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中野テルヲ

孤高の電子音楽家、その20年の軌跡を辿る2枚組ベストアルバム

Nakano_main孤高の電子音楽家、中野テルヲがソロ活動20周年の節目に初のベストアルバムをリリースする。P-MODEL(1986〜1988年)やLONG VACATION(1991〜1995年)という伝説的なバンドへの在籍期間を経て、1996年に1stアルバム『User Unknown』でソロ活動をスタートした中野。超音波センサーや短波ラジオ、CDJを駆使したユニークな演奏スタイルで、独自の電子音楽を次々と生み出してきた。全30曲というフルボリュームでリリースされる今作は、中古市場で高額取引されている初期2作からのテイクを多数収録したDisc 1と、ライブでも人気の高い2011年以降の作品からの楽曲をメインに収録したDisc 2からなる2枚組となっている。また、ソロ活動開始時からの全ライブのセットリストや全ディスコグラフィーを掲載した32ページのブックレットも付属。まさしく20年の活動を網羅するような充実の大作を参考資料としつつ、中野テルヲの音楽人生に迫ったスペシャル・ロングインタビュー!

 

「ずっと同じことの繰り返しだったら、もう辞めちゃっていたでしょうね。ちょっとずつ変わっていけているというか。機材や環境もそうですし、自分の気持ちやライブに対する考え方なんかも徐々に変わっていけているから、ここまで続けてこれたのかなと思います」

 

●ソロ活動20周年という節目に今回、ベストアルバムをリリースされるわけですが。

中野:1996年に“中野テルヲ”のソロ名義でアルバム『User Unknown』を出したところから、今年で20年というところで。キリの良いタイミングでもあるので、ベストアルバムを出すことになりました。

●今作に付属のBiographyによると、1986年にベーシストとしてP-MODELに加入したのが本格的なアーティスト活動の始まりになるわけですが、最初に音楽を始められたのはいつ頃だったんでしょうか?

中野:アマチュアとして活動していた時期で言うと、1986年よりもっと前からですね。中学生の頃はコピーバンドで、ベースを弾いていました。その当時は日本のクロスオーバーで、PRISMというバンドのコピーをやっていたんですよ。一緒にバンドをやっていた仲間がそういう音楽を聴いていたので、そこから教えてもらったり影響を受けたりしていましたね。

●オリジナル曲を作るようになったのは?

中野:オリジナル作品を作るようになったのは、高校生〜大学生くらいの時期だったかな。カセットテープに4トラックのレコーダーとかでピンポン録音して、多重録音によるインダストリアルやテープ作品のようなものを作っていましたね。

●最初に作っていた音楽は、インダストリアルミュージックだった。

中野:そういうものになっちゃうんですよね。当時は今みたいに音の選択肢がたくさんないので、どうしても汚い感じになっちゃうんですよ。“汚い”って言うとインダストリアルミュージックに失礼なんですけど(笑)、たくさん重ねていくと音がどうしても潰れていくのでそういう音の質感になっちゃうんです。そもそもカセットテープでは、そんなにきれいな録音はできませんでしたからね。

●そういう音のほうが好きだったというのもあるのでは?

中野:そういう音のほうが好きでしたね。「きれいに録ろう」というのはあまりなくて。それも今につながっているのかもしれない。「ノイズをどうしても消さなくちゃダメだ」とか、そういう気持ちはあまりなくて。当時の作品はカセットテープに録音して他人に聴かせていたので、大体はPLAYボタンを押すと“シャー”という音(※ヒスノイズ)で始まるじゃないですか。それが当たり前だったところがあるので、あまり気にしていなかったんです。

●インダストリアルやテープ作品のようなものを作るようになったキッカケは何だったんですか?

中野:そこは音楽的なルーツというよりもオーディオ的な話になるんですけど、当時は“ナマロク(生録)”というのがあって。カセットテープレコーダーとマイクを持って野外に出て、音を録ってきたりするものというか。当時は『ロクハン』という専門の雑誌もあって、そういうところで集音器の作り方やカセットテープレコーダーの使い方を知って興味を持ったんです。録音ということに興味を持ったところから、そこに入っていったという流れなんですよね。

●録音への興味から作品を作るようになったと。それとは別に、バンドでベースも弾いていたわけですよね?

