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eastern youth

ゼロ番地から描いた情景にあなたは何が見えますか?

磨き抜かれた歌と音、何者にも代え難い熱量で我々の心を揺さぶり続け、結成24年を迎えた今も尚シーンに影響を与え続けている日本のロックバンド・eastern youth。昨年5月、バンド結成初期に通じる膨大な熱量と強い貫通力を持つ歌が詰めこまれたアルバム『心ノ底ニ灯火トモセ』をリリースした彼らが、約1年4ヶ月ぶりとなるオリジナルアルバムを完成させた。様々な情景を俯瞰的に描いたという今作。吉野が紡ぐ言葉は更に深度を増し、3人で鳴らす音は今まで以上に大きく響く。eastern youthがゼロ番地から描いた情景に、あなたは何が見えますか?

吉野寿インタビュー#1
「自分の本性みたいなものがよく分かりましたね。世の中の本性も改めて分かったし。ひとつどこかのネジが欠落したんです」

●アルバム『心ノ底ニ灯火トモセ』(2011年5月)の取材のとき、その前に吉野さんが一度倒れられて“まさかもう一度できるとは思っていなかった”という心境から「バンドを続けてきたことの閉塞感とかが1回リセットされた」とおっしゃっていて。

吉野:はい。

●第三者を意識するなどの概念自体も取り払って、自分自身の灯火1つ1つを曲にしたのが『心ノ底ニ灯火トモセ』だったと。あれから約1年少し経ちますが、いま現在はどんな心境なんですか?

吉野:どうなんですかね。いろいろあり過ぎて、どこから話していいのか分からんですもんね…。地震があったし、いろいろと心境が変わることがあって、その前のことは忘れてしまいました(笑)。

●ああ〜。

吉野:今の心境はねえ…変わっていないんですけど、変わっていますよねえ。それに地震がきっかけで、自分の本性みたいなものがよく分かりましたね。世の中の本性も改めて分かったし。ひとつどこかのネジが欠落したんですよ、あれで。

●ネジとは、ご自身の?

吉野:そうですね。世の中が云々というわけではなくて、個人的な歯車みたいなものが、1個欠落したんですよね。それはいまも修復されていない気がしますよ。

●前作は地震以前に作られたものですよね。地震以降に作った最初の作品が今作。

吉野:そうです。

●感覚的には、ずっと欠落したままになっているんですか?

吉野:そうですね。欠落しているなら、欠落したまま出すしかないじゃないですか。それを取り繕っていい顔をしようなんて、よろしくないことなので、そのままやっているんです。だけど、それは何かショックで一時的な記憶喪失のような意味合いではなくて、もう、ただ1つだけ変わってしまったというか「歯車が1個取れた」っていうのがいちばん近い気がしますね。だから、何の歌を歌ったらいいのか、少し見失いましたよ。ただし、俺は自分が生きていることに密接な関係のある歌を歌ってきたし、ことさら地震があったからといって「がんばれ」という歌を歌う必要はないわけですよね。

●ええ、そうですね。

吉野:俺はがんばってきたし、人に向けて「大丈夫だよ。希望はあるよ」なんて言っても、“お前は何か知っているのかよ。知らないくせに”って思いますよね。

●うんうん。

吉野:だから、そういうことは言えない。でも、己はどういう言葉でどういう風にやるべきなのかは見失ったんですよ。“何か言うべきことがあるのかなあ”というか、言うべきことなんて本当は誰にもなくて、“自分はこれを言っておきたい”とか“言おう”ということを少しずつやるべきだと思ってはいるんですけど、果たしてそれはどういうことなのかが、一瞬分からなくなったんですよね。それを“少しずつ取り戻していこうじゃないか”ということなんだと思います。

●なるほど。

吉野:何か大きなショックがあったときに、誰かが号令をかけたわけじゃないのに、自分の中から何か自分を抑圧するというか…それは「不謹慎」という言葉にも表れているし、「空気を読め」じゃないですけど、あるべき姿みたいなものを省みることもされずに「だってそうだよな?」という流れで膨らんでいく感じがしたんです。テレビコマーシャルが全部ACになったり、酒を飲んでいたら「不謹慎だ」と言われたりして。みんな悲劇だって言うけど、ちょっと待てよと。“何万人もの人が一気に死んだから悲劇なのか? 1人が死んだら悲劇じゃねえの?”と。みんな「がんばろう」って言うけど、それはどういうことなんだ? 「がんばろう日本」と「瓦礫は受け入れません」は矛盾しているのに、がんばろうの部分だけでいい顔をして、自分の生活だけは守りたいというのは頬かむりをしているというか、矛盾というか。人の表と裏、光と影は必ずあるものだと思いますけど、そういうものをあげつらって攻撃しようという気持ちではなくて、それは一体どういう風に納得すればいいんだろうって。

