今の僕らに出来ること。
今の僕らにしか伝えられないもの。
苦しみや悲しみを伝えるのではなくて、
必ず、明日は訪れるということを伝えたいと思った。
その、明日へ馳せる希望を伝えようと誓った。
2011年3月11日、僕らEGNISHは福島県郡山市でライブだった。何も変わらない日常。当たり前の朝、見慣れた景色。よく晴れた日だった。
郡山へ向かう高速道路、携帯から聞いたことのない嫌な音。気がついたら景色は一変、道路がうねっていた。
とても長く感じた。ただただ、その場に車を停車させておくことで精一杯だった。状況が飲み込めないまま、とりあえずはライブハウスに向かうことに。
見慣れた街並はそこにはなかった。交通の麻痺、崩れた家。地震の恐怖が刻まれた。ライブハウスに着くと、すぐに郡山駅へ避難、繋がらない携帯電話にイライラしていた。ライブの中止を言い渡され、とんぼ返りで仙台へ。
いつになっても繋がらない携帯、家族や友達の安否、今僕らが置かれている状況、正しい情報がわからないまま、迂回、迂回の繰り返しで、仙台に着いたのは11時間後の朝だった。
おさまらない余震、海沿いに住む親戚や友達の安否、止まったライフライン。
今、今日を必死に生きてた。ラジオから流れる被害状況に絶望を感じながら、親戚や友達の安否を祈った。
当たり前が当たり前じゃなくなった。連日、被害状況ばかりが報道され、だんだん感覚が麻痺しそうになる自分がいた。
それでも、生かされた僕たちは、生き抜くために助け合い、尊重した。確かな絆を感じ、優しさや、思いやりに気づかせてくれた。
光輝く星達が、空を見上げることを教えてくれた。街のざわめきがまったくない朝に美しすぎる朝日をみた。
この風景を歌にしたいと思った。
苦しみや悲しみを伝えるのではなくて、必ず、明日は訪れるということを伝えたいと思った。その、明日へ馳せる希望を伝えたいと思った。
今はもう戻れない自分の住み慣れた街で、あの人が過ごした姿を僕は知らない。罵声を浴びたあの政治家の、家族にだけみせる、穏やかな笑顔を僕は知らない。
僕らに世界を変える力はない。それでも、一人一人の希望の形を信じて、伝えることはできるから。その、世界を変える一員になりたいと思うから。
今の僕らに出来ること。今の僕らにしか伝えられないもの。
この『The World』という1枚のアルバムが、みんなの明日への活力になればいいと思っています。
まだ終わっていない。
絶対に風化させてはいけない。
人は強い。
なくなったものは帰ってこなくても、新しく作り直せるのだから。
CD不況といわれ、次々とCDショップが閉店に追い込まれるなかオープンした当店が震災の休業を経て、再オープンするまで。
イオン仙台泉ショッピングセンターの新店舗に店長として赴任して5ヶ月、ようやく仙台での生活に慣れてきた頃の震災でした。本シリーズに登場された心あるミュージシャンの方々のように直接的な復興支援をやったわけではなく、日々の余震にビクビクしながら店舗の再オープンにこぎつけた、市井のCDショップスタッフの報告です。
3/11のあの時間、今まで体験したことのないありえない揺れと、様々な物が壊れ、崩れ落ちていく中で、「もう終わりかも…」という思いが、日中の暗闇の中、頭をよぎったことをおぼえています。建物から避難した後も、電話も通じない、状況も把握できない中、自宅アパートにいるはずの妻のことが心配で生きた心地がしませんでした。幸いにも妻、そしてスタッフ全員の無事が分かりほっとする思い。しかし、イオンの建物自体は被害が大きく、当初は再オープンの目処も立たないほどでした。
その後は自宅待機となり、必要な物を手に入れるため長い行列に並び、それ以外は地震関連のテレビ報道を見て過ごす日々が続きました。遠い地球の裏側でなく、車を出せば一時間もかからずに行くことができる場所、そこで津波により多くの人命が失われたことに正直、現実感を感じることができませんでした。店舗にも立ち入れず、悶々とただ毎日を過ごし、焦りを感じる日々でした。
そんな状況の中、会社は前に進むために埼玉県所沢市に新店舗をオープンさせることになり、そのオープン準備に参加したことが、気持ちを前向きに変えるきっかけになったと思います。関わる人たちが一丸となりオープン日に向かって黙々と作業に励む姿を目の当りにし、自分も没頭するなかで、いずれ来る自身の店舗の再開作業を現実のものと感じることができるようになったと思います。
同じように大きな被害を受けた、隣県のイオン福島店の再開作業をはさんで、ようやく6月に入り、自身の店舗を再開させることができました。公私ともに多くの人の協力があってのことで、本当に感謝しています。おかげで今では何もなかったかのように、普通に営業できています。
被災地を勇気付ける歌が演奏され、CDになり、それを販売して、日々の糧を得ているような我々のような人間もいる一方で、まだまだ本当の復興には程遠い人達もいます。それを噛み締め、謙虚でありたいと思うと同時に、ミュージシャンが曲に込めた想いをリスナーへ伝える媒介者として一人でも多くのお客様に音楽の素晴らしさを伝えたい。仙台の地で末永く愛されるCDショップでありたい。日々頑張ります。
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http://www.livehousesunrize.jp/
執筆者プロフィール
高知県出身。2009年12月入社。2012年4月店長になったばかりです。MUSHA×KUSHAというバンドで歌と四弦ギターやってます。
3/11、両国SUNRIZEは昼間からの学生イベントで本番中に地震発生しました。一時避難して、その後イベントは続行したようです。当日、私自身はSUNRIZEが休みだったので他の両国SUNRIZEスタッフから聞きました。震災直後は交通機関の麻痺で出勤することもままならず、スタッフや出演者との連絡もできない状況で不安な毎日でした。店内の被害も計画停電もなく、1週間後の3/18から営業再開しましたが、東京の最東で千葉に近い場所に構えているということもあり、液状化などの被害にあった出演者もいたりとやむを得ない出演キャンセルなど相次ぎ、急遽、電力を抑えたチャリティーイベントやアコースティックライブを開催するなど自分達にできる範囲での営業に努めました。
今後も自分達にできることを背負って、出演者と来客者の皆さんと楽しい空間を作っていきたいです。
今年でようやく3歳になる両国SUNRIZEでは、ジャンルや技術などに捉われず、両国SUNRIZEと一緒に歩んで行ってくれる出演アーティストをお待ちしております。出演者やお客さんみんなが楽しめる空間作りを目指しておりますので、是非一度遊びに来てください。一見さん大歓迎でお待ちしております!!
