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PLAGUES × a flood of circle

PLAGUES 20周年記念 SPECIAL TALK SESSION Vo./G.深沼元昭(PLAGUES)×Vo./G.佐々木亮介(a flood of circle) 永遠に錆びつかないロックンロール・クラシックの風格が共鳴する

中面メイン1993年のデビューから今年で20周年を迎えたPLAGUES(以下、プレイグス)が、過去の代表曲からレアトラックや新曲まで含む全16曲を新録したリテイク・ベストアルバム第2弾をリリースする。2002年からの活動休止期間を経て、2010年に突然の再始動。同年にリテイク・ベストアルバム第1弾の『OUR RUSTY WAGON』を発表して以降、昨年10月には復活後初となるオリジナルアルバム『CLOUD CUTTER』もリリースするなど、ライブも含めて精力的な活動を展開してきた。音源にせよライブにせよ、復活後のプレイグスの音に触れたことがあるならば、それが今もなお新鮮な輝きを放っていることに気付くだろう。ロックンロール・クラシックの系譜をひく風格を漂わせながらも、その音は古さなど微塵も感じさせない。そんな比類なき孤高のバンドに近しい空気をまとっているのが、a flood of circle(以下、AFOC)かもしれない。ブルースや70年代ロックを血肉に変えて独自の進化を遂げている彼らもまた、ルーツ感は持ちながらも確実に“今”でしかないサウンドを鳴らしている。さらには2006年の結成から7年の間にもメンバーの失踪や脱退など数々のアクシデントに見舞われながらも、シーンの最前線をサヴァイヴしてきたという歴史を持つ。Ba.HISAYOはプレイグスのVo./G.深沼元昭と共にGHEEEで活動しているという接点もある両バンドが、今回のタイミングで初の対談を果たした。1986年生まれというAFOCのVo./G.佐々木亮介に対して、1969年生まれの深沼。目にしてきた時代も活動してきた音楽シーンの状況も全く違う両者に、不思議と見出される同胞感の要因はどこにあるのか? そして、これからのロックシーンを生き抜いていくこととは? 編集部の想像を遥かに超える盛り上がりと話題の深まりを見せた鮮烈かつ濃厚なトークセッションを、あらゆる世代の読者に読んでほしいと願う。

 

「デビューしたのが23歳くらいなんだけど、その当時から10年後にも同じように聴けるものというか、クラシック的なものを自分で一から作りたいっていう気持ちがすごくあったんだよね」(深沼)

インタビューカット1

佐々木:2002年にプレイグスが活動休止した時に俺は16歳だったんですけど、まだバンドを始めているわけでもなくて。その時からブルース・ロックは好きで、時代背景とかまではよくわからないままにジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンを聴いていたんです。そういう感覚で自分が好きなものばかりを選んで聴いてきた中で、初めてプレイグスを聴いた時にめちゃくちゃブルース・ロックを感じたんですよ。その要因としてはリフがデカいと思うんですけど、深沼さんの弾くリフは新曲だとしても既にロックンロール・クラシック感があるというか…。

深沼:俺はデビューしたのが23歳くらいなんだけど、その当時から10年後にも同じように聴けるものというか、クラシック的なものを自分で一から作りたいっていう気持ちがすごくあったんだよね。時代の流れはありつつも本気でそう思いながら作ったので、気が付けば20年後の今もやっているっていう…(笑)。

佐々木:実際、20年後に俺が聴いてもクラシック感をキャッチしているわけなので、それはすごいと思います。

深沼:でも今になってすごく思うんだけど、特にデビューしたての頃なんかは今聴いたら「93年っぽくて、ちょっと恥ずかしいよね」と思うくらいの曲を書いておいても良かったなって(笑)。俺はそういうのがなさすぎるんだよね。

佐々木:どこかで見たんですけど、深沼さんが「昔の曲のほうが渋くて、今の曲のほうがフレッシュだ」みたいなことを書かれていて。それは今作『Swamp riding』を聴いても感じましたね(笑)。

深沼:本当にそうなんだよ(笑)。逆にそういうふうにできなかったのも、ある種の“若気の至り”だなと。「若さが恥ずかしい」みたいな感じだったんじゃないかな。「俺は若くない!」みたいなところがすごくあったんだよね。

佐々木:男の子はそういう部分がありますよね。俺もありました(笑)。その当時の音楽をあえて取り入れようとはしていなかったんですか?