●はい。

吉野:それがガチャッと欠落してしまったんですよね。頭では分かっていたことが、やっぱり実際に目の前へ現れてきた。自分の心の中にも現れてきた。喪失感…といっても、俺は何も喪失していないんだけど、分からなくなったところですよね。それを喪失と呼ぶなら、俺の心の中の空洞感。

●空洞感。

吉野:そういうものからスタートしたけど、日々は続いていっているわけだから、自分の中の空洞とか疑問は追いかけ続けなきゃいけないものなんですよね。埋める必要はないのかもしれないけど、それは必ずしも答えじゃなくても、何か続いていく人生みたいなものをしっかりと追い続けていかなきゃいけないんだろうと思っているんです。空白なら空白、空洞なら空洞のあるままで。わけの分からない変なインチキ道徳みたいなものでその空洞をびっちりと埋める必要はなくて、俺は俺として生まれてきて、いろんなことがあって、今どうなっているのかということをずっと追い続けるしかないので、(今作は)その喪失のようなものからスタートして、止まった足を一歩動かすというところまでの歌かなという。止まってしまった足を、なんとか一歩前へ踏み出すことによって、次の一歩には繋がるわけですから。でも、1回止まっちゃった足というのは、なかなか出ないわけです。その一歩を出すまでが。もしかしたら一瞬の出来事かもしれないし、時間のかかることかもしれないけど、そういうものという目論見で始めたんです。だから、曲と曲とを繋げてあるんです。

●eastern youthの新作を聴くとき、吉野さんが明確なメッセージを込めているかどうかは別として、“今回は自分にとってどんなメッセージがあるのかな?”と探しながら聴くイメージがあるんですよね。でも今作を聴いたとき、そのメッセージみたいなものがはっきりと見えなかったんです。それよりも、現時点での存在感みたいなものがすごく強烈だった。言葉もそうですし、音の1つ1つもそうですし、何かは分からないけどすごく強烈な存在感を全体的に感じたんです。

吉野:もう1つのテーマとして考えていたことがあって、観念的な言葉よりも俯瞰的な言葉で表したかったんです。要するに、情景描写を用いて、その場面の変遷、そこに少しだけ触れてくる気持ちの動きで10曲作っていこう、というのが始まりだったんです。結果的に必ずしもそうはなりきっていないんですけど、最初の時点では、例えば物の名詞だけを並べた楽曲とか、状況だけで、俺というものの独白ではなくて、そういう人間をもう1つの視点から見ているような言葉で全てを組み立てたかったというのが最初の狙いです。

●たしかに今作は口語というか、直接的な言葉が少ないですね。

吉野:それは、言葉を失っていたからです。

●ああ〜。

吉野:俺自身の言葉がなかった。言うべき言葉がなかったから。

●ということは、情景描写や名詞を並べたような表現にせざるを得なかったということ?

吉野:うん。何を言っても白々しいし、空々しいし、“本当かよ?”っていう感じですよね。俺には言えない。

●そういう心境でも、“曲を作ろう”と思えたんですか?

吉野:もう作らなきゃと思った。ダメならダメで、ダメな自分を残さないといけないと思ったんです。それが俺のやるべきことなんだと思っていたんです。1人の人間の場面場面を残していくということですよね。それが必要なことだと思ったんですよ。

●“言葉を失った感覚”というのは、作り終えた現時点ではいかがですか?

