音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.6

メゾ ソプラノ歌手 × ピアニスト / 後藤 優子 × 菅野 静香

東日本を襲った凄まじい大震災。犠牲となった方のご冥福を心からお祈りしますと共に、被災地の復旧復興が進み、皆が笑顔で健やかに安心して生活できる日がくることを切に祈る毎日です。生かされている命に感謝し、今私に何ができるのかを問い、見つけた光…。

3/11を境に、新しいCDアルバム制作を進めていく上で、本当に伝えたい自分の思い、音楽の形が変わっていった。希望の光を信じ、祈りを込めて再びレコーディングに臨み、まもなく完成へ!!

私が地震にあったのは仙台北部の友人宅。家は大きく揺れ、収納棚などの扉は全て開き、収納されていたものが雪崩の如く倒れ落ちてきて足の踏み場も無い状態の中、やっとの思いで玄関を出て、避難所へ向かいました。途中、目に入ってくる、損壊している建物や、地盤沈下によるひび割れ、陥没している道路が、地震の大きさをもの語っていました。深々と降り積もる雪の中、ラジオから聞こえてくる被害状況に驚き、不安を感じながら、夢であってほしと何度も思いました。
電話回線が混線していてなかなか連絡が取れませんでしたが、幸いにも一緒にいた友人が家族と連絡が取れ、状況が落ち着くまでそちらでお世話になりました。本当にありがたかったです。電気もガスも水も出ない状況の中ろうそくの火を頼りに、カセットコンロで調理し、お風呂に溜めてあった水を使いながらの生活。余震の度に皆で身を寄せあっていました。数日後、家族とも連絡が取れ、帰宅。再会できた時は本当に嬉しかったです。ライフラインが徐々に復旧し、CD制作でお世話になっているピアニストの菅野さんと連絡が取れました。地震の時、彼女は運転中で、倒れてくる木々に道を塞がれながら、通常20分の道を3時間かけ大変な思いをしながら帰宅したそうです。自宅が仙台北端のためライフライン復旧が遅く、給水車も来ず、川の水を生活用水にしていたことなど近況を話してくれました。無事で本当に良かったです…。
次の日、自転車で近くの閖上付近まで行ってみると、目を疑うような信じられない光景が…。海から大分離れた陸地にまで津波は押し寄せ、たくさんの家屋や漁船までもが流されていました。暫く呆然と立ち尽くしていましたが、〝今から何かしなければ!〟と思い、ボランティアセンターへ行きました。数日避難所へ届ける支援物資の仕分け作業に取り組みながら、今度は音楽の力で、自分の心の言葉、歌で応援メッセージを伝えたい! と強く思うようになりました。オリジナル曲『HIKARI~ひかり~』のCDを持ってラジオ局へ出向きました。ありがたいことに、私の曲を番組で流して下さり、チャリティコンサートの機会も頂きました。“どんな困難の中でも皆が未来への希望の光を見つけることができますように”、という祈りを込め『ひかり』をテーマに新しいCDアルバムを制作してきました。私も菅野さんも音楽の力を信じ、たくさんの方にこのメッセージが届くことを願っています。

