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陰陽座

10作目にして1つの極みに達したことを示す トータル・コンセプト・ストーリー・アルバム完成!

 陰陽座が記念すべき10枚目のアルバム『鬼子母神』をリリース! オリジナル・スタジオ・アルバムとしては2009年リリースの『金剛九尾』以来2年3ヶ月ぶりということで、待ちわびていたファンも多いことだろう。

なんと結成当初から既に構想があったという本作は、リーダーのBa./Vo.瞬火が“鬼子母神伝説”をベースにして書き下ろしたオリジナルの戯曲『絶界の鬼子母神』を原作として制作されたトータル・コンセプト・ストーリー・アルバム。

10作目を飾るに相応しい至高の陰陽座サウンドと、原作脚本の劇的なストーリー。その融合が測定不能なほどの感動を呼び、圧倒的な説得力を生んでいる。

比類するものなどない唯一無二の珠玉作となった今回のアルバムについて、瞬火にロングインタビューを敢行した。

陰陽座ロングインタビュー第1部

「とにかくこの物語と音楽を、作り手と聴き手が100%共有出来る形にしたいと思っていたんです。だからまずは、この脚本が書かれなければいけなかったというわけですね」

●10作目についての構想は、随分前からあったそうですね。

瞬火:バンド結成直後、1stアルバムもまだ作っていない段階で10作目については『鬼子母神(きしぼじん)』というタイトルでトータル・コンセプト・ストーリーアルバムを作るということを、メンバーに宣言していました。

●その時点で既にタイトルまで決まっていたと。

瞬火:"鬼子母神(きしもじん)"の伝承を下敷きにしたお話を作って、それを作品テーマとして音楽にするというところまでは決めていました。今回書き上げた脚本(『絶界の鬼子母神』)が、その時から頭にあったわけではないですけどね。伝承そのものではなく、それをベースにしたストーリーなので読み方もあえて"きしぼじん"と変えてあって。

●"鬼子母神"の伝承を下敷きにした理由とは?

瞬火:人間のエゴの部分とそれを他人の立場に立って省みるというプロセスが教訓としてすごくわかりやすいので、昔からあの伝承が好きだったんですよ。要するに"自分の子供が可愛いあまりに、他人の子供をさらってきた。でも他人にそれと同じことをされて初めて、自分がどんなことをしていたのかと省みる"というのが非常にわかりやすいと。どんな人でもそうされればわかるだろうけど、もしされなければわからないかもしれないという、人間のエゴの形をすごく浮き彫りにしているお話だなと昔から思っていて。それをもう少しふくらませたような、人間の業(ごう)や性(さが)を描いたお話を作って、音楽にしたかったんです。

●それを10枚目でやることにも何か理由がある?

瞬火:本当にバンドとしての力量をきっちり備えていて、かつ作品もたくさん積み重ねてバンドとしての世界観をしっかり確立した上で、確信を持ってやりたかったんです。"アルバムを10枚も作れるほどのバンドなら、自分が考えるストーリーアルバムを完璧に作れるかもしれない"という基準が僕の中にあって。ある意味での目標というか、具体的な指標を結成直後に掲げていたということですね。

●脚本についての構想も、結成直後からずっと練っていたんでしょうか?

瞬火:そうは言っても、10枚目まで出せるバンドの方が少ないわけで。"もし本当に10枚目のアルバムが出せるんだったら、絶対にこれを作る"というのは決めていたので、そのためにこれまでの12年間くらいはおぼろげにこの脚本につながるようなお話や台詞を考えてはいました。今回、有言実行できることになって、ものすごく喜ばしく思っています。

●台詞まで考えていたんですね。

瞬火:でも常に心の片隅でという感じで、全部を頭の中にしまっておいたんです。メモに書いたりすると本当に取り組み始めちゃいそうだし、"もし記憶の中から忘れ去られるようなものなら、本当に盛り込むべきではなかったんだ"という基準があって。頭に1回浮かんだ中でも強烈に忘れられなかったものが、今回出来上がった脚本には書かれている。ちょっとずつ頭の中に貯めていったものを今回、脚本を書き始める段階で初めて文字にした感じですね。

●実際に書き始めたのはいつ頃?

