音楽メディア・フリーマガジン

怒の百十五 「驚きは、霧の彼方に」

どちらかと言えば、カラオケに行く方です。友達とも行くし、食事会のあと多人数で行くこともあります。よく歌うのは、嵐の数曲と昔のヒット曲。意外と他人から評判のいいのが、演歌です。森進一や前川清の歌を少し粘着質に歌いあげるのですが、それが聴く人の心を捉えるみたい。
「歌い方が、甘いね」
「エロっぽい歌い方がしびれます」
とか、よく言われます。調子に乗って何曲も歌ったりします。だから、音痴ではないのだと思います。インスタントラーメンを食べても、高級な寿司屋に行っても、この味は値段の割には美味しいとか美味しくないとかの判断が出来ますので、味音痴でもないと思います。運動は苦手なので、運動音痴だとは思います。自信を持って言うことではないのですが、方向音痴に関してはチャンピオンクラスだと思います。
もう、凄いです。新しい場所に行く時は、ほぼ100%迷います。しかも、生半端な迷い方ではないのです。昔、二見書房という出版社に行こうと護国寺で降りました。普通なら、徒歩数分で行ける距離です。尚かつ、駅前通り沿いにあるビルです。迷うはずない。僕は、そう思いました。通りを歩きながら、右手のビルに目を光らせました。見落とさないように、慎重に進みました。結論から言うと、数分で行けるとこに一時間以上かかりました。数分歩いても見あたらない。じゃあ、あと数分進もう――その繰り返しで、30分くらい歩いたのでした。当然、元の駅前に戻るのに同じ時間かかるわけです。スタートした場所で、ふと横を見ると、そのビルに「23」と書かれた看板が出てました。さっきも見かけたビルでした。気にもとめず、先に進みました。でも、一度戻った時、よくよく考えてみました。「23」? これって、「にじゅうさん」って読むのではなく、「ふたみ」って読むのでは? 「ふたみ」……つまり「二見」! そう、最初にスタートした場所にあったのが、二見書房だったのでした。
高校の時、友達の親がやっている工場でアルバイトしたことがあります。わずか3日で辞めたバイトでした。何故、短期間で辞めたのか? その理由は、方向音痴につきました。その工場は、自宅から2キロくらいのとこにあり、僕は自転車で通うようにしました。ものの数分で着く距離です。工場の玄関横に自転車をとめ、1日目のバイトが終了しました。僕は自転車に乗り、自宅へ帰ろうとしたのです。最初は、鼻歌まじりでペダルを漕いでいたのですが、数分たっても見覚えのある景色にならないのです。あれ、道に迷ったかなと思っていると、目の前が霧につつまれはじめました。その霧を抜けると、いきなりお城の石垣が現れました。それは、和歌山城の石垣でした。僕は、自宅に帰ろうとして、実は逆方向に自転車を走らせていたのでした。和歌山城から、自宅までは、一時間以上かかりました。なんで、反対方向に来たんだろう? 僕は、首を傾げつつ、汗だくになって自宅へと辿りついたのでした。
次の日。僕は、工場の玄関横に自転車をとめながら、今日は絶対に間違わないぞとの決心をしました。昨日のような苦労は、二度としたくなかったのです。バイトが終わり、工場前の道を確認しました。朝、こっちの道から来たのだから、そこを戻って行けばいい。
僕は、来た時に目にした公園や団地を目印にしながら、自宅への道を急いだのでした。途中まで、いい感じで進んでいたのです。ある瞬間、ハッとしました。目の前に、霧が立ちこめていたのです。その霧を抜けると……! ああ、またしても、石垣が目に飛び込んで来たのです。それは、和歌山城の石垣でした。襲いかかる絶望感。深いため息をつきながら、僕は、重い足取りで、自転車を自宅に向けて走らせたのでした。
3日目。僕は、ある秘策を考えつきました。工場の玄関に着いた時、来た道の方に自転車のハンドルを向けておくというものでした。これなら、間違うはずないのです。僕は、安心してバイトに精を出しました。やがて、夕方になり、バイトが終わる。僕は、玄関に来ました。
自転車は、そのハンドルを自宅側に向け、主の到着を待っていました。僕は、やおら自転車に乗り、ハンドルの示す方へと、ペダルを踏みしめたのでした。今回は、鼻歌も出ず、ひたすら前を見続けました。もし、少しでもおかしいことがあれば、微調整出来るようにです。見慣れた道。あの橋も渡りました。あのスーパーもありました。そう、あの四つ筋を曲がると、自宅近くの歩道に出くわすはずでした。曲がりました。目の前に、霧がありました。霧の向こうに朧ながら天守閣の屋根が見えました。和歌山城! 帰るのに、一時間! 僕は、泣いているような、それでいて笑っているような、奇妙な表情でペダルを漕ぎながら、バイトを辞める決心をしていました。

