今朝、歯ブラシと歯磨き粉を近所の薬局で買う夢を見た。その前に見た夢は、足の裏が少しだけ硬くなっているような気がするという内容だった。他にも、夢にするまでもないしょぼい夢をいくつか見たけど、しょぼすぎて内容は何一つ覚えていない。
昔は奇想天外な夢をもっと沢山見ていた。「夢日記を書き続けると夢と現実の境目がわからなくなる」という同級生から聞いた迷信に危ない期待を抱き、夢と現実の狭間に行けたらウケるなと思ってしばらく夢日記も付けていた。記録したぶっ飛んだ夢の内容を、少し経ってから読み返すことが楽しかった。当然夢日記を書き続けても、現実は現実だし、夢は夢のままで、境目ははっきりしたままだった。
私の夢の想像力はいつの間におしまいになったのだろう。街ゆく人々全員と噛み合わぬリズムに苛立ち歩行さえもままならない新宿で、ふと目に入った宝くじ売り場にできた長蛇の列を見て、「当たる訳ないのにこんな並んで…」と思ったあの日か。「今日は当たるぞ」というスピリチュアル的な何かを感じ取り、宝くじを買ったことが何回かあるが、一度も当たったことはない。特別ぶってみても、私はどこまでも普通の人だ。
「期待しない」ことがクールだと思っていた。期待して叶わなかった時のダメージが最小で済むように、現実的な夢を見て、現実的な夢を語ることがクールだと、そう思うことにした。 夢日記を書くことよりも「期待しない」ことが、私の中の夢と現実の境目を曖昧にし、夢の想像力をおしまいにしていた。夢の中で歯ブラシと歯磨き粉を近所の薬局で買わせたのは現実の私だった。
宝くじの一等が当たる確率は、「生きている間に隕石に直撃して死亡する確率」の10倍以上低く、「無作為に選んだ100万人の中で、誕生日・血液型・名前の漢字・出身地が全員同じ人を探す確率」と同じらしい。もうここまで来るともはやよくわからないけど、よくわからなすぎて夢はもっと自由に見てよかったことを思い出した。夢は必ず叶えないといけないと思っていたけど、もちろん叶えるために力は尽くすけど、一旦叶うかどうかは置いておいて自由に夢を見ようと思う。疲れるし傷付くけど、期待した方が面白いからやっぱり期待はした方がいい。宝くじ売り場で列に並ばず「宝くじの一等が当たる確率は〜」などとうんちくを垂れていてもしょうがない。列に並ぶことに意味がある。
今日の私はこれまでと違う。「今日は当たる」という確信めいたオーラのようなものが私の周りから出ている気がする。今回は本当だ。いや、絶対にそう。今こそ宝くじを買ってみちゃおう。血走った目で宝くじ売り場にチャリを走らせた。今夜私はきっと、面白い夢を見る。
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