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SA

悔恨を越えて、常に挑み続ける彼らの音と言葉は普遍的な輝きを放っている

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衝撃のメジャーデビューを果たした今年1月のベスト盤リリースを経て、SAがいよいよ待望のメジャー1stフルアルバム『WAO!!!!』をリリースする。昨年7月の日比谷野音ワンマンを成功に収めた後も、映画『劇場版SA サンキューコムレイズ』の公開や地上波テレビ番組出演など、これまで以上に自由で精力的な活動を見せている彼ら。“パンクバンド”という軸はありつつも多様な音楽的背景を活かして幅を広げてきたサウンドは、他者からのイメージや偏狭なジャンルには一切縛られない。“コムレイズ”と呼ぶファンと共に、絶えず挑み続けてきたSAの言葉と音は普遍的な輝きを放っている。

 

「俺らはもちろん“パンクバンド”ではあるんだけど、音楽的な間口を広げ続けてきた15年間だったから。そういうものをもう一歩先に進化させたようなアルバムにしたいなというのは、念頭にあったね」

●今作『WAO!!!!』はメジャー移籍後初のオリジナルアルバムということで、何かビジョンはあったんでしょうか?

TAISEI:俺らはもちろん“パンクバンド”ではあるんだけど、音楽的な間口を広げ続けてきた15年間だったから。そういうものをもう一歩先に進化させたようなアルバムにしたいなというのは、念頭にあったね。でもメジャーだからこうなったわけじゃないし、メジャーでなくてもたぶんこのアルバムを出していたと思う。そこは、すごく美しい流れで出せたような気がしていて。

NAOKI:制作やライブに関しても、以前の延長線上にあるというか。ライブに臨む時もレコーディングに向かう時も、過去15年間の流れのままでここに来られているっていう感覚があるんですよ。

●これまで自分たちが積み重ねてきた音楽的経験を、ちゃんと作品に反映させられている。

TAISEI:ベスト盤を出した後に今回のオリジナルアルバムを作るということで1つの区切りというところもあって、自分たちのルーツにある音楽をちゃんと見せられる作品にしようというのは漠然と考えていたかな。俺たちは50歳前後の人間が集まっているバンドなわけで、改めて“自分たちは何のために音楽をやっているのか? 何をやりたいのか?”とか“何が俺たちの財産になるのか?”ということを考えた時にそういうものを全部惜しげもなく出したいなと。自分たちが子どもの頃に聴いていた音楽の質感や肌触りのようなものを今回は出していこうというイメージはあったね。それはもっと具体的に言えば、“昭和”なんだと思うな。

●昭和?

TAISEI:“昭和感”というか。やっぱり俺らは昭和(という時代)に生まれて、昭和を生きてきたわけで、昭和というものが自分たちの音楽を構築している。それは洋楽でも邦楽でも、もっと言えば歌謡曲でも良いし、“そういうものに誇りを持ってやろうよ”っていうところが今回は結構あったかな。

●確かにそういう匂いは節々に感じられました。

TAISEI:レコーディングでも言っていたんだけど、俺の中では“オレンジ色が見える作品にしよう”というのがあって。俺らが子どもの頃のイメージって、何かオレンジ色なんだよね。それはノスタルジーみたいなものなのかもしれない。そういう思春期に感じたイメージカラーとして、オレンジでいきたいなという想いが漠然とあった。

●それはNAOKIさんも思っていた?

NAOKI:いや、オレンジ感はわからないけど(笑)。ただお互いに思っていることは色んな場面で喋り尽くしている中で大体は共有しているから、どんな言葉が出てきても驚きはない。「やっぱりあの時代のあれが良いよね!」みたいなことは常に言い合っているし、だから“きっとそうだろうな”っていう。お互いに確認作業をするようにいつも話しているんだけど、音楽の話は2割であとの8割はバカ話だから(笑)。でもその中から次にやりたいことのヒントも出てくるんですよ。

TAISEI:バカ話の中から面白いことが生まれてくるんだよね。

●リード曲のM-1「ピーハツグンバツWACKY NIGHT」の“ピーハツ”や“グンバツ”という言葉も、そういうユーモアの中から生まれているのかなと。

TAISEI:“ピーハツ”という言葉が、俺らの間で流行っていたんだよね。ライブの本番前に「ハッピーで行こう!」って言うところを、俺がなぜか「ピーハツで行こう!」って言っちゃって(笑)。