中野:当時は別々の趣味として、それぞれやっていて。でもどちらも音楽ということで、だんだん混ざっていったんです。録音に関して言えば、今でも自分で録音したり、マイクを自作したりしているので、その頃からつながってはいるなと思いますね。

●音源も1人で作られていたわけですが、当時はまだソロで活動していこうという気持ちはなかった?

中野:当時はまだ趣味のレベルだったと思うんですよね。だから「たくさんの人に聴いてもらおう」という考えもそんなになかったんです。

●そして1986年にベーシストとして、P-MODELに加わるわけですが。

中野:ちょうど自分が入った時は、入れ替わりで前任のキーボーディストとベーシストが同時に辞めたタイミングだったんですよ。平沢(進/P-MODEL)さんから「キーボードとベースと両方に空きがあるけど、どっちがやりたい?」と訊かれたので、ベースがやりたいと言ったんです。

●P-MODELに入られたのは、いくつの時だったんですか?

中野:確か大学4年生の時だったと思います。アルバム『ONE PATTERN』(1986年)のレコーディングをしていたので大学の卒業式に出られなくて、後から卒業証書をもらいに行ったのを覚えていますね。それ以前からローディーや運転手をやらせてもらっていたので、出入りはしていたんですけど。

●その時点では、もう音楽を生業にしていこうと考えていたんでしょうか?

中野:いや、まだそういうのはなかったですね。当時はP-MODELに入って演奏できるということが単純に嬉しかったですし、その中で自分にどういうことが要求されているかを考えたりするだけで精一杯だったというのもあって。

●P-MODELが1988年に凍結(※一時的な活動休止)をした後、1989年にSONIC SKYを結成された経緯とは?

中野:SONIC SKYは、P-MODELが凍結になった後で三浦俊一(※現・ビートサーファーズ代表)に誘われて始めたんです。その時も自分1人でやるという発想はなくて、まだバンドの中にいたかったんですよ。あまりブランクが空くのも嫌だったので、凍結した翌年には結成しましたね。

●その後の1991年にLONG VACATIONを結成したのは、やりたいことが変わってきたから?

中野:SONIC SKYでも自分はベースを弾いていたんですけど、だんだんシーケンサーやサンプラー、シンセサイザーを扱うことに興味が移ってきていて。打ち込みのほうに関心が移ってきたことからでしたね。

●そういう関心を活かすために結成したのが、LONG VACATIONだった。

中野:ちょうどLONG VACATIONの結成をKERA(元・有頂天)さんが考えていて、打ち込みをできるメンバーを探していたんです。自分もそっちのほうで何か面白いことができるんじゃないかなと思っていた時期で、そこが一致したのでLONG VACATIONに加わりました。

●1993年にコンピレーションアルバム『トロイの木馬』に参加されたのは、ソロ名義だったんですか?

中野:これはLONG VACATION在籍時に、ソロ名義で参加したものですね。もしかしたら、これが(ソロ名義での正式な作品として)最初かもしれないです。

●「Imagine」という楽曲で参加されていますが、サウンド的には今に通じるところもあったんでしょうか?

中野:今にはあまり通じていないですね。“中野テルヲ”名義でやっているんですけど、ボーカルのキャラクターも今とは全然違いますし、ところどころでコンピューターが歌っていたりもして。

●まだソロでのアイデンティティが固まっていない段階だったわけですね。1994年には坂出雅海(ヒカシュー)さんと共に電子楽器やセンサーによる実験的なパフォーマンスを行っていますが、これは現在のライブでのパフォーマンスに通じるものがあった?

中野:自分は今、ステージで超音波センサーを使っているんですけど、そういう発想のキッカケを与えてくれたのがこの時の坂出さんとの共演でした。坂出さんはその頃、光センサーを使ったパフォーマンスを1人でやられていて、自分がそれを観させてもらって「ぜひ一緒にやりたい」ということで実現したんです。自分は圧電センサーを持ち込んだりして、お互いにセンサーを使ったデュオをやるということで、インプロヴィゼーション色の強い実験的なものでしたね。それをやらせてもらった経験が、今につながっている部分はあると思います。

●1997年1月の『User Unknown』発売記念ライブでは超音波センサーを手刀で切る演奏法を用いられたそうですが、これはその経験が元になっている?

