全国15万部を誇る日本最大級のミュージックフリーマガジン on Web!!

twitter instagram

People In The Box

孤高の進化を果たす3ピースバンド。その音の純度と強度は高まり続けている

PH_People_main“孤高”という呼称がまさに相応しい3ピースバンド、People In The Boxが新作ミニアルバム『Talky Organs』を9/2にリリースする。“これまでになかった新しい試みを”という意図の下、今年3月から11月にかけて長期にわたる47都道府県ツアーを敢行している彼ら。自身初の試みとなる本ツアーに合わせて3月には、前作のライブ会場限定シングル『Calm Society』をリリースした。波多野裕文(Vo./G.)自身にとっても達成感があったという同シングルを経て、それと対関係にあるというイメージで作られたのが今回の新作だ。前作からの系譜を辿りつつも、斬新かつ刺激に満ちた楽曲が揃う今作は、さらに新たな境地へと向かうバンドの意志を感じさせる。47都道府県ツアーの合間を縫って、わずか1週間という短期間で録音された今作発売を機として波多野に相対したスペシャル・インタビュー。それは1枚の作品という枠を超えて、創作に向かう姿勢やミュージシャンとしての矜持に迫るものとなった。

 

「主流は主流として頑張っている人たちがちゃんといて、僕は僕で自分がど真ん中だと思っている。その両側がすごく必要なんだと思っていますね」

「僕はまだ音楽ファンを信じているんですよ。ちゃんと自分の気持ちに正直に音楽をやっていたら、必ず聴いてくれる人がいるという気持ちがあるんです。だから僕は、音楽ファンに裏切られることは絶対にない」

●現在は初の47都道府県ツアーを敢行中なわけですが、こういうことをしようと思ったキッカケは何だったんですか?

波多野:最初は結構キャッチーな理由で、“やったことがないから”というのがまずありましたね。あと、“主要都市”だけをまわっていると自分たちがツアーで各地に赴いているはずなのに、お客さんに県をまたいで来てもらうことにもなるじゃないですか。“もっと自分たちで能動的にツアーというものをやっても良いかもね”というのが頭の片隅にあって。それで2015年のことを考えている時に、“今年はライブの年にしよう”という話になったんですよ。今が一番ピッタリのタイミングじゃないかということで、今回のツアーを始めました。

●2015年をライブの年にしようと思ったのはなぜ?

波多野:ちょっと音源を作り過ぎているなと…(笑)。その反動というか、それだけだとバンドの運営上ちょっとつらいところもあるから。僕らは演奏自体にすごくこだわりがあるので、そこを突き詰める期間があっても良いかなっていうのはありましたね。あと、ライブが少ないという感覚もちょっとあったんです。この機会に僕らのライブの魅力を知ってもらいたいという気持ちもあったので、すごく良い機会なんじゃないかなと思って。

●ライブの魅力をもっと知って欲しいという気持ちがあったと。

波多野:“ライブとは何なのか?”ということに関しては、僕ら自身の中でもまだ答えが出ていないんです。ただ僕がいつも思っていることとしては、作品というものが“映画“だとすると、ライブというのは“演劇”なんですよね。映画というのはセットや場面やエキストラだったりと色んなものを作り込んでいくわけですけど、演劇というのはその場にある道具だけを使う。ライブというのも(メンバー)3人だけでそれ(作品)を再現するという行為で、それは挑戦でもあるし、だからこその自由度もあって。曲に“こういう側面もあるんだ”というのも見て欲しいなっていう気持ちはありますね。

●作品としての音源とはまた違う、楽曲の側面をライブでは見せられる。

波多野:そうですね。たとえば映画というのは全体の映像美やストーリーとかも全部込みでのフォーカスだと思うんですけど、“人物が主体になる”というのが僕らにとってのライブかなという感じはします。映画にたとえると、登場人物というか。それが主体になるのはライブかなって。

●メンバーの人間性も生だからこそ、より見えるところがあるのでは?