吉野:変わっていないですね。ただ、また少しずつ進めていきたいと思いますよ。何を失ったのかは分からないですけど、その失った空洞みたいなものに一体どんなものが映るのか。まあ、それは俺の人生なんですけど、どんな形であれどずっと追い続けていかないとなと思っています。

●その情景描写の話に関係するような気もするんですが、イントロとか間奏のギターのフレーズが饒舌というか、印象的なフレーズがすごく多いように思うんです。歌詞に関しては観念的な情報量は少ないかもしれませんけど、音楽として捉えたときの質感や感情みたいなものは、すごく豊かな作品に感じるんです。

吉野:音楽で情景を表現しようと思ったので、夕焼けだったら夕焼け、なんとも言えないぬるい風ならぬるい風。そのメロディを…狙いはあるんですけど、なんと言えばいいのか分からないので説明が難しいんですが。

●だから音楽で表現されているんですもんね。

吉野:そうなんですよね(笑)。ただ、“なんとも言えねえ、なんだこりゃ”という気持ちのときに、自分の中で盛り上がったり下がったりするようなものは、ああいうメロディラインでできているんですよね。それはそういう風に育ってきたからだと思うんだけど。“なんだこりゃ?”というものにも忠実に。もう何が流行っているのかなんて分からないですから、自分の感覚に忠実にやったんです。

●自分の中のものに対して。

吉野:そうなんです。子供の頃に聴いていた歌謡曲とか、ガッツリ染み付いているので、そういうものも隠さずに全部出して。電気屋から流れてくる山口百恵みたいな感じですよ。ちょっと半殺しな気分ですよね。

●半殺しな気分って(笑)。

吉野:そういうものなんですよ、歌謡曲って(笑)。

●ご自身にとって、作業としては簡単なんですか? 難しいんですか?

吉野:簡単なことは何につけてもなかなかないものですよ。でも、難しいかといえば難しくもないですよね。なんというか、自然なものです。

●例えばM-10「ゼロから全てが始まる」で、“歌は始めに音だった 呻きだった 泣き叫ぶ声だったはずさ”というフレーズがありますが、音楽を作るときにゼロから1になる瞬間は、どういう過程で生まれるんでしょうか?

吉野:どうなんですかね。形にしておきたいんじゃないですかね。

●そのときの何かを?

吉野:ええ、そうだと思いますよ。

●ということは、ある意味歌を作らざるをえない部分もあるということですか?

吉野:そうですよ。歌わざるをえないんじゃないですかね。泣きたいときでも歌を歌ったらちょっと楽になる部分もあるかもしれないし。“くそー!”って思っているときに「くそー!」って言うだけではそれをやり過ごせなくて、形にしてやっと収まりが付く、というような。そうすることによって、怒りがひとつのところに終息するというか、ひとつの形として収まるというか。そういうことはあるんじゃないかなと。

●ほおー。

吉野:いつでもどこでも人は歌を歌いますからね。歌は自由ですから。

●そうですよね。

吉野:だから、言葉から歌になって…言葉なんかの前に歌はあったのかもしれないし、そういうものなんだと思うんです。

 

吉野寿インタビュー#2
「ここは常にゼロ番地なんですよ。自分の立っている位置だけが地図にないんです。だから曲も全部俯瞰なんです」

●今作を作るにあたっては、収録曲以上に楽曲を作っていらっしゃったんですか?

吉野:10曲で狙って、繋げて作っていますから、これだけです。

●じゃあ、順番もこの順番で?

吉野:そうです。

●それも前作と同じなんですね。

吉野:場面を繋げて作ろうと思ったんです。あと、頭でっかちな人が喜ぶような言葉は使いたくなかったんですよね。何かショッキングなこととか“こういうことを言ってほしいんだろう?”って思うようなことは、言うべきじゃないと思ったんですよね。もっとさっぱりとしたもの、と言ってもそれには意味があって…なんと説明したらいいんだろう(笑)。“俺は行間に意味を持たせることはできるのか”という感じ。「この曲はこういう曲ですよ」と説明するような曲になるのが嫌だったんですよ。

●今までもeastern youthに対してそういう印象は持っていなかったですけど。

吉野:もっと行間に行きたいんですよね。もっと上澄みみたいなところに行けないものかなと思ってはいるんですよ。“説明じゃなくて、そうなっていけないものかなあ”と。読み返してみても悪い詞ではないはずだけど、食い足りないんだろうと思うんですよね。

●食い足りない?

