音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.22

サヨナライツカ G.フナミズマサト

live0922 1342http://sayonaraitsuca.tumblr.com/

-2011.3.11 その後の生活と、終わらない震災復興。震災から約2年。震災を忘れない、そして私なりの支援を『続ける』という事。〜青森県弘前市の、とある音楽好きの男性の場合〜 -

2011年3月11日、世界は一変した。今まで経験した事の無い大きな、そしていつ終わるのか分からない程長く感じた揺れ。電気はすべて止まり会社から帰宅を余儀無くされた。初めての経験だった。車に戻りTVを付けると、八戸のコンビニが津波で消えていく映像。難解な文言が並べられたテロップで告げられる被害状況。津波と火災。降り続く雪。

世界は一変した。ネットでは情報が錯綜し、喧嘩があちらこちらで起き、行き場の無いやるせなさだけが残った。福島第一原発は爆発し、節電を余儀なくされ、あらゆる行動が抑制された。
ライブハウス界隈も一変した。ネガティブな世相の波に押し寄せられ、ライブハウスはライブキャンセル・自粛ムードに力を失い、私の友人や、好きなライブハウスの方も辞めざるを得ない状況へ追いやられた。そんな中、弘前の若手バンドのライブが震災の翌週末に控えていた。私の別バンドも誘われていた。みんな口々に「今やるべきでは無い」と言っていた。それは自分のバンドメンバーもそうだった。私は「今、やらなければ」との想いで弾き語りでの参加を決意した。ライブ企画自体も無くなりそうだったが、企画者たちの幾度となく繰り返された話し合いと、ライブハウス側の計らいにより、極力電気を使用しないようにし、開催に漕ぎつけた。いざ蓋を開けると、沢山の人が来場し、終演後は皆笑顔だった。本当にやって良かったと、心から感じた。オムニバスCDのレコ発だったのだが、その売上を全て募金に回すことにした。
素晴らしい後輩たちだと思った。そしてその時私は確信した、音楽には人を救うことが出来る力が宿っていると。
震災直後の5月、釜石と大槌を訪ねる機会があった。そこには、本当に見たことの無い、凄惨と呼ぶしかない現実が広がっていた。ある程度片付けられたとはいえ、まだ瓦礫の山が幾つもそびえ立っていて、更地ばかりの土地はまるで空爆を受けた跡地のように思えた。見た事は無くとも、こんな感じなんだろうなと息を呑むしか無かった。
そこから、何か自分でやれることは無いかと思い、震災チャリティーのイベントにも参加し、今回のサヨナライツカというバンドも「震災復興」という基本理念を持って結成をした。
震災から既に1年9ヶ月経ち、TVはまた中身の無いバラエティーやワイドショーが支配している。昨年9月、福島はいわきへライブをしに行き、翌日色んな土地へ連れていってもらった。こっちはまだ地震・津波の被害と、放射能と風評被害とまだまだ課題は積み重なっている。改めて、全然終わりは見えないなと実感した。サヨナライツカでは手作りCDの売上から100円の募金を続けている。この度色んな人の力を借りて全国へ音源を流通することが出来、その売上からも少しずつ募金をさせて頂く。小さな小さな活動だが、少しずつ大きな力になる事を願って、活動を『続けて』いこうと思っている。続けること、そして忘れない3.11。

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