音楽メディア・フリーマガジン

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.34

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム34人目 奈部川光義(ATATA)

nabeはじめまして。MOROHAのAFRO君からバトンを預かりました。ATATAのボーカル、奈部川光義と申します。

正直、震災の事を話す度、考える度に、「俺なんかでいいのだろうか」という葛藤に駆られます。それくらい自分は他のミュージシャンに比べて、当時何も出来なかった。卑下してる訳じゃなくて、本当に関われなかったと思います。

あの何ともいえない焦燥感の中、曲を作った。募金を集めた。だけどすぐには現地に行けなかった。仲間が続々と行ってるのに、自分達は震災から半年経って、やっと八戸、福島、仙台にライブをしに行けた。福島の商業施設の多くの入口に掲げられた、放射線量の表示板の光景は今でも忘れる事が出来ない。これがこの街の現実なのかと。言葉に詰まりました。

そして2014年の丁度今頃、やっと石巻BLUE RESISTANCEにライブをしに行けました。フェスを企画した現地の仲間に街を案内して貰って、当時の様子を教えて貰いました。今でもブルレジの目の前の飲食店の壁には、津波の高さの印が書いてある。それまで何もして来なかったんだから、そのまま知らない振りをして、石巻の街を自分達の音楽で盛り上げようという自分達の浅はかな意気込みは完全に折れました。

その日のライブが石巻の人達にどう映ったかは分かりません。でも俺達のTシャツを来た沢山の人達が待っていてくれた。汗でクシャクシャになった彼等の笑顔に何だか俺達の方が救われた気がしました。

翌日には女川に行きました。あえて撤去せず、倒壊したままの建物をこの目で見ておこうと思って、現地の人に恐る恐るその場所を尋ねた際にこんな事を言われました。「不謹慎な事なんてない。せっかく来てくれたんだから見て行きなよ」。

結局、彼等は強かった。俺なんかの想像より遥かに逞しかった。そうか、来て良かったんだ。ワンパークという、津波の被害にあった缶詰工場を改装して出来た室内のスケートボード場に集まった小さなスケーター達。夕暮れの場内に流れたはっぴいえんどの「風をあつめて」。そこにはハッキリと「希望」が見えました。

こうして震災を縁にして、石巻という街が俺達にとって大事なホームになりました。いつも彼等の事を想っています。彼等が必要としてくれるなら、またいつでも石巻に駆け付けようと思ってます。今ではもう震災は関係なく、大事な仲間が住む街です。

次にバトンを託すのは、同じ横浜に暮らす仲間、STOMPIN’ BIRDのTOM君です。彼はこの東北ライブハウス大作戦によって建てられた3つのライブハウスにツアーしています。きっと俺なんかより、確かな言葉と想いを綴ってくれる筈です。TOM君頼むね。


奈部川光義(ATATA)
新代田発、FEVER系のロックバンド「ATATA」のボーカリスト。6/1(水)にミニアルバム『JOY』が発売。

Twitterアカウント https://twitter.com/Nabeckhamsenpai
オフィシャル HP http://atataweb.com/

6/04(土) 幕張メッセ
6/05(日) 下北沢ERA
6/11(土) 甲府神金村神スタ広場
6/18(土) 大阪アメリカ村5会場
6/25(土) 札幌TOWER RECORDS PIVOT店
6/26(日) 札幌SPIRITUAL LOUNGE
7/17(日) 下北沢ReG
9/22(木祝) 渋谷TSUTAYA O-WEST

 

 

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.33

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム33人目 アフロ(MOROHA)