瞬火:今年の4月中旬頃ですね。まず脚本に集中して、一気に書き上げて。それをすぐメンバーにも読んでもらって、物語を共有した後で曲作りに取りかかりました。

●まずはメンバーとイメージを共有したんですね。

瞬火:そのために書いたところもあったので。僕1人で曲を作る前提なら、自分自身だけが物語をわかっていても作曲は可能ですから、別に文字にする必要はなかったとも言えます。でも一緒にそれを作品として仕上げていくメンバーが「リーダーの中には物語があるらしいけど、俺らにはよくわからない」というのでは、共有できませんよね。そうやって仕上がったアルバムをファンの方が聴いても、「作り手的には何かあるらしいけど、曲を聴いても完全にはわからない」となってしまう。今回はとにかくこの物語と音楽を、作り手と聴き手が100%共有出来る形にしたいと思っていたんです。だからまずは、この脚本が書かれなければいけなかったというわけですね。

●この物語の舞台は昔の日本で実際にありそうな、閉鎖的な村社会という感じがします。

瞬火:"鬼子母神"の伝承をベースにして"母性"という名の強烈なエゴを描くには、開放的で楽天的な場所は似合わないと思ったんです。そこで原作のタイトルには"他から隔離されている"というイメージで、"絶界の"という言葉を付けて。山深かったりして他から隔離されているという状況は、日本の古い村の形と似ていますよね。

●閉鎖的な社会だから、そこだけで成り立つ独自のルールや慣習があったりもする。

瞬火:隔絶されている中で独自の文化や法律のようなものが形作られていて、そこに入り込んだ余所者には全くもって意味のわからない非常識なことが行われていても、その村ではもうそれでしか成り立たない。"そういう環境の中でなら、こういうことが起こるかもしれない"という理にかなった形で、この物語が捉えられるように舞台設定をしていきましたね。

●全く非現実的なことではなくて、現代でも起こりうるような普遍的なテーマであると感じました。

瞬火:そう読んで頂ければ、我が意を得たりという感じですね。"むかしむかしあるところ"だろうと"現代社会"だろうと起こりうるお話だという意味を込めて、今回は実際の時代や土地を匂わせるようなアカデミックな考証は意識的に排除したんですよ。

●物語の最初に鬼と少女が山の上で立っている情景が描かれていて、最後にも再び同じ情景が出てくるのは"結局、こういうことがいつの時代になっても繰り返される"という暗示なのかなと思ったんですが。

瞬火:冒頭のシーンはその後に続くシーンと時間軸や意識をずらすことで、"実はフラッシュバックだった"という若干のトリックが仕掛けてあって。でも今おっしゃって頂いた通り、"ともすれば、この同じ場所で同じようなことが繰り返されるかもしれない"ということの暗示でもあります。もしくは同じ場所じゃなくても、こういったことはいつ何処にでも常にあるものかもしれない。つまり"人間の業とか性というのは、ちょっとやそっとのことでは本当に改めることはできないのではないか?"という想いを込めたかったんです。

●アルバムの1曲目が「啾啾(しゅうしゅう)」で最後の12曲目が「鬼哭(きこく)」になっているのも、本来は"鬼哭啾啾"と続くべき言葉を逆にすることでまた元に戻っていくことを暗示しているというか。

瞬火:まさしくそうですね。アルバムの方もそうやってループしていく形になっています。単なる勧善懲悪的な話ではなくて、"良き人の中にも悪き人の中にもある人間性というものは、どんなに時代が進んでも根絶やしにはできないだろう"ということを表したかったんです。

●今回は脚本を元にして、各シーンごとに曲を書いていった形なんでしょうか?