怒の百十四 「アイドルのカタチ~ニッチアイドルへと……」

今のアイドルは、凄い。
半端なくスキルが高いのだ。ほんとだったら、シンガーやパフォーマーとして活躍出来そうな人たちが、アイドルのカテゴリーで精進している。そのため、益々レベルが上がっていく。考えてみれば、この新たなウエーブは、2、3年前くらいから起こり始めたのではないか。
モーニング娘。が、長期の低迷に飲み込まれて行った時、これで日本のアイドルも終わったと思った人がたくさんいた。歌や振り付けでファンを楽しませる正統的なアイドルは、死に絶え、一部グラビアアイドルのみが、生き残った。彼女たちは、積極的にバラエティに進出し、お笑い芸人に混じって本音トークを過激に展開し、ひたすらアイドルの輝きを鈍くしていく作業に狂奔した。その結果、アイドルから「夢」が失われ、ごく一握りの女性を除き、グラドルは消滅した。自らの私生活、スキャンダル等をネタにする手法は、まさにタコっぽく、結局は食べられる足がなくなり、存在が消えた。
かつてないアイドル氷河期が訪れた時、逆に注目を集めたのが、ジャニーズ系の男性アイドルだった。中でも、中堅アイドルのひとつだった「嵐」が、再評価され始め、ジワジワとその人気を高めていった。
松本潤の連続ドラマ「花より男子」のヒット、「硫黄島からの手紙」で、ハリウッド映画進出を果たした二宮和也、ニュースキャスターで垣間見せた櫻井翔の知性、圧倒的な大野智のダンスパフォーマンスと抜群の歌唱力、日本一のアイドルスマイルで、「笑顔注意報」とまで言われた相葉雅紀の可愛らしさ……。そんな個々の力が合わさって、嵐は、デビュー直後のアーチストパワーを、再び発揮し始めた。
シングル、アルバムのCDの売り上げ、ライブDVDの売り上げが、すべて一位となり、他のアーチストを圧倒した。勢いを増した嵐は、若い女性だけではなく、男性ファンや、本来は韓流ファンの主婦層をも巻き込んだ、一代ムーブメントを自らの力で構築していき、アイドルの持つ底の深い魅力を、僕たちに再発見させてくれたのである。

嵐の一番の魅力は、何か?
それは、ライブパフォーマンスである。彼らのライブは、アイドルとしての可愛らしさを失うことなく、実に質の高いステージングを披露してくれる。仲の良さがもたらす、美しいフォーメーション、純粋なまでのユニゾン、高い歌唱力と、キレのいいダンス、そして、トークの面白さ。嵐のコンサートが、毎回プラチナになるのは、当然と言えば当然なのだった。
さて、そんな嵐が巻き起こしたアイドルへの追い風が、AKB48のブレイクに繋がったと僕は思っている。嵐の質の高さ、セールスパワーの凄さが無ければ、アイドルのCDやDVDが、ミリオンになる現状は生まれてなかったはずだ。

日本のアイドルが、氷河期を乗り越え、何回目かの黄金期を迎えようとしている。特に、女性による集団アイドルの活躍がめざましい。歌だけでなく、体を張ったパフォーマンスもお笑い芸人以上の過酷なものをこなす。可愛くて、歌やダンスが上手くて、トークが出来て、お笑いまでこなせば、もはや完璧。本来、歌とダンスを売りにしているアーチストも、アイドルに負けていられないと、いい意味での切磋琢磨が起こることで、業界全体が底上げされるものと思え、音楽ファンの一人として、とても嬉しい状況なのだった。