PHOTO_MOROHA初めての大船渡でのライブ。
震災がなければきっと足を踏み入れる事はなかった土地。
その時点で「いつも通り」のライブは出来ない。
求められてるものが「いつも通り」だって事は知ってた。
だけど、求められてるものに上手に応えられる俺達であればとっくに売れてる。
案の定、「死ぬ」や「殺す」という歌詞が含んだ曲を演奏するべきか悩んだ。
勿論、曲中のその言葉は比喩として、そして「生きる」という想いに結ぶ為に使われている。
だからこそ、それまで胸を張って声を高らかにうたって来た。
でも今は曲単位のメッセージではなく、単語の意味のみで聞き手の心が崩れてしまうような状況ではないだろうか。
そんな心配があった。
素直な事を言えばそんな難しい事を考えなければならない状況でやりたくない。
だけど俺にはたった一人の被災者を救う、という使命があった。
それだけは完遂しなければならない。
その一人とは他ならぬ、俺だ。
殆どの音楽家が震災後、疑問を抱いた。
自分の生き方に、自分の人間性に、自分の音楽に。
確信を持って鳴らしていた筈の楽曲に、疑いの雨が降り注いだ。
心の中で、耕してきた田畑や拓いた道は地割れを起こし、実が熟れる筈の経験の木々は倒された。
紛れもなく、東京にいた我々も被災した。
そんな自分自身を復興する為にやって来たのだ。
東京でそれが出来るなら来なかった。
どうしても現地に行かなきゃ心の中の荒れた地面を整地する気になれない、嫌気がさす程の厄介な自分がいた。
目的はあくまで自分自身の復興だ。
それだけだ。
それ以上は望んではならない。
それより先の結果に、自分以外に色気を出せば、すぐに矛盾と無力さで潰れてしまうんだ。
そんな事を言い聞かせながら自分の為のセットリストを組んだ。
ライブを全うする為に出来る事はそれだけだと思った。
しかしそれも全て無駄に終わる。
やっぱり人の眼の力は凄い。
舞台上でお客さんと見つめ合い向き合えば、問答無用で、どうにか伝えたい、関わりたい、と思った。
結果、思い出すだけで赤面する位に空回りするMC、力が入り過ぎて走る演奏。
瞬間で沸騰した気持ちを表現するのは難しい。
あまりに未熟。そして復興は遠い。
また来よう、と思った。
同時に全国どこででも育てられる種を受け取った気がした。
コラムのバトンはATATAの奈部川さんに繋ぎます。


MOROHA
2008年に結成された、UK(G.)とアフロ(MC)からなる2人組。
感情の破裂音としてのラップ、繊細かつ獰猛なギターリフ。
個々の持ち味を最大限に生かす為、MC+G.という最小編成にこだわる。
鬼気迫るLIVEはあなたにとって毒か薬か。
雪国信州信濃から冷えた拳骨振り回す。

 

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.32

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム32人目
海北大輔(LOST IN TIME)

PHOTO_海北 FxYxH Ba./Vo.、そしてSTEP UP RECORDS代表リョースケさんから襷を頂戴仕りました、LOST IN TIME海北大輔と申します。初めましての方、初めまして。知ってくださっている方、いつもどうもです。
リョースケさんとはかれこれ10年以上の付き合いでして、鳴らすサウンドも歌のベクトルも全く違う僕らとも分け隔てなく接してくれる、いわば「バンドマンのお手本」のような方です。彼が復興支援として手掛けたチャリティーCD『hope』に自分も参加させて貰えた事、今でも誇りの一つです。
そんなリョースケさんから今回この「東北ライブハウス大作戦 リレーコラム」の大役を預かりまして、こうして皆さんへ向けてペンを走らせている次第です。

あの日から間もなく5年という時間が過ぎようとしていますね。
母が釜石生まれで、埼玉育ちとはいえ岩手出身の自分にとっても、あの震災は忘れられない重く苦しい悲しい出来事でした。僕は当時全国ツアー中で金沢におりました。
前日のライブを終えて、当日は15時からの取材に備えて宿で身支度を済ませつつ、TVの国会中継を眺めていた矢先の緊急地震速報。あの瞬間からの記憶は今でも鮮明で、正直あまり思い出したくありません(被災された当事者の方々の記憶に比べれば、もちろん些細なものだと思いますが)。
翌日の長野でのライブは、電力事情(長野市は中部電力の管轄で電力不足等の影響がなかった)や市内が比較的落ち着いていたという事もあり、過度な照明や音量を控えた形で行う事にしました。
「こんな時に何やってんだ」とか、「中止にするべきだ」等の意見から「もう聴きません」や「偽善者」のような、今思い出しても胃がシクシクと痛み出すような言葉をリプライやメールで多数頂いたりもしましたが、東北のファンの方からもらった「そっちは被災してないんだから思いっきり歌ってください!」って一言のおかげで、どうにかこうにか心を保って歌う事が出来ました。
あの当時、きっと全国のバンドマンが同じような状況下にあったと思います(バンドマンだけじゃないかもしれないね)。誰もが被災地を思い、誰もが自らの行動を考え、活動を続ける人、自粛する人、それぞれが自分の信念に基づいてそこからの一歩を踏み出し始めたような気がします。