広島県出身。上京し大学を卒業後、CLUBメインだったBASEMENT BARをライブハウスに改装するという事で当時の店長と出会いアルバイトとして入店し約10年。
BASEMENT BARでは地震の影響はほぼ無く、現在も元気のあるイベントが続いております。地震直後も、「バンドが音を出さなくて誰が元気になるの?」って言うバンドマンばかりでした。下北沢の周りのライブハウスも、直後から被災地への募金等ライブハウスができることは何かを自問自答し、出演者の協力のもと、様々な活動をしていた様に記憶しています。
BASEMENT BARには、全国各地、東北、北関東からのツアーバンドも多く来ています。是非足を運んで下さい!
執筆者プロフィール
秋田県秋田市出身。31歳。
東日本大震災を被災なさった皆様に心よりお見舞い申し上げます。
震災発生より丁度1年ですが、渋谷屋根裏は現在、震災前とほぼ変わらぬ元気を取り戻しております。震災時は企画ライブのリハーサルを行っておりましたが、強く揺れただけで、幸い建物・付帯設備に何の被害もありませんでした。そうは言いましても、他のライブハウスさん同様、震災当日及びその後数週間のイベントはキャンセルが相次ぎました。ですが、そのキャンセルとなった当該企画者さんがリベンジで再度企画をしたり、チャリティー企画を行ったりし、また渋谷屋根裏が企画した日も3月中は毎日一部を義援金としまして、渋谷屋根裏なりの震災への向き合い方ができたかと思っています。周辺地域ということで言いますと、センター街は震災後数日間はセンター街かと思えないほど人通りが無かったです。また、しばらくは節電励行の影響で元気が無かったです。ですが、程無く節電も緩和され、それと共にセンター街も以前の空気を取り戻していきました。空気が戻ると、渋谷屋根裏に訪れやすいムードも戻ったようです。
震災による被害は、筆紙に尽くし難いものです。被災者でない人間が当事者と同じ被害を受けたり、気持ちになることはできないです。それを音楽人が咀嚼するには、被災者に最大の配慮を怠らずに、生きることに音楽を何かしらプラスにすることかと思います。屋根裏もそれを少しでも担えたらと思います。
執筆者プロフィール
タバコとコーヒーと酒とかばと安藤裕子が大好きな人です。
現在は震災直後に比べると比較的緩くなっているのが現実だと思います。チャリティーイベント等は定期的に行っていますが、その後起こった様々な問題(原発問題等)がバンド間で話は出たりしますが、地震や復興支援に関しては感覚がボヤけてしまっているのかもしれません。店としましては、NBC作戦に参加させてもらって、南相馬へ向かわせていただいたりしました。引き続き、古着のBAND T募金等で支援資金が貯まり次第、定期的に参加させてもらいたいと思っています。「現在」という話をさせてもらうとエネルギーの仕組みを考えていかなければと思っています。僕らライブハウスはやはり電気を使って営業をさせてもらっています。吉祥寺WARPがある武蔵野市はどこの電力会社を使って、どうやって公正でオープンな制度作りができるのか、コストの削減もできるんじゃないかとか考え始めています。言われるがままの電気料金を払って、さらに原発を稼働させないとならないわけじゃないことが解ってきましたしね。
東京から離れてしまった仲間達も多くいます。でも、彼らもその場所で同じ気持ちで音楽を奏でています。地震が起きた後、自分も正直人生の選択をしました。この場所で生きるべきか離れるべきか。でもこの場所にいなければならないと決意しました。やる限りは東京23区を少し離れた武蔵野の街でグッドバイブス、グッドミュージックを発信していきたいと思っています。東京の中でも土着的かつ温かい空気を持つ吉祥寺に、是非遊びに来てください。