深沼:元々が洋楽で育っちゃったところがあって、邦楽のシーンとかはほとんど知らなかったんだよね。だから、邦楽で影響を受けた人はすごく少なくて。小学校の時はYMOが好きだったんだけど、中学校時代に一番影響を受けたのが8歳くらい上のいとこで。ビートルズやビーチ・ボーイズとか、彼が勧めるものを結構聴いていた。一番最初にすごく好きになったのがCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)だったんだけど、それも彼に教えてもらったものだから。彼が山下達郎さんのすごいファンだったから俺も達郎さんの市販の譜面とかを見て、それでコード進行とかを勉強したね。…達郎さんに初めて会った時にそう言ったら、全然信じてもらえなかったけど(笑)。

佐々木:プレイグスの音からは、洋楽っぽいフィーリングをすごく感じるんですよ。ブルースやルーツ・ロックの流れがリフとかには出ていると思うんですけど、サウンドは他に聴いたことがないくらいトガっていて。いわゆるクラシック・ロックをやろうとしている人たちって、音自体もそれっぽい感じなのが俺には耐えられないんです。だからプレイグスを聴いた時はビックリしたし、この音のフィーリングはどうやって獲得しているんだろうと思ったんですよね。

深沼:俺は元々、音楽を始めた時に宅録から始めたんだよね。中学1年の時に初めてMTRを買って、一番最初に録ったのがビートルズの「Rain」で。

佐々木:俺もMTRで「In My Life」を録りましたよ(笑)。元からレコーディングということに関して、興味があったんですか?

深沼:ものすごくあったね。単にギターを弾いて歌うっていう感覚よりは、「自分が聴くための音源そのものを作りたい」「もっとこういうサウンドにしたい」っていう気持ちが強くて。しかも中学生なのに、音が一番カッコ良いからという理由で「Rain」をやろうとしたっていう(笑)。

佐々木:最高じゃないですか(笑)。素晴らしい。

深沼:音がカッコ良いと思うんだったら普通に聴いとけよっていう話なんだけど、自分でやろうとするっていうね。

佐々木:そこがクリエイティブになる瞬間だったんですね。

深沼:まあ、やってみたかったんだろうね(笑)。音を作り出すっていうことには、当時からすごく自覚的だったというか。プレイグスを始める時も、元々はちゃんとしたボーカルを入れて4〜5人でやるつもりで。俺はギターを弾いて曲を作るということをすごくやりたかっただけだから。ライブでボーカルのヤツがMCをしている時にその横で「早くやれよ」みたいな顔をしているような、そういう“アオレンジャー”的な立場が良かったわけですよ(笑)。それがいつの間にか気付いたら、自分が歌っていて…。「弾きながら歌えるわけないじゃん。3ピースって自由度が少ないな」と思いながらやっていたなぁ。

「でもそれって真似できないんですよね。背中をコピーしようとしてもできないから、もう背中に噛み付いていくしかない(笑)」(佐々木)

インタビューカット2

佐々木:エンジニアリングということに関しても、長い時間をかけて獲得してきたスキルが深沼さんにはあると思うんですよ。でもデビューした頃から自分でやっていたわけじゃなくて、当時は誰かエンジニアさんに頼んでいたわけですよね?

深沼:そこがやっぱり苦労したんだよね。古い音そのものにしたいわけでもなくて、俺が思い描いているものは「ルーツっぽさもありつつ、こういう感じなんだ」っていうことを必死に説明して。もちろんその時々のエンジニアの方々も頑張って応えてくれていたと思うんだけど、「やっぱり違う」とずっと思っていた。活動休止をする少し前くらいに自分でPro Toolsを買って、そのあたりからやっと自分で(音作りに)手を出し始めたのかな。

佐々木:そこはこだわりの強さなんでしょうね。

深沼:あとは、自分の出す音や自分の歌う声とかも理想には全然届いていなくて。そういう部分も含めて、ずっと不満に思っていたんだよね。

佐々木:プレイグスが活動休止した時点で俺はまだ16歳だったし、結成した1990年なんてまだ4歳だったわけで(笑)。だから正直、20年間ずっと追いかけて聴いていたわけじゃないんです。でも何で深沼さんの歌と歌詞とギターを聴いた時にこんなにグッとくるのかと考えるにあたって、原因を1つ1つ解明してもしょうがないんだなと今のお話を聴いていて思いました。音作りに対するこだわりとかを全部まとめた“深沼さんの音”にやられているんだなと。