東北ライブハウス大作戦は、その思いや信念の「結晶」そのものだと思います。あの日から「もう5年も経つのか」と「まだ5年しか経っていないのか」のどちらも思う2016年。この5年の間にもいろんな事がありましたね。僕としては、2012年に大船渡に歌いに行った際に教えてもらった陸前高田の教習所に翌年合宿に行って、念願の運転免許が取れました!って事を始め、東北とはそれまで以上に沢山の縁で繋がらせて貰っているような気がします。
そんな中一つ心残りなのは、未だ石巻へ歌いに行けてないって事ですね。今年来年とそう遠くならないうちに必ず行こうと思ってます。その時はよろしくお願いしますね。もちろん宮古、大船渡へもまた何度も行きますからね。待っててね。

2016年3月、きっと皆さんもこの5年を振り返るかと思います。
あの時から何が変わって、何が変わらなかったのか。そしてあの日を機に何を始め、何を続けて行くのか。
きっとそれぞれに考え方や道のりがあって。時にバラバラで時に対立しているかのように映る事があるかも知れないけれど、その思いの「到達点」は、そんなに違っちゃいないとも思うわけで。選ぶルートが違うだけで、ゴールはみんな一緒なはずなんだよ。
そんなそれぞれの歩みの中で、皆さんとの再会を心待ちにしながら、これからもLOST IN TIMEは歌を歌っていきますよ。だからいつでも会いに来てくださいね。

さて、そろそろこの襷を託す次の方を紹介しましょうか。ギター1本とマイクロフォン1つという必要最小限で最大限に鳴らし叫ぶ魂の音楽、心の中の火種に直接ガソリンを吹き付けてくるかのような彼等の音楽は、きっとこれから先、更に多くの人の心に届くことになると思います。次回のリレーコラム、指名はMOROHAのMCアフロ!!! ライブみたいに熱いコラム、期待してるよ!
それではまたどこかでお会いしましょう。LOST IN TIME海北でした~。


海北大輔 / LOST IN TIME
4月24日生まれ、血液型 A型、出身 岩手生れ埼玉育ち
2001年LOST IN TIMEを結成。現在バンドでのライブの傍らソロでの弾き語りツアーも精力的に行う。その他、セカイイチ岩崎慧氏との「岩海苔」、元BUNGEE JUMP FESTIVAL町田直隆の新プロジェクト「moke(s)」ではプロデューサー兼ベースプレイヤーとして参加等…様々なアーティストとのユニットでも活動中。
Twitterアカウント:@kaihoku_lit
オフィシャルホームページ www.lostintime.me/

2/27(土)高崎 club FLEEZ
3/13(日)下北沢 “Beat Happening!下北沢CIRCUIT PANIC!”
3/21(祝)名古屋HUCK FINN
3/26(土)渋谷 道玄坂異種格闘技祭 “STAR-MAKER”
4/02(土) 横浜F.A.D
4/09(土)代々木Zher the ZOO
4/13(水)下北沢SHELTER ※moke(s)
4/28(木)京都SOLE CAFÉ ※海北ソロ
6/04(土)下北沢CLUB Que
6/05(日)下北沢CLUB Que

 

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.31

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム31人目
RYOSUKE(FUCK YOU HEROES / ABSOLUTION / HARDCORE FANCLUB)

PHOTO_RYOSUKE おはようございます! COUNTRY YARDのシットよりバトンを渡してもらいましたRYOSUKEです。それでは当時のことを思い出しながら綴ってみようかと思います。

