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Poet-type.M

夜しかない街を表現してきた4部作の最終章。 永遠に消えることのない、神聖なる光がここには宿っている。

POET-TYPE.M  DARK AND DARK 4TH2015年1月からの1年間をかけて「夜しかない街=Dark & Dark」の物語を、4枚の作品とライブで表現してきたPoet-type.M。その4部作の第4章となるconcept mini album D&D 4th story『A Place, Dark & Dark -永遠の終わりまでYESを-』が2/17に、遂にリリースされる。まず序章として2015年1月31日に県民共済 みらいホール(横浜・みなとみらい)にて開催された“A Place, Dark & Dark -prologue-”は、セットリストの大半が未発表の曲で占められるという非常に挑戦的なものだった。そこから季節ごとにリリースされた3枚の作品によって「夜しかない街」の様々な風景や感情が描かれ、その実像が徐々に紐解かれてきた中で物語はいよいよクライマックスへ。どうしようもない方角へと向かうばかりの社会情勢に厭世観を強めながらも、門田祭り(“festival M.O.N-美学の勝利-”)での成果と確信を経て、門田匡陽はポジティブに美しい音楽を生み出していくことに向き合ってきたのだろう。そのことを証明するかのごとく、ここに完成した4部作の最終章は自らの音楽人生を総括した上で、さらにその先にある“何か”を感じさせるような神聖な光を放つ傑作となった。

 

「そこはPoet-type.Mにならないと無理だったよね。全部を自分でやれないと無理だった。この価値観に関しては他人に説明できないし、絶対に自分が正しいというのがわかっているから」

「(内田)武瑠と(伊藤)大地と一緒に終わりたかったんだよね。『the GOLDENBELLCITY』の時とは屋号が変わっている分、ちゃんと責任は取りたいというか」

「そこから先に生まれてくるものが何かということを“Dark & Dark”をやっていく上でわかりたいというところで、“闇に産まれ直す”という言葉を入れたんだよね。“Dark & Dark”をやる上で俺は何かを得たいっていう気持ちの現れだったと思う」

「俺の過去って、自分にとって美し過ぎるんだよね。BURGER NUDSもGDHMもそうなんだけど、思い返すと、生まれてこの方、楽しくなかった日なんて1日もなくて。俺は正直、BURGER NUDSを組む前から人生が楽しくってしょうがないんですよ。「今が一番楽しい」って36年間、言い続けてきている」

 

●夏盤から秋盤にかけては次第に暗さが増している印象もあったんですが、結果として今回の冬盤はそこまでダーク過ぎないものになった気がします。

門田:“明るい/暗い”という二元的な表現で言えば、“暗い”という表現は正しくないんだよね。俺の中では春から夏、夏から秋、秋から冬へとだんだん音楽が綺麗になっていく感じを出したいなと思っていて。ただ、俺が危惧していたのは、世の中に自分が引っ張られ過ぎてしまうということで。ちょうど秋盤を出した頃は世の中で起こっている色んなことに対して、本当にムシャクシャしていたんですよ。“このままじゃ冬盤はどうなってしまうんだろう?”っていう心配は、確かにちょっとあった。でもそこに対して違うフォーカスの当て方が今回は見つかったおかげで助かったというか…、それが自分の中にある“デヴィッド性”なんだけど。

●“デヴィッド性”というのは?

門田:冬盤は、デヴィッド・ボウイとデヴィッド・シルヴィアンの影響がすごく強く出ていて。そのおかげで妖しさと美しさというものを自分の中で体現できたというのが、すごく大きいんだよね。冬盤を作ってみて、“これが俺のやりたい音楽なんじゃないか”というくらいの感触があった。

●自分の中の“デヴィッド性”にフォーカスを当てようと思ったキッカケとは?

門田:正直言うと、迷っていたんだよね。秋盤のレコーディングの時は全然楽しくなかったというのもあって。自分の気持ちがどんどんドス黒くなってしまっていて、それが“Dark & Dark”を侵食している感じがした。“このまま冬盤を作りたくないな”という気持ちもあって曲もなかなか書けなかったんだけど、門田祭り(“festival M.O.N-美学の勝利-”)があったから、“Dark & Dark”のことはとりあえず1回忘れられて。

●門田祭りが開催された去年の9月末〜10月末までの期間は、そちらに集中していたと。

門田:その時は門田祭りに集中していたんだけど、いざ冬盤に取り掛かるとなった時に曲が全然できていなくて。その時点でできていたのはM-1「もう、夢の無い夢の終わり(From Here to Eternity)」とM-5「「ただいま」と「おやすみ」の間に(Nursery Rhymes ep1)」だけだったんだよね。