notice it(ノーティスイット) / Ba./Vo. 政井大樹

福島県いわき市を中心に活動するバンド、notice itのBa./Vo.を担当している。自分も被災しているがこの震災を経て、自分には一体何ができるかを考えた。

ウニの貝焼きが名物の福島県いわき市平薄磯地区。大きな災害もなく、毎日がのんびり、穏やかに流れる町。そんな町が津波に襲われた。

3/11、東北地方を突如襲った大地震。その時私は祖父母と家にいた。大きな災害が無いこの薄磯地区の住民は津波など来るはずが無いと思っていたのだ。自分もその1人である。
しかし、消防車が来て、早く避難するように町民を促す。私も家族と避難をしようと、家を出ようとした時に祖母が家に戻ると言い出した。早く避難しようと言ったものの、祖母が心配なので私も一緒に家へ戻ったのだ。だが、これが間違いであった。
家へ戻り必要なものを取った私たちは高台へ避難を始めた。その時である、町民の「津波が来たぞ!!」の声と共に海岸から一気に黒い波が町を襲ってきたのだ。私は身の危険を感じたのは言うまでもない。
祖母を連れ、高台まで走る。しかしそれを嘲笑うかのように容赦なく襲ってくる津波。私たちが高台に近付いた時にはもう私の背中にまで津波は来ていた。急いで高台に向かい、坂を登ると、町を破壊してきた波が自分の目の前に来ていた。後ろからも波が来ていて、なすすべなく私たちは津波にのまれた。消えていきそうな意識の中、祖母を守ろうと必死に掴んでいたが、第二波によってそれも適わなかった。私は真っ黒な波の中で体中を傷つけられながらも奇跡的に丸太に掴まり高台まで自力で泳ぎ、病院に搬送され手当てを受け一命を取り留めたが、祖父母は津波から3日後に冷たくなった体で見つかった。
何もかもやる気を失い、毎日泣いていた私を救ってくれたのは、バンドのメンバーやclub SONIC iwakiのスタッフであった。私を勇気付けようと、馬鹿話などをしてくれて私の心を和ませてくれた。
震災から約一ヶ月後、私はライブハウスのステージに立ち、ライブをした。頭が真っ白になり、音に包み込まれている瞬間はそれまでの悲しい気持ちを優しく拭ってくれた。
このコラムを紹介してくださった平山two勉氏のnomadic recordsから、CDを出す事が決定し、今はそのレコーディングに取り掛かっている。あの震災から5ヶ月、天国で見守っている祖父母に成長した自分を見ていてもらうため、まだまだ休む暇などない。

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PARK SQUARE 店長 / 斎藤TOM朋宏

執筆者プロフィール

英国帰りの元自衛官、バンド歴23年の現役バンドマンです(笑)。

現状

3/11つしまみれワンマン。地震発生の瞬間、電気・ガス・水道が止まり、全ての人がパニックになりました。幸いにも近くには地域避難所の勾当台公園があり全員で非難しました。2、3日後には仙台中心部に電気が復旧し、パークスクエアも避難所にしました。建物が大丈夫でしたのでイチ早く復活しましたが、正直なところ3月はスタッフ皆で手分けをして食料を調達したり、水を運んだり…。予定されていたイベントは6月上旬までほぼ全て中止・延期でしたが、急きょ、駆けつけてくれた皆さんにピンチを救ってもらいました。4/1から通常営業でなんとかやっております!!

メッセージ

震災により、まだまだ動けない地元バンドが多々あります。ツアーバンドの皆さん、東北ツアー宜しくお願いします!!

SILVER ELEPHANT 店長 / シルエレゆき(吉田幸恵)

執筆者プロフィール

生まれも育ちも吉祥寺。実家は八百銀。吉祥寺音楽祭実行委員。地元ケーブルTV「吉番」で司会も務め地域の活動も盛ん。

現状

3/11。当店はリキュール瓶1本倒れることもなく、被害はゼロでした。地下は地震に強いと聞いたことがありますが、本当だな~と。営業再開後も出演者の方の中には、被災地ご出身で、ご親族、ご友人が行方不明な方や、関西からのツアーのバンドもいました。しかし、その方々からライブを中止したい。という声はございませんでした。「こういう時だからこそ音楽を。」と。支援物資を集めるイベント、チャリティーCD販売の企画、「8.15 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」企画、東北地方へのツアー。自分なりの形で、被災地を応援していくというミュージシャンの方が本当にたくさんいらっしゃいます。そういう方々と触れ合う事ができ、ライブハウスは素敵な場所だと以前に増して思うようになりました。

メッセージ

『ライブハウスが無くなってしまったら、もうあの人に会うことはないだろう…』。ライブハウスは、そこにいつもあって、人と人が出会い、再会する場所だと思っています。シルバーエレファントは33年ここにあります。あなたを待っています。

kichijoji Planet K 店長 / 福原和樹

執筆者プロフィール

淡路島生まれ35歳! まだまだやんちゃに頑張ってます!