深沼:やっぱり執念なんだよね。「こういうふうにしたい」とずっと思い続けて、40歳を過ぎてから最近やっと自分の作る音に納得できるようになったというか。よく考えたら、自分でやっているわけだから納得するのは当たり前なんだけど(笑)。そういう意味でも、音作りに関しては超ワガママだよね。色んな解決法があるんだろうけど、俺の場合は自分でやらないとダメだったのかなって。そこまでにすごく時間がかかったよなぁ。

佐々木:「自分でやらなきゃダメだ」っていうのはシンプルだけど、すごくズシッとくる言葉ですね。

深沼:すごく良いなと思うのは、自分1人でやっているからこその限界があるところで。音作りに関してもプロじゃないし、自分で積み上げてきたものでやっているだけだから。その限界を超えて、「ここはもうこれ以上やってもダメだわ」って思ったところが良い意味でのラフさになると思うんだよね。

佐々木:1人だから、自分でゴールを決められるというのはありますよね。

深沼:うん。俺の限界がゴールみたいな感じで、そういう点ではすごく良いなと思っていて。

佐々木:すごく清々しいですよね。俺らもやっぱり、イメージしているものと自分の手が届くものとの間に距離が結構あったりするんですよ。そういう時にプレイグスを聴くとグサッとやられちゃうというか。「そういうことなんだ」と思うんです。

深沼:a flood of circle(以下、AFOC)の音作りもすごく良いと思うんだけどね。HISAYOちゃんが入ってからの音源を聴かせてもらったりもしていて、当初は素直に「良いバンドだな」と思って楽しく聴けていたんだけど、最近はだんだん楽しく聴けなくなってきて…。やけに良い曲をいっぱい書くから、音源を聴いていて最近はちょっとムカつくな…と(笑)。特にこの前の『FUCK FOREVER』(2012年12月)はすごく良い音源で、あの後半とかはちょっとイライラするんだよね(笑)。

佐々木:これは相当な褒め言葉を頂きましたね(笑)。

深沼:「The Cat Is Hard-Boiled」からの後半3曲は特に良くて。前半は前半で今までのAFOCの流れを捉えていて良いんだけど、後半では幅を見せつつもブレていないのがすごいなと思って。あと、すごく良いなと思うのは佐々木くんの歌詞が日本語のロックンロールとしての価値観をしっかり踏まえつつも、その中にちゃんと笑いと涙があるところなんだよね。…ベタな言い方だけどさ(笑)。

佐々木:“寅さん”(映画『男はつらいよ』)みたいですね(笑)。

深沼:そう! (笑)。笑いがあるのがすごく良いんだよね。

佐々木:そう言ってもらえると、めちゃくちゃうれしいです。俺はたぶんカッコつけきれないんですよね。今の心境として「世の中がまずあって、その中に音楽シーンがあるわけだから音楽シーンだけを見つめていてもしょうがない」と思っていて。もっと周りにあるものを見て歌を書きたいと思っていたら、だんだんメッセージが重くなってきちゃったんですよ。“I LOVE YOU”とか“FUCK FOREVER”みたいな表現も重いなと。そういう重いものを軽くするためにビートとかがあるんじゃないかっていう気がするし、だから俺はロックンロールが大好きなんです。そういうところを感じ取ってもらえているんだと思うと、めちゃくちゃうれしいですね。

深沼:そのとおりだと思う。サウンドを気に入って聴いてくれている人に対しての愛情が、歌詞にすごくあるというか。たとえば「Dancing Zombiez」にしても、歌詞の“う…あ…”がああいう表記なのがまた面白いわけじゃん(笑)。

佐々木:ハハハ(笑)。めちゃくちゃうれしいです。

深沼:最終的なメッセージに辿り着くまでの、道のデザインが上手いかどうかだと思うんだよね。佐々木くんの歌詞はそういうところをすごくわかっている感じがして。そこを楽しいものにできているかどうかだと思うんだよね。