●リード曲のM-2「氷の皿(Ave Maria)」もまだできていなかったんですね。

門田:できていなかった。だから、もうヤバいなと。そうやって俺が悩んでしまっていた時に、そこまでを俯瞰して見ていたディレクターが「デヴィッド・シルヴィアンをやってみたら、どうですか?」と言ってくれて。

●ディレクターからの提案だった。

門田:俺はデヴィッド・シルヴィアンやデヴィッド・ボウイが大好きなんだけど、あえて自分ではそういうことをやりたくなかったんですよ。BURGER NUDSが始まった2000年頃から今に至るまで、なるべくそこはやらないようにしてきていて。

●それはなぜ?

門田:やっぱり自分が一番好きなミュージシャン(と同じようなこと)はやりたくないんだよね。そういうことをやったら、自分が彼らのところまでは全然届いていないっていうことがわかってしまうわけで。特にデヴィッド・ボウイは7歳の時から聴いているし、自分に一番の影響を与えている人だから。デヴィッド・シルヴィアンを好きになったのはもっと後なんだけど、ディレクターから「モンさんにはすごくハマるんじゃないか」と言われた時にやってみても良いのかなと思って。門田祭りもあったから、ここで自分の音楽を1回総括してみようかなという気になった。

●自分が影響を受けてきた音楽の系譜を総括するようなものを作ろうとした。

門田:たとえば、M-4「快楽(Overdose)」は“ソロ時代のデヴィッド・シルヴィアンがJAPANの曲を作ったら”というようなイメージで作ったんだよね。M-6「永遠の終わりまで、「YES」を(A Place, Dark & Dark)」では「スペイス・オディティ」(デヴィッド・ボウイ)のAメロの妖しい雰囲気を4つ打ちで表現してみるということをやっていたりして。そういう自分の中でのレシピが出来上がったというか。

●その2人の音楽性をベースにして、自分なりに調理する方法を見つけたという感じでしょうか?

門田:それをどう調合するかというレシピが自分の中で見えたから、そこからは速かった。たとえば夏盤は“ニューウェーヴをやろう”とか、秋盤では“もっとプリミティヴな表現をしよう”という漠然とした方向性みたいなものがあったんだけど、冬盤に関してはそういうものすら見つかっていなかったんだよね。でも“デヴィッド性”を使えばメチャクチャ冬っぽくなるし、ちょうど良いタイミングでレシピが出来上がって良かったなって思う。

●1曲目の「もう、夢の無い夢の終わり」はそれ以前にできていたわけですが、今作の指針になったというわけではない?

門田:「もう、夢の無い夢の終わり」は“Dark & Dark”プロジェクトが自分の中で見えた時に、一番最初に作った曲で。“From Here to Eternity”という副題は“ここから永久に”という意味なんだけど、本当はこの曲で終わるつもりだったんだよね。

●当初はこの曲を4部作の最後に据えるつもりでいたんですね。

門田:俺は一番最初にゴールを作るのが好きで、Good Dog Happy Men(以下GDHM)はまさにそうバンドだった。1枚目の『Most beautiful in the world』(ミニアルバム/2006年)は「GDHMは最後にこういうことが言えるバンドになったら良いよね」と言って作ったものだったから。今回の“Dark & Dark”でも、それと同じ作り方をしたんだよね。

●最初に「もう、夢の無い夢の終わり」というゴールになる曲を作ってから、4部作に取りかかり始めたと。

門田:最初に“Dark & Dark”を過去のものとして作ってから始めたプロジェクトだった。だから絶対にこの曲で終わりたいという気持ちはあったんだけれども、春〜夏〜秋と作っているうちに自分の中でだんだん違うふうになっていっちゃって。これは「もう、夢の無い夢の終わり」で終わりにしてはいけないなと思うようになって…そこからが大変だったんだよね。“じゃあ、どういうふうに終わらせるのか?”という“終わらせ方”の部分で、半年以上は悩んでいたかな。

●そこをどうやって抜け出したんですか?

