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決して混ざり合うことのない孤独でネガティブな魂が 社会に突きつけた静かなる“No”という意思表明

PH_amenoto「言葉で表せないことを言葉で表そうとしていること自体がそもそもの間違いで、ということはこの文章も結局は何も語り得ない、のだから最初から黙っていれば良い、と言いつつもやはり伝わらないのですよということを伝えたいとは思う、けどそれを伝えようとすればするほど結局伝えたいことは伝わらない」。

というのは、amenotoのVo./G.石井翠が今年の2月にTwitterにて投稿したものだ。まるで言葉遊びのようだが、“伝えたいとは思う”から彼女は曲を作り歌うのだろう。昨年4月にデビューミニアルバム『すべて、憂鬱な夜のために』を発表してから約1年の時を経て、リリースするに至った2nd ep『逆エントロピー』。セルフプロデュースとなった今作ではUKロック/ポストロック/オルタナティブ/シューゲイザーを土台にしたサウンドはそのままに、軸にある“歌”がよりナチュラルに響いているように感じられる。前作の制作に加えてリリースツアーなど数々のライブを経験してきた中で、音楽面での確かな進化を遂げたことを実証する作品だ。

その一方で歌詞の世界観は揺るがない…いや、“深化”を遂げたかのようにすら思える。「ラブソングっぽいものを作ろうとした」(以下「」内は石井の発言)という表題曲のM-1「逆エントロピー」では序盤で“またね いつかね 笑い合えたら”と歌っていたかと思えば、最終的には“ねえ 今度は誰が憐れんでくれるのかなあ”と帰結するのだ。別れた後に全てを良い思い出に変えてしまおうとするようなラブソングは、世間に溢れかえっている。だが、amenotoの“ラブソング”はそういったものとは真逆だ。「つらい思い出を上書きして“良かった”ことにしてしまったら、その時に死んでいたのと同じで。生きている意味がないんじゃないかって思う」。本来は生きている限り、嫌な記憶もずっと残るものだろう。石井は「そうであって欲しい。“あんなにつらかったのに、忘れていいの?”って。“あの時の自分は何だったんだ?”って思う」と語る。つらい思い出も今の自分を形成する一部であり、“泣きながら(でも)進んでいく”力となるのだから。

「“愛って素晴らしい”みたいなことを言われまくるじゃないですか。そういうみんながやっているような普通のこと(=恋愛)を自分もできるようになりたかったというか。…でも今はもう諦めています」という彼女の歌には、嘘がない。だからこそ、自らの生を切り刻んでいるかのような切なさが、聴く者の胸に迫ってくるのだ。自分自身に嘘をついていない言葉。それは共感を得るために媚を売っているような歌詞よりも、遥かにリアルなものである。“ずっと一緒だとか、そんな嘘なら聞きたくないのに”と歌うM-3「見えなくなるまで手を振ろう」。人が無責任に言い放つ美辞麗句を「1つ1つ深い意味で言っていないということをずっと知らなくて。ずっと真面目に考えちゃっていたので…それでどんどんズレていった」という感覚は決して“間違い”ではない。そこに気付いて深く考えることをやめて、“社会”に溶け込もうとする人のほうが圧倒的に多いというだけの話だ。

ただ、誰しも社会の中での“生きづらさ”を感じる瞬間はあるだろう。“いつの間にか消えてしまえたなら”(M-2「暗転」)と思うこともあるはずだ。この歌詞の真意を訊くと、石井は「たとえば失踪したり死んだりしたら、周りに迷惑をかけることになる。その2つはやろうと思えばできるけど、誰にも迷惑をかけないためにはパッと消滅してしまうしかない」と答えた。それができれば楽なのだが、社会の中で生きるということは人との関わりから逃れられない。「人と関わること自体がもう我慢じゃないですか」という言葉に同意する人は、実は少なくないのではないだろうか。

“逆エントロピー”とは、混ざり合った2色のインクが再び分離していく現象のことだという。本来はそれぞれに違った個性を持った人々を均一化して混ざり合わせようとする“社会”に対して、amenotoは静かに“No”を突きつけている。安易な同意や共感は求められていないが、どこかしら共振する部分はあるかもしれない。それはあなた自身の耳で、確かめてみて欲しいと願う。

Text & Interview:IMAI
 

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