しかし――。
僕の中のアイドル像は、少し違う。僕が、中学生の頃、高校生の頃、熱中していたアイドルは、もっともっとたどたどしかった。歌も振り付けも学芸会レベルで、アイドルは、そんなものと思い込んでいた。ただ、その可愛らしさは、半端ではなかった。浅田美代子、石野真子、倉田まり子、菊池桃子……彼女たちを表現するには、「アイドル」というしかなかったのである。
だから、僕は、そんなアイドルを復活させたいと思ったのだ。この時代に、流行らないかもしれない。単体で、申し訳程度の振り付けで、素人っぽく歌うアイドルなんて、お呼びでないのかもしれない。でも、僕は見たい。少なくとも、僕は、そんなアイドルを見たい。ニッチなアイドル。いわゆる、隙間アイドルと命名し、僕の作った歌を唄ってもらう。
僕だけが楽しくっていい。そんな気持ちで、僕だけのアイドルを生み出していく。名付けて「ニッチアイドルプロジェクト(NIP)」。ごく一部の人、楽しみにね。

怒の百十三 「敵に渡すな、大事なリモコン!」

最近、街を歩いていても、ついつい人間観察している自分に気づく。大声を出している人や、横に並んで道を塞いでいる人とかに出くわしても、イラッとしないのだ。それどころか、「観察材料発見!」とばかりに嬉しくなってしまうのである。それにしても、ほんとに世の中には色んな人間がいる。
大阪で多いのが、「棚に上げおばん」だ。自分のことを棚に上げて人を批判するおばちゃんを何人見たことか。今から数年前のことだ。京橋からバスに乗って蒲生に向かっていた。途中、いくつかのバス停がある。普通、自分が降りるバス停が近づいて来ると、車内の前方に移動する。降りないのに、前を塞いでいると他の人に迷惑をかけるからだ。
僕は、蒲生に着くまでいくつかのバス停があるので、後ろの方に佇んでいた。その日は、ほぼ満員だったので、運転席横の降車扉あたりも人が群がっていた。その一番前に陣取っていたのが、60歳くらいのおばさん二人だった。どちらも天龍パーマで、ジャージともなんとも言えないルーズっぽい服を着ている。僕は、「あの二人は、次ぎのバス停で降りるんだな。だから、ああして、降車扉前にスタンバイしているんだな」と、思っていたのである。だが、違った。バスが停まっても、降りようとしないのだ。そればかりか、他のお客が降りようとしているのに、天龍パーマが身じろぎもせず立ち塞がっているので、スムーズに降りられないのである。しかも、しかも、他のお客がおばさんの横をすり抜けようと努力しているのに、舌打ちで威嚇しているのだった。
結局、その天龍パーマコンビは、蒲生でも降りなかった。おそらくは、終点まで乗って行ったのではないか。なら、最後尾にいてもよかったはずなのに、最前列に居座る「棚に上げおばん」。その面目躍如だったのが、僕が降りる時に耳に入って来た彼女たちの会話。
一人のおばさんは、料金箱に肘を乗せ、もう一人のおばさんは、手摺りのパイプに尻を擦りつけ、見るからに怠惰な状態で何か言い合いしていた。僕が把握したのは、次ぎのようなやりとりだった。
「あんたな、うちの団地で評判やで」
「なんてや?また悪口違うの」
「いいや、あの人は、神様みたいな人やって」
「アホ言いなや。私は、普通の人間や」
「でも、素晴らしい人やて」
「言うとくで、私は、神様でも聖人でもあらへん。ただな……」
きつめの天龍パーマが、そこで、一呼吸置いた。僕は、そのあとどんな言葉を吐くのか、とても気になったので、ジッと耳を澄ましていた。そのおばさんのなんとも強烈な一言。
「ただな、これだけは言える。私は、人に迷惑かけたことだけは一回もないんや」
僕は、頭がクラクラした。おばさん二人が、降車扉前に陣取って、降りようとするお客に目一杯迷惑をかけている。そのおばさんが、「人に迷惑をかけたことがない」と断言する。
まさに、アンビバレントな瞬間だった。