吉野:今までと比べると、食い足りない感があると思われるんじゃないかなと。改めて読んだり聴いたりすると、やっぱり俺の言いたいことはちゃんと言えているので、ここらへんがもうちょっとこうなんだと思うんですけど…。

●でも例えるなら、絵や情景を見せられただけなのに、怒られた感覚や殴られた感覚があるというか。芸術作品ってそういうことがあると思うんですけど、まさにそういう感じだったんです。

吉野:できれば、表面的には普通なものの方がいいんじゃないかと思っているんですよ。表面的には平静で「だから何?」というような表現の中に意味を込められるようになってきたら、人の心の中に入っていけると思うんですけど、そこに挑戦中ですね。そういう風に舵を取っていきたいというところが表れているような気がしますけどね。

●今作の節々にそういうところは表れていますね。

吉野:ただ、喪失感があって、何を言っても白々しいというところから始まっているのは確かなんですよ。もう失っちゃっているわけだから、どう取り戻していいのかも分からない。そこから再生するしかないから、喪失したままでもいいから進めていくしかないんですよ。それは俺にとってどういうことなのか、はっきりと形にしておきたかった。だから、そこらへんをウロウロしているだけのアルバムと言えばそうなんですけど、「そうじゃねえ人間がいるのかよ?」ということでもあるわけです。生まれてウロウロするということは、一体どういうことなんだ。でも、それに対する説明はしたくない。ただウロウロしているという事実だけがある。それを提示するだけでいいんじゃないかと思うんですけど、その提示の仕方はちゃんとしたテーマがないと、ただのものになっちゃいますよ。そこが上手くいっているのかは分かりませんけど、目論見は持たせているつもりなんですけどね。

●例えば、M-1「グッドバイ」の“いつも遅れる腕時計”という言葉とか、すごく雰囲気があるというか、饒舌なフレーズだと感じたんです。

吉野:いつも遅れるんですよ(笑)。“いっつも遅れるんだよ、この時計。なんだかなー”って。夜に酔っ払いが満載の電車でハッと見ると女の人が口を開けて寝ていて、窓に写っている自分の顔もくたびれていて、世の中真っ暗で、窓の外も真っ暗で、時計は遅れているよっていうことを表現したわけですよね。そういうことが大事だと思っていますね。「俺はどう生きていけばいいんだ」っていうことではなくて、「こう生きています」っていうことが大事。それだけでいいんだっていう。今の俺が言えることはそれだけなんだから。

●でも、そういった表現は今に始まったことではなくて、今までの延長線上でそうなっていると。

吉野:そうですね。年をとって、いろんな時間を経て、いろんな出来事も経ているわけだし、そういう心境に今はなっているということが、こういう表現に辿り着くことになっているんじゃないですかね。

●その中で、M-4「呼んでいるのは誰なんだ?」では“君”という言葉が出てくるじゃないですか。なんだかここで初めて投げかけられているような感覚があったんです。

吉野:でも意外と額面通りの歌で、1人1人が孤独に生きているわけですよ。友達もいないし、飲みに行くときも1人だし、1人で生きていますよ。“分断されて生きてきたなあ。孤独だなあ”と思いますよ。“このまま寂しく死ぬのかな”と思うけど、そういう人はいっぱいいて、すごくバラバラなんだけど、どこかで繋がっているんだなというか、「おーい! そっちはどうだい?」っていうような。「お前の所にはいけないけど、そっちはどうだい? こっちはこんなだよ」と、そんなような歌です。

●一般的な価値観として、友達が多くて社交的な方がいいと小学生の頃から散々大人たちに言われてきたじゃないですか。だから友だちが少ないと、「なんかすみません」って感じになるというか(笑)。

吉野:社会の敗残者みたいな感じですよね。「友達の1人もいないなんてお前はもうダメだ。不適合者だ」みたいな(笑)。

●烙印を押されている感じがありますよね(笑)。

吉野:でも、“まあ、お前らから見ればそうだろうよ”という感じです。どの道、俺は最初から踏み外しているので。中卒だし、学歴も資格もないし、何の保証もないし、年も取ってきちゃったし、もう何もない。本当にただの不合格品って感じ。ポンコツですよね。なんの役にも立たないし、本当にただの規格外品っていう感じ。破棄! 処分!

●いやいや、処分されちゃダメですよ!

