音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.13

PLASTIC GIRL IN CLOSET / 高橋祐二(Vo./G.)

http://www.plasticgirlincloset.com/

自分に出来ることをひとつずつ。
内陸からみた沿岸とこれから。

岩手県の内陸にある町に住む僕は震災以降、自分の生活を立て直していく中で、出来ることと出来ないことの狭間で揺れていました。現在、内陸は活気に溢れ、平穏な暮らしが戻ってきました。まずは一歩。これからです。

僕が住む岩手県矢幅町は内陸にあり、津波等の直接的な被害はありませんでした。沿岸の壮絶な被害を思うと、僕の体験したことは小さなことだと思います。被災地から近い場所・内陸の現状を記します。
3月11日、僕は家で録音作業をしていました。ズー…っと聴いたことの無い不気味な地響き。地震速報と同時に体感したことのない揺れ。そして停電。以降、毎日大きな余震が続きました。夜は地震速報に起こされ、とても眠れませんでした。
震災から1週間経ったあたりには様々な問題が。ガソリンは手に入りにくい状態。節電や復旧作業で仕事は思うように出来ない。沿岸の親戚や知人のもとに駆けつけたくても行けない。徐々に沿岸へのボランティア活動が始まっても、自分達は自分の生活を元に戻すことで精一杯。直接的な被害が少ない地域だからこその憤りもあったと思います。
1ヶ月程経った頃から、沿岸だけでなく内陸でも様々なイベントが行われるようになりました。著名な音楽家の方がフリーライブを行ったり、地元のミュージシャンが集ってチャリティーイベントを催したり。
皆、自分が出来ることを出来る範囲でやろうとした結果が“音楽”だったのだろうと思います。僕らは地元のチャリティーイベントへの参加はありませんでしたが、音楽配信サイト“ototoy”の震災復興コンピレーション・アルバムに「Collage Flowers」という曲を提供しました。
前記の通り僕らは3月11日もアルバムの録音中でした。アルバムの制作を中断してチャリティーイベントに出演するという選択肢もありましたが、僕らは僕らの目の前にあるものをしっかりとやっていこう、自分の周りにいる人に迷惑をかけたうえでの支援ではなく、やれることを焦らずゆっくりやっていこう。
そういった想いから、“楽曲の提供”という形の支援に落ち着きました。沿岸から離れた内陸は直接的な津波の被災地ではないことから、自分の生活を立て直しながらどう支援していくか、難しい立ち位置でもあります。
今現在、僕が知る限り内陸の街は非常に活気付いていると思います。僕達内陸に住む人間にとっての沿岸への支援、第一歩はまず自分の生活を元に戻すこととするのなら、きっといい方向に進んでいるのだと思います。 ゆっくりと前に進む復興への歩み。ひとりひとりの行動や意思が、いつかきっと大きな流れになると思います。

マスダトモヒロ with THE BAND / マスダトモヒロ(Vo./G.)

マスダトモヒロ http://yaplog.jp/sendai-shika/
トモ・デンタルクリニック http://tomo-dc.net/

世界の終わりを感じたあの日、無力さを痛感した検死活動、歌っている場合じゃなかった。僕らの戦いはまだまだ続いている。

友達も、患者さんも、たくさんいなくなってしまった。たくさん置いてきてしまった。検死活動の中、泣き崩れる遺族を前に、僕は音楽の力を信じられなくなった。歌なんて歌えなかった。でも、歌う勇気を再度与えてくれたのも、音楽の輪だった。
あの日あの場所で君の前で歌えなかったから、君がいたことを証明し続けるために歌い続けるよ。