この頃、日焼けを嫌う女性が増えた気がする。だからだろう、大きな日焼け防止の帽子を着用している人が目立つ。顔の半分以上を覆う溶接用の面みたいな日よけグラス。耳元から首筋までフォローする覆面。遠目で見ると、まるでダース・ベイダーだ。そんなものを着けて、自転車で疾走するおばさんは、甲冑で身を包み、槍を携えて、馬上で決闘する騎士そのもの。ヒース・レジャー主演の映画「ロックユー」を彷彿とさせてくれる。
この前、蒲生の交差点で、信号待ちしていたら、僕の横に、日焼け防止のメットでフル装備し、自転車のハンドル部分に傘を屹立させたおばさんがいた。そして、対面で信号待ちしている人の中に色違いの同じメットと、傘に自転車のおばさんがいた。この両者が、信号が青に変わると同時に差し違えるかのように走り出したのである。蒲生の交差点が、完璧に、「ロックユー」の世界に変貌した瞬間だった。

日焼け防止の帽子は、ダース・ベイダーだけではなく、ロケッティアみたいなのもあるし、ボバ・ヘッドみたいなのもある。京橋近辺で目撃したのは、ベイダーとロケッティアが並んで歩いている向こうから、茶色い毛布のようなもので全身を包んだホームレスだった。遠くから見ると、タスケン・レイダースそのもの。そして、さらにその向こうからジャージの上を伸ばして頭を覆ったおじさんが歩いて来る。頭を覆っている分だけ、両手が上に引っ張られ、まるでジャミラみたいに見える。
ベイダーに、ロケッティアに、タスケンに、ジャミラ……、一体ここは日本なのか。タトウィーンのカンティーナではないのかと思えて来る。人間観察が趣味の僕からすれば、何時間見ていても飽きが来ないのである。

最近、仕事場を引っ越しした。谷町四丁目から、阿波座に。で、そこでも凄い人間を目撃した。この前、夕方に仕事場に向かっている時のことだった。駅前の喫茶店の横で、若い女性が掃き掃除をしている。僕は、それを邪魔しないように通り過ぎようとしたが、その時、女性の動きがピタリと止まったのだ。手を止めたのではない。ピクリとも動かなくなったのだ。変だなと思いつつ先に進むと、目つきの鋭い女性と遭遇した。その女性の目は、掃除をしている女性に向けられている。睨んでいるというか、見据えているというか、突き刺すような視線なのだ。その女性は、手にエアコンのリモコンみたいなのを持っている。それを、動かない女性に向けている。僕は、歩きながらもその二人の女性に注目していた。気になってしかたなかったからだ。リモコンを持った女性は、そのリモコンを大きく振り上げ、どこかのボタンを押したように見えた。
すると。
ピタリと止まっていた女性が、再び掃除を始めたのだ。僕は、言葉を無くした。これは、偶然なのだろうか?それとも、掃除の女性は、リモコンによってコントロールされているアンドロイドなのだろうか?その二人の女性がその後どうなったのか、僕にはわからない。ただ、偶然とは思えない不可思議な現象を、たまたま僕が目撃したのは確かである。
あの「鉄人28号」の正太郎君のように、その女性が持っていたのは、アンドロイドを自在に動かす大事なリモコンだったとすれば、絶対に敵に渡してはならないものだと思う。
そしてまた、あの若い女性型のアンドロイドが、掃除だけの能力しかないのか、もっともっと秘めた能力があるのか、その疑問も解明されないまま、今に至っている。
その後、何回も、駅前の喫茶店の前を通っている。
だけど。
あの二人には、会えないままだ。