東日本大震災直後はなにをするに対しても「自粛しろ」の一言で一喝されて、ましてや電源を使うライブを行うこと自体が「不謹慎」と言われてて。その為にライブをキャンセルするお客さんもバンドも増えて、その為に経営不振になるライブハウスが続出してて。うーん、、なんかなーなんて思っていても、自分は被災地にいる人間では無いので何が正解なのかも解らなくなって、平均台の上を真っ直ぐ歩く為に必死に頑張ってるような日々で。

とにかくあの時期は何かアクションを起こすたびに賛否両論になっていたけど、SLANGのKOさんをはじめとした仲間の皆が行っていた活動に協力させてもらったり、『HOPE』というオムニバスCDを出したり<http://www.step-up-records.com/page_hope.html>、ライブハウスで企画を立てたりと、まずは特に深く考えずに自分がやろうとしたことをそのまま行動に移してました。

で、実際被災地に足を運んで感じた都心とのギャップに色々と考えさせられていた時期に、SPCを中心に被災地にライブハウスという点を作ってそこを線で繋いで僕らバンドがそこに足を運ぶきっかけを作ってくれるというとんでもない話を聞いて。たしかその頃は水道、電気が止まっていたり、道は瓦礫だらけだったりする中での話だったから正直想像出来ない事だらけでしたけどあの人達ならやってのけるなと確信していて。そしたらしっかり石巻、大船渡、宮古の三箇所に音を鳴らして皆で笑っていられる空間を作ってくれて。いやー。ひたすらすげーなと。

それから僕もバンド、レーベルで石巻、大船渡、宮古に足を運んで、そこで新しい友達が出来て。更に上で挙げたオムニバスの売り上げで宮古市の浄土ヶ浜にスワンボートを寄付させてもらえて自分自身でもそこに足を運ぶきっかけを作ることが出来ました。それもこれも東北ライブハウス大作戦が繋げてくれたおかげなので本当に感謝していますし、これからも石巻BLUE RESISTANCE、大船渡FREAKS、宮古KLUB COUNTER ACTION MIYAKOという素晴らしい遊び場がある事ををまだ知らないバンド、お客さん、関係者にも拡げて繋げていきます。

最後に、あれから5年経った今でも震災で知り合えた南三陸のお母さんはまだ仮設住宅で生活しています。なのでまだ全然進んでいない被災地の現状を知るということも大事なのだと思います。

次は『HOPE』にて力を貸してくれた旧知の仲、海北大輔(LOST IN TIME)にバトンを渡します。だいちゃんよろしく!

 

RYOSUKE
BASS PLAYER(FUCK YOU HEROES / ABSOLUTION / HARDCORE FANCLUB / ex.HAWAIIAN6 / ex.TRADITIONAL BOX) & STEP UP RECORDS BOSS
【BLOG】ameblo.jp/stepupryosuke/

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.30

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

 チェーンコラム30人目   Keisaku "Sit" Matsuura

PHOTO_COUNTRY YARD COUNTRY YARDというバンドで歌とベースを担当しています、Keisaku "Sit" Matsuuraです。Crystal LakeのRyo君より繋いでもらいました。

東北ライブハウス大作戦との出会いはSPCでPAをやっているマーボーさんから伝えてもらった一言が始まりでした。被災地にライブハウスを作る、その言葉や眼の本気さに「自分達も何か出来ることはないか」という所からスタートしました。

もしも下を向いてる人がいたら、その人に少しでも笑顔になってもらいたい。軸になってる事は普段の生活の中にある当たり前に思う事だったんです。その当たり前を少しでもライブという時間で取り戻せたらと、東北へ行きました。

だけど実際に自分達がライブハウスに足を運んだ時に元気や力を貰ったのは自分達の方でした。地元のキッズ達を始め、小さい子供を連れたお父さんお母さん達など地元の人達が3.11に起きた事、またその跡に出来たライブハウスで今始まってる事を刻み繋いでいるのが伝わってきて、また気持ちが熱くなりました。