NAOKI:ここ1年くらいというか、特に野音のライブ(※2015年7月の日比谷野外大音楽堂ワンマンライブ)前はそうだったんだけど、楽屋口で待機して“さあ、行くぞ!”という時に「笑って行こうぜ!」みたいな掛け声を言うようにしていたんだよね。今までだったら「やっつけに行こうぜ!」と言っていたところを「笑って行こうぜ!」と言うようになって。それが「ハッピーで行こう!」になって、さらに「ピーハツで行こう!」っていう形にどんどん変わっていって…最終的には悪フザけになった(笑)。

●悪フザけだったんだ(笑)。

NAOKI:そういう悪フザけも言えるくらい肩の力が抜けて、リラックスしているっていう。そういう気持ちでオーディエンスと向き合う感覚になりましたね。

●元々は「やっつけに行こうぜ!」と闘争心が先に立っていたところから、徐々に心境が変わってきた。

TAISEI:そうだと思う。SAを15年前に始めた当初は「てめぇら、みんなやっつけてやる!」とか「絶対勝つ!」という気持ちがあって。「絶対勝つ!」という気持ちは今でもあるんだろうけど、そのやり方が変わったのかもしれないね。

●心境の変化があったキッカケとは?

TAISEI:やっぱりメジャーデビューしてベスト盤をリリースしたことで、ライブに新しいお客さんが来てくれることも多くなって。そういう中で「“ライブに挑む”とか“音楽をやる”って、何なんだろうな?」と50歳を手前にして改めて考えてみたら、「楽しくないと意味がねぇな」っていう気持ちになったんだよね。笑っていたいし、楽しみたいし、楽しませたい…というライブになったのは、そういう心境の変化が影響していると思う。

●ある意味、ピースフルな方法論に変わっていったと。

TAISEI:SAを15年間やってきた中で、それをやっと見つけられたというところはあるよね。『北風と太陽』じゃないけど、「いくら風を吹かせてもコートは脱がないよ」っていう。「こっちが太陽になったら、自ずと心のコートも脱いでくれるだろう」っていう気持ちになれた。

●野音は特に顕著だったと思うんですが、コムレイズに代表される数多くのファンと現場で接してきたことが大きかったのでは?

TAISEI:それはあるよね。やっぱりこっちが笑うと向こうも笑うし、楽しい空気ができるから。革ジャンを着たイカツいスパイキーヘアのヤツだって、いつも怒っているわけじゃないからね。そういう意味では、こっちが「楽しもうぜ!」という提示をしたことで、向こうも自ずとそうなってくれたのかなと。

●「ピーハツグンバツWACKY NIGHT」は、そういう今のSAのライブに漂う雰囲気を象徴している?

TAISEI:そうだと思うね。かといって、みんなで仲良しこよしという感じではなくて。「俺も行く。だから、おまえも行こうぜ!」っていうことを言いたいなと。「笑って行こうぜ! イジケていてもしょうがないじゃねぇかよ」っていう感じかな。

●悪フザけから生まれた言葉も、ちゃんと曲の中で意味のあるものにできているのがすごいなと思います。

NAOKI:そこまで来るには、やっぱりこれだけ時間が必要だったんだよね。バンドを始めてから8年〜9年転がしてきた中でも思うような結果を得られなくて、もう何を伝えたら良いのかわからなくなっていた時期もあって。でも(東日本大)震災が起こってから、SAはとにかく言いたいことがすごく明確になってきたというのが大きいと思う。音楽を通して伝えたいことがしっかり根っこにできたというのは、あの時の経験がすごく大きかった。落ち込んでいる人たちを励ますような何かができないかとか、悲しみに勝る笑顔を何とかしていっぱい増やせないかという試行錯誤を繰り返していたのが震災からの6年間で。そういう一歩一歩の中で6年経ってようやく、ここまで言い切れたというか。“底抜け感”のあるところまで、上がって来れたっていう。

●震災時の経験が本当に大きかった。

NAOKI:時が流れて色んなことを忘れてしまいそうになるけど、やっぱりあの時の景色をよく覚えているんですよね。震災が起きてすぐに東北へライブに行った時のことだったり、未だに思い出そうとしたらすぐに思い出せるくらいで。音楽をやっている意味があると思えたし、音楽家であることを誇りに思えた瞬間でもあったから。わずかな人数かもしれないけど、俺たちに誰かを救うことができるんだっていう。それを感じてから、このバンドが特に強くなっていったところはありますね。

