音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.38、39

グループ魂/Number the. 富澤タク a.k.a 遅刻

富澤1メイン

(C)2013-ARABAKI ROCK FEST.

Number the.:http://numberthe.com
フクミライ:http://tyo-m.jp/archives/category/fukumirai
予定:http://yoteii.jp
TOHOKU ROCK'N BAND:https://twitter.com/tohokurocknband
富澤タクTwitter:https://twitter.com/TakuTomizawa/

艱難 汝を玉にす。
それを信じて、福島、東北に「想い」を送り続けていきます。

「予定~福島に帰ったら~」(Number the.)のチャリティーソングを、3年に渡り、他県バージョン等、形を変えながら、リリースを継続中。“風とロックLIVE福島 CARAVAN日本”にも精力的に出演。1年に何度か福島県内をまわる、“フクミライ”という、音楽を中心にしたカルチャー型イベントを主催。2013、2014と、東北六魂祭でトリをつとめた、TOHOKU ROCK'N BANDにバンマスとして出演。

 

 

 

あれから3年半が経とうとしています。震災直後は未体験の重い現実に打ち拉がれ、混乱状態でした。危機的状況だった身近な人を気遣うのが精一杯で、自分自身のテーマなどは、吹き消されてしまったかのようでした。
ここまで、周りの人に支えられ、音楽を続けてきましたが本当につながりの中で生かされている、やらせてもらっているのだと、改めて実感しています。
今も変わらず、自分ができることの限界に苛まれますが、できることを、やれる範囲でやるしかないのだと、そう思う事が、継続や安定につながっていき、
結果良くなっていくのではないかと思っています。
福島の原発の問題をはじめ、復興にはまだまだ遠い道のりが待っていますが、この時代を共に生きる、
地球船の船員の一人として、「想い」をもって進んでいきたいと思っています。
そして、そうしていくには、心と体が健康であることが大切だと思います。
どうかみなさんもご自愛ください。

 

2013年に発売された『予定~◯◯に帰ったら~』。売り上げが全て寄付されている。

2013年に発売された『予定~◯◯に帰ったら~』。売り上げが全て寄付されている。
2012年12月の福島から始まった“風とロック LIVE福島 CARAVAN 日本”。沖縄、札幌、長崎、東京、神戸、広島、宮城、岩手、と最後にまた福島。約一年かけて全国を巡った。

2012年12月の福島から始まった“風とロック LIVE福島 CARAVAN 日本”。沖縄、札幌、長崎、東京、神戸、広島、宮城、岩手、と最後にまた福島。約一年かけて全国を巡った。
PHOTO by 石井麻木

2014年に5月に発売されたTOHOKU ROCK'N BAND『東北ROCK'N音頭』ジャケ写。イラストはメンバーの荒井良二さん。プロデュースは箭内道彦さん。富澤タクが作曲及びサウンドプロデュース。

2014年に5月に発売されたTOHOKU ROCK'N BAND『東北ROCK'N音頭』ジャケ写。イラストはメンバーの荒井良二さん。プロデュースは箭内道彦さん。富澤タクが作曲及びサウンドプロデュース。

2013年、2014年と2年連続出演している東北六魂祭。 TOHOKU ROCK'N BANDのバンマスとして出演。

2013年、2014年と2年連続出演している東北六魂祭。
TOHOKU ROCK'N BANDのバンマスとして出演。

 

福島県相馬市出身のシンガーソングライター 堀下さゆり

堀下アー写http://www.lilylife.net/

やっぱり音楽は無力ではなかった。
今、音楽で出来ること

地元相馬市で震災に遭い、ボランティア活動の中で子ども達と出会い、音楽で繋がっていった。進まないのは心の復興。どうか忘れないで。まだ何も終わっていないという事を。

 

 

 

2002年のデビュー以来ずっと東京を拠点に活動して来ましたが、震災を機に、東北に拠点を移しました。

あの日、ちょうど福島県相馬市内の実家に帰省中震災に遭いました。大津波に原発事故。あの時感じた恐怖感を…一生忘れる事はないでしょう。
悲しい出来事の連続に、心が音楽を受け付けませんでした。真っ白でした。あの時必要とされたのは、食料や燃料、寝る為の安全な場所でした。音楽ではありませんでした。
ボランティアを続ける中でお声がけ頂き、避難所で有志の先生方が開いていた寺子屋授業で南相馬の子ども達と歌う機会があり、そこで震災後初めて鍵盤を弾きました。歌っているうち子ども達の歌声がだんだん大きく、表情も少しずつ明るくなっていくのを感じ、音楽で出来る事が何かあるのかもしれないと思いました。あの頃は避難先で、子ども達がのびのびと大きな声を出したり遊んだり出来ない状況が続いていました。
3月末からつとめた相馬災害FMのパーソナリティーのボランティア。番組宛に「子どもが不安を感じている。子どもむけの音楽を流してほしい」というリクエストをもらった事がきっかけとなり、やがて『福島の子ども達に笑顔をプロジェクト』を立ち上げ、22校総勢1307名の地域の幼稚園生から高校生が参加してくれたアルバム『スマイル』の制作へと繋がっていきました。約4ヶ月かけての各学校でのREC、音楽を通じて子ども達と紡いだ笑顔の思い出は…私の一生の宝物です。東京のミュージシャン仲間の協力もありCDはようやく完成し参加児童全員にプレゼントする事が出来、翌3月には全国チャリティーリリースとなりました。今年、第一弾の収益金から幼稚園に楽器を寄付する事が出来ました。協力して下さった全ての皆さんに感謝の気持ちで一杯です。

あれから3年と3ヶ月。地震で被害を受けた街中の建物は大分取り壊され、新しい建物が建ち、津波の被害を受けた港も少しずつ復旧が進んでいます。消えないどころかもっと深くなっているのは放射能への不安ではないかと思います。今も仮設住宅に入っている方や原発事故の影響で以前とはかけ離れた生活を余儀なくされている人達はたくさんいます。住宅の除染は継続中で、終わっていません。除染で出た途方もない量の汚染土はいったいどこで処分するのでしょう。原発からの汚染水は今も海へ流れています。その海は世界へつながっています。誰にも無関係ではない、ですよね。

これからもマイペースに、自分に出来る活動を続けていきます。まだ被災地に足を運んだ事がないという方、是非、東北を、福島を訪れてみて下さい。

 

2011年夏、小学校でのレコーディング風景

2011年夏、小学校でのレコーディング風景

 

2011年4月上旬、避難所の寺子屋授業にて子ども達と歌う

2011年4月上旬、避難所の寺子屋授業にて子ども達と歌う

相馬市民会館に届けられた支援物資

相馬市民会館に届けられた支援物資

相馬の中学生が描いてくれたスマイルのジャケット。

相馬の中学生が描いてくれたスマイルのジャケット。

 

 

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