自分達が所属するレーベルSTEP UP RECORDSのアコースティックオムニバス『hope』では弾き語りのツアーにも参加させてもらい大作戦のライブハウスと浄土ヶ浜のマリンハウスで歌い ました。そこにはおじいちゃんおばあちゃん達も足を運んでくれていて、ライブハウスで始まった事がたくさんの道に繋がり始めてる事を目で見て感じて、単純 に嬉しかったんです。

東北ライブハウス大作戦だけでなく、それは綺麗事ではなく、普段の生活から手と手を取り合う事は大切な事だと思ってます。震災が起きてから学んだ事、知れた事を一人の人間として大事にして生きていきます。

東北の皆にライブハウスで温かくなってもらいたいです。ゴールではなく繋いで行きます。

http://step-up-records.com/countryyard/

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.29

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

 チェーンコラム29人目   Crystal Lake RYO

ryo_kanto2 SWANKY DANK KOJIさんからバトンを受け取りました、Crystal Lake Vo. RYOと申します。

自分が初めて東北でライブをしたのは、地震が起きた年の5月の仙台でした。当時、自分は違うバンドをやっていて、今でも仲の良いHER NAME IN BLOODと一緒。当初決まっていたライブハウスが営業できなくなってしまったので、急遽別会場で行うことになりました。ライブはめちゃくちゃ盛り上がり、“東北の人元気じゃん! 安心~”なんて、何も知らないのに簡単に考えていました。

Crystal Lakeとして、東北ライブハウス大作戦のライブハウスに初めて行ったのは、その3年後2014年3月。“REDLINE BEGINNING TOUR”でMY FIRST STORY、NOISEMAKERと宮古、大船渡、石巻を回るというツアーでした。被災地を初めて訪れ、復興が進んでいたとはいえ、波の高さを示す線、更地の瓦礫や作業車が残る様子を見て、自分は何もわかってなかったんだとようやく気づきました。自分が見たのはほんの一部。自分はどうすればいいんだろう と、そこで初めて考えました。

特に印象深いのは、大船渡でのライブです。きっと自分たちのことはほとんど知らなかったであろうお客さんたちが、すごく笑顔でその場を思い切り楽しもうとし ている姿を見てから、ライブに対するアプローチはかなり変わりました。そのとき自分たちにできたことは、良いライブをして、お客さんを楽しませようとすることだけでした。

物資を送ることはできます。でも音楽をやっている身として、被災地の方に何ができるのか、正解はいまだにわかりません。あのときだけじゃなく、今でも自分にできることは、ライブをすることしか選択肢がありません。自分如きが何かエネルギーを与えられるとは思っていませんが、力になれたらと思います。

近いうちに必ず、あの笑顔を見に戻ります。ありがとうございました。

 

Crystal Lake Vo. RYO
圧倒的なライブパフォーマンスとワールドワイドな活動で日本のストリートカルチャーを席巻しているCrytal Lakeのボーカル。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.28

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム28人目   SWANKY DANK KOJI

KOJI1こんにちは、SWANKY DANK KOJIです。

猪狩君から繋いでもらったので、初めてコラムを書かせて頂きます。
個人的に体験した話を書かせてもらいます。

あの日、震災が起きてしまってから、俺たちに何か出来ないかって事をずっと考えて、2週間が過ぎたぐらいの時に、居ても立っても居られずに俺とYUICHI(G./Vo.)でアコースティックギターを持って何も出来ないかも知れないけど、被災地に行きました。
向かってる道中、目の前に広がる景色があまりにも悲しくて。
車がひっくり返ってたり、家が普通じゃあり得ない所にあったり。
直視出来ないくらいに。
避難所になっていた、小学校の体育館に到着すると体育館の独特の匂いじゃなく、人が生活している匂いがして、テレビの報道だけじゃ伝わらない、リアルがそこにありました。
当たり前だけど娯楽なんか何も無くて、大きなテレビが一台、心配そうにニュースを見ている人や、本を読んでる人。食事をしている人。
正直、俺たちが行ったのは間違いだったかなっとも思ったんだけど、でもちょっとでいい一瞬でいい歌によって嫌な事を忘れられないかって思って歌わせてもらいました。
思いっきり精一杯。
そしたら、一人の女性が俺たちの所まで来てくれて、「外に出る時はちゃんと帽子を被らないとダメよ」って、「ここまで来てくれてありがとう」って言ってくれて。
凄く感動した。
音楽が伝わった気がした一瞬。
音楽のすばらしさに改めて感動した日。