佐々木:楽しい道にはしたいですね。プレイグスのライブを渋谷WWW(2012/11/25)で観た時に、真正面から見ているはずなのに背中を見ている感じがしたというか。そういうデカさを感じたんですよ。俺がもっと世の中に対して何か言ってやろうと考えるようになったキッカケがあって。「“正解”は親が決めるものでも教師が決めるものでもなくて、自分で決めていいんだ」っていうのが、ロックから俺が教わったことだと思っているんです。“メッセージ”っていうほど立派なものじゃないけど、「これは正しい/正しくない」と押し付けるんじゃなくて、「君が正しいと思っていることを言っていいんだよ」とは言えるんじゃないかなという気がして。深沼さんのステージングからも、俺はそういうものを感じ取ったんです。背中がデカいっていう感覚は、そういう俺の思い込みみたいなものまで受け止めてくれているからこそだと思うんですよ。でもそれって真似できないんですよね。背中をコピーしようとしてもできないから、もう背中に噛み付いていくしかない(笑)。

深沼:ハハハ(笑)。音楽を演奏したり作品を作ったりするのって結局、出発点は“好きなこと”だからじゃん? 好きなことだから、ちょっとでも上手くいかないとすごく腹が立ったりもする。ずっと音楽をやってきた中でキャリアを積み上げて色んなことができるようになってきたつもりなんだけど、やっぱり根本的なところは変わっていないと思うんだよね。自然にそう思っちゃうというか、脊髄反射的に「やっぱりこうやりたい!」っていうことや「こっちのほうがカッコ良い」っていうものはどうしてもあるから。これがなくなったら引退しようと思うんだけど、その部分はいくつになっても変わらないんだよね。

佐々木:今回のアルバムを聴かせてもらった時に、「初期の曲から新曲まで入っているのに、何で1枚のアルバムとして聴けるんだろう?」っていうところがすごく不思議だったんです。年代順に入っているわけでもないのに違和感なく聴けるっていうところに一番驚きました。

深沼:今作で一番古いのは、M-2「Wild blue paint」(1993年発表)なんだよね。

佐々木:20年間変わっていないことの何かが全部詰まっているっていう聴き方を俺は無意識にしちゃっていて、そこがこのアルバムのすごいところだなと思ったんですよ。

深沼:「20年もやってきて、お前のやりたいことはもうわかったよ!」っていう感じだよね(笑)。

佐々木:ハハハ(笑)。俺はロックンロールって、“ロール”の部分がすごく大事だと思っていて。バンドじゃなくても色んなことについて夢中で続けている間は、夢中でいられると思うんですよ。転がり続けている間は良いんだけど、1回どこかで立ち止まちゃった時にもう1回やろうと思えることがすごくカッコ良いと思う。俺が7年間バンドをやっている中でも、やっぱり立ち止まりかけてしまったことはあったし。でももう1回そこから転がそうと考える時に、バンドは一番輝いている気がする。その「もう1回、転がろう」っていうのがロックンロールの“ロール”で。転がっていくといっても、転がっていった先でストップしちゃうデカい岩もあるだろうし、転がっている内に何かが削れてしまうかもしれない。でもそれがボクサーみたいに必要な筋肉だけになっていくということなのかもしれないし…。色んな想像を、今回のアルバムを聴きながらしてしまいましたね。

「変わり続けていることでの“ジタバタ感”はずっと感じています。そうやってジタバタし続けた先に何かを見つけられるかもしれないという希望をプレイグスのライブから感じたというか」(佐々木)

インタビューカット4

深沼:佐々木くんは今、いくつだっけ?

