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饗庭純

混沌を重ねた先にある真っ白な光をまとった歌が 聴く者の心を未だ見たことのない異世界へと誘う

aibajun_a70声にも及ぶコーラスワークと幻想的なメロディで一瞬にして異世界へとリスナーを引き込む「leia」で幕を開ける、饗庭純の1stミニアルバム『Haku』。amazarashiや大森靖子など独自の世界観を持ったアーティストのプロデュースで知られる出羽良彰によって構築されたアレンジワークは、彼女の混沌とした世界観を見事な形で具現化することに成功している。アーティスト写真は新進気鋭のカメラマン・安藤きをくが撮影するなど、突出した才能を持つクリエイターたちと交差する中で、彼女の特異な音楽性と存在感は輝きをさらに増すかのよう。その不思議な音の根源に迫る、スペシャルインタビュー。

 

「理解は永遠に誤解やと思っていて。どれだけ近い間柄だと思っていても、どれだけ自分のことを喋ったり、相手のことをわかったつもりになっても、それは“わかった”という誤解をしているだけで。2つの距離がどれだけ近くなっても、永遠にピタッと重なることはないというのが私は切なくてしょうがないんです」

 

●今作『Haku』からはすごく不思議な音楽性を感じたんですが、ルーツはどんなところにあるんですか?

饗庭:小学生の時になぜかいきなり横道に逸れて、民族音楽から入ったんです。音楽の授業で“ケチャ”という東南アジアの音楽(※インドネシア・バリ島の伝統的な男声合唱)を聴いた時に、「これも音楽に分類されるの!?」と思って興味を持ったのがキッカケで。言葉のリズムとか何かが重なっているというのが面白くて、そこから色々と民族音楽のCDを聴くようになりました。

●出発点は民族音楽だったと。

饗庭:あと、中学の時にジャケ買いしたのが、ORIGAというロシア人の歌手のアルバムで。そのCDを聴いていたら、心を全部持っていかれるような感じになっちゃって。ポップスとは違うメロディラインで和音や和声をいっぱい使っていて、何か不思議な感じなんです。そして、まるで氷の大地が見えるような声をしているんですよ。ロシア語だから意味はわからないんですけど、気付いたら口ずさめるようになっているくらいずっと聴いていました。

●心を全部持っていかれるような感じだった。

饗庭:私が惹かれるもののたった1つの理由は、“持っていかれるか持っていかれないか”なんです。持っていかれるものなら、どんなジャンルでも関係なくて。高校生の時にビョークを最初に聴いた時は衝撃的すぎて、「これは今聴いたらアカンやつや!」っていう感じで2年間封印していたんですよ。今これを受け入れる器が自分にはないというのをたぶん本能が察知したんでしょうね。そこから2年経って聴いてみたら、もうドハマりして…。

●ビョークから受けた影響も大きい?

饗庭:音楽的なルーツはORIGAの『永遠。』(1998年)というアルバムなんですけど、私の中での初めてのヒーローみたいな存在がビョークで。それまではそういうことに全く興味がなかったんですけど、初めて「この人はどういう人で、どんな歌い方をするんだろう?」と気になってライブDVDを買ったり、ライナーノーツを読んだりしたんです。なぜそこまで惹かれたのかと考えると、(ビョークの音楽は)生命を賛美している感じがするというか、本当の意味での“祭り”のようなイメージがあって。

●祝祭感的なことですね。

饗庭:ダンスのリズムを取り入れていたり、そこに色んな音が重なっていたりして。祭りのような物凄く混沌としたエネルギーが渦巻いていて、そこに惹かれたんやろうなっていう気がします。あと、私は土着的なものに揺さぶられるというか。その土地や気候とかが持っている文化や自然を感じさせる土着的な音楽には、言語が通じなくても根っこが揺さぶられる感じがして好きなんですよ。

●色んな音が重なっているものにも惹かれる?

饗庭:幼稚園の頃に「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)が車で流れているのを聴いて、突然ハモりたくなって。まだ学校で音楽を習う前なのに、まるで身体が知っていたかのように勝手にハモりだしたんです。ハーモニーを重ねるということが今もすごく好きで、それに対する気持ち良さは小さな頃から感じていたみたいですね。

●突然、自分の中から衝動が湧いてきたと。

饗庭:ハーモニーや音楽に対する愛情や情熱とは別に、「表現したい」という情熱があって。自分の中に「何かある!」というほうが先だったんです。言葉にできないというか、どうやって形に表したら良いのかわからないものを具現化するのが“芸術”なんやとしたら、具現化するための手段として(色んな芸術の中から)私は音楽を選んだのかなという気がします。

●元々、曲は作っていたんですか?