あの日、僕は午後の診療中でした。突然の衝撃とみるみるうちに崩れていく病院内に驚きながら、無意識のうちに外へ飛び出していました。「危ない」と叫ぶ父親が一瞬上に見えるほど地面が歪んでいました。街中はライフラインが落ちたため静かで冷たく感じ、その後たくさんの雪が降り、大きめの余震が続いていました。タンカーの燃えた黒煙が空を包み、その中を戦闘機が低空で飛んでいくのを見て「世界の終わり」を感じました。
ライフラインの復旧までの間、夜が攻めてくるのを味わいました。唯一の情報源のラジオでは、「津波が来てたくさんの死体が海岸に打ち上げられている」と言っているが、全く理解できませんでした。意外にもあらゆる手段で連絡をとり、心配してくれたのは多くのミュージシャン達でした。THE SLUT BANKSのTUSKさん、Electric Eel Shock前川さん、中村敦さん、パニスマの吉田さん、ライブハウスの方々。みんな「生きてるか!?」と連絡をしてきてくれて、暗闇の中で心が折れなかったのはまぎれもなく音楽の輪だと思っています。
復旧がなされていない状態でも、「歯医者としてできることをやろう」と父親と話し、歯ブラシなどの消毒を行うことに決めました。その後すぐに、歯科医師会の要請により遺体検死に行くことになりました。検死、遺体安置所には警察と自衛隊の無線が飛び交い、ご遺体が運ばれてくる安置所は瞬く間にいっぱいになりました。がれきにまみれたご遺体をきれいにするための水自体も、ライフラインの復旧がなされていないために無く、過酷な状況でした。傷だらけのご遺体の前でご家族の泣き叫ぶ声が心に突き刺さり、赤ちゃんや妊婦さんまでもが犠牲になり、亡くなった方の時が止まる瞬間を目の当たりにして、天災とはいえ、心が苦しくなる状況でした。
僕は自身の無力さを痛感し、歌うことの意味や信念を見失ってしまい、音楽活動を休止してしまいましたが、多くの仙台の仲間とバンドメンバーでもある仙台MACANAの店長のよーいちさんからの「またみんなで頑張ろう」という言葉で再起することができました。完全とは言えない崩れたスタジオでメンバーと音を鳴らした瞬間の衝動は今でも忘れません。
完全な復興はまだだと思います。街中と、海沿いで多くの物を失った方との空気感や温度感は大きく違い、未だ平穏は取り戻せていないような気がします。見てきた景色の多くを語ろうとは、今はまだ思えません。しかし今後、僕は亡くなった方や多くを失った方の為に、生きた証を、歌っていくつもりです。

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Live & Club Space 下北沢ReG / 店長 鈴木 しんや

http://www.reg-r2.com

執筆者プロフィール

バンドマン時代を経て2年前の下北沢ReGオープンから店長兼ブッキングマネージャーとして手探りで進んでまいりました。日々精進。

現状

昨年の震災によって被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。このコーナーには毎号目を通させていただき、各地のライブハウスがいろいろなことを乗り越えて前進しているのを感じさせてもらっています。下北沢ReGもほとんどの都内ライブハウス様と同じく、イベント開催が長期困難になるほどの被害は無く、いろいろなことを考え、判断、選択をして再開しました。他ライブハウス様が書かれていなかった変化としては震災の1ヶ月後くらいから「ライブハウスで働きたい」という面接希望者が急増しました。「こんな時だから、辛い仕事は辞めてラクに楽しく働きたい」という理由が大半でした。ラクして楽しめる仕事ではないと伝え、現実を見て乗り越えましょうと何人も話したのを覚えています。今後もあらゆる天災を含め、いろいろなことがあると思いますが、震災を一緒に乗り越えたスタッフたちとひとつひとつ越えていこうと思っています。

メッセージ

アットホームかつ「本気」の姿勢でオープンから2年。早くも多くのバンドが大きな結果を出し始めてきたことが嬉しくて、日々幸せです。この嬉しい気持ちを保つため、今後もバンドの努力に負けないようスタッフ一同「本気」を出し続けていこうと思います。

赤坂 CLUB TENJIKU / 店長 成瀬 伸哉

http://www.clubtenjiku.jp

執筆者プロフィール

2011年8月、店長就任。caramell、FHOOTERS、ReversalRingをはじめ、コーラスギターとしての活動もしています。特に、次世代を担う若手バンドに力を注いでいます。