佐々木:26(歳)です。

深沼:俺が26の頃はデビューしてから大会場でライブもして、1回目のピークが終わる頃だったかな。上り坂だけではないこともたくさん起こってきて、27歳くらいの時には事務所やレコード会社も1回辞めて。同じ頃にベースが辞めたりもして、一番大変な時期だったんだよね。ずっと上り調子でやってきたものがそれだけじゃやっていけないということがよくわかってきたというか。ビジネス的にも大きくなったけど、そこで自分の手が届かないものもいっぱい出てきて。アルバムも1枚1枚作風が変わっていて、…もうのた打ちまわっていたね(笑)。

佐々木:ハハハ(笑)。

深沼:今思えば、同じ作風でアルバムを2枚作るくらいの鈍感さが欲しかったなって。…敏感すぎたんだよね。でもそういうところが面白いとは思う。

佐々木:ロックをする人って絶対に繊細だと思うんですよ。粗暴だと思っている人は絶対にロックをちゃんと聴いていないヤツだなと。

深沼:でも今思えば、(その頃の自分が)かわいいよね(笑)。

佐々木:自分で言いますか? 俺もいつか「あの頃の自分はかわいかった」なんて言えるかな…(笑)。

深沼:きっとそうなると思うよ(笑)。とはいえ、そういう中でも音楽をやり続けていくことに何ら疑問を持たなかったというのが面白いなと。自分でも「そんなに好きか!?」と思ったね。完全にフリーになったりもして、一瞬ただの人に戻っても仕方ないくらいの状況になったりもしたから。その後でプロデュース仕事や色んなことを始めて、音楽とのまた違う付き合い方が生まれたりもしたから、結果的には大事な時期ではあったんだろうけど。

佐々木:それで広がるところもあったんでしょうね。

深沼:うん。まぁ必死だったし、今思えば「もうちょい落ち着けよ」っていう感じだけどね(笑)。

佐々木:俺ものた打ちまわっている感だけはあります…(笑)。俺らはメンバーチェンジが激しくて、HISAYOが入ってから『LOVE IS LIKE A ROCK’N’ROLL』『FUCK FOREVER』と初めてメンバーチェンジすることなく2枚作れたんですよ。アルバムは毎回、メンバーが変わっていて。変わり続けていることでの“ジタバタ感”はずっと感じています。そうやってジタバタし続けた先に何かを見つけられるかもしれないという希望を、あのライブ(渋谷WWWのプレイグス)ですごく感じたというか。俺なりに転がった先に、ああいうギターや歌とか言葉が出てきたらすごく良いなと。そういう意味で、プレイグスをもう一度やろうと思ったキッカケが訊きたいんですが。

深沼:休止した後にたまたま深田恭子さんに書いた曲(「イージーライダー」)が売れたりして、プロデュース業がだんだん忙しくなってきて。今までと全然違う音楽の世界だったからわからないことだらけで、逆にすごく楽しかったんだよね。ギターを弾いて歌って「いつもどおりの良さだね」っていうだけじゃ通用しない。「もっと良い曲を書いて下さい。もっと売れるアレンジをして下さい」とか言われて作業する“ジャングル感”がすごく楽しくて(笑)。

佐々木:アドベンチャー感というか(笑)。

深沼:「魑魅魍魎だよ、これ」っていう感じ(笑)。「わかりました。できます!」ってとりあえず言ってみて、心の中では「いっこもわかんねー! そんな曲作ったことないよ…」っていう(笑)。そういうことを夢中になってやりながら、今のプレイグスみたいな音作りをできる機材も買って。細かいスタジオの使い方やマイキングの知識とかもそこで覚えることができたし、プロのエンジニアのファイルを見せてもらって、それを家のPro Toolsで開いて全部真似たりもしたんだよね。

佐々木:それって昔、「Rain」をコピーしたのと同じ感覚ですよね?

深沼:そうなんだよね。そこで初めて「こんなことをやっていたんだ!」ということがわかった。そういう違う音楽との関わり方はしていたんだけど、ライブはあまりやっていなくて。ソロでやる場合もメンバーを集めるのが大変だから、年間2回くらいしかできない。もうちょっと気軽にその辺のライブハウスでやりたいなと思っていた時に始めたのがGHEEEで、「これはこれですごく面白いな」と。プレイグスをやっていた当時は大きめの会場が多くて普通のライブハウスではあまりやったことがなかったから、今まで出たことのない会場でやるのが単純に楽しかったりもして。その後で佐野元春さんや浅井健一さんのツアーにもサポートメンバーとして参加するようになってからは各ツアーの本数が多い上に自分のライブもあったりして、めちゃくちゃ忙しかったんだけど、それが楽しかったんだよね。自分で思っているよりも、ライブが好きなんだなと今さら思った(笑)。それだけ20代の頃って、余裕がなかったんだなと。1本1本のライブにすごいプレッシャーがあって、上手くいっている部分にすら自分では気付いていなかったりとか。

佐々木:ダメなところにしか目がいかない。

深沼:その頃はライブを録った音源を聴くのすら大嫌いで。自分の理想には全然達していなかったから。そういうところから、今さらながらにライブが好きだなと思うようになって。そういう中で元々やっていたプレイグスというバンドがあって、別に解散したわけでもないのに何も活動していないのは良くないなと。最初はとりあえず1本ライブをやって、それで解散しようと思っていたんだよね。

佐々木:えっ…そうだったんですか?

