音楽メディア・フリーマガジン

TOKYO SICKS

怒りと絶望の中で希望を求めて咆哮するアコースティック・パンク

PHOTO_TOKYO SICKS

音楽に希望を見い出し、ロックの道を夢見て別々に上京した3人が東京で再会を果たして2007年に結成。以来、2枚のアルバムをリリースしつつ、唯一無二のアコースティック・パンクサウンドを鳴らし続けているTOKYO SICKS。怒りと絶望の中で希望を求め、ライブハウスでシャウトする現在のスタイルは、すべてを失った末に辿り着いたものだった。2/20、待望のニューミニアルバム『BLUE(S)』をリリースし、3/16からリリースツアーが控えている3人に、TOKYO SICKSというバンドの原点と、“魂の叫び”とも言えるサウンドを鳴らしている理由を訊いた。

 

「そのときに“あっ、俺、東京でダイヴできてる!”と思ったんです。その瞬間ですね、このバンドでいけると思ったのは」

●TOKYO SICKSというバンド名ですが、実はみなさん関西出身なんですよね?

洋輝:そうなんです。僕はもともと関西でパンクバンドをやっていて、そのバンドが解散した後は1人で弾き語りでやっていて。そのときに不死鳥と京都のライブハウスで出会ったんです。

●はい。

洋輝:そのとき、不死鳥は3ピースのロックンロールバンドでギターヴォーカルをやっていたんですけど、風貌が怖くてそのときは仲良くならず。

不死鳥:会話はひと言もなかったよね。

洋輝:その後、僕はアコギ1本持って上京したんです。それが2007年のことなんですけど、そこで人を介して不死鳥も同時期に上京していたことを知って、会ったんですよ。関西に居た頃はほとんど面識がなかったんですけど、東京では知り合いが全然いなくて、2人とも孤独感を感じて寂しかったんですよね。東京で再会してから仲良くなり、僕のソロのサポートメンバーとして不死鳥にギターを弾いてもらうようになったんです。

●王子は?

王子:洋輝とはもともと関西で知り合いだったんですけど、僕は2人よりも先に上京していたんです。それで2人が東京に来て、ちょこちょこライブを観に行くようになったんです。ちょうどそのとき、僕はアップライトベースを買って間もない頃で、バンドを探していたんですよ。でもみんな「アップライトベースは違う」みたいなことを言われて断られ続けていて。

洋輝:王子は社会人をやっていたんですけど、「スタジオに入りましょうよ」といきなり言ってきたんです。「え? アコギとベースで何するの?」という感じだったんですけど、「一緒にバンドやりましょうよ!」って。最初は不死鳥も王子もソロのサポートメンバーという位置づけで“洋輝 with TOKYO SICKS”という名前で活動していたんです。それで初ライブから1年後のライブのときに、不死鳥が「“洋輝 with”を取ってTOKYO SICKSになろうよ」と言ってくれたんです。当時はメンバーにカホンもいたんですけど、そこからTOKYO SICKSというバンドになりました。

●3人とも関西で音楽をやっていて、何かしらの夢を追いかけて東京に出てきたわけですよね?

洋輝:そうですね。出身も関西なので、関西で音楽をやっていると友達がライブとかに来てくれるからそれなりに楽しいんですよ。でも“楽しいままで終わってしまう!”という危機感に襲われたんです。だから“しんどい思いをしてもいいから状況を変えないとあかん!”と思って、僕は友達も知り合いも居ない東京に出てきたんです。

不死鳥:僕も同じような感じでした。「ここに居ちゃいかん!」と。

王子:僕は学生時代に関西でバンドをやっていたんですけど、社会人として就職のために東京に出てきたんです。でも社会人が耐えられなくなってバンドを始めたんです。鬱積したものが耐えられなくなって、辞表を出して。

●上司に辞表を叩きつけて「俺はロックがやりたいんだよ!」と?

王子:いや、普通に辞表を出して送別会をやってもらいました。

●全然ロックじゃない!

