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LUNKHEAD

ひとつだけ信じたいことを信じるため、今を生きていく彼らが鳴らす音

LUNKHEADLUNKHEAD、約1年7ヶ月ぶりのニューアルバムが完成した。2012年から約1年間にわたりライブ活動を休止し、それぞれにソロ活動やサポートなどを経る中で自分たちを見つめ直してきた4人。個々の意識変化と超絶技巧のさらなる進化は、今作のサウンドに強力な勢いとダイナミズムをもたらしている。そして『メメントモリ』というタイトルからも伝わるように、“死”というものと真摯に向き合ったことで小高(Vo./G.)が描く歌詞の世界は深みと繊細さを増した。いつか訪れる死を意識した上で今をどう生きて、どんな音を鳴らすのか。彼らの答えがここにある。

 

「“生きる”っていうのは俺1人で生きているわけじゃないんだなとすごく思ったんですよね。たとえば大事な人が死んだら、自分の中でも何かが死ぬんだなと知った」

●今回のアルバムは『メメントモリ』(=死生観、いつか死ぬということを忘れない)という重いテーマを匂わせるタイトルですが、最初からそういうイメージがあって作り始めたんですか?

小高:『メメントモリ』というタイトル自体は、最後に付けたんですよ。去年の8月に事務所の社長だったボビー(湯浅)が死んだんですけど、その前の7月頃にちょうど彼と「次のアルバムはどうしようか?」という話をしていて。そこで「次が最後のアルバムになるくらいのものにしなきゃな」と言っていたんです。だから、最初はそういうところからでしたね。

●遺作になってもいいくらいの覚悟で臨んだ。

小高:「次があると思っちゃいけない」みたいな。“生きる”っていうことを今までずっと歌詞のテーマにしてきたんですけど、去年は“死ぬ”ということがすごく身近になったというか。東日本大震災もあったし、世界中では戦争で人が死んだというニュースが毎日のように入ってくるじゃないですか。理屈としてはわかっているつもりだったんですけど、すぐそばにいた人が突然死んだ時にすごく“死”というものが生々しく自分の中に入ってきて。今までに家族が死んだ時とかは病気だったりして、(ある意味では)死ぬ準備ができていたというか。でも昨日までピンピンしていた人が突然パタッと死ぬということがあって、「あ、死ぬんだな」というのがすごくリアルになっちゃったんです。

●現実的なものとして、“死”を実感したんですね。

小高:その後も友だちが自殺したりして、そういうことが去年は多かったんですよ。というところで、「“死ぬ”って何なんだろう?」と考えるようになって。たとえば友だちが死んだと聞かされるまでは、(自分の中で)死んだとは思っていないわけじゃないですか。そういうところで人はつながっているというか、“生きる”っていうのは俺1人で生きているわけじゃないんだなとすごく思ったんですよね。たとえば大事な人が死んだら、自分の中でも何かが死ぬんだなと知った。そういうものが今回の歌詞には反映されていると思います。

●“死”をキッカケに、“生きる”という言葉の意味も自分の中で変わった。

小高:今まで歌ってきた“生きる”というのは、“(これからも)生きるという前提で生きる”みたいなことだったんです。でも今回は“死ぬ”という前提がある上での“今、生きている”みたいなところがすごく大きいなと思ったので、『メメントモリ』という言葉がしっくりくるなと。

●かといって、ネガティヴな意味ではない?

小高:はい。俺がこのタイトルに込めたかった気持ちは「いつか死ぬんだから、今を楽しく生きよう」っていうことですからね。

●昨年は10月にソロアルバム『眠る前』を発表しましたが、そこから今作につながるものもあったのでは?

