音楽メディア・フリーマガジン

TarO&JirO

見た目に騙されるな、体で感じろ! 型破りのロックの真髄。

Print一見フォークデュオのように見える、2人の兄弟からなるユニットTarO&JirO。2009年のロンドン留学をきっかけに欧州を拠点に活動、精力的にパブのオープンマイクに出演し、路上ライブを行う。その現場で徹底的に叩き上げられ、磨かれたサウンドは、他の追随を許さないオリジナリティ溢れるロックなものとなっている。2013年、『Brothers Fight』のリリースをきっかけにメジャーというフィールドに降り立った彼らが、待望の1stアルバム『Piranha』をリリース。これを機に“タロジロック”と称される彼らの独自のサウンドに迫った。

 

 

「今、世に出ている音楽って音も綺麗で丁寧。でも、それが音楽として100%良いのか? っていうと必ずしもそうじゃない」

●『Brothers Fight』(2013年12月リリース ミニアルバム)でメジャーデビューをされましたけど、元々デビュー前は海外を拠点に活動をされていたんですよね。

TarO:アコースティックギター(以下アコギ)を持って2人でフォークデュオを始めて以来、ずっと日本で活動していたんです。2009年に2人でイギリスに留学したことがきっかけで、向こうに滞在して路上ライブをしたり、パブで演奏するようになりました。その後もフランスやスイスに渡って活動をしたり、たまに帰国して新宿で路上ライブをしていて、お金を貯めてまた海外に行くっていう活動をしていたんです。

●そういう活動の中で日本と海外の違いは感じますか?

JirO:海外は良い意味で自己中心的な楽しみ方をしますね。日本のアーティストはMCで「ファンのおかげです」って言うし、オーディエンスも「アーティストがいないと…」っていう感じで、お互いがいることで成り立っているというか。

TarO:日本はアーティストを応援する感覚が強い印象ですけど、海外は自分が踊りたければ踊るし、拍手をしたければする。音楽を楽しむっていう意味では一緒ですけど、それぞれ楽しみ方が違うのが面白いですね。

●2人の演奏スタイルはかなり独特ですよね。そもそも、このスタイルになったきっかけは?

JirO:実は2006年にバンドをやっていたんです。そこでレッド・ホット・チリ・ペッパーズ (以下レッチリ)の曲をベースで弾いた時に、リフとかグルーヴの格好良さにすごく衝撃を受けたんですよね。その頃からTarOとセッションをする時は「TarOがエレキギター、僕がベースを弾いて2人で合わせる」みたいなスタイルができていたんです。元々「バンドがやりたい!」っていう気持ちがあるんですけど、いざバンドを組んでみると僕ら以外で共感できる人がいなくて、なかなか思うようにバンドが続かなかったんですよね。でも2人だからと言ってアコースティックなことはやりたくない、ロックなことをやりたいと思っていて。

●元々はバンドをやりたかったんですね。

JirO:ロンドンの活動を経て日本に帰ってきて、「とりあえず2人で活動していこうぜ」って、最初は弾き語りっぽいことから始めました。でも徐々に作る曲もロック寄りになってきて、TarOがアコギにオーバードライブ(エフェクト)を掛け始めて。そこからアコギ2本だけでロックな感じが出てきて、そこで何か1つ足りないなと思っている時に「これにキックドラムを入れたら面白いかもしれない」って、やってみたのが2011年の1月なんです。今のスタイルを支えている俺らの中にあるテクニックというか、作曲スタイルは2006年に始めたバンド活動で培ったものなんですよね。

●JirOさんはアコギにベースアンプを繋いでスラップ(奏法)をしていたり、キックドラムを使ったりしていますよね。バンドで言うところのリズム隊の立ち位置に近い感じがしたんですが。

JirO:そうですね。自分はドラムとべースを担当している感覚です。

TarO:JirOがだいぶしっかりしているので、僕はだいぶ(ギターで)遊ばせてもらっています(笑)。しかも僕はジミー・ペイジが好きで、彼の真似をしてすごく低めにギターを持っているんですよ。

●演奏の立ち姿からしてすでにロックですよね。そういうイメージは持っていてもアコギで演奏することは変えないのはなぜですか?

TarO:まずアコギの演奏から(自分の音楽人生が)始まったっていうのもあるし、エレキギターよりアコギの方が好きっていう思い入れもあるんです。あとは2人で活動をする時にいろんなことに対応できるというか。やろうと思えば弾き語りもできるし、エフェクターを掛ければロックな音にもなる。そういう意味でもアコギはすごく可能性のある楽器なんです。

JirO:あとは音域的にもレンジが広いんですよね。ベースっぽいローも出せるし、エレキギターのミドルの感じも出る。2人でやる時に、エレキギターとエレキベースって振り分けたら、ドラムがないと物足りなくなっちゃうじゃないですか。アコギとアコギだからこそ、キックドラムを加えただけで成り立つものがあると思っています。

●そうやって2人でやっている中で、今作はドラムが入っていたり、JirOさんがベースを弾かれていたりしますよね。新しい試みをしたいっていうところがあったんですか?

TarO:今、活動場所がメジャーっていうフィールドになって、ドラマーと出会うきっかけも増えたんです。そういう中でどんどん自分たちの可能性を広げていきたいんですよね。

JirO:前作までは路上ライブでやっていた曲がメインで収録されているんですけど。その頃って、言ってしまえば「如何に僕たち2人だけで歩いている人を立ち止まらせて聴いてもらえるか」というインパクト勝負だったんですよ。今は「この曲だったらドラムが入っても良いんじゃない?」っていう曲ができてきたんです。

●今作は聴いた印象として、ライブの空気感をすごく感じる作品になっていると思うんですが、その辺りは意識している?

