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繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFEVol.44

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム44人目   骸(Origin of M)

KENJI RAZORS(ex.RAZORS EDGE)からから紹介いただきました、広島ハードコアバンド、Origin of Mのボーカルやってる通称ガイと申します。地元広島にてレコード屋・Disk Shop MiseryとBLOOD SUCKER RECORDSという自主レーベルもやってるおっさんです。

随分前になりますが、地元のライブハウスのHIROSHIMA CLUB QUATTROで、東北ライブハウス大作戦のプロジェクトを聞いた時はびっくりした記憶があります。

正直“そんなことができるのか?”と思っていました。
でも本当ににできた。しかも3件も。音楽の力は本当に凄いと思いました。
本部長の西片明人さんをはじめ、関わった全てのみなさんにリスペクトの気持ちでいっぱいです。

自分が支援と関わるようになったのは、3.11からです。きっかけはSLANGのVo.KOちゃんのNBC作戦でした。自分が運営するレコ屋店頭にて支援物資の受付を始めたのが始まりです。
ちなみに自分はまだ東北に行けていないのです。今までの人生でも東北に行ったことがないのです。その自分が動くほど3.11は衝撃的でした。

そしてその3年半後の2014年8月20日。広島を豪雨災害が襲いました。それからはじめて復旧作業を体験して“セイブザヒロシマ”を立ち上げました。

最初に被災地に行った仲間がケンジくん(KENJI RAZORS)でした。地元出身のパンクスで親交はあったのですが、支援をきっかけにより仲良くなりました。
今覚えば、仕事そっちのけで随分手伝いに行きました。

そこで出会った東北出身の女性ボランティアに、「なんで広島に来たの?」聞いたことがあります。すると彼女は、「震災で地元がぐちゃぐちゃになった時に助けてもらったから、“恩返し”に来たの」と答えてくれました。

ワシはあまり賢いほうではないので、“恩返し”という言葉がその時はよくわからず、「ありがとうね」と伝えただけでした。
そして広島の豪雨災害から1年と少し経ったあと、今度は常総を中心とした関東水害が起こりました。
その時、初めて“恩返し”という言葉の意味がわかりました。

広島豪雨災害の時も、全国からたくさんの方が助けに来てくれました。
“今がその恩返しをする時なのだ”と思いました。
広島豪雨災害の復旧をするために立ち上げた“セイブザヒロシマ”が、“日本をセイブするヒロシマの団体”に生まれ変わった瞬間でした。

関東に住むガル憎(ex.THE MAD PACHI-SLOT BROTHER'S)くんをはじめとして、多くの仲間が常総へ作業へ向かいました。茨城出身で広島豪雨災害の復旧作業を手伝ってくれ、なにもわからない自分たちにボランティアのノウハウを教えてくれた服部くん(NPO法人JAPANHOPE代表・服部浩之)が、ガル憎くんを通じて幡ヶ谷と連携し、再生Tシャツの販売へと舵をきりました。廃棄するものがニーズにより生まれ変わる素晴らしいプロジェクトだと思いました。

“セイブザヒロシマ”も数種類作らせてもらい、常総の支援へ使わせてもらいました。
そして去年4月に起こった熊本地震でも、またもや服部くんが率先して復旧作業に駆けつけてくれました。広島だけではなく、和歌山、埼玉の仲間も参加してくれました。
支援という名の恩返しはまだ、これからも続きます!

災害などないに越したことはないですが、日本は今悪い周期にあると思います。
それを悪い時代だと思わず、皆で乗り切れば、また良い周期になると信じています。
良い周期が訪れた日が、“セイブザヒロシマ”の解散の日。
その日に向けてき今日も一日頑張っていこうと思います!
そして今年こそ東北に足を運びたいと考えています。

次回は“セイブザヒロシマ”の関東統括本部長、ガル憎くんに繋ぎます。

PROFILE
80年代の広島ハードコアを代表するバンド、愚鈍-GUDON-のベースだった骸を中心に2005年に結成された広島ハードコアパンクバンド。
2011年、USテキサスで開催された世界最大のパンクフェス“CHAOS IN TEJAS”に出演後、2012年11月の活動停止を経て2014年3月29日に再始動。
全国をまたにかけ、精力的に活動中。
反戦反核zine、イベント“TO FUTURE”の主催も務める傍ら、“セイブザヒロシマ”でも代表として支援活動を続けている。

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