深沼:ビシッと最後にツアーをやって、解散しようと。ところが林くん(林 幸治/TRICERATOPS)が加わって、新しいプレイグスでリハーサルに入ってみたらすごく面白くて(笑)。昔の曲を今の技術や実力でやってみると、「要するにこういうことがやりたかったんじゃないの?」っていうのを感じたんだよね。色んなことがわかってきたし、ツアーをやっている内に面白くなっちゃって。「これはこれで俺の素直なバンドだな」と思ったから、またやろうと思った感じかな。

佐々木:なるほど…。だから今回またリテイク・アルバムを作ったということも納得しました。

深沼:当時はギャーギャー大騒ぎしたけど結局は達しえなかった音へのこだわりとかを今、自分で落とし前を付けるっていう形で全部やったんだよね。

佐々木:だから違和感がなかったんですね。答え合わせしている感じというか。

深沼:「元々こうしたかったんだよ」みたいな感じがあって。当時は自分の伝え方も不足していたし、そもそも俺の歌とかギターが下手くそだったからできなかったんだよ(笑)。それが今やると、よくわかる。

佐々木:今の話を聞いていて、自分の胸にグサッときました(笑)。まさに今、俺は必死こいてツアーをまわっているので…。

深沼:ハハハ(笑)。そこから俺は、気持ち的にやっと本当の意味で演奏を楽しんでやれるようになったのかな。

「結局はここまで辞めなくて本当に良かったなっていうのが、今一番思っていることかな。20年やろうと思って始めたわけじゃないし、メンタルはいまだに若手だからね(笑)」(深沼)

インタビューカット3

深沼:今、AFOCのレコーディングはリズム隊が先に録っているの?

佐々木:いや、3人で一緒に録っています。それで自分のギターを後からダビングしている感じですね。

深沼:特に『FUCK FOREVER』を聴いていると、リズムのアレンジが前よりも面白くなっている気がしたんだよね。

佐々木:ありがとうございます。そこも同じメンバーでやっと2枚続けて録れたという部分がちょっとは出ているのかもしれないです。特にウチらはドラムも暴れん坊なのにボーカルも暴れん坊みたいなところがあって、そこに姉さんが入ったことで…あ、俺らはHISAYOのことを姉さんと呼んでいるんですけど(笑)。姉さんはミュージシャンとしても先輩だし、俺らを手のひらの上で転がしてくれているところがあって。深沼さんもGHEEEで一緒にやっているからわかると思うんですけど、めちゃくちゃ熱い人なんです。

深沼:そうなんだよね。

佐々木:(東日本大)震災が起きた時も姉さんが「止まっている場合じゃないでしょ!」って俺らのケツを蹴っ飛ばしてくれたから、『LOVE IS LIKE A ROCK’N’ROLL』はすごく気持ちを込めて作れたというのもあったんです。そこから「バンドとしてまだやるべきことがあるよな」と思いながら『FUCK FOREVER』に向かっていたので、それが面白いと思ってもらえることにもつながったのかな。AFOCとしては7年なんですけど、今のメンバーになってからは2年なので、このメンバーでの転がり方を探していきたいなと思っているんですよ。こうやって深沼さんの話を聞いていると、そこへのヒントがいっぱいあるような気がしています。

深沼:最初のリテイクベスト盤『OUR RUSTY WAGON』を録った時は、林くんが入っていきなり録ったという感じで。もちろん俺とDr.後藤にとっては昔からやっている曲だし、林くんもプロ中のプロと言える実力者なわけで、1作目に関してはアレンジもほぼ昔と同じで演奏の違いだけを質感として見せようということだったから、何ら障害はなかったはずなんだよね。実際にそこそこ演奏できているんだけど、2年経った今改めて録ったものに比べると、当時の音源はまだまだ“バンド”じゃなくて。