波多野:結果的には、そうなっていると思います。

●3月にリリースしたシングル『Calm Society』は主にライブ会場限定販売ということで、現在のツアーに合わせてリリースしたわけですよね?

波多野:そうですね。

●ということは、収録曲はライブを見据えて作ったものなんでしょうか…?

波多野:普通はそうだと思われるんですけど、僕らの場合は全然違うんですよね(笑)。“この曲で盛り上がってくれ”みたいなものでは全然ないし、曲としてはその対極みたいな感じです。

●『Calm Society』は今回のミニアルバム『Talky Organs』と対になる作品ということですが、その時点から今作のイメージもあった?

波多野:いや、その時はまだなくて。入れ物として対になるものにしようということだけが、頭の片隅にあった感じですね。だから、自分の中でもちょっと限定的な作り方ができるというか。ちょっと実験するような気持ちではありました。

●実験や挑戦というのもテーマだったんでしょうか?

波多野:僕らは、自分たちが飽き飽きしたくないという気持ちが常にあるんですよね。活動としても作品としても、常に向上していきたいという気持ちがあって。だから逆に言えば、そういうことに過ぎないというか。

●同じようなことを繰り返すのではなく、常に新しいことに挑んでいく気持ちがある。

波多野:逆に、同じことをやるというのは難しいですね。自分の中に停滞感があるというのが、すごく嫌だから。ありがたいことに、音楽に関してやりたいことっていうのは、色んな視点から見るとまだまだいっぱいあって。そういうものをちゃんとやろうと思っているし、昔よりもやりやすくなってきたなという感じもあります。

●やりやすくなってきたというのは?

波多野:僕らの気持ち的なところではあるんですけど、作品を重ねてきた中で“だいたい何をやっても大丈夫”という環境に自分たちを置くことができたということですね。周囲のノイズを気にせずに作るというか。だから大きな変化として見えなくても、自分たちなりの課題みたいなものに取り組む余裕ができたという感じかもしれない。特に『Calm Society』の1曲目「海はセメント」に関しては、自分としては達成感がすごくあって。音像や曲構成、歌詞の作りといったところで、今までやりたかったけどできなかったことができたんです。そういう達成感を感じる曲だし、“今じゃないと作れなかったな”という感覚はすごくありますね。

●自分たちの進化を感じられるものになった。

波多野:劇的な変化というのはなかったけれど、次々と変化はしつつも軸はブレなかったというか。そういうふうなバンドだと見てもらえていることが自分たちでもわかってきたので、気が楽になったという感じではありますね。

●進化はしつつも、どの時期の音源を聴いてもすぐにPeople In The Boxだとわかるものになっている。

波多野:そういう意味で、新しい部分がギミックとして打ち出されないということが僕らには重要で。一聴では派手さとして機能するものではないんだけど、時間が経過するにつれてどんどん良くなっていくようなものを作るというのが僕のやりたいことだったんです。(『Calm Society』では)それができたから、嬉しいなと。

●シングルだからということで、即効性のあるものを意識したりはしない?

波多野:僕らはまず“シングル”という概念がないんです(笑)。曲数が多い少ないに関わらず、1つ1つの作品を同列に扱いたいという気持ちがあって。去年出した『聖者たち』というシングルはアニメのタイアップ(※『東京喰種トーキョーグール』エンディングテーマ)だったんですけど、それはそれで1枚の作品になっているというのは聴いてくれた人はよくわかると思うんですよ。そういうのはずっと地続きであるものですね。

●外的な要因に左右されずに制作できている。

波多野:周りのノイズとかがなかったとしても、それがどういうふうに受け取られるかとか、どの文脈で語られるかというのを自分たちの中でどこか意識しながら作ることは多分にあって。でもここ最近の何作かに関しては、そういうものをどんどん排除することができているなって思います。音楽的な純度というか、自分たちが1つ1つの音にどういう意味を込めているかとか、そういうことを確認しながら作っていくということが重要で。そういうことに、本当にこだわれるようになってきたという感じはありますね。

●そういう感覚の中で今は作れていると。『Talky Organs』を実際に作り始めた段階では、もう『Calm Society』と対になるものとしてのイメージができていたんですか?

