
私の声はちょっとした人混みでもあまり通らない。約10年間踊ったり歌ったりしているから声量が無いという訳ではない(と思いたい)けど、多分あらゆる雑音とちょうどぶつかる周波数というか、同じ音程というか、声に含む空気の量が多いというか、まぁ通らない。居酒屋のような騒がしい場所で店員さんを呼ぶ時は大体気づいてもらえず、席を立ち上がり両腕をブンブン振って気づいてもらうしかない。騒がしい店内で特に気合いを入れて発声するでもなく、なんの気無しに、「すみません!」の一声で店員さんに気づいてもらえる人を尊敬する。
少し前、激しめに体調を崩し、ただでさえ雑音にかき消される声がいよいよ消滅した。今は声は出るし、めちゃくちゃ元気なので安心してほしい。とはいえ、声が出ないというのは不便で、買い物をした際のお会計一つとっても満足に意思の疎通することは難しい。
声消滅後の初めての買い物では、決済方法を尋ねられてから声が出ないことを思い出し、まず詰んだ。無言でバーコード決済の画面を見せて察してもらうのも何だか気が引けるし、スマホのメモなどで「PayPayでお願いします」とメッセージを見せるのもやりすぎ感があるし…などと猛スピードで考えた結果、丸腰で臨むことしかできず、その上「PayPayで」と発したつもりが実際には隙間風のような空気を漏らすことしかできなかった。結果的に、隙間風を漏らしながら提示していたバーコード決済の画面で店員さんが「あっ…」と察して、支払う形になってしまい申し訳なかった。
声を早く治すためにはとにかく喋らないことが鍵になる。こんな時に限って話したいことは沢山出てくるし、繊細なニュアンスで物事を伝えたくても長文はなるべく避けたい。母に「リビングのここ全部アンタの私物だよ!どうにかして!」と文句を言われた時も、「今片付けるし。てか、あれは弟のだし!」とか反論したいところだけどそれも我慢。大好きな歌を歌うことなんてもってのほか。「言葉が沈黙より美しい時にだけ口を開きなさい」という格言を思い出してみたりしたけど、気休めにもならず、悶々とした毎日だった。
いつもお喋りな人が静かだと、なんか不穏だし、悲壮感漂うし、怒っているとも思わせかねない。勝手にそんなことを懸念して、激しめにジェスチャーしたり、激しめに頷いたり、感情を表すために動かせる限りの表情筋を動かした。特に、挨拶や感謝を伝えるシーンでは伝わっているのか不安すぎて、テーマパークの着ぐるみくらい動いていたと思う。
中途半端に音が出るようになった時期を経て、酒ヤケギャルボイスを手に入れた。私はお酒もほとんど飲まないし、ギャル的な見た目も、マインドすらも持ちあわせていない。声が違うだけなのに正反対の人格を手に入れたみたいでワクワクしたし、その声を出せた僅かな間は珍しく強気だった。
声消滅から1週間くらい経ち、酒ヤケギャルボイスを満喫していた頃、早くもオリジナルの声を思い出せなくなっていた。散々聞いていた声なのに、少しの間聞いていないだけで、こんなにも声の記憶は朧げになるのかとビックリした。もう会えなくなった祖父母の声も脳内再生してみようとしたけど、再生されたのは課金せずにAIができる範囲で生成したような違和感のある声だった。いや、でもこんな感じだったのか…?何かしらで確認はできるだろうけど、私の中に確実な声の記憶が存在していないことが悲しい。
声は私の中の「好き」を形作るかなり重要なものだ。声好きの私でも、こんな風に物凄いスピードで声の記憶が抜け落ちていってしまうなら、声の記憶自体脆く、不確かなものなのかも。声が出ない間、みんなの記憶の中に存在する私の声はどうなっていただろう。いつか思い出せなくなる日が来るだろうか。この文章を書いている今、お気に入りだった酒ヤケギャルボイスがもう思い出せない。