佐々木:それは感じるものなんですね。

深沼:1人ひとりはちゃんとやっているんだけど、全然違う。やっぱりその後に作った『CLOUD CUTTER』や今回の『Swamp riding』に比べると全然硬かったりして。だからどんなに各々がプレイヤーやシンガーとして成長しても、バンドはバンドなんだなと。一緒にやっている年月で全然違うんだよね。「人と一緒にやるって、こういうことだな」と思った。

佐々木:そこを面白がれなくなったら、バンドはやっていられないですよね。「このままじゃダメだな」って思うことがそこら中にあるのに見ないふりをしているだけじゃしんどいから、俺らは楽しみをロックンロールに求めているところもあるのかなって。だから、やっぱり楽しいものではあってほしくて。バンドをやっているほうがつまらないようじゃ、ダメなんですよ。

深沼:結局はそこに尽きると思うんだよなぁ。

佐々木:だから、プレイグスの渋谷WWWの時はMCのユルさがすごく良かったんですよ(笑)。

深沼:ハハハハハ(笑)。

佐々木:バンドを楽しんでやっているっていう感じが、ああいう空気感につながるんだと思います。

深沼:色んな部分で音楽についてはわかってきているつもりだし、俺はかなり演奏をデータとして冷静に見れるほうなんだよね。でも…結局は、わかんないなっていうか。それだけ冷静に見れるから余計に「目に見えないものだな」って思う。波形状で見てもデータ的にも全く同じ2つのテイクなのに、明らかに違うっていうことがあるから。何が違うのかわからないけど、「明らかにこっちのほうが良い」っていう。そうやって見えるようになったことで、より音の神秘性みたいなものを感じていて。

佐々木:「見えるようになって、“見えない”っていうことが見えてくる」って、何か哲学的ですね(笑)。でもそういうことなんだろうな。

深沼:前はもっとファンタジーだと思っていたところもあって。メジャーの世界とかに入った当初って、よくわからないままに「これはこういうものだから」っていうので済まされていくじゃん? こっちも「そういうものかな」と思ったり、「そうじゃない」と思ったりしながら色んなことをやってきたんだけど、結局「誰も嘘は付いていなかったんだな」と気付いた。みんながそれぞれの音楽の正義で言っていただけというか。こうやってはっきりデータで見えるようになってすら、“良いもの/悪いもの”の違いってよくわからない。1つ1つの楽器のテイクですら良いか悪いかわからないものが、色んな楽器が合わさったら本当にわからないなって。

佐々木:そこは自分で選ぶしかない。

深沼:うん。そういうところが徹底的に解剖できたからこそ、ちゃんとファンタジーがあるとも思えるようになった。で、やっぱり良いものは良かったりするからね。そういうところまで考えると、演奏したり録音したりライブしたりすることがいまだに面白いなって思える。…結局はここまで辞めなくて本当に良かったなっていうのが、今一番思っていることかな。20年やろうと思って始めたわけじゃないし、メンタルはいまだに若手だからね(笑)。

佐々木:深沼さんが若手だったら、俺らはどうなっちゃうんですか(笑)。

深沼:本当に全然成長を知らない部分もあって。最後の最後で自分の感覚と違うと、どうしても納得いかない。そのタイミングがどうしても人とは合わせられないんだよね。今は自分の事務所だからそれでも良いっていうことになっているけど、これでもっと他の強制力があったら果たして俺はやっていけるのかっていう(笑)。

佐々木:でも1回活動休止してからは、楽曲提供やプロデュースの仕事とかをしていたわけじゃないですか。そこからまたプレイグスに戻ってきても、そういう感覚がまだあるっていうのはすごいなと思います。

深沼:そういう自分の原始的な幼い部分を大事にするために、他の部分を成長させたっていう部分はあるかな。もっと人に任せられれば良かったのにそれができずギャーギャー言ってきたから、自分でできるようにして音が作れるようになった。もっとどっしり構えて、人に任せられる器があれば別だったのかなと思うんだけど(笑)。