瞬火:脚本をまず書き上げてから曲を作って、最後に歌詞という順番ですね。出来上がった脚本を自分で客観的に読みながら楽曲として取り出して落とし込むべきシーンか割愛すべきシーンかを分けていって、最終的に12曲に落とし込んだという感じです。曲名付きのトラックリストが先に出来て、そこから先はアイデアが浮かんだものから作曲に手をつけるという感じでしたね。

●一番最初に出来た曲は何だったんですか?

瞬火:数年前に一足先に出来たM-3「産衣(うぶぎ)」以外ではイントロダクションの「啾啾」が一番最初に出来ました。オープニングの鬼と少女が山に佇む情景をどんな音にするかというところからスタートしたかったので、それを一番先に作ったんです。そこで幕開けの仕方が決まってから、中身を考えたという感じですね。

●最初の「啾啾」では"はな"と言っているだけの台詞が、「鬼哭」では"はな、行こう"と変わっているのはどういう意図で?

瞬火:脚本を元にしているのでアルバムにも台詞がたくさん入っていそうなものなんですが、実は今作で台詞を使っているのはその2箇所だけで。逆に、脚本には書かれていない台詞なんです。要は冒頭であり結末でもあるシーンで鬼が少女に何かを語りかけている、その"何か"の部分を台詞にしたという。だから正しい時間軸のシーンを描いた「鬼哭」では"行こう"まで聴こえて、フラッシュバック部分にあたる「啾啾」では台詞の途中で本当の冒頭シーンであるM-2「徨(さまよい)」が切り込むように始まるんですよ。

陰陽座ロングインタビュー第2部

「10枚目まで温めて良かった。というより、温めていなかったらダメだったと言ってもいいくらい、今のバンドの力量でしかなし得ないものが完成したという自負はありますね」

●組曲やコンセプトアルバムというと重厚でとっつきにくい印象もありますが、今作は単純に1曲1曲としても楽しめるので聴きやすい作品になっているのかなと感じました。

瞬火:そこはむしろ脚本の内容以上に今回、一番こだわったところなんです。この脚本をまったく無視して、ただの1枚のCDとして聴いてもトラックごとに楽しめる。かつオプションとして脚本をガッツリ読んでから聴くと全ての楽曲がシーンとして目に浮かんできて、より深く理解できて深く感動できる。そういうストーリー・アルバムを作りたかったというのがまず第一にあって。

●ちゃんと単体の音源としても楽しめる上で、脚本を読んでから聴くとより深く楽しめる作品になっている。

瞬火:陰陽座には過去にも組曲形式のものや、10分以上の大作主義的な楽曲もあります。でも今作がそれをアルバム1枚分に膨張させたようなものになるかと言えば、そうはならなくて。たとえば10分以上ある曲というのは1曲の中に壮大なお話を凝縮するために、展開が激しかったり長かったりということが必然的に起こるんですよ。

●1曲に詰め込む上では避けがたいことというか。

瞬火:でも今回はアルバム1枚という長大な尺が与えられているわけなので各シーンを単品の楽曲として成立させて、それを流れで聴けばこの物語になるという。そういうことが可能な脚本でもあり、それをしたいという意図もありましたね。なので今作が重厚な物語でありながら、スッキリ聴けるアルバムだというのはむしろ狙ったところなんです。

●物語的には暗いイメージになりそうなところですが、楽曲のバラエティも豊かなのでただ暗いだけのサウンドにはなっていない。

瞬火:もちろんエッセンスとしては暗い部分も盛り込んでいるんですけど、下手をすると悲しみや怒りという陰惨な空気だけで作品1枚が覆い尽くされてしまうような話なんですよ。でもそういう音楽が作りたくて書いた話ではないし、あくまでも陰陽座の音楽として作りたかったから。アルバムとしてのバランスや聴きやすさという面では、陰陽座らしくやれたという自負はありますね。

●M-5「鬼拵ノ唄(おにこさえのうた)」も怖いことを歌いながらも、ちょっと楽しげにすら聴こえてきます。

瞬火:まさにこれなんかは、視点が村人なんですよ。余所者が見れば意味のわからない不気味な祭りでも、それがなくては生きていけない村人からしたら1年で最高にテンションが上がるものになりますよね。そうやって視点を切り替えることで陰惨な空気だけに支配されず、楽曲としては暗いものや激しいものから楽しいものまで振ることができたんだと思います。この曲はその顕著な例ですね。