門田:自分の中でターニングポイントになった会話があって。(先ほどの話とは別の)あるディレクターが冬盤のレコーディング中にフラッとスタジオに顔を出してくれた時に「永遠の終わりまで、「YES」を」を聴いて、「今までの自分の音楽の聴き方が根本から否定された」というくらいの大変なショックを受けていて。「なぜですか?」と訊いたら、「自分は今まで音楽を作ってきて、リスナーはずっと“似顔絵”を求めていると思っていた」と。それってつまり、“誰かの曲を聴いて、その歌詞の中に自分がいると嬉しい”ということで。誰かが「つらい世の中でさ」と歌ってくれたら、自分もそう思っているから嬉しいとなるわけじゃないですか。

●自分の気持ちを代弁してくれている感じですよね。

門田:「でも門田匡陽の音楽の中には全く“自分”がいない。拒絶される気持ち良さがある」と。「“宇宙人は紫がいいな”(という歌詞)なんかは全く自分の感覚にはない言葉なんだけど、それをなぜ聴きたくなるかと言うと、門田匡陽の音楽は似顔絵じゃなくて“自画像”だからで。門田匡陽が好きな人はだんだん門田匡陽になっていく」と。

●好きになって聴いているうちに、門田匡陽の色に染まっていく。

門田:俺はまさにそういう、デヴィッド・ボウイとかプリンスとかトム・ウェイツみたいな、自分の世界観を押し付けてくるようなアーティストが大好きで。俺は自分の音楽を「あなたの生活のBGMにして下さい」とは思っていないんだよね。「この音楽を気に入ったんだったら、お前のライフスタイルをこれに合わせろよ」って思っている。だから、そのディレクターの言葉を聞いて“自分が今やりたいことの本質が伝わっているな”と思って、すごく嬉しかった。俺はたぶん“俺”(みたいな人)を増やしたいんだと思う。

●自分に近い感覚を持っている人を増やしたい。

門田:「おまえがこの音楽に触れて、そのアンテナに響いたのなら、おまえもこうなれよ」っていうことを、ずっとやっていたんだと思う。それはBURGER NUDSの頃からずっと同じで。「永遠の終わりまで、「YES」を」を聴いてディレクターがそういうふうに言ってくれたことで、“そうか。俺はずっとそういうことをやっていたんだな”という感じで自分の中でストンと落ちたというか。

●「永遠の終わりまで、「YES」を」の最後にはこれまでに発表してきた様々な曲の一部が使われているわけですが、BURGER NUDSやGDHMを含む今までやってきたことを総括するという意味もあるのかなと。

門田:今回は“今作っているアルバムが最後の作品になる”という気持ちで作ったんですよ。それは常に思っていたことなんだけれどもあんまり前に押し出したくないなと思っていたので、今まではやってこなくて。でもこの冬盤は、“俺の遺書になる”というくらいの気持ちで作った。それくらい俺は“Dark & Dark”というものを愛していたし、このプロジェクトにはすごく夢があったから。そこに自分の中の“デヴィッド性”を使うというのは、非常に自然なことだったんだよね。そうしなければ、こういうことは俺にはできなかったと思う。

●自分が影響を受けたものを素直に出せたのは、そういう気持ちで作ったからだった。

門田:わかる人には「これ、デヴィッド・ボウイだよね?」ってすぐにバレると思うんだけれども、そういったところにも全く悔いはなくて。俺の音楽を聴いていて、ここまで誰かからの影響をハッキリと感じることは今までなかったんじゃないかな。でも今回はそういう気持ちになったんだよね。

●そこはこれまでのキャリアで、きちんとルーツを自分の音楽に昇華してきたからこそでしょうね。

門田:そうだと思う。そこはPoet-type.Mにならないと無理だったよね。全部を自分でやれないと無理だった。この価値観に関しては他人に説明できないし、絶対に自分が正しいというのがわかっているから。たとえばベースやギターを誰かに弾いてもらったりしたらダメだと思ったから、「永遠の終わりまで、「YES」を」に関しては俺と大地(伊藤大地)の2人だけで録って。

●武瑠くん(内田武瑠)も“Toys”というパート表記で参加していますが…。

門田:「永遠の終わりまで、「YES」を」のアウトロに入っている、ガヤみたいなサーカスの音の部分に参加してもらっていて。そこに武瑠の音が絶対に必要だったのは、これが『the GOLDENBELLCITY』(GDHMの1stフルアルバム/2007年)から続くお話だからなんだよね。ここではGOLDENBELLCITYの街にいたミューズの楽団はもう“Dark & Dark”ではない次の街に向かっているというのを表現したかった。それをやるのなら、『the GOLDENBELLCITY』の頃からいる誰かと一緒にやらないと意味がない。だから、武瑠にやってもらったというわけで。

