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繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.3

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

「東北ライブハウス大作戦チェーンコラム・3人目」Racco

PHOTO_ラッコさんRacco

岡山県出身(現在住所不定)。今秋結成20年を迎える東洋の宝石「IdolPunch」というバンドのボーカル。岡山市内に存在する小さくて汚い飲食店「RACCOS BURGER」のオーナー。系列にフェス出店部、東京幡ヶ谷RACCOS BAR、岩手県大船渡RACCOS BURGER OFUNATOの経営、イラストレーター、店舗内外装施行等のマルチな活動をする。自宅の電気はよく止められるが地球の平和を祈っている。そんなおじさんの座右の銘は「勝って兜の尾を締める」だが、勝った事はあまり無い。

ASPARAGUSのシノッピから電話があって今回のコラムを担当する事になりやした! ラッコでございます!
東北ライブハウス大作戦との繋がりは、2011年3月11日の震災以降RACCOS BURGERとして大船渡、陸前高田を中心に宮古、山田、気仙沼、石巻等に毎月避難所に炊き出しをしていた頃。たしか震災から3ヶ月後に宮古市で行われたPOWER STOCK in MIYAKOの翌日位だったと思います。
宮古での演奏と炊き出しを終え、大船渡での物資の配布やBRAHMANが集めた米の分配、bloodthirsty butchersの吉村さんやASIAN KUNG-FU GENERATIONのゴッチと避難所での弾き語り兼炊き出し作業をしてた日(今考えるとその時は色んな方法で復興に加担したいと願うバンドマンの信頼協力連携が凄く見えた時期だったと思う)。パイパイ(西片本部長)が「ライブハウスを大船渡に作りたい」と言ってきた時(所謂発足のタイミング)からの繋がりになります。
問題は山積でした。4万人にも満たない大船渡の人口や今まで無かった施設(ライブハウスの事ね)である事、商施設が津波に呑まれ残った物件で再建を願う地元の店舗との兼合い、そして不謹慎ではないかという風潮。
同年、被災地も秋になる頃、大船渡は市街地の再建に踏み切りました。街の主要道路は沈下した地盤をかさ上げし、商施設の建造を許可し始め、東北ライブハウス大作戦大船渡はRACCOS BURGERと共同店舗として経営していく方針を固めた(パイパイが「発表はクリスマスにしようぜ」とかいちいちロマンチックなので、発表は同年の12月24日)。
我々が瓦礫撤去してた物件のオーナーに話をして認めてもらい(パイパイが「契約はラッコの誕生日にしようぜ」とかいちいちロマンチックなので、契約は震災翌年2月2日)大船渡FREAKS / RACCOS BURGER OFUNATOは無事にオープンできました。
今では(2013/9月:現在)大船渡市役所もFREAKSの存在を「若者が集まる場所」として認知、感謝してくれてるみたいです。嬉しいですね。でも続ける事が一番難しいのでまだまだこれから!

http://d.hatena.ne.jp/raccosburger/
このブログに多少当時の感じがつかめる文章を書いてます。適当で雑ですが。

そして次のコラムのバトンはみーちゃん事、the HIATUS の細美武士に渡しておきやした!
Racco

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