佐々木:いやいや(笑)。でも俺らの時代って大学を出てもろくに就職できないような状況下で、色んなものがあっても取捨選択する勇気すらない感じがすごくするんですよ。こだわり抜いた先に何ができるのかが今は見えにくいから、若い子たちはみんな投げ出しがちな気がする。でもバンドって、音にしたり表現することで色んなものが見つかるというか。今の話を聞いてから今作の音を聴くと、もっと面白いだろうなと思いました。

「“でも俺は好きだからいいんだよ!”みたいに言ってくれる人がいることの誇りのために作るというか。それを裏切らないものを作りたいし、その人にとってはすごい音楽家であり続けたい」(深沼)

インタビューカット5
佐々木:ところで最後に1つ、全然関係のない質問をしてもいいですか?

深沼:うん。

佐々木:深沼さんがAFOCをプロデュースするとしたら、まず最初に何を言いますか?

深沼:そうだなぁ…。でもバンドとして、もはや「こういうことをやったら良いんじゃない?」とか言うようなフェーズじゃないと思うんだよね。既に佐々木くんの中からあれだけバリエーションのある曲が出てきているわけだから。そういう意味では、もっとリアクション型のプロデュースをしたほうが良いんだろうなと。

佐々木:リアクション型…?

深沼:本人から出てきたものの中で取捨選択する感じかな。あとはパッケージングというか、曲をどういうふうに聴かせていくかということだったり。音に関しては「もうちょっとこういう感じで録ろう」とか色々と言うだろうけど(笑)。

佐々木:そこは言うんですね(笑)。

深沼:“良し悪し”という意味じゃないんだけどね。色んな人と一緒に仕事をしているけど、自分が関わったからにはどれも自分の音楽だなと思っていて。関わったからには自分も楽しみたいし、良くしたいっていう気持ちがすごくある。そういう意味でAFOCみたいなロックバンドに対しても「俺はこういう音で鳴らしたい」っていうのがあるから、そこは絶対に言うと思う。でもそれがバンドにとってプラスになるかどうかは一応、肌でわかっているつもりだから。曲とか歌詞に関しては特に何も言うこともないし、本当にもはや人の言うことを聞くような段階じゃないと思うんだよね。好きなようにやればいいと思うよ(笑)。

佐々木:ありがとうございます!

深沼:あとはそれをどうやって世の中にプレゼンしていくかというところで、色んな人の意見が必要になってくると思う。しかも1回のプレゼンじゃなくて、何年も聴き続けてほしいわけじゃん? それをどうやっていくかということだよね。もちろんプレイグスのファンにはまるごと20年間聴き続けてくれている人もいるわけだけど。俺らなんてろくに売れたこともなくて、20年も残っていることが奇跡みたいなバンドなのに…。

佐々木:いやいや(笑)。

深沼:それでもファンの人がいてくれて、誰かに「こういうバンドがいるんだよね」と紹介してくれたりもするわけで。全然知らない人にとっては「ふ〜ん…」っていう感じだと思うんですよ。そこで「でも俺は好きだからいいんだよ!」みたいに言ってくれる人がいることの誇りのために作るというか。それを裏切らないものを作りたいし、その人にとってはすごい音楽家であり続けたい。長くやってきて色んなモチベーションがあったんだけど、一番変わらないところはそこかなって。

佐々木:“引き受けている”っていうことですよね。

深沼:「こいつらの音を聴いてきて良かったな」と思えるようにしたいなぁと。AFOCも今まで出してきた作品の中で、もう流れがあるじゃない? やっぱり『Human License』の頃とは違うわけじゃん? それを最初から見てきた人もいるわけで、そうやって歴史を見てきた誇りに対する責任みたいなものはあるわけだから。

佐々木:インディーズの一番最初の作品に入っていた曲をいまだにやっていたりもするし、芯にあるものは変わっていないというか。俺らは“これが一番カッコ良い”っていうものをやり続けたい。バンドを始めた頃はもっとフワフワしていたし、元々が同い年の男4人で始めたから何となく4分の1ずつみたいなイメージもあったところから、そこの関係性も変わってきていて。ナベちゃん(Dr. 渡邊)は背中を押してくれるし、HISAYOはケツを蹴っ飛ばしてくれる(笑)。今はメンバーに恵まれているなと思うので、余計に今言って頂いたことはズシリときましたね。

Edit:IMAI

 

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