核弾頭9,615発以上の楽器を世界へ。ストレイテナー ホリエが紡ぐ平和への祈り
        新たに「ONEPRAYプロジェクト」をスタート
    
「Sky Jamboree(スカイジャンボリー)のお客さんは、地元に来てくれたバンドを『おかえり』と笑顔で迎えてくれる。実家のような、すごくアットホームな雰囲気なんです。はじめの頃は地元という気負いでドギマギしていましたが、今では『新曲ば作ってきたけん、聴いてくれんね』という感じで、すごくリラックスして演奏できます」
そう語るのは、ストレイテナーのホリエアツシさん。
長崎出身で、祖父母が被爆者であるバックグラウンドを持ち、幼い頃から、戦争と平和について考えを深めてきた。
2025年、戦後80年の節目を迎える中、8月24日に長崎で行われたスカイジャンボリー(毎年8月開催の音楽フェス)は今回から新たに「ONEPRAYプロジェクト」をスタート。
「核兵器より楽器を、争いより音楽を」
そんなメッセージを掲げ、現役核弾頭9,615発を上回る楽器を世界に贈ることを目標とする取り組みだ。
戦争の記憶が風化しつつある現代において、音楽と音楽フェスは次世代に何を伝えられるのか。
ホリエさんと、スカイジャンボリー統括プロデューサーであるFM長崎・村川和彦さんにお話を聞いた。
長崎が育んできた「祈り」の文化。それは決して重苦しいものではなく、未来への希望に満ちたメッセージだ。
「祈り」の文化が育んだ、長崎の誇り
── スカイジャンボリーへの想いについて教えてください。
ホリエ
僕がまだバンドを始めたばかりの頃に、長崎でスカイジャンボリーが始まりました。「いつか出られたらいいな」っていう希望を胸に一生懸命バンドを続け、2015年には初めてトリを務めたんです。
※ストレイテナー結成は1998年、スカイジャンボリーの初開催は1999年
── 2015年には、戦争に対するNOを掲げた「NO ~命の跡に咲いた花~」を演奏されました。
ホリエ
戦後70年という節目の年に、曲をつくりました。この頃から、長崎やスカイジャンボリーから、平和に対するメッセージを届けていく、広げていくという意識が、僕の中に徐々に芽生えていったんだと思います。
── 村川さんは戦後80年という節目の年に開催したスカイジャンボリーに、どのような想いがあったのでしょうか。
村川
「戦後80年だから」と今年、特別に何かつくり込んだりはしていないんです。スカイジャンボリーが始まった1999年に、KEMURIの伊藤ふみおさんに「one pray in nagasaki」という素晴らしいメッセージをつくっていただきました。私たちはずっと、このメッセージを大切にしながら、スカイジャンボリーを続けてきました。
長崎という街で育った私たちは「原子爆弾という恐ろしい兵器が使われたこと」に対して「怒る」「反発する」よりも「こんなことは、この街を最後にしてください」と"祈る"ことを伝えられてきました。それが、この街の強さであり、誇りにもなっています。
現役核弾頭の数を超える楽器を贈る
(左)ストレイテナー ホリエアツシさん(右)スカイジャンボリー統括プロデューサー、FM長崎・村川和彦さん
── 売上の一部で楽器を購入して、楽器を贈るONEPRAYプロジェクトについても教えてください。
村川
ONEPRAYプロジェクトでは、スカイジャンボリーの公式Webサイトにて、楽器を必要とする団体を募集します。小中高校の音楽系部活や大学短大専門学校の文化部・音楽サークル(社会人団体、幼稚園・保育園、子ども会、学童、老人ホーム、病院、施設等々)へ楽器を寄贈するんです。
26年以上にわたって長崎でフェスを続けてこられたのは、本当に奇跡だと思っています。多くの関係者のみなさん、そして何よりも世界一素晴らしいと思っているスカイジャンボリーのオーディエンスのみなさんに、何か恩返しができないかとずっと考えていました。そして今年、ようやくそれを形にすることができました。それが「ONEPRAYプロジェクト」です。
具体的な目標として、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)が発表している核弾頭の数「9,615発」(2025年6月時点)を上回る数の楽器を集めて、寄贈したいと考えています。これは、具体的な数値を掲げることで、より多くの人々にプロジェクトの意義を伝えられると考えたからです。