小高:ソロアルバムを作り始めたのは去年の春頃だったんですけど、そこにも“死”の匂いが漂っていたんですよね。あたかもボビーが死んだ後に作ったかのようだということを、周りからもすごく言われたんですよ。でも(制作時期的にも)意識してはいなかったはずだから。今までの“別れ”とかがそういうものにさせたんだと思うんですけど、それがボビーの死とすごくリンクしちゃって。余計に「俺はそういうことばっかり歌っちゃうんだな」と自覚しちゃったところもありましたね。

●ソロアルバムだからこそ、本当に自分が歌いたいことに向き合えたのかなと。

小高:そういうタイミングでもありましたね。2010年に前のドラムが辞めて今の桜井(雄一)さんが入ったんですけど、そこからは死に物狂いだったんです。前々作の『[vivo]』(2011年)っていうアルバムを作った時は、メンバーみんながすごくギラギラしていて。俺自身もちょうど世の中では幼児虐待や育児放棄とかがよくニュースになっていた時期だったので、自分の中で訴えたいことがすごくあったんですよ。「自分の正義を叩きつけたい」みたいな想いがその時はすごくあった。

●その想いが『[vivo]』には出ている?

小高:『[vivo]』は「新しい4人の音だし、絶対に不安や迷いを見せたくない」みたいな気持ちが音とか言葉にも出て、結果的にすごく強いアルバムになったんです。自分としても大好きな1枚なんですけど、LUNKHEADのファンって俺のナヨっとした青臭いところに「ああ、自分だけじゃないんだ」みたいな感じで共感してくれる人が昔はすごく多かったんですよね。だから『[vivo]』についてボビーに言われたのは、「これは若い子が聴いたら、親に説教されているみたいに思うんじゃないの?」と。今はファンもどんどん若くなっているので、確かにそうかもなとは思って。でもその時、俺はもう悟りの境地だったんですよ。

●悟りの境地?

小高:迷いとかもなくて。きっと『[vivo]』で出し尽くしちゃうだろうなと思っていたので、その時からもう次が恐くもあったんですよね。「次に俺は何を歌うんだろうな?」と。そこから次に出した前作の『青に染まる白』というアルバムでは、またパーソナルな世界に戻ってきたんですよ。「明日」っていう曲が前作に入っているんですけど、それはすごく自分自身の歌だった。『[vivo]』を作り終えた後にポロッとできてリリースツアーでもやっていたんですけど、ボビーに「そういうものが求められているんじゃないの?」と言われて。

●パーソナルな歌がファンからは求められていると。

小高:そこで「あ、こういうものが求められているんだ」と思って。30過ぎの男が歌うには青臭すぎると、今までは思っていたんですよ。だから「変わっていかなきゃな」と考えていたんですけど、自然とそういう曲が出てきた時に「別にこれでもいいのかな」と。「30過ぎて青春しちゃっててもいいな」と思ったんです。そういう感じで前作ができてからのソロアルバム制作だったので、やっぱり“ここから自分が歌うべきこと”ということについてはすごく考える時間になりましたね。

●そうやって考える時間が取れたという面でも、オリジナルアルバムとしては『青に染まる白』から1年7ヶ月ぶりという期間を設けたことに意味があったのかなと。

小高:LUNKHEADにとっても意味はありましたね。それまではずっと作品を出してはツアーというサイクルが続いていたので正直、お仕事チックになっていた部分もあって。そういうものを1回変えてみようということでした。ベストアルバムを出したりとちょいちょい動いてはいたんですけど、ライブが1年間ないということにはメンバーもかなりストレスが溜まっていましたね。

●でもその期間があったことで、活動再開後は今まで以上にバンド活動を楽しめているのでは?

小高:今はライブがすごく楽しいですね。やっぱりライブがずっと続くと、それだけで自分らがやるべきことをやっているみたいな気持ちにもなるじゃないですか。逆にライブがない期間は、「俺は何をやればいいんだろう?」みたいな感じで不安にもなるわけで。そういう中で自分たち自身でバンドのことを把握して、活動をまわしていく意識がメンバーの中にすごく生まれたんですよ。今までは本当にぼーっとしていたところから、自分のやるべきことをどんどん率先してやっていくみたいな感じになって。LUNKHEADのライブがない期間に、みんなの意識がすごく高まったんです。

●メンバー個々の意識も高まったことで、再び新鮮な気持ちで活動できている?