●ライブでお客さんが歌っていると、楽しそうにすら聴こえそうですよね。

瞬火:実際、この曲ではライブでお客さんと盛り上がりたいと思っているんですよ。よく知らない人がお客さんが楽しそうにこの歌詞を歌っているのを見たら、「何だコイツら、気持ち悪い!」と思うはずで。でもそんな恐ろしいことを楽しそうに祭り囃子に合わせて歌っている村人たちが"怖い"と見えるべきシーンだから、歌う方は楽しくないとダメなんですよね。

●脚本のイメージには沿いつつも、ちゃんとライブで盛り上がれる曲や展開になっているのも陰陽座らしいと思いました。

瞬火:作品は作品として独立させて緻密に作るのが好きなんですけど、陰陽座の場合は常にその作品や楽曲をライブで実演することを前提に作っているんです。このアルバムを伴ったツアーが来年の春に決まっているんですが、当然そこで1つの流れとして演奏されて欲しいし、絶対にそうするつもりではいて。そうなるとアルバムの流れそのものが、ライブの流れになっていないといけないわけですよね。

●ライブで再現することもちゃんと意識している。

瞬火:例えばギターの持ち替えが必要な部分もあるんですけど、持ち替えの段取りまで一応計算されているんです。どれだけライブを前提としているか、っていう話ですよね。

●ラストの「鬼哭」も普通ならしっとりと悲しく終わりそうなところを、思いっきり暴れられる曲になっているのも陰陽座のライブらしいかなと。

瞬火:これはライブのエンディングを意識したというよりは、今回の脚本の終わり方としてスッキリしない部分がどこかにくすぶっているところからのイメージですね。脚本では立ち去ってそこで出番がなくなる静というキャラクターに、この物語に対する怒りを爆発させたというか。立ち去って何処かに行くのかまた彷徨うのかはわからないですけど、その道中でたぶんこういう気持ちだったんじゃないかなと。

●静の怒りを表現したサウンドなんですね。

瞬火:静が村での出来事を思い出してだんだん腹が立ってくるような感情を曲にしたら、アルバムの最後をピシッとドライブさせるものになり、そのままライブの盛り上がりが期待できる曲になった、という感じですね。

●脚本を読んだだけではわからないようなことや、そこには書かれていないような部分まで今作を聴くことで想像を広げられる。

瞬火:元が小説ではなく脚本なので、基本的に登場人物の心理描写はなされていないんです。だから、実際はどういう感情だったのかを歌で表現したりしていて。脚本の中では名前しか出てこないような登場人物の曲もあるんですよ。M-7「柘榴と呪縛(ざくろとじゅばく)」で頭と最後のパートは茂吉という登場人物の視点ですけど、途中で黒猫が歌っているパートは脚本では一切台詞のない殺された茂吉の奥さんの視点なんです。

●脚本にはない視点で歌われている。

瞬火:殺された奥さんは浮かばれずに漂いながら、生き残った旦那さんをこういうふうに見ているんじゃないかという想像で書いていて。自分で元のお話を書いておきながら、その行間や向こう側を見ようとして歌詞に落とし込む作業をやっているんです。それによって、脚本と合わせて聴いた時の面白みが広がるんじゃないかなと。

●1曲の歌詞の中に、何人かの視点が出てくる場合もある。

瞬火:主軸となる視点とかメインになる登場人物はありつつ、僕か黒猫のどちらかメインじゃない方は別の人物からの視点なんです。或いはナレーション的な位置づけであったりもして。

●歌い手が同じでも、違う登場人物の視点から歌っているパートもありますよね。

瞬火:M-4「膾(なます)」のAメロで呻くように歌っているのは主人公の九鬼十蔵の心の声なんですけど、サビは村人の声なんです。同じ歌い手ですけど、歌唱方法を変えて2役している場合もありますね。

●「膾」で歌が始まる前のうめき声は、このシーンで暗い洞窟内に縛られて倒れている"鬼"の声でしょうか?