中野:LONG VACATIONの後期はわりと好き勝手にやっていたんですけど、ただ単にキーボードを弾くのは嫌だなと思っていて。それに替わるインターフェースはないかなと考えていた時に、坂出さんと一緒にやったパフォーマンスがヒントになったんです。その発想を形にしてくれたのがP-MODELで同期だった高橋芳一くんで、電子楽器を自分で作ったりできる人なんですよ。彼にアイデアを伝えて形にしてもらったのが今も使っている超音波センサーで、そこが始まりでしたね。

●『User Unknown』のリリースは、ソロ活動が本格化するキッカケになったんでしょうか?

中野:当時はまだそんなに積極的ではなかったですね。実際にこの頃は1年に1回くらいしかライブをやっていませんし、「長い時間をかけて準備ができるのであればライブもやれるかな」というくらいの感覚だったんです。ライブはすごく作り込んでやるものだという気持ちでいたので、そんなに身軽じゃなかったんですよ。機材も重いし、腰も重いという…(笑)。

●今作のブックレットにはLive Chronicleとして全ライブのセットリストが載っていますが、逆に言えばそれだけ本数が少ないということでもあって…(笑)。

中野:そうなんですよ。20周年とか言いながら、これだけしかやっていないんです(笑)。1997年から2002年までのライブなんて、1ページに全て収まっているくらいで…。2009年以降はライブも少しずつ増えていくんですけどね。

●2009年からライブの本数が増えていった理由というのは?

中野:それまでは、頭の固いところがあって。自分はCGや映像を使ったライブがやりたかったんですけど、当時はまだそういう設備を使える会場が限られていたという事情もあったんですよ。でも2009年に“DRIVE TO 2010”(@新宿LOFT)に出演して、初めて映像を使わないライブをやったんです。その時に“映像を使わなくてもライブが成立するんだ”という自信を持てたんですよね。そこから気持ちがちょっと軽くなって、これなら続けていけるんじゃないかと思えるようにもなって、ライブの本数が増えていきました。

●ライブのスタイルもそこから変わっていった?

中野:2002年以前に比べると機材の物量も減ってきて、何とかイベントにも出演できるようにはなったんじゃないかなと思います。それ以前は自分1人で時間を使いすぎちゃうので、ワンマンしかできなかったんですよね。イベント形式のライブにも出られるなと思えたのが“DRIVE TO 2010”で、そこから色々とお誘いされるようにもなりました。

●ライブが増えたことで、曲にも変化があったんでしょうか?

中野:ライブが増えれば、曲も増やしたくなるわけですよ。いつも同じ曲だとあまり意味がないので、ライブの度に新曲をやってみようとか、そのタイミングでCD-Rにして発表してみようという気持ちになったりもして。そういう部分では、作品と連動している部分もあるでしょうね。

●アルバム『Signal / Noise』(2011年)以降は、だんだん歌ものの比率が増えていったように思います。

中野:確かにそれまでの作品には、インストが今より多く混ざっていましたね。徐々に、歌の比重が大きくなっていったというのはあります。おそらく、そこはライブからの影響もあると思うんですよ。たとえばインストだけでずっと時間をもたせるのはなかなか難しかったりするなということを、ライブをやっていく中で感じ取ったのかもしれない。

●“歌”自体も変わってきている?

中野:変わってきていると思います。『Signal / Noise』や『Oscillator and Spaceship』(2012年)の頃も歌ものは徐々に増えていたんですけど、当時はまだ声が遠いんですよ。声が目の前にいなくて、楽器の後ろにあったりとか、そういう音響的な位置づけをしていたんですよね。それがライブをやっていくうちに、だんだん聴いてくれている人たちのほうに近付いていったという意識はありますね。

●歌が前面に出てくるようになり始めたのは、『Deep Architecture』(2013年)以降?

中野:『Oscillator and Spaceship』はまだ歌にエコーがたっぷりかかっていたりして、エフェクトで包んでいる感じがして。でも『Deep Architecture』はそういったものが取れて、生声にだんだん近付いていっていますね。歌も前に来ていますし、楽器の演奏面でもそれ以前からの変化があるんですよ。『Deep Architecture』は1つの境になるアルバムかもしれない。

●演奏面での変化とは?

中野:それ以前は打ち込み主体で作っていたんですけど、『Deep Architecture』ではエレクトリックベースやギターといった楽器も使い始めたことで、演奏部分の比重がより高まってきたんです。その上に乗っかる声ということでの変化もあると思うんですよね。声のポジションというか。それまでのフワッとした音の中に置いていた場合と、楽器の強いアタック音の中に置く場合とでは、声の位置も違ってくるから。

●『Deep Architecture』が1つのキッカケになった。

中野:そこから生音をより使うようになって。もちろん電子音も使うんですけど、エレクトリックのベースやギターもレコーディングでどんどん使うようになりましたね。おそらくステージでもギターやベースを使い始めたのが、この頃だったのではないかと思います。

●次のアルバム『Swing』(2015年)では、その方向性をより推し進めた感じでしょうか?