吉野:それでも生きていますから。死にたくはねえし、殺されてたまるかと思って生きていますから。まあ、誰のせいでもないし、世の中なんていうものは、そういうものだからね。多数派のものだから。ただ、“マイノリティだからって申し訳なくなる必要はないんだぞ”ということは思っていますよね。社会に対して“すみません”っていう気持ちになる必要はない。堂々と生きていけばいいし、嫌われているなら堂々と真ん中で生きてやるぞという気持ちは持ちたいし、「俺みたいな奴がどこかにいるだろ? おい!」っていう(笑)。

●呼びかけているわけですね。

吉野:「負けんじゃねえぞ」って。「聞こえているから、一杯やろうぜ」っていうね。

●あと、M-6「残像都市と私」の情景描写がものすごく印象的だったんです。

吉野:忘れたくないことって、忘れないようにしないとって意思の力で思わないと忘れちゃうんです。ここに何が建っていたのか、ぶち壊したらすぐに忘れちゃうんですよ。うちの周りもどんどん変わっていて、商店街もどんどんぶち壊してどんどんいろんなものが建って行くんだけど、「あれ? ここは何だったっけ? 肉屋だったっけ?」とか、そういうことは全般としてありますよね。

●はい。

吉野:「あの人って死んだんだっけ?」とかも、生きているんだか死んでいるんだか、自分が覚えていようと思わないと、どんどん忘れて、なかったことになっちゃう。俺が生きていることも、俺のことを忘れた奴らにとっては死んだのと一緒で、なかったことになっちゃう。生きているのに。「俺はまだ生きているよ。死んでねえよ」って言っても、死んだのと同然になっちゃう。忘却によって、廃棄処分にされてしまう。「そんな小さいことに構っていられねえんだよ」って言って、どんどん進んでいっちゃう。それで、個人というものはどんどん置き去りにされちゃう。集団というものの中で。何か大きな流れの中でコミットしていくというか、食らい付いていかないと、“個”っていうのはどんどん置き去りにされて、なかったことにされちゃう。それをただ見ているという感じです。俺は“置き去りにされたっていいよ”と思って生きていますけど。

●曲としては、そういう情景を描いただけという。

吉野:そうですね。どんどんみんなが進んで、自分の影だけが取り残されるんですよ。皆、後ろ姿ばっかりになっちゃって、自分だけが常にそこにいるんですよね。周りはどんどん前に行っちゃうということですね。

●それはジャケットのイメージにも通じますね。

吉野:全員後ろ姿です。フォーカスは地面に合っていて、人には合っていないんです。だから“ゼロ番地”なんです。要するに、自分の立っている所には番地がないんですよ。俺以外から初めて1番地になってくるのであって、ここは常にゼロ番地なんですよ。自分の立っている位置だけが地図にないんです。だから曲も全部俯瞰なんです。

●なるほど。全部繋がっていますね。

吉野:そういう狙いがありました。

吉野寿インタビュー#3
「もっとプレイをしたいです。新しい曲は湧いて出てくるまで置いておけ。“よし、作ろう!”と思って作るなという話です」

●すごく上から目線の発言になっちゃいますけど、今作はメロディが…それはギターだけじゃなくてドラムやベースも含めてなんですが、無駄がないですよね。

吉野:我々、ベテランですから(笑)。

●アハハハ(笑)。前から不思議だったんですけど、ライブハウスって低音が大きいから、ライブを観ていると基本的に眠くなるというか、意識がぼーっとなっちゃうんですよね。

吉野:音圧でね。

●ただ、eastern youthのライブはどれだけ寝不足で行っても、逆に意識がパキッとなる感覚があるんです。視力がよくなったんじゃないかと思うくらい。

吉野:それはPA/エンジニアのトモミが、耳の痛くなるところを上げているからじゃないですか(笑)。

●ハハハ(笑)。でも耳が痛かったら、ライブが終わるころには聴き疲れてボロボロになると思いますよ。

吉野:上手いんですよ、あいつが。

●曲1つにしても音に無駄がない感じがするんです。

吉野:楽器が少ないので、組み合わせは各々、考えています。要するに、ダンゴ状態というよりは組み合わせですよね。各々が補い合っているというか。立体感というと大げさですけど、お互いが必然的に補いあうというか。それはあるんだと思います。

●そういうeastern youthのライブで感じる感覚が今作にもあって。

吉野:曲自体がシンプルだから、余計にそういう組み合わせが聴こえるんじゃないですかね。そんなに奇をてらった仕掛けとかは用いなかったですし、“歌”っていう感じでしっかりと骨組みを作ってからアレンジしていったので、意外とシンプルな分だけカチッとしたんじゃないですかね。

●そういった音の鳴り…曲作りとアレンジという部分で、自分たちのやり方を確立したという感覚はあるんですか?

