音楽メディア・フリーマガジン

KIDS

ひとつひとつの出会いを大切にしてきた彼らの新たな光

PHOTO_KIDS●3/7に心斎橋BIGCATで開催したワンマンは大盛況だったらしいですが、あのワンマンにかける想いは大きかったと思うんです。あの日はどうでしたか?

奥野:それまでの半年間ずっと考えて準備をしてきたからこそ、成功させることができたんだなって思います。思いつきでやってできるようなバンドではなかったので、半年間そこだけを見て走ったから良かったんだなと。

●気負いみたいなものはなかった?

奥野:いや、気負いもありました。不安でもあったし、当日までは精神的にもしんどかったです。ライブが始まってしまえば幸せな感情しかなかったんですけど、ワンマンの1〜2ヶ月前は追い込みの時期だったので、半分しんどくて半分楽しみという感じでした。

藤村:僕はビビリなので常に焦ってましたね。“お客さん本当に来るのかな?”って。ステージに立って幕が開くまで安心はできなくて。僕、当日はライブが始まるまで1回も客席を見なかったんですよ。ライブは奥野の歌始まりの「film」が1曲目だったんですけど、僕はずっと目をつぶってて、奥野の歌が終わって初めて目を開けたんです。

●それは怖くて?

藤村:怖さもあるし、「film」が歌始まりというのもあるし。

植田:僕は緊張はしなかったんですけど、正直な話、ライブの内容はあまり覚えてないんです。楽しすぎたっていうのもありますし、夢の様な時間で。ふわふわしてました(笑)。

藤村:ワンマンは大概覚えてないよな。

植田:うん。ずっとアドレナリンが出ている感じ。

片貝:すごく楽しかったなー。

●そんなワンマンを経て、今回3rdミニアルバム『一寸先の闇だって』がリリースとなりますが、今作はいしわたり淳治さんがプロデュースで入られて。いしわたりさんのプロデュースは、具体的にはどういう感じだったんですか?

奥野:今回の淳治さんプロデュースは、曲としての形をざっくりと作ってから入っていただいたんです。だから作曲というより、編曲の段階から入っていただいて、そこで歌詞も含めてプロデュースしていただいたんです。

●なるほど。

奥野:そんな中で、僕は特に歌詞についての話がすごく勉強になったんです。「歌詞がこうだからアレンジをこうした方がいい」って。それまでは歌詞に沿ってアレンジを変えるという意識はあまりなかったんですけど、「歌詞ではこういう場面になってるから、ここは騒がしい方がいいんじゃないか」「ここは静かな方がいいんじゃないか」みたいな。

●奥野くんは1人の世界観が強いタイプの人だと思うんですが、そこに他者が介在することに抵抗はなかったんですか?

奥野:最初はすごく抵抗がありました。特に歌詞に関しては人から何か言われることってほとんどなかったんですけど、抵抗っていうか、作詞の作業に人が入ることの理由が最初はよくわからなかったんです。でも淳治さんが尊敬出来る人だったのが大きくて。最初にマンツーマンで「歌詞とは?」みたいな授業をしてもらったんですよ。

●授業?

奥野:それが本当におもしろくて。例えば、お茶のペットボトルに書いてある俳句を題材にして、上の句を抜いて「君だったらここに何を入れる?」とか「この句をもっとロックにしてください」とか。

●穴埋め問題みたいな。

奥野:そうです。そこで「俺だったらこうするけど」って、僕が出した答えの遥か上を目の前で出されたんです。発想力とか回転力とかにびっくりして、“この人に手伝っていただいたら成長できる!”と思えたのが大きかったですね。

●いしわたりさんが入られた時点では、今作の6曲はほぼ揃っていたんですか?

奥野:M-5「一寸先の闇だって」以外はありました。5曲が既にあって、“作品としてどうまとめようかな?”と思って「一寸先の闇だって」を作ったんです。この曲もそうだし、作品全体にも言えることですけど、辛いこととかしんどいことを乗り越えるための音楽っていうか。「今週が終わったらライブに行けるな」とか「この仕事が終わったらCD聴けるな」みたいな、苦労の先にあるものを表現した曲を作りたいと思ったんです。そういうテーマは「一寸先の闇だって」を作ったときに明確になったんですけど。

●KIDSは以前からそういうメッセージを発してきましたよね。がんばるため、辛いことを乗り越えるための音楽であり存在になりたいということはライブのMCでも言ってきましたが、そういう想いが具現化した曲であり、作品だと。

奥野:そうですね。今作の曲を作っているうちに、色んなタイプがありすぎて“どうやってまとめようかな?”と思ったんです。だからアルバムとしてまとめるというより、KIDSが言いたいことを歌った曲を入れて、それを作品タイトルにすれば今のKIDSが表現できるかなと。

●「一寸先の闇だって」以外の5曲は、どれくらいの期間で作ったものなんですか?

奥野:M-6「Give and Take」は4年くらい前からある曲で、M-2「38.5℃」(サンジュウハチドゴブ)もそれくらい前からあったんです。でも「38.5℃」はライブではほとんどやっていなくて、一度お蔵入りになった曲なんです。

●あ、そうなんですね。

片貝:リズムパターンももともとは全然違う感じだったんです。

奥野:もともとは、もっとダークな感じの歌モノだったんです。当時は“バンドの雰囲気に合わへんな”と思ってお蔵入りにしたんですけど、それを引っ張り出してきて、淳治さんと一緒に作った曲で。

藤村:ほとんど違う曲になったよな。淳治さんと初めてやったのがこの曲だったんですけど、スタジオに5人で入って「この曲どうする?」って。

●そこでいしわたりさんからはどういうアイディアが出るんですか?