中野:楽器の演奏の比重が、より高まっていると思います。そうなってくると自分1人じゃなくて、ゲストプレイヤーも呼んでみたいなという発想になってくるんですよ。

●実際『Swing』では、横川理彦さんがゲスト参加していますよね。

中野:「これは自分で弾くよりも、もっとふさわしい人がいるだろう」というところで、横川さんが良いなと思ったんです。あと、生楽器ではないんですけど、Sharaku Kobayashiにチップチューンをやってもらったりもして。自分の曲をまるまる誰かに預けるなんていうのは、それまでなら考えられなかったことだと思いますね。

●以前のインタビューでも話されていましたが、誰かと一緒にやることの楽しさを感じられるようになったのが大きいのでは?

中野:“デンシコンツアー4 東京”(2013年10月12日@KOENJI HIGH)ではmiurashunichiのセットで三浦がギターで、私がベースで、ケラ&ザ・シンセサイザーズのReikoさんがドラムという編成で四人囃子のコピーをやったりして。あと、KERAさんの生誕50周年の記念イベント(2013年12月7日@新宿LOFT)では、KERAさんとみのすけと3人でLONG VACATIONの曲を演奏したこともあったんです。そういう流れがあって、人との共同作業を自分の中で楽しめるようになったんだと思いますね。

●だんだん開けていっている感じは、サウンドにも反映されている気がします。

中野:開いている感じが自分でもあって。我ながら、随分変わったなと思いますね(笑)。

●それは今回の収録曲をセレクトするために、過去音源を聴いていく中でも感じられたのでは?

中野:感じられましたね。

●収録曲をセレクトした基準は何だったんでしょうか?

中野:2枚組にしようと決めた時点で、Disc 1のほうには『User Unknown』と『Dump Request 99-05』という現在では入手困難になっている2枚から多くを収録しようと思っていたんです。大きく分けると、2002年までの活動が重かった時期の曲を収録したのがDisc 1ですね。Disc 2は『電子音楽部』(2010年/コンピレーションアルバム)以降の作品から選曲しています。それに加えて、今回の目玉になってしまった「今夜はブギー・バック」があって。

●このカバーはちょっと驚きました。

中野:これは2014年に一度だけ、ライブで披露したことがあったんですよ。それ以降はやっていないんですけど、何かの機会で音源化できたらなと考えてはいたんですよね。良いタイミングを狙って寝かせていたところに今回のベスト盤の話が来たので、ここに入れるのがふさわしいんじゃないかとなったんです。

●今回、この曲をカバーしようと思った理由とは?

中野:元々知ってはいたんですけど、自分が歌うとは思っていなくて。でもブレイクビーツを探して色々と漁っていた時に、ブレイクビーツを流しながらギターでコードをポロポロと弾いていたら、この曲のメロディが自然と思い出されてしまったんですよ。ブレイクビーツとギターと歌だけでやってみたら意外とアリだったので、それをライブのアンコールで試しにやってみたんです。

●ライブでの反響はどうだったんですか?

中野:みんなももちろん知っている曲なので、ウケたんですよ。お客さんは意外に思ったかもしれないんですけど、自分としてはそれほどでもなくて。2010年頃からCDJを使ったり、ブレイクビーツを多用したりとヒップホップ的なアプローチは用いていたので、わりと自然にやれたんですよね。

●今回はこの曲と「IDは異邦人」が流通盤としては初めて音源化されるものですが、他の曲でも修正や再ミックスを施されているものがあるんですよね?

中野:曲タイトルの後にバージョン名が書いてあるものは(原曲から)明らかに変わっているんですけど、それ以外の曲でも実は今の感覚でちょっと変えているものがあるんですよ。当時のマルチトラックから立ち上げ直して音を足したり引いたり、元々は打ち込みでやっていたものを生音に変えたりもしていて。Disc 2の半分くらいは、そういうことをしているんじゃないかな。

●Disc 1のほうはそういう処理をしていない?

