音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.34

FAKE FACE Ba./Cho. AxYxM

195_0283http://www.fake-face.net/

色々な事が見えてきました。「今出来る事、当たり前のことを、一生懸命やる」「一瞬、一瞬を大事に」

僕が人生で一番大きく感じた東日本大震災という自然災害。そこから生まれた音楽での繋がり。人間関係、信頼関係、全て含め、今自分が歩んでいる人生を大事に一歩一歩、歩んで行こう。一生懸命生きて行こうと決めました。忘れられない3/11の記憶。

 

僕は自分自身バンドを続けてきて約8年、今のFAKE FACEを始めてから初のツアー。そして3/11はツアー初日の郡山でした。
僕らもその日バンド初の1週間かけてのツアーということもあり、ワクワクしながら、その日を心待ちにしておりました。
郡山に着いてひと段落。
リハーサルに入ろうかと機材を準備していたら…携帯から、みんな同じ音が…。「緊急地震速報だ!」
建物は瞬く間に揺れ出し、グラス、機材などが倒れ出し、逃げ出す出演者と、スタッフ達。
僕らはちょうどステージに立っていて、その状況を飲み込むまで時間がかかってました。
そして楽器を置いて、外に出ると…「危ないっ!! 出てくるな!」
上から建物の瓦礫が落ちてきたのです。
もう少し早かったら、間違いなく建物の瓦礫に直撃してたでしょう。あの時の郡山ピークアクションの店長、渡部さんの対応は忘れません。
外に出て、駐車場に集まり、とりあえず近くのデパートに一時避難しました。止まらない余震、急に吹雪が出てきたり、もうよくわからなくなってました。
そして、その日のライブは中止となりました。車に戻り僕らは仙台に帰ることにしました。情報も電波もなかったため、その時ラジオから状況をやっと把握しました。津波発生。ラジオでも、テレビでも同じ放送だけ。
帰るのにも車は渋滞。常に長蛇の列ができていました。その渋滞を待てば待つほど、心は不安で沢山になったことも忘れません…。
夕方に郡山を出て、真夜中に今までに見たこともないような暗闇の仙台に、着きました。そして家族の安否がとれて、ようやく、ピリピリしていた感情も収まりつつありました。
※まだまだ書きたいのですが、割愛させていただきます。
徐々に復興していき、今の仙台はこの状況まで戻れたのではないかなと思います。
今ここで生きているのも、人と人との助け合いからきた事なのかなと感じます。
そこで音楽の繋がりそして、人と人との繋がりになってるんだ。と確信しました。震災があってから僕自身沢山の出会いや別れがありました。
僕はこの震災をきっかけに、色々な事が見えてきました。
少しでもいいから、人のためになりたい。
それと、「今出来る事、当たり前のことを、一生懸命やる」「一瞬、一瞬を大事に」。この事を心がけて前に進んでいこうと思っています。

 

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震災当時にいたビル付近の倒壊現場

震災1年後に出したミニアルバム

震災1年後に出したミニアルバム

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FAKE FACEのライブ写真

 

 

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