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かわいい

「かわいい」って何だろう。

 

中学生の頃の私は「ゆめかわいい」という概念の虜だった。パステルカラーで、ユニコーンや雲、虹、夢やファンタジーを連想させるモチーフ、きらきらでふわふわなものは大体全部「ゆめかわいい」。

 

今でも私の部屋は「ゆめかわいい」テイストのままだ。壁の張り紙や装飾は剥がれかけているし、ファンシーなおもちゃたちは雪崩を起こしているけど。もう自分の中でとっくにブームは過ぎ去っているけど、ただ片付けるのが面倒臭くて「ゆめかわいい」の化石をそのままにしている。これでは全然かわいくないしだらしない。

 

Twitterを通して「原宿系」やその「KAWAII」文化と邂逅した私は、「かわいいは正義」だし、普通じゃつまんないし、何よりも人と違うことがポリシーだった。だから、その真ん中よりちょっと逸れたところに居た 「ゆめかわいい」を選び、好きになることに決めた。大体のものは気づいたら好きになっていたり、結果的に好きになっているものだけどこの時の私は違った。人生後にも先にも「ゆめかわいい」を謳っていたあの頃が性格的には一番尖っていたんじゃないかと思う。まだ24年間しか生きてないけどわかる。

 

「ゆめかわいい」を背負うために、その字面の柔らかさにそぐわない、むしろ字面的には「䨻(スマホで表示できる最も画数の多い漢字らしい)」なバリカタ精神を内に秘め、パステルカラーを身に纏い、毎日耳の上でツインテールをして学校に通っていた。(中学3年間毎日ツインテールしていて分かったけど、後頭部の分け目がハゲてくるから毎日ツインテールするのは普通にやめた方が良い。)

 

当然こんな格好をしている人は学校に私以外誰もいなかったから、相当目立っていた。内心憧れられたくて、何なら真似されたくて、校則が許す限りの「ゆめかわいい」格好をしていたのに、いざ後輩に自分の持っていたパステルカラーのリュックを真似された時は、無性に腹が立ったことを覚えている。思春期にも程がある。今となってはもはや羨ましいくらい精神が鋭利で、魂はパステルカラーとは剥離していた。

 

あの頃は「ゆめかわいい」を身に纏うことで個性を手に入れた気になっていた、特別な存在になった気でいた。だから真似されて、同じ物を身に纏われてしまえば、自分の存在そのものが無くなってしまうような怖さがあった。本当は何者でもない、何者かになりたくてしょうがなかった私は、真似された程度でぐらついてしまう、脆弱な「ゆめかわいい」にしがみつくしかなかった。

 

しがみつくようにして好きだった「ゆめかわいい」を、いつの間にか手放した今、私は何者かになれているのだろうか。いや、そもそも今の私は「何者かになりたい」と思っているのか…?

 

あの頃のように外面ばかり取り繕っていても、いつか必ず苦しく虚しくなる。「かわいい」だけじゃダメなんて言わないけど、やっぱり「かわいい」だけじゃ物足りない。魂で、やっていきたい!でも「かわいい」って言われたら正直嬉しくてたまんない!欲張りでわがままで面倒臭くて嫌になっちゃうけど、魂も、外面も、良い感じのバランスでやっていきたいのだ。

 

そのためにはまず、あの「ゆめかわいい」の化石みたいな部屋を片付けたほうがいいだろうな。



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