吉野:逆に何も考えなくなった感じですね。

●あ、そうなんですか。

吉野:もともと我々は、打ち合わせだとかミーティングだとかをしませんから。「今日の素材です」と、ドーンと出して、わーっとみんなで取りかかる町工場みたいなものなので。それでもちょっと複雑な構成になってくると、ああでもないこうでもないとやるんですけど、シンプルだとそんなにいらないですし、逆にあまり考えないで、落ち着くところに落ち着けば、自然とそうなる。ドラムに関しては「こういう感じにして欲しい」と設計図みたいなものは渡しますけど、プレイの細かい部分は各々がやるし、二宮くんに関しては、ベースのことは何も言いませんから。例えば俺がジャーンジャーンと弾いている隙間を埋めていく感じで。あの人はすごく演奏能力が高いので、入ってくるんですよね。それで、彼が全体を整えてくれるんです。

●なるほど。

吉野:俺が適当にわーっとやっているものを、二宮くんが整えていく感じ。俺に対してはあまり言わないですけど、ちょっとぶつかるところがあったら「ぶつかっていない?」と。「あれ? そう?」とか言いながら、「じゃあここは弾かないでおいてみる?」とかちょこちょこっと変えて、「どうだい? 落ち着いたよね?」みたいな。何回かやるうちに、少しずつシェイプされていくので、「これで組み替えてやってみるか」って、何度も何度もその曲をやるんです。またそのうちに、“あれ?”と思う部分が出てくるので、少しずつ少しずつその形を整えて、録音までいく。

●磨いていく感じというか。

吉野:そうです。研磨する。大体の骨ができてから、本当にちょっとずつ研磨していくので、どう変わっているのかは分からないんですよ。

●職人芸みたいなものですね。

吉野:何も考えずに、いいかなと思うところに感覚的に。

●それと、しばらくはオリジナルアルバムの制作を控えるつもりとのことですが。

吉野:曲はいっぱいあるし、ライブをやらなきゃダメだなっていう。年齢とともに衰えるところはあるかもしれないけど、衰えたなら衰えたで、生身を使って、“俺たち自身がどれくらいプレイできるのよ?”っていうことを、もっとやりたいんですよね。その中で、また自然に強化できてきたらいいですけど、アルバムをあまりたくさん量産することが、果たしていいことなのかという。食っていくという観点でいえば必要となってくるんだけど「待て。食うだけでいいのか?」と。

●うんうん。

吉野:もっとプレイをしたいです。新しい曲は湧いて出てくるまで置いておけ、“よし、作ろう!”と思って作るなという話です。しばらくはそうしようかなと思った。客は多くても少なくてもどっちでもいいから、ライブをして、人と会って、「お前は誰だ?」「俺は俺だ」「やるぞ!」ってやったらどうなるのか。そういう選択をしたことによって、俺たちはどうなっていくのか。それはもっとやるべきだと思いますね。

●ツアーもありますけど、それ以上にもっともっとやりたいという感じですか?

吉野:できればね。でも、人が入らないから、それで限界ですわ(笑)。

●いやいやいや(笑)。

吉野:限界まではまわっていますけど。いつもけっこうルーティーンになっていて、ツアーをやったら次は制作というのはよろしくないと思うんですよね。地方って、アルバムのツアーじゃないと行かない所もあって、でもツアーじゃなくてもちょくちょく行きたい。いっぱい曲はあるから、「あの歌も聴きたいしこの歌も聴きたいな」と言われることも多いんですよ。アルバムのツアーだとアルバムの曲が中心になっちゃうし、できないじゃないですか。

●そうですね。

吉野:そのときの曲構成によって、ライブの雰囲気は全然変わっちゃうから、1回1回を違うものにする自信はあるし。そういう部分でもっとじっくりと各地でライブをやってから次のアルバムに行きたい。そうするべきだと思っていますね。もっと体を使って、汗をかいていかないと。それが今のやるべきことだと思っていますね。

Interview:Takeshi.Yamanaka
Assistant:Hirase.M

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