波多野:最初は“対になるもの”というのが言葉として存在していただけに過ぎなくて、具体的にどういうイメージというのはなかったんです。でも『Talky Organs』のオケができて、歌詞を書き始めた途中くらいで「そういうことなんだな」と自分の中でまとまったというか。そこらへんの感じは本当に説明しづらくて…。もしかしたら“対になっている”と言われなければ、わからないのかなと思ったりもするんですよ。

●歌詞をじっくり読んだりすれば対関係に気付くかもしれないけれど、それぞれが単体の作品としても成り立っている。

波多野:僕は単独で聴いてもらっても構わないと思っているんですよ。歌詞に関しても説明を求められたらできるんですけど、そういうのがなくても楽しめるように作っているというか。それで楽しめないなら、意味がないと僕は思っているから。

●歌詞の真意を理解しなければ本当の良さが伝わらないのだとしたら、それは楽曲に(多くの人に届くだけの)力が足りないということだろうと。

波多野:そう思います。実際に書き始めるまで、どういう歌詞にするかというのを自分自身でもあまりわかっていないというのもあって。People In The Boxでは曲が全部上がってから、歌詞を書くんですよ。だから、どういう歌詞になるかというのは、本当に音楽次第なんです。

●音楽に呼ばれて、歌詞となる言葉が浮かんでくる。

波多野:そういう時に自然と立ち上がってくるものが、今の自分が考えていたり感じたりしているものだというのは当然のことで。それをどういう形で歌として乗せるかというのは、極めて僕の個人的な経験であるわけなんですよ。それを全てわかってもらいたいというのはものすごく傲慢なことだというのが、僕自身の立場としてはあるんですよね。

●とは言え、歌詞に書かれた真意に到達する人がいても良いわけですよね?

波多野:そこまで汲み取ってくれる人がいるというのは想定しているというか。それをキャッチする人は絶対にキャッチするように作ってはいるので、ただそれだけのことだと思うんです。でもそれをキャッチしなかったからといって、“理解していない”ということでは決してない。そこがすごく重要なところで、“自分は理解していないんじゃないか?”という強迫観念に駆られる人とかもいると思うんですけど、その考え方というのは間違っていて。言葉を理解していないから、その曲を理解していないかというと、絶対にそんなことはないんです。それはなぜなら、音楽だから。

●言葉の意味を理解することが音楽の目的ではない。

波多野:言葉を超えた理解というのがあるからこそ、“音楽”なわけで。“この音にこの言葉が乗ったらどういう感じになるか?”ということだったり、僕の言葉というのは音楽的な実験なので、そこから先はもうボーナスみたいなものなんですよ。ただ、僕はそこにすごくやりがいを感じているというのはあります。そこは音楽やポップスの中に残された、まだ未来のある分野だと僕は思っているから。そこに楽しみを見出しているというところはすごくありますね。

●音楽的な実験というのは?

波多野:作品としての奥行きをどれだけ作れるかということへの挑戦ですね。どこまで意識を持って、それをできるかっていう。意味が一層になるというのが、僕はすごく嫌なんです。ピラミッドって外から見ても異様だけど、中に入っても異様なんですよね。たとえば太陽の光が何時になった時、棺に射すようになっているとか、色んな仕掛けもあったりして。歌というものも、そういう感じで多重に意味を持つものになり得るんですよ。そういう意味で、どこまで奥行きを持たせられるかということを僕はやりたいと思っていて。

●色んな解釈を許容するものというか。

波多野:だから、全部を理解して欲しいという気持ちは一切ないんです。ただ1つの視点からしか(鑑賞に)堪えられないような作品を僕は作りたくない。作品に関しては、どれだけ立体として作れるかということにすごく心血を注いでいます。

●それは聴き手というより、作り手としての観点から?

