いようにも一瞬にも感じられるライブだった。

“帰る場所のない美しさの翻訳”という原点に立ち返って、心が望むままに新たな音楽を生み出し続けているPoet-type.M。その比類なき“蒼さ”を復活ライブで見せつけたBURGER NUDSの永遠に終わることなき十代の心性も、門田の中には今も当然あるものだろう。だが、そことは違うフェーズの表現をここではしているのだということを明白に感じた。今後は両方の活動を並行して行っていくことになるのだろうが、どちらにも触れることでこそ“門田匡陽”というアーティストの深みと真価を知ることができる。6/21とこの日のライブの両方に足を運んだ人はそれを実感し、彼が次に見せてくれる進化に期待がさらに高まったはずだ。

TEXT:IMAI

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