●現場での実感に基づいている言葉だから強さを持っているんでしょうね。

NAOKI:今回はメジャーからアルバムを出すわけだけど、それ以前も毎年のようにアルバムを出してツアーというのを続けてきていて、一度も歩みを止めなかったからね。休まずにずっと現場で感じてきたことというのはすごくデカいと思う。

TAISEI:現場っていうのはデカいね。作品を作る時に自分たちが誰に伝えたいかと言ったら、やっぱりお客さんだったり、まだ見ぬコムレイズだったりというところだから。ライブで笑ったり泣いたり、喜怒哀楽を出しているヤツらってすごく多いし、そういうものからは自ずとインスパイアされて言葉にもなるんだよね。

●聴いていると血が沸き立つような感覚になるのは、ライブに根付いている楽曲だからなのかなと。

TAISEI:やっぱりライブは意識して、曲を作っているのかもしれないね。あと、自分の書いた言葉に自分自身がグッとくるかというのを俺は一番大事にしていて。もしそれが自分の実体験を歌ったものだとしても、聴きに来てくれた人たちはそこに自分を投影して泣いているわけで、そういう感覚っていうのは誰しもあるんだろうなと。たとえば“誰のための人生なんだよ?”と自問自答することって、誰にでもあると思うんだよね。だから伝わっているんだろうし、もっと言えば自分自身に嘘をつかないことを大事にしているかな。“嘘はつかないから、受け止めてくれ”というところはあるかもしれない。

●M-3「誰が為の人生だ」は、まさにそういう歌ですよね。

TAISEI:人生についてとか考えない?

NAOKI:メチャクチャ考えるね。もう人生の終わり方まで考えようとしているもん(笑)。

TAISEI:75歳まで生きられたとしても、あと25年でしょ? だったら、自分がやりたいと思うことをやらないと意味ないじゃんと思ったりして。これがまだ40歳くらいだったら、まだわかっていなかったかもしれないよね。

●ある程度、自分に残された時間を感じるようにならないと辿り着けない境地というか。

TAISEI:でもそれは決して寂しいことではなくて、“やっとここまで来れたな”という気がしていて。だから75歳まで生きられたとして、あと25年で“とことんまで自分の好きなことや信じたことをやろう”っていうところには立てたような気がするね。

●M-8「情熱WINNER」は“殺してぇほどの屈辱に”から始まりますが、これは原点にある怒りが今もエネルギーになっている象徴というか。

TAISEI:“それくらいのくやしさがあっただろう? 俺にもあったよな”っていう。だったらどうするかと言ったら、もう“勝つしかねぇ”っていう。

●そういうくやしさも自分を突き動かすエネルギーになっている。

TAISEI:くやしさとか“いつか見てろ!”っていう気持ちはあるし、永遠に俺の原動力にはなっているよね。

●NAOKIさんにもあります?

NAOKI:そりゃ何十年もやっていたら、山ほどありますよ(笑)。根っこにはそういうものがいくらでもあるけど、そうは言ってもここまでバンドがやれているという自分たちの現状はすごく幸せなことやなと思っていて。それは本当に感じていますね。このバンドはリハーサルでも何でも、音を出す瞬間から楽しいんですよ。そう思えているのって、やっぱり良いことで。インディーズを14年間もしこたま頑張ってきたのもあって、当たり前のことが当たり前にできているっていうのは素晴らしいことやなと。運良くこういうメンバーやスタッフに巡り会えて一緒にやれているわけやから、今は“とことんまで行ったる!”と思っていますね。

●そういう気持ちは、特にラストのM-11「CLUNKER A GO-GO」に出ている気がします。

TAISEI:“可能性”とか“将来性”って、自分でも笑っちゃったからね。でもこの歳で“将来性を積み込んで”って歌えるのが良いなと思っていて。“まだ将来はあるぜ!”って思えているんだよね。

●これから先が楽しみだと思えている。

TAISEI:それこそ“良い景色を見に行こうぜ”とか“我が行く道、光なり”と歌っているわけだから、どういう景色が待っているのかなって自分でもワクワクするよね。

Interview:IMAI

 

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