このプロジェクトは、スカイジャンボリーの25回目と戦後80年である2025年限りのものではなく、今後もずっと続けていきたいと思っています。「平和がいいに決まっている」「争いより音楽が楽しい」と、誰もが考えているはずです。その想いを込めて「核兵器よりも楽器を、争いより音楽を」というメッセージを掲げました。
「戦争の傷」と「復興」を身近に感じて育った──平和への想いの原点
── 平和への想いを発信していく上で、ホリエさんの中にはどのような考えがあるのでしょうか。
ホリエ
原爆による壊滅的な被害で70年は草木も生えないと言われた長崎の街は、10年余りで復興を遂げ、路面電車は数ヶ月後には運行を再開したそうです。長崎に今、穏やかな風景があるのは、そういった先人たちの努力があったからこそだという感謝や尊敬の気持ちが、僕の中では平和を発信する上での大きな柱になっています。
僕は1978年に長崎で生まれて、すぐに親の仕事の転勤でいろんな場所を転々としてきたので、本格的に長崎に住んでいたのは中学入学から高校卒業までの6年間。幼少期は長崎が両親の故郷として「帰る場所」でした。
お盆や正月に帰る祖父母の家に、亡くなった親戚の写真が飾ってあったのですが、その中に、母方の兄弟で亡くなった赤ちゃんの写真があったんです。この人は誰かと聞いたら「お母さんの兄弟で、戦争中に亡くなったんだ」と教えられました。そのことは、すごく心に残っています。
僕は平和な時代の日本に生まれたけれど。でも、世界中で絶えず起こっている戦争を見たときに、日本でも、本当にちょっと前には同じことが起きていて、自分たちが生まれ育った場所でも、戦争の犠牲になって命を落としたり、心に傷を負ったりした人たちがたくさんいるんだということを、やはり意識しながら生きてきたんです。
音楽に限らず、子どもの頃からずっと、学校やコンテストで発表する作文だったり、自分の考えを表現したりするときには必ず、戦争と平和というテーマが深く根付いていたのだと思います。
「NO」から「次の章」へ──10年の変遷
── 2015年の「NO ~命の跡に咲いた花~」から10年が経ち、今回は、新曲「Next Chapter」を演奏されました。この10年間では、どのような心境の変化があったのでしょうか。
ホリエ
「NO ~命の跡に咲いた花~」のテーマは、今の長崎の街、穏やかな風景を描くことで、失われた景色から現在の姿に至るまでの"人々の努力"を想像して、歌にしようというものでした。僕たちがそれを受け継いで、もっと優しさに溢れたいい街、いい世界にしていこうという願いを持って、僕たちの次の世代に残していきたかったんです。
そこから10年が経った今、戦争を体験した世代の方々が亡くなっていく中で「自分たちにも起こりうること」として受け止めるのが難しくなってきていると思います。
ただ、その一方で、世界では様々な場所で悲惨なことが今も起きています。今では80年前とは違って、世界中の国の情報や、人々の考えを知ることが出来るし、足を運ぶこともできます。国と国との距離は、いい意味であまり関係がなくなってきた時代でもあります。
── 心理的な距離感は、縮まっている印象がありますね。
ホリエ
たとえば、僕たちは音楽を通して、違う国の人たちとつながれる。一度も足を運んだことのない、文字も言葉もわからない国にもファンがいて、SNSでメッセージが届いたり、コピーバンドの動画がYouTubeに上がっていたりする。
僕たち一人ひとりの人間同士は、様々なネットワークを通じて、好きなものを共有し合って仲良くなれます。でも、そんな時代でも、そうやって仲良くなった人たちが、戦争に巻き込まれてしまうかもしれない。国という隔たりができたときに争いが起きて、分断されて敵と味方に分かれてしまう。そういったことが現実に起こりうるのだと、特にこの数年は毎日のように感じています。