波多野:いや、どちらもありますね。聴き手として、そういう作品が聴きたいという気持ちもすごくあるから。やっぱり一聴して良いというだけじゃ嫌なんです。世の中って、キャッチーなものと複雑なものというふうに分けられるんだけど、それは同じことだと僕は思っているんですよ。“一見、セックス・ピストルズに聴こえるけど、実はキング・クリムゾンだった”みたいな(笑)。

●簡単なことをやっているようで、実はすごく構築された複雑なものをやっていたりすると。

波多野:音楽では、そういうことがあり得るわけですよね。そういうものを作りたいと僕はずっと考えているし、実現したいなと思っていて。究極的に作り手としてあろうと思うことは、究極的に聴き手としてあることとイコールだと僕は思っているんですよ。

●作っている時も、自分たちの作品を客観的に捉えている?

波多野:ここも本当にデリケートなところで、作っている時は“絶対に客観的にならない”というのは自分の中でルールとして課しているんです。絶対的に主観であるというのは、一見それに入れ込んでいるように見えて、実は視点がすごく冷めていないとできないことなんですよ。たとえば感情的に建てた家に長年住めるかというと、そういうわけではないじゃないですか? ブラックライトをガンガン当てて“カッケー!”みたいな家に何十年も住めるかっていうと、そうじゃない(笑)。

●面白いのは最初だけでしょうね(笑)。

波多野:だから本当に主体的であろうと思ったものに対しては、すごく冷徹な視点で見ているんです。そういう意味で、主観的と客観的というのは対概念だと思われるけれども実はすごく似ているんじゃないかと僕は思っていて。そういう視点で作品も作ってはいますね。

●作り終えた後に聴き返す時はどういう視点で?

波多野:作り終えてみて、ふと我に返るかというとそうじゃないんですよね。ずっと地続きではあって。作り終えた後にミックスの作業で聴かないといけないんですけど、ミックスが終わるともう聴き返すことはないですね。聴き返す必要がないんですよ。やっぱり自分の身体の中にもうあるものだから。(過去の作品は)断面みたいなもので、長い筒をどのタイミングで切るかみたいなことに近いんです。だから以前は聴き返して“もっとこうすれば良かったな…”みたいこともあったんですけど、今は“その時に切った断面がそれね”っていう感じで。

●初期は技術的に至らない部分があったとしても、その時にしか切り取れない断面になっている。

波多野:そうですね。それは“成熟/未成熟”という以外にも、その時の気分や感情だったりも関係しているから。今はもう“その時はこれをブルーに感じていたんだね”とか“この時はオレンジに感じていたんだね”と思うだけですね。

●演奏が上手で譜面どおりに弾けているからといって、素晴らしい作品というわけではないですからね。

波多野:僕もそういう発想にどんどんなってきたので、最近は演奏もすごく変わってきましたね。レコーディングって、やっぱり間違えないように演奏しないといけないというのがあって、半分はその通りなんです。設計図どおりに半分は作らないと作品の強度が落ちてしまうけど、半分を過ぎた先というのは必ずしもそうじゃなくて。今作に関しても僕にはすごく良いミスがいっぱいあって、それを全部残しています。

●演奏面でのミスもそのまま採用していたりする。

波多野:音が外れていたとしても、そのまま残していたりしますね。“僕はこの日、こういうエラーを起こしたんだ”という記録というか。

●それは自分の中で使えると判断したから使っているわけですよね? どうしようもないミスだと使いようがないというか…。

波多野:いや、案外どうしようもないものを使っています。逆に、細かいミスは直しますね。どうしようもないヤツって…ゾクゾクするんですよ(笑)。

●ハハハ(笑)。

波多野:でも聴いていても、たぶんわからないと思います。“こういうふうに作ったんだ”と思うんじゃないかな。たとえば駅のホームに電車が入ってきた時に(扉から)傘が飛び出していたりするほうが、リアルだったりするわけで。日常って、そういうものじゃないですか。