怒の百十二 「5・1チャンネルへの道!」

いくつもの原稿を抱え、順次執筆していたのですが、あの忌むべき災害が勃発しそのショックから何も手つかずになっていました。あれからほぼ10日がたち、やっと気持ちも落ち着き始めたところです。冷静に考えて、僕達に出来るのは被災された方々の無事を祈ることと義援金の寄付を積極的に行うことだと思います。この義援金活動に関しては、テレビでの扱われ方が少なくなって来ても続けるべきで、正直いくら集まっても足りないという認識を持つべきではないでしょうか。ただ、あくまでも自分の出来る範囲での寄付が大事だとも思います。
今、僕の一番の趣味はホームシアター鑑賞です。何年か前に知人から安価で譲ってもらったプロジェクターは、気が向くと寝室の壁とかに映していたのですが、面倒くさいのとそれほど綺麗に映らないので、しばらくは押し入れの中で睡っていたのです。ホームシアターに対するあこがれはありました。しかし、きちんとしたホームシアターを作るにはかなり高額の資金がいるのです。それやこれやがあって、一時僕の頭の中からはホームシアターは完全に姿を消していたのです。それが、どうして僕の中でシアター熱が再燃したのでしょうか? そのきっかけは実にたわいないこと。ほんとに、ひょんなことからでした。谷町四丁目のマンションが手狭になってきたこともあって、去年の夏、阿波座の方に仕事場を移動させたのです。で、その新しい仕事場のレイアウトが偶然にもシアター向きだったのですね。ちょっと変形のリビングがあって、そこを仕切るために棚を置きその手前にソファを置きました。そのソファに座ったら、ちょうど目の前3メートルくらいの所に白い壁があったのです。うまい具合にソファの背には棚がある。この棚にプロジェクターを置いて壁に映写してみたらどうだろう。思いたったが吉日で、すぐにセットしてみたのです。古いDVDのデッキがあったのでそれをプロジェクターに繋いで。プロジェクターをオンにし、リビングの電灯を消すと、なんと見事に美しく映像が白い壁に姿を現したのでした。ソファに身をしずめながら少し見上げる感じでスクリーンを凝視する。まるで映画館。いえ、ある意味劇場よりも美しい迫力がある。なんともいえない贅沢な快感が僕を虜にしました。この時は、絵だけを映したのですが、やはり音もほしい。絵だけではドラマがわからない。なので、手持ちのカセットデッキにラインを繋いでそこから音を出しました。ピンプラグのラインが短くて、プロジェクターの真下にデッキを置くしか無く、うしろから音が聞こえてくる状態でしたが、それでも感動しました。買っただけでパッケージすら開けてなかったDVDをひとつひとつ紐解いてじっくりと見る毎日でした。
何日かそういう生活を続けていると、少しずつ贅沢になっていくものですね。もっといい環境作りに思いがいくようになってきたのです。といっても、たわいないことです。まず、うしろから聞こえている音をスクリーン側から聞こえるようにしたい。そのためには、カセットデッキを壁側に置かないといけない。つまり、長いラインのピンプラグが必要なのです。早速、ヨドバシまで出かけました。いろんな長さのプラグ、アタッチメント、変換機器が揃っていました。そこで7メートルのピンプラグを買い、デッキを壁側に設置したのです。最高でした。最高ゆえに、また別の考えが頭をもたげてきたのです。こんなカセットデッキの流用でこんなに凄いのだから、ちゃんとしたスピーカーを繋いだらもっと凄いのではないか、と。そういえば、昔買ったコンポがチューナーの故障で押し入れに押し込まれている。アンプとスピーカーは生きているから、あれを繋いでみては。
ほこりをかぶりながら、押し入れを大捜索し、見つけました。そして、繋ぎました。ステレオで聞こえるその音の素晴らしさ! さあ、そうなると、今度はDVDデッキです。何年も前のモデルですから、再生能力が実に低いのです。ここは、ブルーレイデッキをと考えました。プロジェクターは、ハイビジョン対応ではないので、通常のデッキでも充分なのですが、やはりブルーレイのデッキで再生するとクリアさが違ってくると言われていました。日本橋に出て、再生オンリーのブルーレイデッキを探しました。ポイントは、安価であること。すると、中国製のが9千円であったのです。それをセッティングして上映すると、これが期待以上に綺麗に映る。もっと、もっと、と気持ちがアップしていく。つまり、通常のピンプラグで繋ぐのではなく、もっとスキルの高いプラグで繋ぐ。ピンプラグの高価なのを使用すると、やはり違う。解説書とかを読むと、コンポーネントプラグというのが、アナログ対応としては最高らしい。ヨドバシカメラに出向き、購入。ただ、このコンポーネントはノイズが出て、繋ぐのを断念しました。