●そういうことだったんですね。

門田:武瑠と大地と一緒に終わりたかったんだよね。『the GOLDENBELLCITY』の時とは屋号が変わっている分、ちゃんと責任は取りたいというか。

●アウトロの前に色んな曲の一部が出てくる“スターシステム”を採用しているのも、1つの責任の取り方なわけですよね。

門田:そこについても今までは手塚治虫を例に出していたけれど、本当はデヴィッド・ボウイが元なんだよね。デヴィッド・ボウイも最初にトム船長が「スペイス・オディティ」で出てきて、「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」で“彼は実は(宇宙飛行士ではなく)ただのシャブ中のオッサンだった”と言って、「ハロー・スペースボーイ」にもまた登場させたりしている。そういうスターシステムをデヴィッド・ボウイも使っていて。まず自分の世界をちゃんと責任を持って、わかってもらえるまで100回でも説明する。そういう責任の取り方をするべきだなと思っています。

●今回の4部作では、自分が関わってきた過去の作品を思わせるスターシステムが今まで以上に使われている気がします。

門田:その理由の1つとしてはやっぱり、悔しいんだよね。俺はずっと良い音楽をやってきているから。新たに知ってくれた人たちがそこ(過去の楽曲)を知らないのは損だと思うし、逆にGDHMから知ってくれている人たちには「ありがとう」を言いたいっていう、本当にそれだけですね。

●冬盤のラストに「永遠の終わりまで、「YES」を」を持ってきたというのは、最終的にはこの4部作が肯定的に終わっているということを示しているんでしょうか?

門田:“永遠の終わりまで、「YES」を”という言葉は、春盤の1曲目「唱えよ、春 静か(XIII)」の(歌詞の)最後の部分からそのまま持ってきているわけで。春盤はXIII(サーティーン)という女の子に対して“永遠の終わりまで、「YES」を”という言葉で始まっている作品だった。そこから1年経って季節は巡ったんだけれども、同じような景色の中で、でもサイクルは1つ確かに回っていて…というところで同じ言葉で締め括るというのが目的だったんです。春盤のテーマが“全肯定”だったということに対して、(最終的に)全肯定には行けないであろう雰囲気を感じていたからこそ、秋盤の頃に俺は悩んでいて…。

●その時点では、肯定的に終われない可能性を感じていた。

門田:(当初考えていたように)「もう、夢の無い夢の終わり」で終わってしまったら、これは全肯定しているのかどうかわからない恐れがあって。でも明らかに全肯定しているということが伝わって欲しかったんです。「もう、夢の無い夢の終わり」というのは、自分の中でこれ以上ないくらいポジティブな曲なんだよね。でもそれは“門田語”だから、他人には「それじゃわからないよ」って言われる可能性がある。だから「ハッピーエンドなんだぞ」っていうことをちゃんとわからせたかった。

●それをやれるのが「永遠の終わりまで、「YES」を」だったと。

門田:でも1つ大きな意味の違いがあって。「唱えよ、春 静か」に関してはXIIIの旅立ちに対して“永遠の終わりまで、「YES」を”と言っているんだけど、「永遠の終わりまで、「YES」を」という曲の中では“Dark & Dark”そのものに対してその言葉を言っている。だから副題も“A Place, Dark & Dark”になっているんだよね。

●ある意味では、この4部作を総括するような楽曲というか。

門田:春・夏・秋の色々な混沌を全て1曲の中に閉じ込められていると思う。春・夏・秋とやってきたからこそ、“ゴール”をちゃんと作りたくなってしまったんだよね。この曲を作って聴かせた時のスタッフ陣からの反応はすごく良かったし、俺もこの曲が一番好きだから。

●と言いつつ、リード曲が「氷の皿」になったのは曲調から?

門田:曲調と、あとはこれまでの流れからですね。秋盤の「あのキラキラした綺麗事を(AGAIN)」に対する評判がすごく良かったので、その方向性でもう1曲やってみようということだった。そこはもう作品性という部分とは別の話なんだけどね。

●“氷の皿”という言葉自体は、どういう意味で使っているんですか?