瞬火:それをおわかりになった方は、今回の取材で初めてです(笑)。脚本では洞窟に入っていく側の視点からしか書いていないんですけど、縛られて暗闇の中で待っている側からしたらこんな気持なんだろうなと。この曲では僕が3役しているわけですね。

●ちなみに、あのうめき声もライブでやるんですか?

瞬火:マイクの前で僕がハアハア言ってるのも何か違う感じがしますよね…(笑)。

一同:(爆笑)。

瞬火:そこはその場で僕が言う形じゃない方が、流れは良いかなと思います。

●たとえばライブでは事前に録っておいた声を流してもいいわけですからね。今作には鍵盤の音も入っていますが、ライブではレコーディングにも参加した阿部雅宏さんに弾いてもらう形でしょうか?

瞬火:実際にアルバムで弾いて頂いたところは、もちろん阿部さんに弾いて頂くつもりです。打ち込みの部分も阿部さんの生演奏に置き換えたり、打ち込みと同期させつつ生演奏で弾くところもあるでしょうね。

●シンセの音やメロトロンの音も今作には入っていますよね。

瞬火:メロトロンが入っていると気付いてくれた方も初めてです(笑)。あえてメロトロンを使ったのには、ちょっとしたプログレ趣味が出ていますね。最初は当然"ストーリーを味わう" "楽曲そのものを味わう" "歌を聴く"という感じで聴いて頂きたいんですけど、もうちょっと楽器寄りの耳で聴いてもらうとそういう面白いことが細かく入っていたりして。何回か聴いてもらったら、今度はちょっとそういう聴き方もしてもらえると嬉しいですね。

●結成直後から温めてきた着想を遂に具現化するということで、様々なアイデアを結集した作品にもなっているんじゃないですか?

瞬火:結成当時から着想があったので、もしかしたら3rdアルバムとかでやってしまう可能性もあったわけです。でもその気持ちを必死に我慢して今回の10枚目まで温めて良かった。というより、温めていなかったらダメだったと言ってもいいくらい、今のバンドの力量でしかなし得ないものが完成したという自負はありますね。

●10作目をこういう形にすることは結成直後から考えていたわけですが、既にこの先も見据えていたりする?

瞬火:今は15枚目のアルバムタイトルを悩んでいるところです。14枚目まではタイトルと内容は決まっているんですよ。

●早いですね! 常に先を見て進んでいるというか。

瞬火:せっかちなんです(笑)。この『鬼子母神』というアルバムは1つの目指すべき目標だったわけですけど、かと言ってここでやることがすべて完了してしまうつもりもなくて。"こういう種類の作品を作ることが出来たなら、こういうものもできるんじゃないか?"と思うんですよ。このアルバムを経て、次にやりたいことはもう山積みです。今作を作れたことで「次はこれ」っていうアイデアがどんどん先まで膨らんでいっていますね。

●ここまでの話にも出ましたが、ツアーでは今作を再現されるんですよね?

瞬火:むしろアルバム『鬼子母神』を実演することで、本当の意味での完成を見るというくらいの気持ちなんです。なので、今作の完全再現を意図したライブになると思います。

●このアルバムの収録曲だけでは時間的にいつものライブよりも短いので、何となく2部構成になるのかなと思っていたりするんですが。

瞬火:表現の仕方はさておき、自ずと2部構成のような形にはなっちゃいますよね。このアルバムを通して再現することとは完全に切り離して、今までの楽曲をいつも通り演奏するというのも時間が許す限りやりたいですからね。

●もしくは『鬼子母神』を完全再現した後に、アンコールが2時間あるとか…。

瞬火:それ、面白いですね! 社に持ち帰って検討させてもらいます(笑)。

●それも陰陽座らしいですよね(笑)。

一同:(笑)。

Interview:IMAI
Assistant:HiGUMA

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