そんな最中、以前知人からもらっていたフロントとリアの4本のスピーカーと1個のセンタースピーカーがあるのを思い出したのです。ただし、これを繋ぐにはちゃんとしたアンプが必要になる。でもそのアンプさえあれば、前からも後ろからも音が聞こえるのです。音響も劇場並になるのです。僕は、思い切ってヨドバシに向かい、一番安いアンプを見つけ購入したのでした。ブルーレイのデッキから音声出力しアンプの入力へ。これで、いわゆる5・1チャンネルの世界――そう思っていました。デッキにセットしたソフトは、嵐の国立。ワクワクしながら、アンプのスイッチオン! ああ、しかし、5・1チャンネルどころか、どのスピーカーからも音が出ません。解説書を読んで、試行錯誤しましたが、音が出ないのです。悩みました。繋ぎ方は完璧です。なのに、音が出ない。三時間くらい考えこんで、ある瞬間ハッと感じたのです。もしや、と。それは、ブルーレイデッキ! これは、中国製の安物。ひょっとしたら、このデッキ、版権無視なマシーンではないのか。日本製のアンプは、それを察して、繋げなくしている。そう考えると、コンポーネントプラグがノイズで再生が出来なかったのもわかるのです。僕は、ヨドバシに走り、日本製のブルーレイを買いました。まずは、コンポーネントを繋ぐ。そして映写。思惑通りでした。なんというクッキリした画面。あのステージ上の滝の迫力。そこから登場する嵐五人の爽快感。これで音響も、と思ったのです。確かに音は、スピーカーから流れてきました。でも、フロントからのみなのです。リアは、うんともすんともいいません。僕は、このスピーカーをくれた知人に電話で相談をしました。不備はどこにもない。なのに、リアが作動しない。知人は、ふといいました。アンプにはどれで繋いでいる? 僕は、答えました。赤と白のピンプラグです、と。知人は、低い声でいいました。
「そら、そやろ」
「何で?」
「アナログのライン二本でつないでたら、二本のスピーカーからしか音は出ない」
知人は、常識やろという言葉をなんとか飲み込んだみたいでした。そうです。5・1チャンネルに対応するには、デジタルのラインが必要なのでした。僕は、ヨドバシに走り、光デジタルのラインを買いました。それで、スイッチオン! だけど、やはりフロントだけ。僕は、ちょっと怒った感じで知人に電話をいれました。言う通りにデジタルラインにしたのに、リアから出ないんだ、と。知人もさすがに困ったようでした。ゴメン、そう一言いうと、知人は電話を切りました。もしかしたら、このスピーカーが壊れているのかも。そう僕は、思いました。そんな時、知人から電話がかかってきました。嵐のDVD、5・1チャンネル対応かと聞くのです。僕は、パッケージを点検しました。STEREOとなっていました。彼は、いいました。ステレオは、2チャンネル。リアから音が出るはずない、と。残念ながら、嵐のライブは5・1チャンネルではなかったのです。
僕は、パッケージをチェックし、5・1チャンネルに対応しているソフトを探しました。そして、白羽の矢をたてたのが、「千と千尋の神隠し」でした。きちんとパッケージにも、5・1チャンネルと表記されています。僕は、今度こそとそれこそ神に祈るきもちで「千と千尋~」を再生したのでした。ああ、だけど、無慈悲にもリアからの福音は僕の耳には届きませんでした。
今、僕はゆったりとソファに腰掛け、すべてのスピーカーから流れる音響とじつに美しい映像で「千と千尋~」を楽しんでいます。本編を見る前のセットアップで音声を5・1チャンネルに設定するだけでした。まあ、ここに辿りつくまでの道のりは決して平坦ではなかったけれど、結果としては苦労したからこそ、今の充実感があると思っています。
100インチのスクリーンと、全身を包む音響に酔いしれながら、もしこれ以上の願いを叶えてくれるのなら、是非とも嵐のコンサートは5・1チャンネル対応のブルーレイディスクでリリースしていただきたいと思います。