●確かに。

波多野:ただ、作っている時は人って真面目になってしまうものなので、そういうものが許せなくなるんですよね。でも“そっちのほうが作品にとってリアルな時もあるんだ”っていう判断ができるようになったというか。そういう余裕が生まれるようにはなりましたね。

●音だけ聴くと作り込まれているように聴こえるけど、完璧に設計図どおりに作っているわけではない。

波多野:そうなんです。設計図はかなり細かく作るんですけど、いざ録音する時にはそれに忠実にやるという発想を1回捨てますね。設計図を細かく作るということは絶対に重要で。ただ、それに忠実になる必要もないっていう判断を自分の中でちゃんと下せるかどうかというところですね。

●設計図は細かく作るけれど、全てをそのままやるわけではないと。

波多野:やっぱり作品というものには設計図があるので、そこの線引きをどこでするかというのが作り手としての責任なわけで。その線引きする判断というのも、音楽家としてすごく好きな作業でもあるんですよ。どこまでを創作とするかということに関する自分の意識の領域がどんどん広がってきている気はします。それが実際に音として表れているものと、表れないものがあって。表れないものでも最終的には反映されるんだというところがあるので、そこは音楽をやっていて今すごく楽しいところですね。聴こえるものだけが全てじゃないというか。自分がその中から選んで、それがあるっていうのがやっぱり良いなっていう。そこまで線引きする勇気というのが昔はなかった。

●昔はどういう感覚で作っていたんですか?

波多野:“究極のものを作ろう”っていう感じでした。でも本当に“究極”のものというのはないんですよ。その日の“究極”というものはあるんでしょうけどね。そういう意味で作品作りということに関して、自分の意識できるレベルがどんどん拡張している感覚はあって。それは音をパッと聴いただけでわかるものではないんですけど、そういう部分をちゃんと持っていないと音楽自体がどんどん弱体化していくと思うんです。“これを作るにはこれくらい時間がかかるんだ”とか“それはそんなにかからない”とか、そういうことをちゃんと自覚できていないと、やっぱり良い環境は作れないかなと思いますね。

●今作は47都道府県ツアーの合間を縫って、わずか1週間でレコーディングされたそうですが、それだけ聞くと過酷な環境のような…。

波多野:矛盾していますよね。“ライブの年にする”って、大嘘ですよ(笑)。

●ハハハ(笑)。

波多野:でも確かに凝縮すると1週間くらいになるんですけど、間も空いているんですよ。曲作りしてからツアーに出て、帰ってきて曲作りして…という感じで、ちゃんと期間は取ってあったから。

●実際、ツアーのスケジュールを見ると、1ヶ月の半分くらいがツアーという形ですよね。

波多野:なるべく精神的に疲弊しないようなスケジュールにしようと思って。ライブに関してもあまり長く続くと、惰性でやっちゃう感じになるのは目に見えていたから。1回リセットしてから次のエリアに行くというのが、絶対に大事だったんですよ。制作モードとライブモードが交互に繰り返しになっていることで、良い循環ができた気はします。

●今回の収録曲を作ったのは『Calm Society』制作よりも後だったんでしょうか?

波多野:M-6「逆光」だけは原形がありましたね。あと、M-3「机上の空軍」も原形は『Wall, Window』(アルバム/2014年8月)の時にはありました。これは『Wall, Window』から漏れた曲ですね。歌詞とかは全部書き直しちゃったんですけど。

●歌詞に関しては、1枚の作品中である程度の一貫性が保たれている?

波多野:一貫性は出ちゃうんですよね。(歌詞を)作る時期が一緒というのもあるし、あとは曲順を先に決めちゃうというのもあって。People In The Boxは曲順がすごく重要で、曲構成と同じくらいのものなんです。だから絶対に一貫するし、関連も確実にありますね。

●「逆光」はリード曲にもなっていますが、今作のキーになる曲でもあるんでしょうか?

