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矢沢洋子 × LITTLE ELVIS RYUTA

矢沢洋子の「ニャンだこのやろう」 対談シリーズ連載・第10回ゲスト:LITTLE ELVIS RYUTA

PH_YOKO_206新作ミニアルバム『Lady No.5』を今年7月にリリースし、その底知れぬ可能性を感じさせた矢沢洋子。この対談シリーズ連載では、日本から海外にまで至る精力的なライブ活動を繰り広げる彼女の幅広い交友関係からその魅力に迫っていく。第10回のゲストは、LITTLE ELVIS RYUTA。自らが率いるLITTLE ELVIS RYUTA & THE S.R.P.でのバンド活動に加え、ロカビリー雑誌『GREASE UP MAGAZINE』の責任編集も行うRYUTA氏との対談は非常に深みのある内容となった。

 

 

 

RYUTA:最初に訊きたいんだけど、洋子ちゃんは今回どういう理由で俺をゲストに呼んでくれたの?

洋子:前に柳家睦さんをゲストでお呼びした時に、睦さんが学生時代に出会ったロックのお話が聴けたりしたことで(自分の幅が)広がったというのがあって。RYUTAさんも『GREASE UP MAGAZINE』という雑誌をやられているし、いつも自分が全然知らないロックやロカビリーのお話を聴かせて頂けるので、きっと対談したらもっと広がるに違いないと思ったんです。

RYUTA:なるほど、そういうことだったんだね。

●元々の出会いは何だったんですか?

洋子:ギターウルフが新木場STUDIO COASTで10代無料ライブをやった時(2011年1月12日)に私も観に行ったら、楽屋にRYUTAさんがいらっしゃったんです。だから最初にお会いしたのは、もう4年くらい前ですね。

RYUTA:その時は、俺も「あ、矢沢洋子がいる!」と思ったよ(笑)。

洋子:その日はRYUTAさんの他にも初めて出会う人たちが多かったんですけど、ちょっと恐くて…(笑)。

●それは見た目的なところですよね(笑)。

RYUTA:そうですね。俺みたいなマイルドな人は少ないから(笑)。

洋子:アハハ(笑)。でも今はその怖い先輩たちと一緒に、父(矢沢永吉)の武道館ライブに行く仲なんです(笑)。

RYUTA:俺たちはみんな永ちゃんで育ったからね。俺が中学生の時に『RUN&RUN』(1980年/矢沢永吉の1979年9月15日のナゴヤ球場ライブと私生活を追ったドキュメンタリー映画)が公開されて。その時の永ちゃんはまだ27〜28歳くらいのはずなんですけど、すごく“大人”に感じたんですよ。あの頃のロックスターってデビューも早いせいか、今よりも大人なんですよね。

●今の27〜28歳とは全然違っていたりする。

洋子:実際、私よりも10歳くらい上の男の人たちは「高い車に乗りたい」とか「高い時計を身につけたい」という人が多かったけど、私と同世代の男の子たちって全然そういうのがなくて。高級品やブランド品の志向がないからか、周りの同級生で「稼いでやろう!」みたいな意識が強い人は本当にいないんです。

RYUTA:いや、それは洋子ちゃんの周りがみんなブルジョワだからだよ(笑)。

洋子:そんなことないですよ(笑)。音楽を始めてから知り合ったバンドの人たちもそうなので…。

●昔ほどガツガツしていないというか。

RYUTA:やっぱり育つ環境って、選べないじゃないですか。親は選べないものだから。洋子ちゃんはたまたま“矢沢永吉”の家に生まれ育ったわけだし、女性でそういうガツガツしていない感じって俺はすごく良いと思う。ただ、ガツガツ感が出ていないのは女性としては良いんだけど、ロックシンガーとしては「どうなのかな?」っていう部分はあるかな。

洋子:そう、そこなんですよ! いわゆるロック的な反骨心みたいなものがあまり自分にはないから、歌詞を書く時にもそういうものをぶつけようがないんですよね。だから最初は「どうすれば良いんだろう?」という感じで、悩んでいた時期もあったんです。だけど、ないものを無理やり作ると結局それは嘘になって、一番カッコ悪くなるのかなと思って。最近はようやく「反骨心のない私」というものを自分の中で受け入れて、消化できてきたのかなと思います。

RYUTA:マインドの部分での反骨心みたいなものはないよりもあったほうが良いと思うけど、そもそもロックンロールって楽しむ音楽だから。でもみんな、そこに自分の言いたいことやメッセージを入れがちなんですよね。もちろん言いたいことがあれば入れても良いんだけど、俺も音楽を通して言いたいことなんて何もないんですよ。ただ“Have a ball, Have some fun”で「楽しんでくれ」っていうだけなんです。

●メッセージや反骨心が絶対に必要なわけではない。

RYUTA:音楽って、元々はそういうものだから。一番最初を辿れば、原始人が太鼓をドコドコ叩いていたものなわけで。そこにメロディが乗って、歌詞が乗って、60年代くらいになると歌詞にメッセージがどんどん乗せられるようになっていった。その結果として「言いたいことがないヤツは歌っちゃダメ」みたいになっていったんだけど、本当は音楽ってそういうものじゃなくても良いから。別に意味なんかなくたって良いんだよ、って俺は思う。

洋子:確かに。メッセージソングって言うけど、自分で歌詞を書いたものを歌って届けるということ自体がもう“エゴ”ですもんね。それに共感して幸せを感じる人ももちろんたくさんいるんでしょうけど、考えてみたら私は「歌詞が好きだからこの曲が好き!」っていうものが少なくて。小さい頃から歌詞に共感することがあまりなかったんです。

●歌詞よりも音というか。

洋子:大人になって自分で音楽をやるようになってから歌詞も聴くようになったんですけど、それもあくまで「しなきゃいけないから」で。「他の人はどんなふうに歌詞を書くんだろう?」という感じで聴くようになっただけなんです。私の父も(主に)歌詞を書く人ではなくて、音から入る人だったからなのかもしれない。昔は父の曲についても歌詞をちゃんと聴こうという感じではなかったんですけど、最近は改めてキャロルの頃の歌詞を読み返して「やっぱりすごいな…」と思って。それで最近は、歌詞もちゃんと聴くようになりましたね。

●やっぱり“矢沢永吉の娘”というイメージはあると思うんですが、初めて洋子さんに会った時の印象はどうでしたか?

RYUTA:イメージとは違いましたね。もっと高慢ちきな女かと思っていました(笑)。

洋子:アハハ(笑)。

RYUTA:高慢ちきな女だったらイジメてやろうと思っていたんだけど、逆にすごく良い子だったので困りましたね(笑)。でも高慢ちきなくらいのほうが売れるんじゃないかなというのもあって。洋子ちゃんに足りないのは、そういう高慢ちきなところなのかなと思ったりもする。

洋子:高慢ちきって…どうやったらなれるんですかね?

一同:ハハハハハ(笑)。

Interview:IMAI

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