門田:“氷の皿”って非常に脆くて壊れやすいものだし、時間が経つと溶けてしまうもので。それが自分の中での、過去に対する想いというか。過去というのは氷の皿みたいなものだから、今あるとしてもいずれはなくなってしまう。そこに固執して未練を引きずって生きるくらいなら、いっそのこと氷の皿が早く砕け散ってくれないかなっていう。

●過去に対する想いについて、“砕け散ってくれ”と歌っているわけですね。

門田:過去というものは氷の皿のように脆いものなのに、そんな引力で俺を引っ張ってしまうんだったら早く砕け散ってくれないかなっていうことをこの曲を作っている時に考えていたんだよね。でもそれを母体にして何かが生まれて欲しいという気持ちもあって。そこが“Ave Maria”っていう副題につながるんだけれど。“モルティス ノストーレ”というのは“病める時も 健やかなる時も”という意味のラテン語で、シューベルトで有名な「アヴェ・マリア」の歌詞に入っている言葉なんです。

●そこから来ている言葉だったんだ。

門田:俺の過去って、自分にとって美し過ぎるんだよね。BURGER NUDSもGDHMもそうなんだけど、思い返すと、生まれてこの方、楽しくなかった日なんて1日もなくて。俺は正直、BURGER NUDSを組む前から人生が楽しくってしょうがないんですよ。「今が一番楽しい」って36年間、言い続けてきている。

●それはすごいな…。

門田:未来に対する漠然とした不安というのはよく言われることだけど、俺の中ではわりと漠然としていなくて。俺の人生の楽しい部分というのはもう終わってしまったんじゃないかと思ってしまう時すらある。だから「腹を括って進むべし」と思っていたのに、門田祭りがそう思わせてくれなかったんですよ。

●というのは?

門田:門田祭りをやってしまったことで「やっぱりバンドって楽しいな」と思ったし、すごく残酷なことに「俺はもう一生(他に)バンドは組めないな」ということも逆にわかってしまって。この曲を書いている時は、ちょうどそういう気持ちだったんだよね。だから過去の自分と自分たちは“聖なるお前”であって、それに対して“砕け散ってくれ”という想いがあった。

●でもそこから先に生まれてくる“何か”への期待感もあるわけですよね?

門田:そこから先に生まれてくるものが何かということを“Dark & Dark”をやっていく上でわかりたいというところで、“闇に産まれ直す”という言葉を入れたんだよね。“Dark & Dark”をやる上で俺は何かを得たいっていう気持ちの現れだったと思う。

●ジャケットのイラストは、終わりからの再生を思わせるものになっていると感じたんですが。

門田:これは「もう、夢の無い夢の終わり」の冒頭部分の歌詞をヴィジュアルイメージに落とし込んだもので。「もう、夢の無い夢の終わり」では過去の街の伝説を歌っているので、“Dark & Dark”の中にある廃墟群を描いて欲しいと要望したんだよね。“Dark & Dark”には現在進行形で進んでいる区画もあれば、こういうふうに何もなくなってしまっていて、そこに新しい命が宿っているような部分もある。それがちょうど終わりに適しているなと思って。

●廃墟の中にも新しい芽吹きが描かれているから、決して暗い終わりにはなっていない。

門田:そうですね。そして遠くのほうには夜明けの光なのか街の灯なのかわからないんだけど、何らかの光が見えているというのも重要で。ここは今は廃墟になっているけれど、よく俺が使う表現で“遠くの空の花火”のようなものが感じられるというか。同じ世界の遠くでは明るい何かがあるはずだっていう。

●秋盤のジャケットが禍々しさを感じさせたのに対して、冬盤のジャケットは本当の美しさを感じさせるものになっているのは、そういうところに辿りつけたということの現れなのかなと。

門田:秋盤の時は全体主義の気持ち悪さみたいなものに対して、息苦しさをすごく感じていたんだよね。でもそこからちゃんと“Dark & Dark”という“1人”の肉体を手に入れることができたというか。

●全体主義に飲み込まれてしまわない、強い“個”を手に入れられた。冬盤を作るにあたってやりたいと考えていたことは成し遂げられたという感覚はある?

門田:完全に成し遂げられたと思う。だから、もう良い。

●もう良いんだ(笑)。

門田:たださっきも言ったけれども、俺はこの冬盤で“これが俺の音楽だ”と感じてしまっている部分があって。そこはもっと突き詰めたいなと思っている。自分の中では、もう少し「もう、夢の無い夢の終わり」や「快楽」が良くなるんじゃないかと思っているから。そういう感じの、どこかにちゃんと陰と湿り気を持った音楽をやり続けないといけないなと。

●この4部作で見出した方向性で、より良いものを作っていきたい。

門田:そう。あとはこれがもう少し、音楽が好きじゃない人も聴けるレベルにまでなれば良いなと思うんだけれど。“Dark & Dark”というものがもう少し広がれば良いなとは思っています。自分がここまで愛を持って作った作品なわけだし、この1年で本当に色んな音楽をやれたから。この“Dark & Dark”にもう少し陽の目が当たってほしいなと思う。それは本当に感じることですね。

Interview:IMAI
PHOTO:Photographer Takanori Abe

 

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