怒の百十一 「B級怪獣映画への誘い……」

嵐の凄さに改めて気づかされた去年の大晦日。「紅白歌合戦」の司会に抜擢された五人は、見事にその大役をこなし、白組のメンバーとしても至高のパフォーマンスを披露してくれました。ゴシックな曲調と、複雑な振り付けで知られる大ヒット曲「Monster」を、いつもながらの美しいフォーメーションと抜群の歌唱力、そして圧倒的なダンススキルで嵐らしさを存分に発揮してくれたのでした。ほんとにでも最高のステージでした。ハードディスクに保存しているそれを、何回リピートしたかわかりません。2010年は、まさに嵐の年でしたが、おそらく今年2011年も嵐の年になることでしょう。熱烈なファンになって、まる五年、今年も僕は嵐を心から応援します。
最近、DVDを借りて仕事場で見る癖がついてしまいました。実は、二年ほど前、友人から廉価でプロジェクターを譲ってもらっていたのです。ただ、プロジェクターというのは、スクリーンを設置したり部屋を暗くしたり等、手間がかかるのであまり使用していませんでした。つまり、面倒くさいのですね。そんな時、仕事場を引っ越ししました。阿波座の方に。大量にあった単行本をどうにか面だししたいと思い、広いところに仕事場を移したのです。その仕事場は、キッチンのよこがリビングになっているのですが、そこがちょうどよかったのです。広いリビングを間仕切りするために、ソファを置くと2メートルほどのとこに白い壁があって、アレッと思ったのですね。ソファに座ると、その壁が上手い具合に100インチほどのスクリーンに見えるわけです。ならばと、ソファの後ろにネットの棚を置いて、そこにプロジェクターをセッティングしてみました。それで、映してみると、見事に綺麗に映るのです。ソファに座って100インチの画面をゆっくり見ることが出来るようになったのです。ブルーレイのデッキを日本橋で9000円で手に入れ、2000円で外部スピーカーを買って、迫力のホームシアターを完備したのです。思った以上に美しく、映画館並の迫力映像が24時間いつでも見ることが出来るわけですよ。で、ここ最近は、近所のTUTAYAでDVDを借りて、部屋飲みならぬ部屋見三昧な僕なのでした。
嵐のライブを大画面で見ると、マジで凄い。臨場感が半端ではないのです。数あるライブDVDの中でも東京ドームの「Time」、国立競技場の「5×10」を何回も見ています。噴水とか、花火とかの仕掛けも迫力満点だし、松本潤のMJウォークも今さらながらに驚きます。大野智のステップも、実に細かくチェック出来るしね。嵐のフォーメーションの美しさも堪能出来ます。あと、嵐の映画とかドラマを見るのも楽しいです。「花より男子 FINAL」もかなりリピートしてますね。
嵐以外の作品も毎日見ています。劇場に行きそびれた作品や、評判の高い作品を選んで借りるようにしているのですが、数に限界があります。そのうち借りるものがなくなってきて、やはりB級C級の映画にも手を伸ばすようになるのですね。基本的に、日本の劇場で公開されている外国映画というのは、バイヤーが厳選したものなんですね。巨額の製作費がかかっている作品、有名俳優が主演している作品、出来のいい作品……そういうものを劇場で公開するわけです。なので、ごく稀な例外を除いては未公開映画はつまらないと思って間違いないのです。そんな未公開作品こそが、レンタルDVD屋の主力商品になっているのですね。
中には、ほんとに酷い作品もありますからね。正直、アルバトロス系の怪獣映画は、ゴミです。ある意味、僕はゴミ系も嫌いではありません。ゴミの中にも、キラリと光るものがあったりするのです。まあしかし、そういったゴミ系は、好きだからこそ光っている部分を探しあてられるわけで、一般の人にはお薦め出来ません。もちろん僕も、余計な労力なく楽しく見られる映画がいいのです。B級、C級の中にもまともに面白い作品があったりします。掘り出し物をこの目で見極めたいのです。だから僕は、TUTAYAに行くと目を皿のようにして、パッケージの写真やストーリーを吟味します。パッケージのイラストとかは参考になりませんよ。あれは、厚化粧の女性みたいなもので、パッケージに惹かれて部屋に持って帰るととんでもないことになりますので注意してください。
僕は、怪獣映画の大ファンなので、DVD化されている作品は大概見ています。外国の怪獣ものは、日本ほど発想が飛んでいませんので、その大半が現実の生物を巨大化しただけのものです。好んで使われるのが、蛇ですね。あと、蜘蛛、蠍、蛸といったあたり。中には、イグアナとか、太古の恐竜が甦るとかですね。向こうの人達は、合理的というか、唯物的というか、イメージが貧困なわけです。「クローバーフィールド」という映画に登場した怪獣は、やせ細った老人と深海魚と蜘蛛を合成したような形状で、珍しくオリジナルな造形でした。あれは多分に、日本製の怪獣映画を意識した作品でしたね。
TUTAYAに行くと、ズラリと怪獣映画が並んでいます。そんな中で、何をチョイスすべきでしょう? 少なくとも、ゴミ系怪獣は避けたいですよね。怪獣の特撮と人物シーンがシンクロしないのが、ゴミ怪獣ものの定番なんですが、その代表例が「ホワイトコング」。コングがずっとあっち向いています。あと、「コモドリターンズ」や「パイソン」「アナコンダ3」「アナコンダ4」もあっち向いています。逆にお薦めは、「プテラノドン」。ある島で、プテラノドンが大量発生し、人々を襲うというお話し。低予算ながら、プテラノドンはそれなりに動き回り、人間と絡むシーンも多い。小屋に避難した人間をドアを破って襲ってくる場面は、真剣に怖かったですね。最後のアクションもきめ細かい演出で見る者を惹きつけます。なんでこんなB級なのに、こうも面白いのかなと思ったら、監督が「コマンド-」等のハリウッドアクションでお馴染みのマーク・L・レスターでした。なるほどね。