一同:ハハハハ(笑)。

●今作『BLUE(S)』を聴いて思ったんですけど、TOKYO SICKSの音楽からは世の中に対する絶望感や失望感をすごく感じるんですよ。でも同時に、音楽に対して希望を持っているということもすごく伝わってくる。

洋輝:そうですね。TOKYO SICKSというバンド名もそうなんですけど、僕は希望とかを描くとき、暗いところやマイナスの状況からの視点で書くんです。一見絶望しているように見えるんですけど、僕はちゃんと希望を描きたいんです。

●TOKYO SICKSはアコースティック・パンクという独特のスタイルですけど、結成の経緯を聞いて、洋輝さんがもともとパンクバンドをやっていたこと、そしてメンバーが持っていたのがたまたまアコースティックの楽器だったからこのようなスタイルになったということがわかりました。

洋輝:まさにそうです。「こういう音楽性でやろう」とコンセプトを決めたわけじゃなくて、自然な流れですね。でも僕がアコギでソロの活動を始めた当初は、対バンはゆずみたいな優しくて爽やかな人たちとブッキングされることが多かったんです。でも僕はそういう音楽がルーツになくてわからなかったので、普通にやったらパンクの曲をそのままアコギで弾き語っているみたいな感じになっていて。

●ああ~、なるほど。

洋輝:最初は「そんなのアコースティックじゃない!」って賛否両論の“否”をめちゃくちゃ受けたんです。ライブハウスの人とかに「アコギ持ってシャウトするな! わけわからん!」ぐらいの勢いで言われまして。

●ちょっと可哀想になってきた(笑)。

洋輝:それで「じゃあポップな歌をやったらええんやろ!」って逆ギレ気味にやってみたら、自分の中で気持ち悪すぎて爆発しちゃったんです。「もうなに言われてもええわ!」ってSex Pistolsを弾き語りするくらいの気持ちでやり始めたんです。その頃に上京してメンバーと出会い、僕が作った曲をTOKYO SICKSでもやるようになったから自然と今のような音楽性になりました。

●なるほど。

洋輝:でもTOKYO SICKSをやり始めた頃も、アンケートとかで「良かったけど今度はエレキバージョンも観てみたい」みたいなことばかり書かれて、またそこでも「うるせえ! そういう考えがパンクじゃねえんだ!」とキレて。

●キレまくった結果、今のようなスタイルになったと(笑)。

洋輝:そうですね(笑)。

●過去に所属していたバンドが解散しているじゃないですか。ほとんど知り合いのいない東京でこのメンバーと出会って今まで続いているということは、「このバンドでいける」という手応えを感じた瞬間があったんですか?

洋輝:このメンバーと知り合って間もないころ、代々木laboの当時の店長さんに「自分たちの企画イベントをやってみなよ」と言われたんですよ。でも当時は知り合いのバンドも居なくて当然友達も居ないから、「僕ら友達も居ないのにそんなのまだ無理ですよ」と断ろうとしたんですけど、「なんとかなるよ。そういう場は自分たちで作った方がいいよ」と言ってくださって。

●はい。

洋輝:それでなんとかバンドを集めたんですけど、そしたらお客さんもなんとか入ったんです。その日のライブで僕は感極まってステージからダイヴしたんですけど、そのときに“あっ、俺、東京でダイヴできてる!”と思ったんです。その瞬間ですね、このバンドでいけると思ったのは。

●いい話だ!

洋輝:ダイヴができるということは受け止めてくれる人(お客さん)が居るということじゃないですか。

●お客さんが居なかったらそのまま床に落ちてますからね。

洋輝:床に落ちてたらそのまま死にたかったです。でも受け止めてくれる人が居て“バンドが1つになった”と思ったんです。そのときにちょうど不死鳥がブログで「彼は飛んだ。そのまま飛び続けてくれ」みたいなことを書いてて。

●ハハハ(笑)。すごくドラマチックな話だ。

洋輝:それにこのメンバーは、誰かが何をやっても「いいよ」って賛同してくれるんです。今はパンクみたいなメイクをしているんですけど、最初はまったくしていなくて。最初に不死鳥が「ちょっとメイクしたい」と言ったら「じゃあしよう」って。他にも、例えば僕が“このイベントでは喧嘩を売りたい”と思ったときに「女装したい」と言ったんですよ。そしたら「うん、いいよ」って。

●え? 女装?