チームわたほいの遠藤伸一さん、奥さん、からも沢山の話を聞いて諦めちゃいけないって事、教わりました。
名前は分からないけど、あの女性の事も一生忘れない。
あの日学んだ事は今でもはっきり心の中に残っている。
大切な宝物。
そして、音楽を愛し、ライブハウスを愛し、一生懸命に環境を作ってくれている『東北ライブハウス大作戦』の皆さんに尊敬と感謝を致します。

まだまだ未熟者だけど、また音楽を届けに行きます。
その時は宜しくお願いします。

次は、Crystal LakeのRyoに繋ぎます。

 

SWANKY DANK KOJI
2007年、YUICHI(G./Vo.)とKOJI(Vo./Ba.)の2人の兄弟を中心に結成。2012年にSHUN(Dr.) 、2013年にKOTA(G.)が加入し現在の布陣となる。2015年1月にリリースした2ndフルアルバム『Magna Carta』はインディーズチャートで1位を記録。“Magna Carta Tour”では全23本に及ぶ全国ツアーを敢行。ファイナルの渋谷CLUB QUATTROでのワンマンライブはソールドアウト。いま最も注目のバンドである。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.27

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム27人目   猪狩秀平

猪狩SOLOアー写

初めまして。HEY-SMITHのG.でありリーダーでありお酒好きであり寿司好きであり女好きであり、差し入れにもらうものはゴムのしっかりしたパンツやと嬉しい猪狩(イガリ)と申します。BRAHMANのロンジさんからバトンを受け継ぎ、このコラムをスタートさせております。
ロンジさんはゴハン博士なので、各地でのライブの日に連絡して、いつも美味しいご飯を教えてもらってる仲です。そんなロンジさんから、いきなりこんなマジなコラムが回ってきたのでビックリしました。ですが、参考にしようと思ってロンジさんのコラムを見たらラーメンしか無かったので安心しました。ワタクシを選んでいただいて感謝しております。

我々HEY-SMITHはこのライブハウス大作戦のライブハウスにはツアーで回ったりして、ちょこちょこライブをさせてもらっています。最初初めて行った頃は自分達に何が出来るのか考えてしまって、正直感情が溢れ返ったライブになってしまいました。でも、少しでもパワーを届けるつもりで向かったのを覚えています。
ですが、地元の方々はとんでもないパワーを持っていて、結局パワーをもらったのは自分達でした。その時に、自分たちに何が出来るんやろうと悩んでいた気持ちがなくなり、自分たちに出来る事だけ一生懸命やろう。とにかく音楽を届けようと心に誓ったのも覚えています。

俺はライブハウス大作戦のライブハウスに行かないとアカンと何故か直感的に思って、向かいました。正義感なのか使命感なのか、行かないと誰かに怒られると思ったのかは謎です。とにかく直感的に思いました。地震直後の沿岸部ですし、恐怖がないと言えばウソでした。でも行きたいという気持ちが上回りました。だからツアーでも行きましたし、その後も足を運んでいます。
俺は震災後に東北に特別な感情を持つようになっています。これは揺るがない気持ちです。
でももしかしたら、どこかで自分じゃなくって良かったと思っている自分がいる気がして嫌気がさしてました。沿岸部に行く前の話です。沿岸部に行って、自分の目で見て、地元の方と触れ合って仲良くなりました。仲間が出来たんです。そしたら自分の中で仲間をそんな目で見る事ができなくなりました。もしこのライブハウス大作戦が無かったら、俺はあの土地に仲間を作れてなかったかもしれません。だから行かせてもらって非常に感謝しています。何をやれるか妄想するだけの自分が、現実的に自分が何をしたいか、何を出来るか明確になりました。その結果、今はバンドではなく個人的にですが、福島で外に出られない子供を大阪の能勢に連れてきて遊ぶ団体に所属しています。ちゃんとこの目で見たおかげやと思います。

