「トリッキーダイビング」
歌詞
カウントが始まりブルってる
その手とその足で始めようか
トリッキーで気ままに適当に
好きなように思うように音にダイビング
落下スピードは
K点越えの
自己ベストを更新
パラシュートは
使う必要はない
飛ばすんだもっともっと行け
3210レディーゴー!
かなり飛んだ
ブチ上がった
BPM越えてゆけ
トリッキーダイビング
止まらない
悔しすぎて
血が滲んだ
歯ぎしりもミュージック
世界中を変えれはしないけど
人生は変えれるだろう
3210レディーゴー!
かなり飛んだ
ブチ上がった
BPM越えてゆけ
トリッキーダイビング
止まらない
トリッキーダイビング
飛びまわれ
「トリッキーダイビング」
その想いとメッセージ
人生は山あり谷あり。
時にはめちゃくちゃ高い山岳の上からスカイダイビングをしなければいけない様な瞬間がある。
しかし此処一番の人生のスカイダイビングは相当な覚悟がない限りそう簡単にはできないあ。
しかし、恐れをなして逃げてしまうか、それとも恐怖に打ち勝って飛び込むことができるか、それによって見える景色と辿り着く場所は大きく変ることになるだろう。
人は見た事の無いものや場所、経験した事の無い事に足が震えるほどの恐怖を感じるのは当たり前のことだが、未確認、未経験の新境地にこそ新たな可能性が潜んでいる。
そんな恐怖心を打ち破ってくれる様な、背中をバンっと叩いて気合いを入れてくれるような、そんな曲を作りたくて“トリッキーダイビング”が生まれました。
一世一代の大勝負の時、ぜひこの曲を再生してほしい。
この曲が新世界への一歩に繋がる事を願っています。
「椅子取りゲーム」
歌詞
せーので
椅子取りゲーム
スタートしている
OH
白熱の奪い合い
OH
冷静な騙し合い
OH
ひとつじゃもの足りない
OH
人生は椅子取りゲームの様だ
「椅子取りゲーム」
その想いとメッセージ
小中学生の頃に教室などで行われる椅子取りゲーム。
誰もが一度はやったことがあるかと思います。
椅子を円形に並べた周りを音楽に合わせて椅子の数+1人(または数人)がその周りを歩き出す。
そして流れている音楽が止まった瞬間に人数より少ない椅子を取り合うというもの。
みんな笑顔でワイワイとやっているけど、必ず多数の勝者と少数の敗者に分かれる。
もしこれが椅子では無く食べ物だったら。
もしこれが椅子では無く着る物だったら。
もしこれが椅子では無く住む場所だったら。
もしこれが椅子では無く武器だったら。
もしこれが椅子では無く人権だったら。
もしこれが椅子では無く国だったら。
もしこれが椅子では無く人だったら。
この様な事ばかりを想像していた僕は、
必ず多数の勝者と少数の敗者に分かれるこの椅子取りゲームが悍ましかった。
自分も同じ人間なのに椅子取りゲームを行う人達を客観視して、奪い合う姿に絶望していた。
人の人生とはまるで椅子取りゲームの様だ。