怒の百九 目撃!妖怪「四股踏みオヤジ」!!

異常気象がこうも続くとそろそろ日本も壊れかけているなと思えてくる。9月になっても真夏みたいな暑さの中で、僕たちは息もたえだえにすごしているのだ。深夜になっても真夏みたいな暑さに寝不足気味の僕は、朝方になってもボーとしたまま、何も考えられない状態に陥っている。思考停止。こんな時は、いろいろ怪異な出来事に遭遇するようで、つい最近もまたあんな奇怪なモノに出合ってしまったのだ。――「鈴ババア」!この妖怪だか人間だかわかんないモノを見た僕は、子供みたいに暗闇を恐れるようになった。リ~ン、リ~ンと響く鈴の音色を恐れるようになった。さて、その出合いとは……。

「鈴ババア」の話しをする前に、地下街でうごめいていた「四股踏みオヤジ」のことに言及しないといけない。あの日僕は、久しぶりの嵐会のために宗右衛門に向かっていた。アラシックバーで、嵐友と嵐トークをするためにである。地下鉄の千日前線で日本橋に着き、なんばウォークに出た。アムザへ向かおうと、近鉄線の日本橋駅あたりに来た時、異様な空気感で思わず立ち止まった。見ると、黄色の救命ジャケットみたいなのを身につけた係員が二人、地べたにうずくまってる女の子に話しかけている。女の子は、膝を抱えてうずくまりただ嗚咽をもらしている。ジーパンはホコリにまみれ、白いTシャツも薄汚れている。ほっぺたにも黒い土がこびりついている。彼女の横には、カレシらしき男の子がいるのだが、茫然自失。じっと虚空を見つめているだけだ。何事か興味はあったけど、待ち合わせの時間もあったので後ろ髪を引かれる思いでその場から立ち去った。だが、次の瞬間、僕はとんでもないものを目撃したのだ。女の子から一メートルくらい離れたところで、白いポロシャツに白いスラックス姿のオヤジが四股を踏んでいたのである。黙々と。顔に土をつけ嗚咽する女の子。茫然自失のカレシ。余裕で四股踏むオヤジ。この三者の間で一体なにがあったのか?その答は、自分で想像するしかない。だけど、いつとはなく、こんな都市伝説があるのは確かだ。都会の地下に、突然現れて誰彼構わず相撲の技で善良な市民を投げ飛ばす怪人がいる……。僕の見た、日本橋の「四股踏みオヤジ」が、その怪人であったかどうかは、もはや確かめる術はない。

「鈴ババア」の目撃談は次号で!

刮目して待て!