自分の中には疑問や迷いもあります。正直なぜあんなに危ないところにまたライブハウスを立てるんだという気持ちもあります。どれが正解なのか俺には判断出来ません。多数の募金等の使い道を完全に公表しないのは何故だろうという疑問もあります。実際にライブハウス大作戦を通してどのゴールを目指したらいいのか今の俺には分かりません。

ですが、大作戦のライブハウスに行って仲間が出来て、東北に対する特別な感情がさらに高まり、言葉では表せない向こう側にいったのは事実です。もしこのコラムを読んだ人の中でまだ行った事がない人には東北に行ってみて欲しいです。何かをしてこいと言うつもりはありません。たぶん何かしたいって思うと思います。

そのきっかけになるなら音楽でもラーメンでも商業でも何でもいいと思います。客観視して、なんか大変そうやなではなくて、我々が阪神大震災の時にカッコいい人間に助けてもらったように、今度は何かを返したいと思ってます。多額の募金をして、名声にひたるのでも売名でもなんでもいいと思います。被災地が活性化する為なら何でも。被災地のためでなく、自分がただただカッコいい男になりたいからでもいいと思います。みんながカッコいい人間なら時間がかかっても被災地は救われるはずです。心の底から1人でも多くの人に東北に足を運んでもらいたいです。その為に我々は音楽を鳴らします。今こそ一つになりたい。

みんなで一つの事をなんてパンクバンドが言うのもどうかと思いますが、今は日本の為に一つになりたいという気持ちです。仲間が出来たこと、自分に出来ることを明確にしてくれたこと。東北ライブハウス大作戦に感謝しています。

以上で俺のコラムを終わります。次にバトンを渡すのは、最近初めてタイバンして意気投合したSWANKY DANKのKOJIです。若い人はどう考えてるのかリレーを繋げていって欲しいと思ってます。

HEY-SMITH G./Vo.猪狩秀平

 

猪狩秀平(HEY-SMITH G./Vo.)
2006 年結成。バンド名の由来。「SMITH」はメンバーの頭文字からとって「HEY」はなんとなくご機嫌っぽいから付けてみただけ!
現在、新メンバーにYUJI(Ba./Vo.)を迎え絶賛“お披露目TOUR”中!!
【OFFICIAL SITE】 http://www.hey-smith.com/

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.26

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム26人目 RONZI

キュウさんからバトンを頂きました。それでは行ってみましょう!!

~ 東北ライブハウス大作戦 ラーメン味巡り ~

大王石巻
大王(ターワン)

宮城県石巻市立町2-4-9 0225-95-0533
営業10:30-15:00 17:00-19:30 火曜定休

オススメ:みそタンメン
石巻市民のソウルフード。たっぷり野菜とその甘みが溶け出した味噌スープの中に、ちゅるちゅるの平打ち麺が隠れています。胃袋は満たされ、身も心もしっかり温まる満足の一杯。

 

 

 

 

秋刀魚だしラーメン醤油5大船渡
秋刀魚だし黒船

岩手県大船渡市猪川町藤沢口39 0192-26-0144
営業11:00-15:00 17:00-20:00 水曜定休

オススメ:秋刀魚だしらーめん(醤油)
三陸産の秋刀魚煮干しを使ったハイクオリティーな一杯。旨味たっぷりのキリリとしたスープに小麦が香る中細麺が泳ぎます。訪れるたびに自家製麺のクオリティーがどんどん上がっていて、次に行くのが待ち遠しくなるラーメンです。

 

たらふく宮古
たらふく

岩手県宮古市大通1-1-20 0193-62-5607
営業 10:30-19:00 火曜定休

オススメ:中華そば
メニューは中華そば一本。煮干しが香る上品なスープは浄土ヶ浜の水のように澄んでいます。ぴろっぴろの縮れ麺がひょこひょこっとスープを持ち上げ、唇・舌・喉を順番にくすぐっていくThe宮古ラーメン。ホッとする一杯です。

 

 

 

 

東北では他にも美味しいラーメンがいっぱい待っています。その土地土地を理解するヒントがラーメンの中に隠れています。縁のある方、無い方。ライブが好きな方、そうでない方も是非足を運んでみて下さい。
次は最近ご近所さんになったHEY-SMITH猪狩秀平にバトンを渡します!