奥野:淳治さんは、最初にアイディアを出すというより「どうしたいの?」って訊いてくれるんです。そこで「四つ打ちにしたいです」と言ったら「じゃあやってみよう」って。それで実際にやってみたら「いい感じだね」って。そこで初めて方法論の話になるというか。

●なるほど。

奥野:「俺はこうした方がいいと思う」と言うんじゃなくて、「どっちがいいだろう?」と一緒に考えてくれるというか。だから本当に5人目のメンバーみたいな感じだったんです。

●「Give and Take」は4年以上前からある曲とのことですが、なぜこのタイミングで収録しようと?

奥野:“Give and Take”は自分たちの企画イベントのタイトルにもしているんですが、単純に僕が好きな言葉なんですよ。それにこの曲は、全国流通盤に僕らが初めて入った曲なんですよ。グッドモーニングアメリカ企画のV.A『あっ、良い音楽ここにあります。』(2010年8月)なんですが。

●はいはい。

奥野:隼人と初めて作った曲でもあるし、前のメンバーと作った曲でもあるし。そういう意味ではがっつりと色んな思い出が詰まっていて。タイトルも好きだし、歌詞も好きだし、思い出もいっぱいあるし。だからずーっと温存していたんです。大事すぎてずっと使わずに置いていたプレゼント、みたいな。でも今回タイアップの話もあったので、ちょうどいいかなと。

●アルバムのタイトルにもなっている「一寸先の闇だって」を聴いて思い出したんです。以前の取材で聞いた話なんですけど、昔の奥野くんは「“世の中がなくなってしまえばいい”と思っていた時期があった」と言っていたじゃないですか。

奥野:ありました(笑)。僕の暗黒期です。

●要するに闇を持ってましたよね。でも闇を持っている人が、闇の先にある光を歌った「一寸先の闇だって」を作ったということ自体が進歩だなと思ったんです。

奥野:そうですね(笑)。

●小さな違いなのかもしれないけど、“一寸先は闇かもしれないけど大丈夫”ではなくて“一寸先の闇だって大丈夫”というこの曲の視点が、KIDSらしいというか奥野くんらしい。

奥野:そうなんですよね。実は“一寸先は闇だって”にするか、“一寸先の闇だって”にするか迷ったんです。でも“一寸先は闇だって”だと闇がない可能性もあるから、それはなんか違うと思って、“一寸先の闇だって”にしたんです。

●人間としての成長がこの曲からうかがい知れますね。

奥野:そう言われて気づいたんですけど、確かに「あなたがヒーロー」や「一寸先の闇だって」は以前の僕では書けない歌詞ですね。暗黒期の僕は“ヒーローなんかおるわけないやん”と思っていましたから(笑)。

一同:アハハハ(笑)。

●さきほど授業の話がありましたが、作詞の部分ではいしわたりさんからどういうことを学んだんですか?

奥野:より主人公の気持ちになることと、より聴き手の気持ちになること…その両方が必要だと言われたんです。確かにそうだなと思って。

●主人公の気持ちになるというのは、今までも奥野くんが強く意識していたことだと思うんです。それに加えて、聴き手の気持ちになることが大切だと。

奥野:そうですね。例えば「Aメロ、Bメロ、サビまでのジャンプ台にしなさい」ということも言われたんです。やっぱり人がいちばん聴くのはサビじゃないですか。Aメロとサビがかけ離れすぎていても伝わらないだろうし。サビだけでもわかるけど、AメロとBメロがあればさらにわかる歌詞が理想というか。

●なるほど。

奥野:淳治さんにいろんな歌詞を見せてもらったんです。そこで「この歌詞のAメロがこうだったら、どう感じる?」みたいなやり取りをたくさんして。

●方法を教えてもらったわけではなく、感覚を教えてもらったというか。

奥野:そうですね。だから理論的な話はほとんどなかったです。

●ちなみに歌詞で1つ気になるところがあるんですけど、「一寸先の闇だって」には“放ツ光”という言葉が出てきますが、“放つ光”ではないんですよね。

奥野:そうなんですよ。放ツ願いという大好きなバンドがいたんですけど、僕は放ツ願いにたくさん光を貰っていたんです。

●やっぱり放ツ願いからきていたのか。

奥野:放ツ願いのライブで何回泣いたかわからない。俺と藤村は毎回ライブで泣いてました。

藤村:放ツ願いは三重のバンドなんですけど、解散してしまったんです。

●解散したんですか。

奥野:僕は彼らにすごく光を貰っていたので、何かを返したいなと思って歌詞を“放ツ”にしたんです。何か具体的なもので返すんじゃなくて、こういう形で返す方が自分らしいと思ったし、これくらいがいいなと思ったので。

●いい話ですね。

片貝:めちゃめちゃいい話ですよね!

●リリース後もライブがたくさん控えていますが、どのような感じになりそうですか?

片貝:僕らはライブの中で曲が成長していくバンドだと思っているんですけど、10月東名阪のファイナルシリーズまでに曲をしっかりと成長させて、バンド力を上げていきたいなと思ってます。

奥野:あまり気負わず、1本1本しっかりとやっていきたいですね。

植田:音源を届けに行くライブではあるんですけど、ライブはライブの楽しさをお客さんに感じてもらえるようにしたいです。

藤村:僕は打ち上げが怖いです(笑)。酒豪とちょいちょい対バンする機会があるので、そのときにどうしようかなと。

●藤村くんは打ち上げでは世話役になることが多いんでしたね(笑)。

藤村:そうなんですよ。打ち上げでベロベロになるメンバーも若干いるので(笑)、がんばります。

interview:Takeshi.Yamanaka

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