音楽メディア・フリーマガジン

東北地方太平洋沖地震の巻

この原稿を書いているのは3月19日。先週の金曜日、3月11日、想像を絶することが起こった。もちろんあの地震、東北地方太平洋沖地震のことだ(個人的にこの地震は「東北関東太平洋沖地震」と名づけるべきだと思うが)。

本当に多くの方々が亡くなった。そして未だ身元がわかっていない方も大勢いらっしゃる。あの震災から早くも一週間が過ぎたけれど、未だ被災地では十万人規模の被災者の皆さんが避難所で厳しい生活を送っておられ、福島の原発事故は収まっておらず、余震は止まることなく、関東では来週以降も停電が続く。この震災の被害は全くの現在進行形。
ただ、不幸中の幸いとしては幾分先週末よりは各所で平静を取り戻しつつあるのかな。週のあたまには買い占めに遭ってがらんとしていたスーパーに少しづつ品が並ぶようになり、避難所にも物資が届けられつつある、という情報も入ってきた。街は節電で暗いながらも先週に比べ出歩く人も増えてきたように思う。
とはいうもののやはりこの先どうなるのか、このジャングルライフが配布される頃にどのような状況になっているか見当がつかない。阪神淡路大震災(その時僕は京都に住んでいた)の時もそうだったけれど、この1週間はこれまでの、そしてこれからも、人生の中で記憶に残る1週間。この震災がどうだったか、なんてまだ総括できるような状況じゃない。だけど、今はもうこの地震のことしか書くことができない。だから思いつくまま書きますね。東京の話ですので被災地の皆さんの苦痛から比べると全く話にならない内容だとは思うけれど。
あの地震で初めて話に聞く「地震酔い」を体験し、初めて避難場所である公園に移動して余震が収まるのを待った。職場に戻ってTVを見て驚いた。あの津波で水没していく仙台空港の映像が流されていたから。阪神淡路大震災の時、地震の時はさすがに目が覚めたが、あまりたいしたこと無いだろうと高をくくって二度寝し、朝になって当時の上司に電話でたたき起こされ「TVをつけろ!」と言われてTVをつけ、崩落した高速道路の映像を見たときのショック。あれと同じショックがそこにはあった。現実のものとは到底思えない映像。
地震が起こって、こんなに首都の交通網や通信網ってもろいものだったのか、という意見をきっと東京近郊に住む人たちは持ったことだろう。帰宅することになり、僕は幸せなことに会社から徒歩1時間半くらいで自宅にたどり着く距離に住んでいたので難を逃れたが、多くの人は苦労をなさったことだろう。しかも全く携帯もメールも不通。連絡の取りようがない。
そんな中で多くの人が挙げていらっしゃったとおり、t w it t e r やFacebookは難なくつながった。何度かエラーは出たものの、ほぼ平時と同じ状態。僕もtwitterで各地各所の情報を見つつ帰った。エジプトやリビアの革命でtwitterが、というニュースが伝わった時になるほどとは思ったけれどリアリティがあったかといえば正直海の向こうの出来事だからウソになる。ただ、今回は確実にインフラとして一番役に立ったのは間違いなくtwitterだった。これは否定ができない事実。その力はさらに翌日以降もどんどん大きくなっていった。もちろんtwitterの全てを手放しで信用できるもの、とは言わない。今回もどさくさにまぎれてデマが乱れ飛び、僕も危うく騙されてしまうところだった。千葉のコンビナート火事で有害物質が、というデマが拡散されたことはニュースにもなったのでご存知の方も多いだろう。こういうものが拡散しやすいものであることも書いておかなくてはいけない。こういう非常時だからこそ、拡散する場合は元の発言を公式リツイートするべきだし、それ以前に発言元の確認をするべき。
使い方を間違えない、使う人が注意深くなればtwitterはとても威力を発揮するツール。威力が発揮されすぎて原子力発電所の事故に関してはクラクラするほどの情報が飛び交っていますが(今でも)。
震災後の初めての週末はどこにも行く気にはならず、近所のスーパーで買い物をしてあとはほとんど家で過ごした。一日中ニュースとtwitterで動向を見守りながら過ごした気がする。次第と明らかになって大きくなっていく被害状況と行方不明者。僕も東北には多くの知人友人がいるのでつながらない電話やメールにいらいらしながら安否確認をすることにも時間を費やした。ほとんどの知人友人とは連絡がとれたが、2名だけ一切連絡がつかない。現在はその2名とも連絡が取れたので一安心したが、彼らの知人でなくなった方がいらっしゃるそうなので喜んでもいられない。