現状

東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
震災より1年が過ぎ、当店は以前と変わらぬ活気を取り戻しています。震災当時、当店でも建物の強い揺れは感じましたが、設備等に問題もなく、被害はありませんでした。勿論、震災直後はキャンセルも多々ありましたが、夏休みを過ぎ、9月TENJIKU周年記念月間の時期には、“音楽でどうにかしたい!”という強い気持ちを持った、アーティスト、企画者からの声が上がり、チャリティーイベントをはじめ非常に盛り上がった印象があります。
国会やTBSなどがあり日本の発信源である赤坂という街で、ライブハウスの立場ではありますが、今後も活気ある音楽を作れるように日々精進してまいりますので、アーティスト様・企画者様はじめ関係者の皆様、是非とも宜しくお願い致します。

メッセージ

今年の9月で5周年を迎えるTENJIKUでは、ジャンル・技術・年齢にとらわれず、音楽に対して熱い気持ちを持った出演者を募集しています! アーティスト様・企画者様と共に楽しい空間創りを目指して参りますので、是非当店に遊びに来て下さい! お待ちしております! ツアーバンド様も大歓迎致します!

新宿LOFT / 店長 大塚 智昭

http://www.loft-prj.co.jp/

執筆者プロフィール
18歳で新宿ロフトにアルバイトで入り今に至る。

現状

昨年の3月11日、震災直後当日新宿も揺れたとはいえ、とくに大きな被害がなく、14日から基本的にライブを再開しました。その後ライブのキャンセルも 若干あったとはいえ、急に空いたスケジュールでのチャリティーライブなどを企画して、多くのバンドに快く出演していただきました。
4月中旬には基本的に落ち着きましたが、数多くのバンド、企画者が今回のことを忘れないように、チャリティーイベントやメッセージイベントが多数自然に産まれ、音楽の力をとても感じました。
1年が過ぎ、ライブハウス界隈でも日常が戻ってきたものの、まだまだ復興には時間がかかる中、各々できることを新宿のライブハウスではやっていると思います。

メッセージ

こんなことがあって、やっと人々は一瞬でもひとつになることができたと思います。そして震災後に久しぶりに音楽が店内に流れたとき、あんなにグッときたことはなかったです。これからは、まだまだ復興中の方々へ音楽人としてできることを続けていこうと思っております。

四谷OUTBREAK! / 店長 秋元 清実

http://www.hor-outbreak.com

執筆者プロフィール

1979年にコロンビアよりSCANDALのドラマーでデビュー。翌1980年に2枚目を竹田和夫プロデュースで発表。同時期にスタジオミュージシャンとして数々のレコーディングや郷ひろみ等のツアーメンバーとして参加。

現状

3.11前とは違いますが、ほぼ平常に戻りつつあると言ってもいいでしょう。あれ以降、揺れを感じたらまず出口の確保(様子を見ながらですが)。それと、消火器を全て新品にしたこと等、防災感覚がだいぶ変わりました。演者さんには震災がきっかけで音楽を辞めてしまった人もいましたが、徐々にスタンスを変えて戻ってきています。当日のイベントは当然キャンセルで、佐藤(副店長)が「トイレあります」の看板を入り口に出したところ、帰宅難民の何人かが少しの間和んでから帰宅されたことや、後日のアフターライブで演者さん達と“この震災に音楽人としてどう向き合っていくか”をテーマとして明方まで大討論会になったことも思い出します。幸いにも当店は計画停電には入っていなかったので、キャンセルで空いてしまった日は全てチャリティーイベントとして立ち上げ、急遽みんなに呼びかけたところ沢山集まっていただき大成功! 以後、9月末日までの全日程をチャリティーとして、ドリンク1杯につき100円を義援金として被災地に届けさせていただきました。義援金活動は今でも募金箱で続けています。(ご協力いただいた皆さんにはこの場を借りて厚く御礼申し上げます)

メッセージ

今ほど元気を求められている時はないと思います。当店のスタッフもそれぞれに趣向をこらし、特色あるイベントを立ち上げています。そこには音楽を中心とした元気を感じてなりません。元気は必ず伝染していきます。音楽人としてともに元気を発信していきましょう。

 

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