王子:全員したよね。

●え? このバンドは変態なの?

洋輝:変態です。

●そうですか(笑)。

洋輝:なんでも賛同してくれて、すごく居心地がいいんです。ガチッとした信念みたいなものがいい意味でないんです。ガチガチに固められたバンドのフォーマットみたいなものってあるじゃないですか。しっかり練習して、ライブのMCでは決まりきったことを言って、みたいな。そういうのが僕は大嫌いで。もっとアートっていうか、その方が観ている人もおもしろいと思うんです。

●洋輝さんはもともとそういう考えを持っていたんですか?

洋輝:いや、昔はフォーマットに則ったものしか知らなかったので、ちゃんと練習して、演奏会みたいなライブをして、MCでは決まったことを言って、みたいな感じだったんです。

●それがいつから壊れたんですか?

洋輝:上京したときですね。僕はすべてを失ったんです。

●は?

洋輝:上京した時点で、音楽面ではバンドの友達とかお客さんは当然0になるじゃないですか。知り合いも王子が居たくらいで。だから基本的に孤独だったんですよ。それに加えて、僕は当時、関西で同棲していた彼女が居まして。5年くらい付き合っていたんですけど、僕は1人で上京したので遠距離恋愛になるわけじゃないですか。

●はい。

洋輝:彼女も「東京でがんばってね」と言ってくれて。そして、大阪には僕の親友の男が居まして、そいつはもともと一緒にバンドをやっていた奴なんですけど、親友だから僕の彼女とも仲が良かったんです。で、そいつも「彼女を置いていくのは心配かもしれないけど、なんかあれば俺がいるから安心して東京でがんばれよ」と言ってくれて。

●まさか…。

洋輝:上京して1週間くらいかな? 彼女と急に連絡が取れなくなったときがあって、それからなんか様子がおかしくなったんです。それで電話したときに「なんかあったら言ってよ」と訊いたら「あんたとはもうやっていけない」と言われて。まあ遠距離だし仕方がないなと思っていたら…。

●まさか…?

洋輝:周りの友達によくよく訊いたら、僕の親友とデキてたんです。

●やっぱり!

一同:ハハハハ(笑)。

洋輝:僕はそのとき、支えてくれていた恋人と親友を同時に失って、本当に底辺まで落ちたんですよ。それまで、東京でライブをしたときのMCは「よろしくおねがいします」と暗く挨拶するような奴だったんですけど、恋人と親友を同時に失って“俺はもう失うものはなにもない…要するに無敵だ!”となってからは、ライブのMCでも「おいお前ら!」と口調も変わったんです。

●守るものがなくなったら、後は攻撃のみだと。

洋輝:そうそう。僕の頭の中で実際に音が鳴るくらい「プチーン!」と切れて、“俺はもう誰の言うことも聞かない! 誰も信じない!”と。だからアコースティックでパンクやるのはどうこうと言われても「うるせえ! 一般人が!」と。

●ハハハ(笑)。

洋輝:でもそういう想いでやり始めたら理解してくれる人が増えて、お客さんも増えて、それが今に繋がっているんです。

●そういうことか。

洋輝:そんな感じで、僕には人間を嫌いになった思い出があるんですけど、でもそれがあったからこそ今があるんですよね。

●それがTOKYO SICKSの原点なんですね。

洋輝:その頃に作った「TOKYO SICKS」というタイトルの曲もあるんですよ。“東京で病んでる”ということをひたすら歌っている曲なんですけど、バンド名はその曲から来ているんです。

●洋輝さんは愛すべき人ですね(笑)。
不死鳥&
王子:はい(笑)。

interview:Takeshi.Yamanaka

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