波多野:これに関してはただ曲調として、今までのリード曲にはないタイプだったからということですね。MVにすることを考えた時にも、People In The Boxのカタログの中に色んな種類があったほうが良いだろうという親切心というか(笑)。もちろん重要な曲ではありますけどね。この曲の歌詞はすごく苦労して、一番最後にできたんですよ。

●歌詞に苦戦したと。

波多野:作品の中で何を言おうとしているのかというものが立ち上がってくるのが、この曲は一番遅くて。5つくらいのパターンがある中で、最終的に“これしかない”というところに着地しましたね。

●歌詞のイメージは5パターンもあったんですね。

波多野:イメージはいくらでも浮かぶんですけど、それがちゃんと自分の感じているとおりに着地しているかというところが重要で。この曲の言いたいことというのはかなり大きいサイズだったので、それをどこまで限定的にして狭めることができるかというのがあったんです。他の曲では“これであがり”というのがわかったんですけど、この曲に関しては“まだあがっていない”という感覚が自分の中にあったので、どんどん書き直しましたね。

●自分の中での基準に従って、妥協することなく突き詰めている。

波多野:どういう意識でやっているかというのは本当に人それぞれで、ミュージシャンごとに頑張りどころって違うはずじゃないですか。ライブに命を懸けている人もいるだろうし、作品に命を懸けている人もいる。そういう中でどこまで自覚的であるかっていうところはそれぞれだと思うんですよ。その自覚のところがわかりやすく外に出ないとなと思っていて。僕が最近、色んなことを喋ろうと思うのはそこからなんですよね。みんながみんな“同じ意識でやっているんじゃねぇぞ”っていう気持ちはすごくあるし、そういうところをミュージシャンが出していかないとなっていう変な責任感みたいなものがあります。

●ミュージシャンとしての責任を意識していると。

波多野:色んな価値観というものをミュージシャンが発信していかないとなっていう気持ちがすごくありますね。自分がどれだけ全体を見られているかはわからないですけど、印象としては今の音楽シーンは地に足が着いていないのが明らかで。シーン全体がそういうものだとしたら外の人たちは寄り付かないし、誰もそんな足場の落ち着かないものに対してお金は出さないですよ。かと言って現状で回っている車輪を急に止めるというのは無理だから、そのまま進んでいるというのはあるんでしょうけど。たとえば僕みたいな人はいったんそこから外れて、色んな文脈とは関係ない“個“としてちゃんと立つというのがすごく大事だなと思っているし、そういうことができる年齢になったかなというのは自分の中にあるんですよね。“から騒ぎはご免だ”という気持ちはすごくあります(笑)。

●シーンの流行り廃りには関係なく、自分たちらしく進むというか。

波多野:主流は主流として頑張っている人たちがちゃんといて、僕は僕で自分がど真ん中だと思っている。その両側がすごく必要なんだと思っていますね。自分が外れたところにいると思ったら終わりだと考えていて。ちゃんと自分に正直に音楽がやれているかというのを常に自問自答しながらやって、その結果変化することによってお客さんが減ったとしてもむしろ健全だと思っているんですよ。そういうことをちゃんとミュージシャンが胸を張ってやることが大事だなと僕は思います。

●今こうやって47都道府県ツアーをやっているのも、新しい人に知ってもらいたいという気持ちがあるからこそですよね。

波多野:そうですね。

●自信を持って音楽を作っているという感覚はあっても、わかる人だけわかれば良いというスタンスでは決してない。

波多野:それは僕が音楽ファンだからでしょうね。僕はまだ音楽ファンを信じているんですよ。ちゃんと自分の気持ちに正直に音楽をやっていたら、必ず聴いてくれる人がいるという気持ちがあるんです。だから僕は、音楽ファンに裏切られることは絶対にないと思っています。

Interview:IMAI

 

banner_228 new_umbro banner-umbloi•ÒW—pj