それを人任せにしたり、見て見ぬふりをしていたりしたら、争いは本当に自分たちの身にも降りかかってくることだと思います。だから、僕たちは自分たちの意志で、誰かの意志によって引き起こされる争いを防がなければならない。遠い場所や違う文化の人たちとも、「心のつながりを持つことで、僕たちは争わなくていいんだ」という意識をずっと持ち続けていくことができればいいのかなと......。そんな想いを「Next Chapter」には、込めています。
歴史をつなぐ「つなぎ手」として
── 戦争体験を直接語れる世代の方々がどんどん少なくなっていく中で、次世代を生きる人たちに平和の大切さをどのように伝えていけばよいでしょうか。
村川
僕らはホリエさんのように音楽をつくる側ではありません。つくり手がいて、それを受け止める聴き手がいる。僕らはその間に入る「つなぎ手」だと思っています。ですから、表現する方々、つくり手の方々が発信することを、聴き手の方々へと、しっかりとつないでいきたい。
ラジオマンとして、そしてラジオマンがつくるフェス・スカイジャンボリーとして、その「伝える」という役割を大切にしていかなければならないと思っています。
── 長崎の祈りが世界中に広がっていくようなイメージですね。
村川
そうですね。長崎では8月9日午前11時2分に黙祷が捧げられます。毎年、8月9日は天気がよくて、青空が広がっていることが多い。きっと80年前のその日も11時2分の前は穏やかな日常がそこにはあったと思います。それが次の瞬間、一瞬で焼け野原になっていた。11時2分を境に。そうやって想像すると、戦争や兵器がいかに不要なものか、強く感じます。
長崎の祈りは、文化として、僕らが生まれてからずっと「この街を最後の被爆地に」と教えられてきました。それは、日本という国に言い換えてもいいのかなと思っています。「日本を最後の被爆国に」という祈り。それが世界にも広がっていって「昭和20年8月9日を最後にしましょう」という共通認識で、この祈りが全世界につながっていけばいいなと思っています。
── ホリエさんはどのように考えますか?
ホリエ
長崎には夏休みに平和登校日があって、僕たちは生で戦争の体験談を聞いてきた世代です。広島や長崎以外ではそういう平和教育の場自体が減ってきていると聞きます。戦争体験を語ってもらう機会がなくなっていったとしても、意見を交わし合う場はつくれるはずですよね。世界を見ると、戦争が起こる原因は僕たちの知り得ないことだったり、いろんな見解や立場があるのも事実。だからこそ、なるべく多くの人の話や意見を聞くべきだなと思っています。
学校の授業や、有識者が集まる討論会なんかではなく、音楽や映画みたいな趣味やカルチャーを好きな人同士が、もっとフランクにいろんな発言をできたり、意見を交換できる場を持てたりするような世の中になればいいなと。
お互いの意見が違ったとしても「そういうふうに考えている人がいるんだ」と知ること自体が、まず大切ですよね。考え方の違いによって相手との間に壁をつくることは僕はしたくないと思っています。
だから、いろんな人の話を聞いて、受け止めて、自分なりの意識を持って、素直な気持ちを発言することを恐れずに、これからの世代の人たちにはやっていってほしいなと思いますね。
10月29日(水) EP「Next Chapter EP」発売
【CD】 全4曲収録
1. メタセコイアと月
2. My Rainy Valentine
3. Next Chapter
4. 走る岩 (EXTENDED ver.)
【Blu-ray】 全25曲収録
The Ordinary Road Tour 2025.02.15 at Toyosu PIT
【CD+Blu-ray】
TYCT-60254 6,800円(税抜)
【CD購入特典】
主要チェーン先着オリジナル特典
●Amazon.co.jp:アクリルコースター
●TOWER RECORDS:A5クリアファイル
●楽天ブックス: アクリルキーホルダー
●その他一般店共通特典:CDサイズステッカー
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https://straightener.lnk.to/nextchapter_epWE
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