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繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.11

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム11人目 yasuo
(雷矢 Vo. / KLUB COUNTER ACTION宮古 相談役)

PH_RAIYAyasuo
1970年11月29日生 岩手県宮古市出身
三陸鉄道北リアス線・宮古北高校除籍
雷矢 Vo. / KLUB COUNTER ACTION宮古 相談役

 

 

 

 

 

 

 

 

渡辺俊美さんより繋いで頂きました。震災当時、すぐさま心配の電話と宮古の仲間達に物資を送って頂いたのが俊美さんでした。俊美さんの故郷は福島県富岡町です。強固な優しさと強さの人です。

ライブハウス。今から26年前、ライブハウスの無い街から、現宮古支部長・太田昭彦氏(以下オオタキン)と高円寺20000Vの前に着いた。それはそれは、もう興奮と恐怖が入れ混じったギトギト感で昨日の事の様に覚えている。(その初めて行ったライブハウスでオオタキンは誰よりもステージの真ん前で大暴れ、クレイジーの極みだと思った)。

あの忌わしい震災から3ヶ月、震災時より現地入ってくれていたSLANGのKOちゃんが主催した“POWER STOCK in 宮古”。その打ち上げで、スナックのカウンターの隣にいたSPC西片さん(本部長)が突然、「ライブハウスやろう!!」と切り出した。その時点で宮古はオオタキンがやる事になり“東北ライブハウス大作戦”は動き出した。

ただやはりオレはオオタキンの被害金額状況等を聞かされ知っていた為、一度だけオオタキンに聞いたことがあった。「本当に大丈夫?」答えは食い気味に「バカヤロー! やるっつったらオレはやる!」愚問だった。その言葉で全て吹っ飛び、絶対に全身全霊でサポートしようと決めた。

その後は全国や世界の皆さんの多大なる支援のお陰で、宮古・大船渡・石巻にライブハウスが見事に完成し、全国から続々バンドさん達は来てくれ、ライブハウスが無かった街にライブハウスの楽しさを伝え、笑顔で溢れています。

今後の一番の楽しみは、ライブハウスがある街、宮古で育った若者達がどんな活躍をしてくれるのかという事です。チミだよチミ。本当に凄い事だなぁ。感謝。音楽の繋がりとロックンロールを好きでいてくれる人達に大感謝です。(もっと書きてぇけど、短くまとめるの無理、おもっさげねぇ)。

次回は宮古支部長・COUNTER ACTION 宮古代表・怪獣アギボウこと太田昭彦氏の登場です。

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