饗庭:曲は小さい頃からピアノで作っていたんですけど、何か伝えたいものがあるわけじゃなくて本当に遊びという感じだったんです。それとは別のものとして、伝えたいことをどうやって形にしたら良いのかわからなくてモヤモヤしているような状態がずっとあって。「形にしないとこの先どうやって生きていけば良いのかわからへん!」というものを初めて形にしたのが高校の時で、その歌を文化祭で歌ったら周りがすごく反応してくれたんですよ。想いというものを形にしたら伝わったという“つながり”がそこで初めて生まれて、「これか!」となって味をしめてしまったというか(笑)。

●その曲はどんな内容だった?

饗庭:小さい頃から友だちがいるにはいたんですけど、私はどこか心に壁を作っている感じだったんですよ。でも高校1年生の時に初めて「あ、これが友だちなのかな」と思えることがあって。特定の個人ではなく、クラスのみんなが上辺だけじゃなく本当に仲が良いというか…そういうことは今までにない経験だったんです。「その場所と時間を愛していた」ということを全力で形にした青春ソングでした(笑)。

●M-3「チューニング」の歌詞にも垣間見えますが、元々は人と接するのが苦手だったりする?

饗庭:未だにそういうところはあります…。どう接したら良いのかわからないことのほうが多いし、喋れば喋るほどにお互いをわかり合っているつもりで誤解していくことがすごく怖くて。でも一緒に座っているだけで通じ合える瞬間とかがあるじゃないですか。そういうことのほうがよっぽど良いなと思えるんです。会話では私はそれを上手くできないから、音楽というものが間にあることでやっと人とのコミュニケーションが成立しているという感じですね(笑)。本当は喋りたくない…。

●喋りたくないんだ(笑)。

饗庭:“足りない”感じがするんですよ。たとえば恋人がいたとして、その人と皮膚と皮膚が別の個体としてこの世に存在してしまっているということすらつらい…。それくらい、ひとつになりたいんです。だから「チューニング」の歌詞そのままなんですよね(笑)。コミュニケーション不全の状態が苦しすぎて、それが起こりうる会話というものが怖い。

●他人である以上、絶対にどこかで認識のズレは生じますからね。

饗庭:ズレるのが怖い…。だったら最初からズレているという前提でわかり合おうとかせずに、ただ一緒にいるというだけで良い。わかり合おうとするから、苦しくなるんですよね。

●わかり合えなくても良い。

饗庭:絶対にわかり合えるわけがないから。理解は永遠に誤解やと思っていて。M-2「xとy」もそういう気持ちが強く出ているものなんですけど、反比例のグラフってすごくロマンチックやなと思うんです。

●ロマンチック?

饗庭:x軸とy軸に対して(グラフの線が)どんどん近付いていくのに、一生どこまで行っても触れることはない。でも“理解”ってそういうことやなとずっと思っていたので、反比例のグラフを知った時にすごく感動したんですよ。「これはいつも日常で見ているやつや!」と。どれだけ近い間柄だと思っていても、どれだけ自分のことを喋ったり、相手のことをわかったつもりになっても、それは“わかった”という誤解をしているだけで。2つの距離がどれだけ近くなっても、永遠にピタッと重なることはないというのが私は切なくてしょうがないんです。

●そうやって考えていることが、歌詞になっている?

饗庭:なっている…と思います。正直、私よりも曲のほうが賢いのでよくわからないんですよ(笑)。曲を作る時はだいたい、曲のほうが私よりも先を行っていて。自分の中で生まれた何らかの熱い核を形にするところまで持っていく時に、“私”っていうものがいったん死なないと曲が完成しないんです。

●“私が死ぬ”というのは?

饗庭:たとえば“誰々とあの場所へ行った時にこういうことがあったな”みたいな、つまらない思い出とかを(歌詞に)織り込みたくなることがあるんですよ。でも曲が行きたい方向の邪魔をしてしまうのなら、それは要らないものやなと。これは自分のワガママなのか、それともこの曲が求めていることなのかというのを毎回考えていて。自分がただ言いたいだけのことを全て捨てていって、削って磨いて掘り下げて…という作業が私にとっての“曲作り”なんです。「自分で作ったとは思えない」という時はだいたい、人の何かを揺さぶることができる可能性を持った曲になっていますね。

●でも曲の元になる核は全て饗庭さんの中から生まれているわけですよね?

饗庭:自分の中にあるものなんですけど、人として共通で持っているところから出てきた“何か”だというのを信じていて。そこから普遍的な“何か”というものに触れたとして、その核を具現化するにはどうやって形にしたら良いのか? 具現化したものが誰かの心に飛んでいった時に、その人がまた心の底に落とし込んで自分のものとして聴いてくれるためにはどうあるべきなのか? というのは曲が教えてくれるというか。核となっている何かが教えてくれるから、私は一生懸命に耳を澄ませて「あ、こっちに行ったら良いのね?」という感じで右往左往するっていう(笑)。

●具現化するという意味では、今回、出羽良彰さんと一緒に作業したことは助けになったのでは?

