音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.25

タテタカコ

PHOTO_タテタカコhttp://www.tatetakako.net/

例え距離が離れていても、想うということは距離を超えるんだ。

旅をしながら歌わせていただいていると、大切な場所や、また逢いたい人が増えていきます。もっともっと沢山の人の繋がりが生まれていけばいいなぁと思っています。その繋がりを作ることが音楽の役割なのかもしれないと思い始めています。

東日本大震災から1年後の2012年の3月11日に「ASYLUM in Fukushima(アサイラムインフクシマ)」というイベントを福島市といわき市で開催させていただきました。人と人の繋がりをコンセプトに7年前から沖縄で開催されているイベント「sakurazaka ASYLUM(桜坂アサイラム)」を福島でも開催したかったんです。
いわき市にあるclub SONIC iwakiの皆さんと、福島市のオーガナイズチーム『音連れ』の皆さんと一緒にイベントの企画、運営をしました。沖縄の「sakurazaka ASYLUM(桜坂アサイラム)」スタッフも駆けつけてくれて、イベントの運営を手伝ってくれました。
いわきのじゃんがら念仏踊り、沖縄のエイサーの皆さんに来ていただき、そこに集まった皆さんと黙祷をしました。
今、ここ日本で起きていること、生きていること、亡くなった方のことを想う時間になりました。
沖縄と福島。「例え距離が離れていても、想うということは距離を超える。」ということを実感しました。
日本全国どこへお邪魔しても、被災地出身の方、被災地と大切な繋がりがある方と出逢います。
お話を聴いたり、声をかけていただく度に、東日本大震災のことを思い出します。
昨年チャリティーライブツアーでお邪魔した台湾、フランスでも、被災地に家族がいる方、被災地に想いを寄せられている方との出逢いがあり、日本から遠く離れている異国の地で、あの震災のことを再確認させていただく日々でした。
フランスでは震災から1年経った福島を記録したドキュメンタリー映画『花見山の春ーFUKUSHIMAー』を撮られたフランス在住の江口方康監督と出逢い、映画の音楽を作らせていただきました。
その中で、富岡町からいわき市に避難されている佐藤紫華子さん(「原発難民の詩(うた)」(朝日新聞出版)の著者)と巡り会うきっかけをいただきました。
震災直後のclub SONIC iwakiで出逢ったノーマディックレコードの平山さんの協力の下、佐藤紫華子さんと一緒に「ふるさと」というCDを作らせていただくご縁をいただきました。
いろんなところで人と人が距離を越えて繋がっていきます。旅をしながら歌わせていただいていると、大切な場所や、また逢いたい人が増えていきます。もっともっと沢山の人の繋がりが生まれていけばいいなぁと思っています。その繋がりを作ることが音楽の役割なのかもしれないと思い始めています。

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ひとりぼっち秀吉BAND  Vo.ひとりぼっち秀吉

PHOTO_秀吉http://hidekichiband.web.fc2.com/

震災から2年、福島で生きていくということ。
「不安を希望に変える歌を歌いたい」

福島県郡山市在住の4人組ロックバンド・ひとりぼっち秀吉BANDのVo.をやっています秀吉です。震災から2年、今僕が素直に想うこと、それは「不安を希望に変える歌を歌いたい」ということ。

震災から2年以上が過ぎました。僕達は今も地元、福島県郡山市に住んでいます。
3/11の金曜日。その日僕は買い物をしに、スーパーに出かけていました。そして、14時46分。すごい音と共に建物が揺れ、お店のガラスが割れて、たくさんの物が落ちて来ました。外に出ても、駐車場のコンクリートがひび割れて来たり、そこに居る皆全員、気付けばパニックになっていました。
落ち着いて何とか家に帰ると、ぐちゃぐちゃになっていました。全壊です。そして半年間アパートを借りて生活し、よっやく今住んでいる家に戻れました。今想うと、当時自分が乗り越えられたのは、人と人が支え合えたからだと、本当にそう思います。それ以外考えられません。だからこれからも僕は人を信じたいのです。
そして2年が過ぎてもなお、まだまだ心の底から安心するにはたくさんの問題が残っていることは分かっています。
今となっては、自分達も以前とあまり変わらない生活を送ることは出来ていますが建ち並ぶ仮設住宅や、避難して福島から居なくなってしまった知人のことなどを考えるとこの震災が決して風化されてしまわない事を、今も心から願っています。
僕達はここで生きていく。
震災以降、たくさんの支援や、言葉や、音楽も僕達は受け取って来ました。どれも本当に勇気付けられるものばかりでした。ただこれからは、励まされるばかりではなく、自分達が発信していく番だと、そう思っています。恩返しではありませんが、たくさん受け取って来たからこそ、
「福島まだやれるんだ」という気持ちと負けん気を持って、これからもこの町から、外に発信出来る活動をしていきたいと思っています。もちろん、自分達の曲にその想いを込めて。何より今僕達は、こうして笑って生きていられるんだから。

「不安を希望に変えたい」

震災を経験したからとかではなく、もともと「ひとりぼっち秀吉BAND」は、そんな歌が歌いたかったんです。
もちろん、震災以降に出来た曲もたくさんあります。ただ今までと変わらず、素直な気持ちで曲だけは書いていきたいと、そう思っています。自分が伝えたいことを、自分の言葉で。4月12日、『道しるべ』という1stミニアルバムをリリースしました。いろんな人に、聴いて欲しい。
暗い顔はしなくていい。誰かの心にあるちょっとした闇もいつか少しの光に変えられる。そんな歌を歌いたいと思っています。

PHOTO_秀吉家
※写真は震災で家屋が全壊し、取り壊され更地になった秀吉宅跡地です。

 

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