中野:Disc 1のほうは当時のマルチトラックが今はもうないので、イジリようがなかったりもして。DATのマスターから発掘したものを元に、マスタリングはやり直しましたけどね。もちろんDisc 2の収録曲もリマスターしてあるので、オリジナル盤とはまた違った印象になっていると思います。

●Disc 1収録の「Trance-Pause Room [2015 Recording]」は、タイトルの後にバージョン名が付いていますが…。

中野:これは2015年に再録して、会場限定盤でリリースしていたものなんですよ。この曲については今のライブでやっているアレンジに近いほうで聴いてもらおうかなという意図で、そうしました。

●Disc 2の「Raindrops Keep Fallin' On My Desktop [Extended]」は、どういうバージョンなんですか?

中野:“Extended”は“拡張”という意味なんですけど、ライブでやっていく内に変わっていったので、現在の形に近いものにしたんです。この曲は元々『電子音楽部』にインストの曲として収録していたんですけど、ライブでやっていく内にボーカルやナレーションのパートができたり、コーラスや生楽器のパートもできたりして。ライブでは随分と形が変わっているので、そっちのほうを聴いてもらえたらなということでした。

●ライブでやっていく中で変わってきたものが、今作では反映されている。

中野:反映されていますね。「宇宙船」や「グライダー」もオリジナルバージョンを出した頃はステージでギターを弾いたりしていなかったんですけど、今ではギターが入っているので、ライブでの形に近付けるようにダビングしたんですよ。なるべくDisc 2は、今に近いものを聴いてもらいたいなという気持ちがあったんです。そういった意味では、新しくなっていますね。

●今作のリリース後には2回のツアーが予定されているわけですが、今年は今まで以上にライブ活動もやっていく感じでしょうか?

中野:2016年はそういうふうにしたいなと思っていて。こうしてベスト盤も出るわけですし、なるべく多く人前に出て色んな所でライブをやりたいと思っています。

●こうやって振り返ってみると、若い時よりも逆に今のほうがライブの本数は増えているわけですよね。

中野:そうですね。でもライブをすごくやっている人に比べれば、まだ全然ですから。自分の場合は使う機材が物量的に多いし、システムも大きいので、色々な条件が合う場所じゃないとライブができないというのもあって。

●最近はそこを克服するために、“トラベリングセット”というのを開発されたそうですが。

中野:レギュラーのセットとは別に、身軽なセットというのを考えてみようと思って。今までならやれなかった条件の場所でもやれる可能性が生まれるようなセットを作れないかということで考えて、ちょうど昨日(2016年2月22日@KOENJI HIGH)のライブでそのトラベリングセットを初めて試したんですよね。やってみて感触が良かったので、可能性は広がったかなと思っています。

●軽量化したセットを取り入れることで、ライブの可能性も広がっている。

中野:今までのボリュームのあるセットを観ていたら最初は戸惑う人もいるかもしれないんですけど、それとはまた違うものを発見してくれる人もいるかもしれないなと。今まで機械がやっていたところを人がマニュアルでやるという形に差し替わったことで、もしかしたらお客さんに伝わる部分も変わってくるかもしれないから。どちらもアリだなと思いながら、昨日はライブしていましたね。

●20年活動を続けてきた今もまだ、新しい形を常に模索している感じでしょうか?

中野:色んな環境や条件に合わせていけるような考え方になってきているのかもしれないですね。逆に昔のほうが、頭が固かったんですよ。大きな枠がドンとあって、「これとこれとこれがなくちゃ、ライブができない!」という感じだったから。今はそうじゃなくて、「これがないのなら、その部分は違うもので表現すれば良いんだ」って思えている。そういう感覚は昨日のライブでもあって。初めてコンパクトなシステムでやったんですけど、自分でもやりながら発見した部分が多かったんです。

●今も進化し続けているわけですね。

中野:だから、続けられているのかもしれない。ずっと同じことの繰り返しだったら、もう辞めちゃっていたでしょうね。ちょっとずつ変わっていけているというか。機材や環境もそうですし、自分の気持ちやライブに対する考え方なんかも徐々に変わっていけているから、ここまで続けてこれたのかなと思います。

Interview:IMAI

 

Nakano_sub
 
中野テルヲ『Swing』リリース時のインタビュー
 
中野テルヲ『Deep Architecture』リリース時のインタビュー
 
中野テルヲ『Oscillator and Spaceship』リリース時のインタビュー

 
 
 
 

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