饗庭:ものすごく助けになりました。基本的に「こういう雰囲気にして下さい」というお願いはあまりしていないんですけど、M-1「leia」に関してだけは歌詞があまりにも少ないので「実はこういう世界観で、こういう物語なんですよ」という説明をしたんですよ。そしたら、ものすごく底のほうまで汲み取って頂いて。私が持っていた「この曲はこういうヤツだろう」っていう色眼鏡をぶち壊して、「掘り下げたら、こんなの出てきたよ。こういうことじゃないの?」っていう提案に近いような再構築をしてもらったんです。聴いてみると「そう、まさにこれだったんですよ!」っていう。

●自分でも明確にはわかっていないところまで掘り下げて、汲み取ってくれたと。

饗庭:そうやって汲み取ってもらったことで、この曲が元々持っていた“言いたかった声”というのがもっと聴こえるようになって。それで歌い方がすごく変わったり、言葉1つの解釈にしてもそれをどういう想いで吐き出すのかというところも変わったりしたんです。

●歌詞には“Sein”と“免罪”という言葉しか出てこないけれど、その中でも世界観や物語性がある。

饗庭:世界観はものすごくしっかりと構築されているんですけど、それは言うべきことじゃないなと思っていて。聴いた人が勝手に感じ取ったものがその人にとっての正解やと思うから、私がその曲を構築する時に作った物語というのは知らなくて良いんです。歌詞になっている“Sein Sein Sein 免罪”というのは、なぜか世界観を構築する前からそこだけは言葉があったんですよね。しかも“免罪”の意味は知っていたけど、“Sein”という言葉の意味は知らなかったんですよ。

●意味とは関係なく、出てきた言葉だった。

饗庭:それで調べてみたらドイツ語で“ありのままの存在”という意味で、「この曲は元々メッセージを持っていたんや」ということに後から気付いたんです。実は全体の物語の中で、一番のキーワードとなる部分ですね。今作のリリース前夜祭のタイトルが“Sein”なんですけど、それに対となる言葉としてドイツ語で“Solen”というのがあって。“あるべき姿”という意味なんですけど、それをツアーファイナルに名付けることで“終着駅”にしようと思っているんですよ。

●というのは?

饗庭:今までは“こういう存在になりたい”ということは特に考えずに、やりたいことしかやってこなくて。しかもその“やりたいこと”すらぼんやりしている状態で、暗中模索やった。でも『Haku』というものを生み出したことですごくはっきりとヴィジョンが見えてきて、初めて行き着く場所を作りたくなったんですよ。『Haku』という作品で今出せる全ての力以上のものが出てしまった時に、「私はこの作品に誇りを持っているけど、作品にも私を誇りに思ってもらえるようなアーティストになりたい」と思ったんです。

●自分自身を高めていくというか。

饗庭:“Sein”という生まれたばかりの未熟でありのままの姿の私というものから、ちゃんと1本軸を打ち立てたいんです。“饗庭純”という存在として、この作品を世に広めていくアーティストとして恥ずかしくない、存在を誇れる“あるべき姿”に成長していきたいなっていう。その成長の過程になるツアーにしていきたいし、それを積み上げた先のファイナルのワンマンでは「これがあるべき姿です!」という覚悟を見てもらいたくて、“Solen”というタイトルを付けました。

●『Haku』という作品タイトルにはどんな理由が?

饗庭:『Haku』にしたのは、“混沌”ということにつながっていて。自分の思う“混沌”って重ねれば重ねるほど、白くなっていくんですよね。音や想いを重ねたりすればするほど光の三原色みたいにどんどん透明になっていって、どんどん眩しくなっていって、最終的に色はないけど光の色として真っ白になっていく。世界を漂白するような、包み込むような…“地球最後の日に、地球が見る光”みたいなイメージがあって。そんな混沌のイメージで、『Haku』という名前にしました。

●今作を象徴するような言葉でもあるのかなと。

饗庭:アルバムを象徴してもいるし、饗庭純の音楽性自体も象徴していて。1枚目なのでそういうタイトルが良いという話をしていた時に「まさにこれだな!」となったのが『Haku』でした。『Haku』という存在が自分でも羨ましいくらい、本当に幸せなアルバムなんですよ。みんなに助けてもらって、すごく愛されて、すごく磨かれてできあがった、魂のこもった美しいアルバムやから…もう私が『Haku』になりたい! っていうくらいですね(笑)。

Interview:IMAI

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