 

RONZI(ロンヂ)
日本を代表する孤高のハードコア・ロックバンド、BRAHMANのドラマーであり、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDのドラマー。幾多の麺通ミュージシャンより選ばれた「麺達トリオ」の一人でもあり、ラーメンに対する造詣も深い。BRAHMAN結成20周年を迎えた2015年、8/12に20th Anniversary Album「尽未来際」をリリース。11/14-15には20th Anniversary Live“尽未来際 〜尽未来祭〜”を幕張メッセ国際展示場にて開催する。
【OFFICIAL SITE】 http://www.tc-tc.com/
【BRAHMAN 20th Anniversary Site】 http://brahman20th.com/

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.25

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム25人目 クハラカズユキ

kuhara 2010クハラカズユキ
1969年4月3日生まれ、北海道・北見市出身。1996年、thee michelle gun elephantのドラマーとしてメジャーデビュー。現在は、うつみようこ & YOKOLOCO BAND、M.J.Q、qyb、The Birthdayでバンド活動中。The Birthdayは結成から10年を迎える今年の秋、9月15日に日本武道館公演、9月16日にベストアルバム『GOLD TRASH』をリリースする。自身のブログ『日々もろきゅう』(http://kazuyukikuhara.blog103.fc2.com)を日々更新中。

 

亮介からのバトンを受けましたクハラです。華麗な韓流アイドルではなく加齢なアラフィフバンドマンです。

2011年3月11日はライブハウスにおりました。ライブは中止。テレビから伝えられる映像に言葉を失いました。都内では人と車が深夜まで行列を成し、日記代わりとなっていた当時の手帳には「とんでもないことになった」と記してあります。翌12日のライブも中止。手帳には「日本という国が今後どうなってしまうのか」と。14日から関東では計画停電が始まり電力不足が叫ばれ自粛ムードが広まり、ライブハウスのスケジュールにキャンセルが相次ぐ中、20日に新宿紅布で「緊急ナイト」というイベントを開催しました。開催前「何かあったら責任はどうするんだ」と問い合わせがあったり、見知らぬアドレスから「偽善者」とメールが来たりしましたが、たとえ独善的な考えだったにしても、被害の無い東京で妙に萎縮する状況に違和感がありましたし、漠然とささやかながらも何かやらねばという心境でした。23日盛岡CLUB CHANGEの黒沼君と会い被災地の状況等を聞いたりする中で「何も被害にあってない人たちは普通に生活して音楽やって下さい」みたいな事を言ってもらい逆にこちらが励まされ、6月15日うつみようこちゃんのバンドで山田町に行った際もそこで出会ったアベックに同じような事を言ってもらい、我々が演奏した「津軽海峡冬景色」を聞きながら涙するおばさんがいらして、10代と思われる女の子には「『津軽海峡』よかったよ!」なんて声をかけられたり…………振り返ると、あの時私は何ひとつ失っていないのに、甚大な被害に遭われた方々から逆に「生きる力」をもらい、見失いかけていた自分の立ち位置みたいなものを気付かせてもらっていました。

バンドマンの自分に何ができるのか、何をすべきなのか、未だ正解はわかりませんし、音楽に何ができるのかみたいな議論もちょいと苦手です。ただ、自惚れた考えかもしれませんが「緊急ナイト」を続ける事で震災がもたらした様々な事を忘れずに、未来に目を向けていきたいですし、ライブハウスに足を運んでくれる皆さんがゴキゲンになってもらえるようバカスカ叩いて生きていこうと思います。

次回は、震災直後から様々な活動を通じて被災地と繋がり、この東北ライブハウス大作戦の礎を成す男、ブラフマンのRONZIにバトンを渡します。

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