そんな状況下で、自分が関わる音楽というものの非力さにちょっと考えさせられることもあった。こんな状況で人は音楽なんていらないんじゃないか?そしてそれはずっと続くのではないか?という漠然とした不安。でも不安を抱えながら過ごした時間の中でTBSラジオがオンエアした「ウィークエンド・シャッフル」には元気付けられたな。「人間なめんな」というメッセージはシンプルだが心に強く残ったよ。
時間が経つにつれ、映像素材がなくなったのだろうか繰り返し繰り返し流される津波の映像や被災地の状況映像をTVで見ていたら段々気分が滅入ってきて、Radikoでラジオを聴いていたら随分落ち着いた気がする。この連載でラジオについて以前触れたけれど、ラジオにはまだまだ存在価値があるということが今回とてもよくわかった。停電の中、電池で動くラジオの音声はきっと被災地にも届けられただろう。下手な繰り返し映像が無い分細やかな言葉の表現や情報に頭が下がる。Twitterでも今回のTV報道についてたくさんの疑問が提言されていたけど、行くところが偏っている(TVネットのない茨城や原発のある福島の情報がほとんどない)というのは僕もどうかと思う。かつての阪神淡路大震災時と同様、結局東京の事情なのだろう。週の後半がほとんど原発のニュースで費やされたことでもわかる。要は東京が危険だから、でしょ?情報ツールとしてTV(民放)は役立たない。
この一週間、様々な情報と意見をたくさん見聞きしたことによって考えさせられたり勉強になったりしたけれど、そのたくさんの意見によって僕は救われた気がする。一部のデマを流す元のヤツ以外の情報はいいものであれ、悪いものであれ、良かれと思って流している。この「良かれ」という根の部分を日が経つにつれて感じることができるようになり、それによって随分楽になった。
音楽が必要とされないんじゃないかという疑問も全く杞憂に終わった。多くのミュージシャンやリスナーが様々なスタンスの違いはあれ、全て「良かれ」の元に行動している。ある人はライヴイベントを決行することによって、逆に中止することによって被災者に気持ちを伝えようとする。見に行く人も家にいる人もそれぞれの意見があって。それがとても健康的な気がした。こういう人たちがたくさんいるならきっと音楽は大丈夫。自分がやっている仙台のラジオ番組のリスナーから「ぜひ早く復活してください」というメッセージをもらったことも嬉しかったな。
この良かれ、のバランスが崩れたらきっともっとギスギスした救いの無い状況になるのだろう。でも現在時点はそうはなっていない。そしてこの絶妙なバランスを保ち続けていけたらきっと時間はかかるけど皆暮らしていけるんじゃないかな、なんて思えてきた。とはいえ初段で書いた通りまだ全然この地震に伴う状況は収まっていない。行方不明のままの人もまだ多数。復興はまだ先の話。傷ついた被災者の皆さんのケアもこれから。これはもう膨大な時間と技術とお金が必要となるだろう。とても難しい問題が山積みだ。
ただ震災後の日本を早く元通りに、という気持ちは重要だが元通りにする必要はない、とも思う。より良くする必要があるのだ。そのより良くするため個々が自分でできる「良かれ」なことをする必要がある。特に今後西日本の皆さんには経済を循環させていただく必要がある。これはもうスタートしてもいいこと。することは簡単。買い物をして、食事を外でして、いろんなものを見に行ってお金をどんどん使ったらいい、それで経済はよくなる。溜め込むことが最もよくないこと。
そして東北が復興しようとする時に東北へ旅行をしよう。そこでお金を使おう。ここ数年僕は仕事で東北へよく行って本当に思ったこと。それは東北にはおいしい食べ物があって、とても素敵な場所がいっぱいあって、いい温泉もいっぱいあって、独特の風土と素晴らしい人たちがそこに在るということ。ライヴを見に行くツアーもいいだろう。自分の全然知らない場所で見るライヴは新鮮で面白い、それを主目的にするのも全然いいだろう。一刻も早く被災者の皆さんの心が癒され、生活が安定していくことを僕は願って止みません。きっとこの苦境にも日本は負けない。負ける気がしない。人間なめんな!と僕は言いたい。

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