現状

震災から8日間はライブも勿論無く、チケットの払い戻しや、問い合わせの電話に追われていました。武蔵野市が計画停電の区域に入っていたため営業開始をするのに勇気がいりましたが、9日目からチャリティーライブとして無料ライブを開始しました。節電にも気を配り、LEDを導入し、最小限の電力で営業する事を心がけました。現在は、沢山のミュージシャンに支えられて元気に営業しております。新しいスタッフも仲間入りしまして、更にパワーアップ出来るように頑張りたいと思います。

メッセージ

ライブハウスだけではなく、まだまだいろいろ大変な時期ではありますが、良い音楽を発信する場所として、全力で頑張りたいと思います!

LIVE HOUSE 小田原姿麗人 店長 / 亀井 栄(ひさし)

執筆者プロフィール

2004年、小田原姿麗人にて店長就任。以後、小田原の音楽シーンを支え続ける、若き髭店長。ex.藍坊主。

現状

この度の震災にて、直接的な人的・物的被災はありませんでした。地震発生時には動線確保、続く余震の中での情報収集、今後の営業方針の話し合い。来場者・バンドマンの安全面を第一に考え、ほとんどのイベントは公演延期へ。しかし時が過ぎるにつれ、振替公演も開催され、通常営業が可能になって来ました。「出来る事をやる」それが今回の震災で出た一つの答えでした。義援金集めやチャリティーライブ、様々な試みに批判や賛同もありましたが、一番シンプルで本来あるべき姿であろうと。地元バンドを中心に、全国のバンドが小田原を、姿麗人を盛り上げてくれています。少しでも多くの皆さんが音楽を通して笑顔になれる様、頑張っていきます!

メッセージ

神奈川県は西湘地区、麗しの城下町小田原にある唯一のライブハウスです。「アットホーム」をモットーに、ビックリするくらい住宅地のど真ん中で営業しております。今年で20周年を迎えます! バンドマンもお客さんも、皆さん是非遊びに来てくださいね!

宇都宮 BIG APPLE オーナー / 小野 満 通称おのまん

執筆者プロフィール

現役のドラマーです。写真は大塚レッドゾーン パープルシャドウズ(今井 久)ライブから。

現状

ライブハウスは3Fの為、栃木県宇都宮市の中心地にしては揺れが大きく、楽屋の窓際に外して置いたムービングライトが1Fに落下!! 1Fにたまたま誰もいなかった為大事には至りませんでした。メインスピーカーなどは固定していた為、大きな被害は免れましたが、照明が3機落下、ドラムのシンバルが倒れ、一部バーカウンターの扉が開きグラス等が飛び散り、なんと言っても配線関係に支障をきたし現状復帰は大変でした。私も心労で体重が5Kgも落ちてしまいました。私自身もプロのドラマーなので、イベント中止、店のライブキャンセル等々…特に計画停電(私から言わせてもらうと無計画停電(苦笑)がなんと言っても大きな打撃でした。

メッセージ

当店は今年で23年、オープン当時高校生だった奴らも立派なお父さん、お母さん‼ 23年間今でも出てるバンドが沢山います。学生からシニア迄幅広いアーティストが元気を発信しています。東京からも、100Kmしか離れていないので、ツアーバンドも、気軽に寄って下さいネ‼

横浜B.B.STREET 店長 / 小斉元希

執筆者プロフィール

B.B.ストリートには10年くらい勤務してます。gnkosai としてアーティスト活動もしてます。

現状

横浜B.B.ストリートは駅ビルの12階にあるため、横浜とは言え、かなりの被害を受けました。当日、ケガ人もなく出演者もスタッフも皆、無事に避難できた事、ただひたすら感謝するだけです。その後は地元ミュージシャンの協力を中心に少しずつスケジュールも回復し、4月頭には店で集めた義援金をもとに、福島県南相馬市へ義援物資を届けに行きました。「ライブハウスとして出来ること」の前に「自分になにが出来るのか」それを考える事がなによりも大切だと感じています。個々としての自立。その上で「自分の属している」バンドやライブハウスとしてなにが出来るのか? を考えるべきだと思います。

メッセージ

横浜B.B.ストリートは9月、無事に14周年を迎え、これからも「反省しないバンドマン」を募集していきます。宜しくお願いいたします。

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