小高:やっぱり思ったことを100%歌詞にはできないし、演奏も曲も「もっとこうできたな」みたいなのが毎回あるんですよ。でもメンバーの演奏力だったり、自分のボキャブラリーや歌詞を書く技術とかは今も向上中だと思っていて。だから毎回毎回作っていて、自分たちでも新鮮に思えるのかなっていうのはありますね。

●新しいことに挑戦し続けていることも、活動がマンネリ化しない要因じゃないですか?

小高:俺は色んなことに挑戦し続けていますね。バンドもどんどん部活っぽくなっていて。演奏がめっちゃ難しいんですよ。みんな血管が浮き出るくらい必死で演奏して「あー、この曲つらい!」とか言うんですけど、「自分がそうしてるんじゃないかよ!」っていう(笑)。桜井さんが入ってから、そういう挑戦みたいなものがより一層強くなってきた気がします。みんなが“どこまで音を詰め込めるか”みたいな。

●演奏はどんどん超絶になっていますよね(笑)。

小高:でもその分、シンプルになってきているところもあって。昔はイメージした音像に近付けるためにギターをめっちゃダビングしたりもしていたんですけど、今は基本的に4人の音で完結しているというか。それはやっぱりライブが前提にあるからだし、今作もそういう音作りにはなっていると思います。M-12「幻灯」ではギターを10本くらい重ねていますけど(笑)。

●曲によってはそういうこともしつつ、4人の音だけでも完結できるようになったのはやっぱり技術の向上が大きいんでしょうね。

小高:でも逆に昔の自分たちの音源を聴いて、「結構カッコ良いことをやっていたんだな」と思ったりもするんですよ。当然、今より簡単なんですけど、工夫が見られるというか。「あれができないかわりにこうやって補っているんだな」っていうのが勉強になって、面白いですね。

●過去の自分たちが参考になったりもすると。

小高:10年くらい前に出した1stミニアルバム『影と煙草と僕と青』(2003年)の中に「最後の種」という曲があるんですけど、セルフカバーアルバム『REACT』(2011年)に入れたバージョンをこの前聴いていたら「すごくアレンジがしっかりしているな」と。そこから「こういう曲が今あるといいな」と思って作ったのが、M-9「未来を願ってしまった」だったりするんですよ。この曲は今作の中で一番ポップかもしれないですね。

●今作は後半に進むにつれて、どんどん明るくなっていく印象があります。

小高:後半はポップですよね。奇しくもそうなりました。M-8「raindrops」が箸休めになって、そこから後半に行くような流れになっていて。

●「raindrops」はアシッドフォーク的な匂いもある、すごく暗い曲ですよね。

小高:この曲は(山下)壮が作ったんですけど、最後に作ったので他の曲の世界観に合わせたらしいです。俺はニール・ヤングだと思っているんですけど、壮はピンク・フロイドのつもりでやったと(笑)。

●暗いと言えば、M-1「メメント」も…。

小高:でも最初はもっと暗かったんですよ。だから自分ではすごく明るくしたつもりなんですけどね…。これは「raindrops」以外の10曲を並べて聴いた時に「冒頭にSEっぽいのがあるといいな」と思って作りました。

●このアルバムを象徴している感じでしょうか?

小高:そうですね。タイトルトラックではないけど、『メメントモリ』というものを象徴するようなものが最初にあると、全体をまとめる役割になるかなと思って。

●今作を作り終えて、出し切った感はありますか?

小高:今までで一番出し切った感はある気がします。昔は技術的に未熟だったので「もっとできたな」っていう後悔ばかりが残ったんですけど、最近はだんだん曲を思ったように生み出せるようになってきて。今回が今までで一番「こういうふうなアルバムを作りたかった」というイメージどおりにできたというか。

●理想に近いものが作れた。

小高:そうですね。音もそうだし、全体の曲のバランスとかもすごく満足しているんですよ。今やりたかったことは全部出し尽くせたなって思います。

Interview:IMAI

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