最近料理をしている。料理をするようになったきっかけは、母が食材宅配サービスを始めて、時短調理できる食材で冷蔵庫が潤っているからというだけで、特に大きな理由はない。趣味になりそうな気配もない。ただ自分が食べたいから作って、盛り付けという言葉すら勿体ないくらい、何も考えずに手に取ったお皿の上に作ったご飯を乗せているだけ。時短調理の食材セットを使えば、普通なら30分以上はかかりそうな料理の大体が10分〜15分で完成する。ちゃんと味も美味しい。美味しさよりも、その手軽さがクセになって料理をしているような気もする。
というのも、誰のためにもならない自分の生活になるべく時間をかけたくない。アイドルの仕事全般に惜しみなく手間暇注いで、丹精込めて取り組んでいるから、その反動なのか自分の生活には極力時間をかけたくないし、とんでもなく適当になってしまう。
基本的に数分温めるだけの冷凍チャーハンすら待てない。いつも10数秒残して電子レンジの扉を開け、ややシャリつきながらもそこそこの美味しさを感じながら食べて、それで良いと思っている。お風呂上がりのドライヤーも片手に2個持ちして使っている。私の手はかなり小さいし、2個持ちしながら必死に髪の毛を乾かしている時のヴィジュアルは相当キモいと思うけど、髪の毛の乾くスピードが段違いに早くなるからやめられない。寝る時に着るパジャマもズボンが前後逆であろうともう何でも良い。確認して穿くことも面倒だし、間違えて穿き替え直すのも面倒だし、そもそもそこに何の思いも馳せたくない。とにかく時間をかけたくない。
そんな私と、10分〜15分でできる時短料理が噛み合った。ただ、10分で作ったご飯は美味しいなと思うけど、作って、食べた、という情報が横たわるだけ。母が作ったご飯を食べる時は「もう食べ終わっちゃったな」とか、「このご飯と出会う前からもう一度やり直したい」とか思っている。心が満たされる。母も私と同じ食材宅配サービスで届いた料理セットで作っているはずなのに、味付けやお肉の焼き方、どのお皿に載せるか、母は色々考えてアレンジしたりもしているからか、母が作ったご飯の方が異様に美味しく感じる。
母が作ったご飯に限らず、そもそも私はあらゆる手料理が好きだ。バレンタインのチョコも、市販の板チョコをかじった味と絶対同じはずなのに、わざわざ一度溶かしてアルミのカップに流し込んだ手作り(手作り…?)チョコレートの方が私にとっては価値があるし、美味しく思える。手間暇の味が好きなのだ。
私の料理は、動画を倍速で観たり、InstagramのリールやTikTokとか、手軽なショート動画をスクロールして得られる刺激中毒になっている現代の若者と同じではないか?内心そんな若者を小馬鹿にしていた私だって、すぐ作って、すぐ食べて、すぐに美味しさを感じたがっている。世の中も、短い時間で満足したい、効率的な効果を得たい、「タイパ(タイムパフォーマンス)」が重視されているけど、時短した先に何があるのだろう。
やることはやりまくらないといけないし、アイドルという職業は特に色々なタイムリミットがあって、急かされていることは間違いないし、急いだ方がいいこともわかってる。時短料理は、確かにやることをやりまくる毎日を助けてくれるけど、心に残るものは別に無い。このまま全ての生活を時短にしていったら、心は渇き、「急かされている」というまだ気配で留まっているものが、実態として目の前に立ちはだかってしまいそうで余計に焦る。
生活を時短して生まれた時間は、私を必要としてくれる誰かのために使いたいと思っている。でも、誰かに時間や手間をかけるのは私自身だから、そんな私自身にも時間や手間をかけることも大事なことのはず。それに、私は結局手間暇かかったものばかり愛してしまう。
手始めに、母を真似て時短調理の食材にアレンジを加えてみちゃったり、たまには時短とは反対に遅い料理をしてみるのもアリかもしれない。いつかは何らかを醗酵させたり、何日も煮込んだチャーシューを作ったりもしてみたい。パジャマだって正しく着たい。そうこうしながら手間暇かけて私を愛したい!