TarO:そうですね。それは『Brothers Fight』から貫いてやっています。ライブでやっているようなエナジーを詰め込みたいので、なるべくクリックも使わず「せーの!」で録ったりとか。「多少カスったぐらいいいや」くらいの感じで録ったものにオーバーダビングして音を重ねていったりしました。そういうスピリットを大事にしている部分があります。

●確かに良い意味で荒削りな部分がありますよね。テクニックよりも大事なものがあるというか。

TarO:そうですね。僕がレッチリを好きになったのも正にそこなんです。『Californication』の頃って、ギターのジョン・フルシアンテが復帰したてで、正直ギターは上手くないんですけど、それでも伝わるものがあるんですよ。上手いとか下手以上のものがそこにはあって、僕はそういうものが作りたいんですよね。

●『Californication』はたしかに音圧やテクニックというよりも、間を活かしている感じがしますよね。

TarO:そうそう! 間とパートの絡み合いというか。それで曲が成立しているっていうのが衝撃的で。そういうところで衝撃を受けたからこそ今があるんです。でも、あのサウンドを目指しているというよりは、人間らしさというか、オリジナリティのたくさん詰まったアルバムを自分なりに作っていきたいです。

JirO:フリーのベースもけっこうハイフレットを弾いたりするから、低音もなかったりしますけど、それがオリジナリティだと思うんですよね。日本の音楽って綺麗なものを求めすぎている気がします。

TarO:エフェクターを踏む音とかも絶対に入っていないし。

JirO:僕らの音源は普通に入っているからね(笑)。

●ははは(笑)。あえて編集せずに残してあるんですね。

TarO:“何を大事にするか”っていうところですよね。今の時代、コンピューターでいくらでもイジれちゃうから。

JirO:逆に今、世に出ている音楽って音も綺麗で丁寧。でも、それが音楽として100%良いのか? っていうと必ずしもそうじゃない。料理に例えると、コンビニやファミレスのご飯って妙に美味しすぎるんですよ。アミノ酸とか調味料、保存料を使えば確かに味も良くなるし、見栄えも良くなるんだけど、逆に田舎のおばちゃんが作っているおでんとか、そういうものもあって良いと思うんです。

●今作はM-6「孤独の哀歌 -A Ballad Of A Desert-」でアラビア音階が使われていたり、グランジの要素があったり、曲によっては南米の雰囲気も感じて、音楽的に多国籍な印象があるんですよね。それって日本だけで活動していたら生まれないような音楽なんじゃないかなと思うんですけど。

JirO:僕らは、基本的に曲を作る時に「こういう曲を作ろうぜ」という風に決めないんです。自然に暮らしていく中でいろんなことを吸収していくじゃないですか。その中から自然に出てきたものがあって。そのフレーズが持っている雰囲気を感じ取って、それを組み立てていくんです。だから、むしろ曲が教えてくれるというか。曲がリードしていってくれるんですよね。

TarO:曲ができると「あ、今の僕らの心情はこういう感じなんだ」って逆に曲が教えてくれて。「孤独の哀歌 -A Ballad Of A Desert-」のギターソロも、ちょうどフランス遠征を終えて帰国してからすぐセッションをしてできた曲なので、そういう海外の空気を吸って出てきて「あ、今こういう気分なんだな」って教えてくれた部分はあります。

●感覚で作っている部分が強いと。

TarO:曲作りはだいたい一貫しているんですけど、どちらかが面白いリフを弾いたら、もう1人が「あ、それ良いね」って合わせていくんです。そうすると全体の形ができる。それに片方が歌を入れて、もう1人がハモりだして次のパートを作っていくっていう感じなんですけど。細かくて絡み合っているフレーズも感覚で作っているというか。リフを何回もリピートして、それを聴きながら2人で合わせて作っているんです。

●M-2「ツバメ返し -Black Heart-」はインディーズ時代からの代表曲の1つとのことですけど。その頃に作った楽曲と、最近作った楽曲は何か違いがあったりしますか?

TarO:全然違いますね。「ツバメ返し -Black Heart」をやり始めた頃は、路上ライブでやってもイントロから勢いがあってパッと目につきやすい感じの曲。そういう環境での縛りがあったので、無意識にそういう曲を作っていたんですよ。最近作ったM-11「What A Bird's Ever Seen」なんかは、けっこう前にイントロのリフは思いついていたんです。でも路上っていう環境に合わないなって思って、曲にしなかったんですよね。

●演奏する場所で作る曲も変わっていくんですね。

TarO:路上でやっていた時には絶対作らなかった曲だなって思います。だから作る曲はどんどん変わっていっていますね。ああいうドラムが入って、ゆっくり重たいリフで進んでいくような曲が今後の僕らの進化を予感させるものになると思います。

●これからリリースツアーも決まっていますよね、どんなライブにしていきたいですか?

TarO:何よりもメジャーというフィールドらしい、インパクトのあるしっかりしたライブを1本1本やっていきたいですね。

JirO:路上ライブみたいに、弾を打ちまくって当てるんじゃなくて、こらからはちゃんと狙って当てるようなライブをやっていきたいと思います。

Interview:馬渡司

  • new_umbro
  • banner-umbloi•ÒW—pj